思い出さないのは、きっと思い出そうとしないからだ――。
セレンの言葉に、ユリの中で感情や考えがぐるぐると渦巻く。
「あの女王さんも言えねえなら、最初から話さなきゃいいのにな」
不満たっぷりに言う彼に、自分の代わりに怒ってくれてるのだと分かった。
「ありがとう、カミュ。でも、ちゃんと私はこの世界に存在してるんだって分かっただけでもよかった」
「当たり前だろ」
今ここに、彼女はちゃんと存在しているのだから。
「すこしずつではあるが、わしらは確実に命の大樹へと近づいている。それと同じじゃよ、ユリ」
ロウがユリに優しく話しかける。
「あせりは禁物。一歩ずつでよい。ただし旅の歩みは止めぬこと……それが肝心じゃ」
「あら、おじいちゃん。たまには良いこと言うじゃない!」
「たまにはとは、むむ…。ベロニカは手厳しいのう」
二人の爺と小さな孫のようなやりとりに、その場に笑顔が浮かんだ。
「せっかくだから色々見て回りましょう」
「アタシ、お買い物をしたいわ〜ん」
「ええ、きっと地上にはない珍しいものがありますわね」
「僕、人魚たちから聞いた難破船が気になるんだ」
マルティナの提案に、シルビア、セーニャ、エルシスが賛成と続く。
「行こうぜ」
「……うん!」
皆が励ましてくれているのが分かって、ユリは心の中で"ありがとう"と呟く。
考えるのは一旦止めて、今は楽しみたい。
一行は海底王国を観光する。
武器防具屋を発見し、中に入ってみると、店員はなんとサメがしており驚いた。
欲しい物が見つかったのに、言葉が通じず買い物できず、エルシスはしょんぼりしながら店を出る。
「あ、エルシス。あっちにはどうぐ屋があるよ。人魚の店員さんだから買い物できるんじゃないかな」
「入ってみよう」
通貨は共通なのだろうかとカミュは疑問に思ったが、どうやら大丈夫なようだ。
「人間、人魚関係ないね!よい品、よい朝、よい天気ってなもんだ!じゃんじゃん買い物してきなよ!」
店員の人魚の歓迎ぶりに二人に笑顔が浮かぶ。
地上では見たことない商品が並んでおり、彼らはじっくり見て回った。
「このサンゴのかみがり、素敵」
「あら、本当ね。ユリに似合うんじゃないかしら」
マルティナが覗きこむと、ユリの手のひらにはサンゴを加工して作られた美しい髪飾りを乗せられている。
「いいじゃない!ねえ、どうせならみんなでお揃いにしない?」
「名案ですわ、お姉さま!」
彼女たちが楽しげに髪飾りを買っているのを見て、カミュはシルビアに言う。
「おっさんは買わなくていいのか?」
お揃いだとか好きだろと付け加えて。
「カミュちゃん……」
「ん?」
「アタシ、この光る真珠を買い占めるわ!衣装に付けるの!ピッカピッカのゴージャスよ!」
「……マジか」
「ムムム……!まさかここでこの代物に出会えるとは……!」
「ロウおじいちゃん、どうしたの?」
「男のロマンの貝殻ビキニじゃ!」
「……………………」
それぞれが買い物を楽しんだ後は(ロウは貝殻ビキニを買おうとしたがエルシスに却下された)
エルシスの希望で難破船を見に行った。
遥か昔に沈んだという話だが、ボロボロになりながらも船の姿は保っている。
今は魚たちの棲みかになっているらしい。
「元はかっこいい船だったんだろうな」
「グリーンオーブが海底に沈んだ時、あの難破船に積まれていたのかしら?だとしたら、あの船も遠い昔に海の魔物ちゃんに襲われたのかしらね……」
シルビアがそう呟くと、彼らの目に難破船はさらに哀愁が漂って見えた。
王国に戻ると「人間である旅人さんにお願いしたいの」そう彼らは人魚に話しかけられた。
もちろんエルシスは快く彼女の話に耳を傾ける。
「あれはもう何十年前になるかしら。当時わたしは人間の世界に夢中で、王国の近くを通る船をよく見にいってたの」
彼女も他の人魚たちと同様に、人間の世界に興味を持った一人らしい。
「その船はとても立派な商船でね。たくさんの船乗りさんにまじって、小さな男の子が乗っていたのよ」
「小さな男の子ですか……」
「その子は小さな手に楽器を抱えて、毎日毎日陽気な歌を歌っていたわ」
その出来事を思い出しているのか、彼女は声を弾ませながら話す。
「彼の歌は明るく陽気なリズムで、海底王国では聞いたこともない歌だった。わたしは夢中になって聞いていたわ。……けれど」
彼女はそこで悲しげに表情を曇らせて。
「しばらくするとその子は船を降りたのか、陽気な歌は聞こえなくなってしまったの。ああ、もう一度だけあの歌が聞きたい。旅人さん、どうか男の子を探しだして歌を歌ってほしいと頼むことはできませんか?」
難しいお願いだった。何十年前となると、少年は大人になっており、もしかしたらもう既に亡くなってる可能性もある。
「エルシス。安請け合いはよくないぜ?」
「うん……」
でも……とエルシスは言葉を濁らせた。
困っている人がいたらなんとかしてあげたいという気持ちは、彼の本質だ。
それは誰に対しても変わらない。
「他に覚えてることはありませんか?」
「そうね、どこの地での場所か分かれば手がかりは探しやすいわね」
ユリの問いにマルティナが考えながら続いた。
「昔のことだからその男の子のことはあまり覚えていないの。覚えているのはダーハルーネという船に書かれた人間の文字だけ……」
ダーハルーネ――そう小さく呟いたのはロウである。
「……もしかしたら、わしの知り合いかも知れぬ」
「本当に!?ロウおじいちゃん」
「うむ。確実にそうじゃとは言えんが……その話。わしに預からせてはくれぬかの」
「構いません。ありがとうございます、旅人さん!私、どうしても諦めきれなくて……」
喜ぶ人魚にロウはにっこりと微笑んだ。
一旦、シルビア号に戻っくると、ロウは皆に思い当たる節を話した。
「ダーハルーネで似たような過去の話をしていた男がおってな。子供の頃は歌が大の得意で、神童と呼ばれてもてはやされておったと自慢しておったわい」
「胡散臭い話の気もするが、確かめてみる価値あるかもな」
カミュの言葉にエルシスは同意だと頷く。
「ルーラでムウレアに戻って来れると思うから、僕とおじいちゃんでダーハルーネに行って確かめてくるよ」
二人だけで大丈夫か?とカミュは口を開きかけたが、やる気のないデルカダール兵士の様子を思い出して、口を閉じた。
「じゃあ行ってくるね」
「ゆるい警備だからって、気を抜くんじゃないわよ」
そうエルシスに忠告したベロニカ。
今回はついて行きたいと言わなかったのは「ここで待ってる方が楽しいじゃない」だそうで。
「お土産、よろしくね」
ついでに片目を瞑って愛嬌たっぷりに言う、ちゃっかり者である。
エルシスがルーラを唱えると、海底にも関わらず、ロウと共にその体はダーハルーネに飛んだ。
町は変わらずのようだ。エルシスはフードを顔を隠すように被り、情報収集は主にロウが行う。
「どうやらあやつはよく灯台近くで海を眺めておるようじゃ。エルシス、行ってみよう」
「うん」
二人が灯台に向かうと、そこには海を眺める一人の老人の姿があった。
「いつぞやの旅人さんじゃないか。えらい久しぶりじゃのう」
「ちとお主に話を聞きたくてな」
老人はわしに?と不思議そうな顔をしたが、ロウが過去の話を聞くと、彼は「懐かしいのう」と当時の話をしてくれる。
「町でいちばん大きな船に乗って、船乗りたちのために歌を歌ってな。とても楽しい日々じゃったわい。わしの歌を聞きに人魚が海からカオを出したこともあるんじゃからの。ウソだと思うなら人魚に聞いてみるとええ」
「それです!」
最後の言葉は老人は冗談のつもりだったが、突然声を上げたエルシスに、彼は驚いた。
エルシスは海底王国に住む人魚があなたの歌を聞きたがっていると事情を話す。
海底王国に行ったという彼らの話に最初は半信半疑だったが、詳しく話を聞くと老人は笑った。
「……のっほっほ!あの時の人魚がわしの歌を覚えていてくれたとは、こんなにうれしいことはない!」
自分が少年の時の出来事なので、何十年も前のことを覚えててくれたのだ。
「ぜひとも歌を聞かせてやりたいのじゃが、わしはトシを取りすぎてしもうた……。もう昔のようには歌えないのじゃ」
「……そうなんですか」
せっかく本人を見つけたのにと残念がるエルシスに、老人は提案する。
「旅人さん、ムリを言ってすまないが、わしの代わりにその人魚に歌を歌ってやってはくれまいか?」
「え、僕がですか!?」
「おお、それは良い案じゃ」
「でも僕、歌なんて……」
歌ったことなどない。せいぜい鼻歌ぐらいだ。
「エルシス。何事も挑戦と経験じゃ。多少ぎこちなくとも心を込めて歌えば、きっと伝わるはずじゃ」
ロウの言葉に「う〜ん」とエルシスは考える。
「わしがしっかり伝授するから安心せい」
二人の老人に説得され、エルシスはついに首を縦に振った。
「おお、ありがたい!それではわしが今から歌を歌を覚えてくだされ……」
老人はしゃがれた声で歌う。
「船はきままに波まかせ♪風きり走る大海原が我らのふるさと我らの母よ♪どんなに遠くはなれようとも海の歌が潮風に乗り届くなら♪我らの心は海へと帰る♪」
確かに美声とは違うし、音程も不安定だが、その歌声はエルシスの心に響いた。
「のっほっほ、のっほっほ、のほほのほ♪歌えや踊れ、海の歌を♪ひびけや届け我らの母に♪」
あの人魚が話してた通り、陽気で楽しい歌だ。自然とエルシスの体がリズムに乗り、その隣で聞き入るロウ。
「……のっほっほ。昔のようにはいかんのお」
「いえ、とても素敵な歌声でした」
「うむ。実に味のある声じゃったぞ」
二人に褒められ、老人は「まいったのう。もう昔のようには歌えんが、ひさしぶりに歌を聞いてもらえてとてもうれしかったですぞ」と、照れくさそうに笑った。
その後、老人の指導の元、歌の練習をし、エルシスはなんとか歌えるようになった。
「船を降り、歌をすっぱりやめてからはわしの歌のことなど、誰も覚えておらぬと思っておった。あとは頼みましたぞ、旅人さん。人魚にこの歌を歌ってやってくだされ」
「はい!頑張ります」
エルシスは老人に別れを告げ、再びルーラの呪文を唱え、ムウレア王国に戻る――。
「旅人さん、おかえりなさい!男の子は見つかりましたか?もう一度、あの歌を歌ってくれるかしら?」
エルシスは人魚に老人のことを話し、代わりに老人から教わった歌を歌った。
仲間たちが見守るなかで歌うのは緊張するが「まずは自分が楽しく歌うのがコツじゃ」と、老人の言葉を心がけてエルシスは歌う。
ぎこちなくも、澄んだ声で楽しく歌うエルシスの歌声に、その場にいる全員が聞き入った。
「……そう、そうよ。この歌よ。なつかしい遠い日のあこがれがよみがえってくるようだわ」
歌を聞き終え、満足げに言う人魚に、エルシスはほっと胸を撫で下ろす。
「けれど、もう彼の声を聞けないなんて人間の一生とははかないものね……。だからこそ、ステキな歌を作れるのかしら」
そう感傷深く言ってから、人魚は笑顔でエルシスに言う。
「ありがとう、旅人さん。もう一度あの歌が聞けてうれしかったわ。お礼の品を受け取ってください」
エルシスは『グラコスのやり』を受け取った。
「お前、なかなかの歌声だったじゃねえか。さすが勇者さまだな」
「カミュ、からかってるだろ……」
「エルシスの歌声、本当に素敵だったよ!」
ユリの言葉に同意するようセーニャ、マルティナ、シルビアも同じように続き、
「なかなかよかったんじゃない?」
あの手厳しいベロニカが素直に褒めたので、驚きつつもエルシスは嬉しそうにはにかんだ。
海底王国も堪能し、次に彼らが話し合うのはこれからの行き先だ。
オーブはあと三つ。
「せっかくマーメイドハープがあるんだし、海上にそびえる光の柱を探してハープを使ってみましょうよ!まだ行ったことのない場所にハープが導いてくれるはずよ!」
ベロニカの言葉に全員同意だったが、問題はその光の柱の場所だ。
「シルビア。航海の途中で何度か見たような気がするって言ってたけど、場所とか覚えてない?」
「ごめんなさいねぇ、エルシスちゃん。あまり気に止めなかったから詳しい場所はよく覚えてないの」
申し訳なさそうに言うシルビアに、気にしないでという風にエルシスは微笑んだ。
「あの女王さん、ワケ知り顔だったし、次に俺たちがどこへ行くべきか教えてくれるかもしれないぞ?」
カミュの言葉に、そうかとエルシスは気づく。
聞いてみる価値はあるかも知れないと、再び彼らは宮殿に訪れることにした。
「あなた方はお優しいですね。人魚の願いを叶えてくれて感謝します」
最初の時と同じように彼らを歓迎してくれたセレンは、さっそく先ほどの人魚の件も知っているらしい。
「わたくしもエルシスの歌声をこの耳で聞いてみたいですわ」
思わぬその言葉に、エルシスは困ったように微笑した。
「女王さま、彼らが再びここに来たといいうことは何か聞きたいことがあるのでは?」
見かねて口を出したのは、セレンの横に立つ海の民の大臣である。
「そうですね。もしかして、何かおこまりですか?」
「じつは…………」
エルシスは自分たちの次の行き先についてセレンに相談した。
「……ふふっ、そうですか。では、あなたの進む先に見える不思議なチカラについてお話しましょう」
一旦、言葉を切ると、彼らを見回してセレンは口を開く。
「……ここより、はるか西。海にそびえる光の柱の先に少女たちが集う華やかな場所がありますわ」
少女たちが集う華やかな場所……?
エルシスが首を傾げると、マルティナが「もしかして……メダル女学園のことじゃないかしら?」と小さく呟いた。
「その場所の主はとても不思議な人だけど、悪い人ではないと思いますよ。きっとあなたたちを歓迎してくれるでしょう」
その"主"に会うことが何か手がかりになるのだろうか?
「わたくしに見えたのはここまでです。どこかへ進むかはあなた次第よ。すべては大樹の導きのもとに」
「ありがとうございます、セレン女王」
セレンからのありがたい助言を受け取り、宮殿を後にする。
「冒険の旅が終わったらセレンさまとゆっくりお話ししたいわ――」
シルビア号に戻る途中、ユリの隣でぽつりと呟くマルティナ。
「あの方は生まれついての女王。女王として国を治めるための心得を、一度聞いてみたいのよ」
「そっか。マルティナは……」
本来なら次期デルカダール国を治める女王なのだ。
自身の悩みはあまり口には出さないが、今の立場はマルティナにとっても複雑だろうと、ユリはその横顔を眺めた。
「アリスさん、お待たせ!次の行き先が決まったんだ」
エルシスは船番をしていたアリスに、セレンの助言のことを話す。
「西の海にそびえる光の柱……ちょっと待っててくだせぇ」
何か気づいたのか、慌てて船内に駆け込むアリス。
しばらくして戻ってきた彼の手には、手帳のようなものを持っていた。
「あら、アリスちゃんの航海日誌ね」
「見つけた光の柱の場所をメモしていたのを思い出したげす」
アリスは素早くページを捲る。
「さすがだ、アリスさん!」というエルシスの称賛に続いて「シルビアより有能だな」カミュの言葉にそのシルビアはいじけた。
「ユリちゃん、カミュちゃんがイジワルするわ〜」
「たぶん、カミュのツンデレじゃないかな」
「誰がツンデレだ」
ツンはともかく、なんでおっさんにデレなきゃならんのだ。
そうこうしているうちに「ありやした!」と、アリスが声を上げた。
「西の海域――ドゥーランダ山近くの海でげす!」
地図を広げ、この辺りだと指で円を描く。
「あら、案外ラムダの近くなのね」
「え、そうなの?」
「ええ、エルシスさま。聖地ラムダはこの山脈にありますわ」
セーニャの指差す位置はドゥーランダ山よりさらに奥地の山々だ。
「ラムダって本当に山奥にあるのね」
「双子ちゃんは結構な旅をしてきたのねえ」
地図を眺めて言うユリとシルビアに、セーニャが思い出すようにふふっと笑う。
「あの時は必死だったのであまり感じませんでしたが、長い旅でしたわ。困難もたくさんありましたが、お姉さまと一緒だったので乗り越えられましたの」
ねえ、お姉さま――セーニャがベロニカに振ると、彼女は「そうねえ」と頷いた。
「セーニャがどんくさいからなかなか苦労したわ」
「まあ、それを言うならお姉さま。お姉さまがこっちの方が近道と進んで何度も道に迷いましたわ」
「あ、あれは迷ったんじゃなくて寄り道よ!」
「はいはーい。二人ともそ・こ・ま・で」
珍しく姉妹喧嘩になりそうな雰囲気を感じ取って、シルビアが素早く間に入る。
そして、話を纏めるように口を開いたのは、一番の年長者のロウだ。
「では、アリス殿。目的地はその光の柱でお願いできるかの」
「へい!おまかせくだせえ」
「長旅になるからしっかり準備をしねえとな」
カミュはそう言いながら、その視線は目的地からさらに北西に移る。
(いつか、この地にも訪れるかも知れないと思っていたが……)
案外それは早いかも知れない。その時が訪れたら、きっと自分は――。
「カミュ、どうかした?」
カミュの様子に気づいたユリが、不思議そうに尋ねた。
「オレたちも遠くまで来たなって思ってな」
いつもの顔をして、カミュは答える。