(本日も晴天なり……げすな)
彼の名はアリス。シルビア号を一任されている者だ。
シルビアを姉さんと慕い、いつもピンクのマスクを被った、年齢、過去とも不詳な男。
アリスという可愛らしい名前も、本名なのか疑わしい。
これは、そんな彼の航海の日々の一頁である――。
シルビア号の船の操縦は、シルビアとの交代制だ。
そろそろ彼と交代しようと向かうアリスは、後ろから声をかけられた。
「あ、アリスさん!」
この旅の中心的な存在のエルシスである。
穏和な笑みを浮かべて自分に話しかける彼は、アリスにとって純真な好青年という印象だった。
だが、彼は勇者の生まれ変わりという重き使命を背負っている者だ。
(お若いのにエルシスさんは立派でがす)
「アリスさんは欲しいものってある?」
「欲しいものでげすか?」
「うん。いつも船番してもらってるし、次は大きな町に立ち寄るから、何か必要は物があったら買ってくるから教えて欲しいんだ」
そう自分に気遣う彼に、アリスはじーんと感激した。
「エルシスのダンナは本当にお優しいでげすね……!」
彼の相棒であるカミュの話によると、彼はクエストをお願いされると全部引き受けてしまうお人好しだという。
根が困っている人を放っておけないのだろうとアリスは思っていた。
「そのダンナ呼びは慣れないけど……」
アリスは男性陣には"ダンナ"と呼んでおり、その呼び方にエルシスは苦笑いを浮かべた。
「そうでげすね……」
アリスはしばし考えると、「あ」と思い付いた。
「船を修理する時の工具が古くなってきたので新しいのが欲しいでげす」
「了解。でも、それって船に必要なものだよね?アリスさん自身が欲しい物ないの?」
あっしの欲しいもの……。エルシスの問いにアリスは考えてしまう。
特に自分には物欲がないのに気づいた。
「じゃあ何かおいしそうな食べ物をお土産にするね!」
そんなアリスに気づいてか、笑顔を浮かべるエルシス。彼らしい思いやる言葉に、アリスもまた「ありがとうございやす!」とマスクの下で満面な笑顔を浮かべた。
「エルシス。買い出しに必要なもの、メモしたよ」
次にエルシスに話しかけるように現れたのはユリだ。
彼女は記憶喪失ということを知った時はアリスは驚いた。
その様な悲壮感を見せず、花が咲くような笑顔をする女の子という印象だったからだ。
おっとりとした雰囲気だが、弓の腕前は一級で、船が魔物に襲われた際などアリスも何度も助けられた。
(ユリ姉さんの後衛支援はばっちりげすな)
そんな彼女はいつもと違う服装をしている。
水玉模様の可愛らしいエプロン姿だ。
「ユリ姉さん、今日は一段と可愛いらしい服装してるげすね」
「あ、この服、エルシスが作ってくれたの」
師匠とセーニャと色違いなんだよと、嬉しそうにユリがつけ加えると「新しく手に入れたレシピなんだ」そう作り手のエルシスも誇らしげに笑う。
どうやら満足の仕上がりらしい。
ユリが着ているのはエルシスがソルティコの町でもらったレシピ『おしゃれガール特集』のキュートリボンとキュートエプロンだ。
「可愛らしいお三方にぴったりの服げすね!」
「シルビアにも作ったんだ!」
「姉さんは何でも着こなせるでげすから、きっとエプロンも似合うでげすな」
「シルビアには別の服だよ!?」
瞬時にアリスの頭の中では、ユリと同じような可愛らしいエプロンを身に付けたシルビアの姿がもわわんと浮かんだが、エルシスの驚きの声がそれをかき消した。
シルビアにはエプロンではなく、かっこいい『ハンサムスーツ』という服を作ったという。
きっと彼ならそれも着こなせるだろうとアリスは思った。
「では、あっしは船の操縦を姉さんと交代してくるでがす」
操縦をしているシルビアは、さっそく新しいエルシスが作ったスーツを着こなしていた。
「姉さん!新しい服似合ってるげす!」
「ウフフ♪ありがとう、アリスちゃん。たまにはこういうスタイルもいいわね」
上機嫌に笑うシルビア。普段は大道芸人らしい服装の彼だが、すらりとしたシルビアの体型にとても似合っている。
凄まじくハンサム。もはや、彼専用の服なのでは?とアリスは思う。
シルビアと交代し、船を操縦をしてしばらくしてやって来たのは、
「よう、アリスのおっさん」
――カミュだ。
彼はエルシスの相棒であり、元盗賊だと知った時は、アリスはこれまた驚いた。
盗賊というわりには、クールだが彼も好青年という印象だったからだ。
自分が荒れていた頃より、ずっとしっかりしている。
(海風が似合うイケメンでげすな)
そんな彼は何かを感じとるように流れる景色を眺める。
「なーんかこの後、嵐が来そうな風じゃないか?」
カミュの言葉に、アリスも感覚を研ぎ澄ませた。
言われれば確かに、先程と風が変わっている。何より、カミュが言うなら可能性は高いだろうとアリスは考えた。
船旅の経験が多いのか、彼の勘はよく当たる。
「少し、進路をずらすことにするでげす」
「頼んだ、アリスのおっさん」
しばらくして元の進路の頭上に黒い雨雲が発生し、嵐に巻き込まれずに済んだと二人は安堵した。
再びシルビアと操縦を交代し、アリスは船内を歩いていると、
「あら、アリスさん」
前から歩いて来るのはベロニカだ。
プリティキャップとプリティエプロンを身に付けており、まさにプリティ。
「お疲れさまでがす、ベロニカ姉さん」
見た目は幼い少女だが、セーニャとは双子で彼女は姉だと知った時は、アリスはこれまた驚いた。
「ねえ、アリスさん。セーニャ見なかった?」
「あっしは甲板から来やしたが、セーニャ姉さんは見てねえげすね」
「あの子ったら、いくら大きな船だからって、船内で迷子になるなんてどこまでボンヤリしてるのかしら」
そう言いながら彼女はとことこと歩いて行ってしまう。はて、迷子?
アリスは不思議に首を傾げながら、再び歩いていると、同じような呼びかけが。
「あら、アリスさま」
――セーニャだ。
つい先程、ベロニカが探している張本人である。
彼女もユリとベロニカと同じような、ラブリーバンドとラブリーエプロンを身に付けており、清楚な彼女の雰囲気にもよく似合っていた。
「アリスさま。お姉さまを見かけませんでしたか?いくら探しても見つからなくて……」
「ベロニカ姉さんならつい先程すれ違いやした。向こうに行ったでげすよ」
「まあ、教えてくださりありがとうございます」
そう丁寧にお辞儀と共に礼を言うと、ベロニカが行った先に向かうセーニャ。
離れている方が珍しい二人が、大きな船とはいえ、船内で行き違いになるとはミラクルである。
(性格は正反対げすが、きっとそっくりな双子なんでげすね)
お互いに探し回っている二人に微笑ましく思いながら、アリスが訪れたのは食堂だ。
小腹が空いたからである。
「おいしそうなにおいがするでがす……」
「ほっほ。姫の料理のにおいに釣られてやってきたのかのう、アリス殿」
食堂には料理をするマルティナと、お茶を飲んで寛いでいるロウの姿があった。
「姫は武術だけでなく、料理上手でもあるのじゃよ」
「長い旅を続けるうちに上達したのよ」
「マルティナ姉さんは器用でげすね」
マルティナとロウ。
二人はわりと最近、仲間になった者たちだ。
マルティナはデルカダール王国の王女であり、ロウはユグノアの元国王と知った時は、これまたアリスは大変驚いた。
世間では二人とも故人とされていたからである。
(お二人とも王族の気品を感じるでがす)
マルティナはどうやら夕飯の仕込みをしているらしく、アリスはパンなど簡単に食べられるものはないかと物色した。
「ふむ、アリス殿は小腹が空いておるのか。では、わしがユグノアサンドイッチを作ろう」
思わぬロウの提案にアリスは喜んだ。
ロウの作る特製サンドイッチは絶品だからである。
(……ロウさまの気遣いと優しさは、昔と変わらないでがすね)
「アリスさん。晩御飯は腕によりをかけて作ってるから、ほどほどにお腹を空かせておいてね」
「もちろんでがす!マルティナ姉さんの作る料理楽しみでがす!」
そして、その夜――。
アリスは一日の終わりに航海日誌を書くのが日課だ。
船の進路から、気づいた海の様子。
その日起こった出来事に、献立まで。
前よりも書くことが増えて、もうすぐ頁がいっぱいになるだろう。
これを書き始めた頃には思いもよらなかったことだ。
こんな自分に、たくさんの仲間が出来たこと――。
(シルビア姉さんには感謝してもしきれねえでげすね)
自分がこうして新しい人生を歩めるのはシルビアのおかげだ。
彼らの船旅を守り、目的地まで送り届けるという、大事な使命までも与えてくれた。
次の目的地はメダル女学園。
自分は船を任せられているので、留守番ではあるが、彼らから話を聞くのが何よりの楽しみだ。
歳を取っても冒険心は衰えないのだと、アリスは知る。
書き終えると、そっと日誌を閉じた。
元・バンデルフォン王国の海軍将校の航海は、まだまだ終わらない――。