雨ニモマケズ、風ニモマケズ

 中学三年。中学、最後の夏――。周りは思い出作りや旅行やイベントなど、計画を立てるのにクラスは盛り上がっている。

 私もその輪の中にいた。
 
「結月も俺の別荘に来るだろ?」
「私はその週は予定があるから……」
「俺の誘いを断るなんて、相変わらずおもしれー女」
(面白いのは君だよ、奄美くん)

 相変わらず少女コミックのテンプレくん。(予定があるんだってば)

「理世ちゃんはどんな予定があるの?」
「旅行に行くの」

 ふふ、と自然に顔を綻ばせる。

「それは楽しみだね!家族で?」
「ううん」


 ――名探偵と!


 待ちに待った夏休み。人で賑わう空港に心が浮き立つ。


「では、乱歩も理世も気を付けて行ってくるのだぞ」
「はーい」
「はい!」

 福沢社長が見送ってくれる。これから私たちが行く先は、東北にあるイーハトーヴォ村という場所だ。
 何でも、社長の古い友人が住んでいるそうだけど、場所が場所なのでなかなか会いに行けないところを……

「じゃあ、僕が代理で行ってあげるよ!社長がスカウトしたいって少年も気になるし」

 って、乱歩さんが旅行がてら行く事になり、私はその付き添いだ。ちなみに、社長がスカウトしたいという友人の息子さんは私と同い年らしい。

「乱歩、宮澤さんに宜しく伝えてくれ」
「まかせてよ、社長」
「理世、乱歩のことを頼む」
「はい!まかせてください、社長」

 チェックインを済ませ、社長から飛行機のチケットを受け取る。

「困ったらすぐに電話をしなさい。迷ったら不安なまま進むのではなく、誰かに尋ねるのだ。駄菓子をくれるからと言って……ごほん」

 小さい子に言い聞かせるような言葉を並べた社長は、咳払いで誤魔化しながら言葉を切った。
 さすがに私はもうすぐ高校生だし、乱歩さんだって電車には一人で乗れないけど、立派な成人男性だ。
(社長は案外心配性なのかも)
 あの過保護な安吾さんでさえ「乱歩くんと一緒なら」と、安心して送り出してくれたのに。
 社長に背を向け、こうして、乱歩さんと二人で三泊四日の旅行が始まる。

「イーハトーヴォ村って、地図に載ってないんですね」

 夏休みという事で、家族連れが多く、飛行機に乗り込むのにも長い列だ。

「岩手県の山間にある秘境地帯の小さな村みたいだからねえ。社長の話によると、電気と電話が繋がるようになったのもここ何十年前の話みたいだし」

 乱歩さんの説明に「へぇ〜」と頷いた。田舎という存在に縁がないので楽しみだ。
 飛行機に乗り込むと、綺麗な客室乗務員のお姉さんが笑顔でお出迎えしてくれて、奥へと進む。

「えーと、Eだから〜……ここだ、乱歩さん」

 窓側の三列シートだ。「荷物、上に置きますね」爪先で立って、荷物棚に手を伸ばす。

「よかったら、代わりに荷物を上げましょうか?」

 後ろから声をかけられ、振り向くと……

 そこには、声と同様に物腰が柔らかそうな男の人が立っていた。右耳に付けた耳飾りが揺れる。

「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。私もこちらの席なので」

 その人は私たちの荷物をしまうと、自身のアタッシュケースを隣に置く。その瞳は、ずっと閉じられている事に気づいた。

「君は、「見えて」るんだね」

 そう言った乱歩さんの口ぶりは、断言するものだ。

「ええ。私は盲目ですが、周囲を把握できます。そういう"個性"なんです」

 彼は「見えている」ように、乱歩さんに向かって微笑んで答えた。(なんとなくミステリアスな雰囲気がする人……)

「――お前!ヴィランだろ!」

 不意に聞き流せない言葉が耳を突く。

(ヴィラン……!?)

 驚いて前方を見ると、二人の男が言い争いをして、その間で客室乗務員さんがあたふたしていた。

「おや、喧嘩ですかね。まもなく離陸だというのに」
「仕方ないねえ。行くよ、理世」
「え?あ、はい!」

 ポケットから眼鏡を取り出してかける乱歩さんの後を、慌てて追う。

「指名手配のヴィランとそっくりじゃないか!」
「"個性"が被るなんてよくあることだろ!?俺はヴィランじゃねえ!ちゃんと搭乗審査も通ってる!」
「お……お客様方、まずは落ち着いて下さい」

 喧嘩の内容は一方的な言いがかりのような気も……。(根拠もなく異形系の見た目だけで、ヴィランだって決めつけるのは差別って、社会問題にもなってのに)

「その男はヴィランじゃないよ。一目でわかるじゃないか」

 その場に現れた第三者こと乱歩さんのあっけらかんとした言葉に、一瞬、周囲がぽかんと静かになった。

「何言ってるんだ!?むしろ一目でわかるだろ!?ほら、これが指名手配されているヴィラン!!」

 すぐに男はムッと反論する。

「これだから、素人は……」

 突きつけられたスマホの画面を、ろくに見ずに乱歩さんは呆れたように言った。
 煽るような言い方をしているけど、これが乱歩さんの通常営業だ。何せ、乱歩さんの座右の銘は、

『僕がよければすべてよし』

 だから。(まあ、太宰さんの『清く明るく元気な自殺』よりは……)

「はぁ!?そういうお前は何なんだ!?」
「僕かい?僕は日本一、いや世界一の名探偵……江戸川乱歩さ!」
「「………………!?」」

 どどん!決まった、とドヤ顔の乱歩さん。

「江戸川乱歩……!?あの名探偵の?」
「普通の青年だな……」

 そんな声が座席から聞こえる。乱歩さんはヒーローと違ってメディアにあまり出ないし、今日はいつもの探偵服じゃなくて私服だ。

「あ、こっちは見習いね。二流探偵と違って僕には助手は要らないから」
「見習いのヒーロー志望です」
「「(探偵の見習いなのにヒーロー志望……?)」」

 見習いというより付き人的な。

「彼はヴィランじゃないよ。どっからどう見ても、単なる東京で運送会社で働いている真面目で善良のご両親思いの青年じゃないか」

 乱歩さんはさも当然とのごとくそう言った。乱歩さんが言うんだからヴィランじゃないのは確かなんだろうけど、運送会社……?

「右側だけ日に焼けているのは、ずっと日中運転しているからだね。今日、飛行機に乗ったのは里帰りだろう。手土産は銀座有名店の最中。しかも、数量限定のもの。ご両親が好きで、わざわざ並んで買ったんだね」
「た、確かに俺は運転会社で働いてる……!それに、紙袋でわかったといえ、中身が数量限定のものだってなんでわかったんだ!?」

 ヴィランに間違われた青年は驚いている。右側だけ焼けているがヒントだとしても、職業をピンポイントに当てるなんて、乱歩さんの洞察力すごすぎる……!(そもそも焼けてるのかどうかさえ私にはよくわからない)

「僕の"個性"は《超推理》一度経始すれば事件の真相が判る"個性"だからね!」
「……っだからって、そいつがヴィランじゃないって証拠には……」

 引くに引けないのか、言いがかりをつけた男は苦し紛れのように反論した。

「いえ、名探偵が言ってることは本当のことですよ。私が保証しましょう」
「!」

 新たに現れた人物は、先程の盲目の男の人だ。

「私、実はこういう者でして。今日はたまたま乗り合わせただけですが」
「……!警察!?」

 スーツの胸ポケットから取り出したのは、警察手帳。条野採菊――そう名前と写真には持ち主と同じ顔。

「彼の"個性"は唯一無二の確かなものですよ。名探偵が言うのなら間違いないでしょう」

 その言葉に乱歩さんは「わかってるじゃないか」と、ふふんと鼻を鳴らした。

「それに、今のセキュリティは厳重です。指名手配中のヴィランなら、尚更易々と搭乗できないでしょう。これ以上騒ぎを起こすなら威力業務妨害になりますが」

 どうしますか?

 そう聞く条野さんの顔は微笑みを浮かべているのに、凄みがあった。これには男は押し黙って、一方的な喧嘩はこれにて収拾した。


『――ベルト着用サインが解除されます。皆様、到着まで快適な空の旅をお楽しみ下さい』

 程なくして飛行機は滑走路から飛び立ち、飛行は安定した模様。
 乱歩さん越しに窓を見れば、そこは雲の上の世界だ。
 テレポートができる私でも、生身ではこんな高い所は行った事がない。

「警察内でも乱歩さんはやっぱり有名なんですか?」

 解決したお礼にドリンクサービスと、ジュースを飲みながら反対の条野さんに尋ねてみた。

「ええ、とても。……何せ我々警察の存在意義を脅かす方ですからね」

 ……!?

「よく理解しているじゃないか。僕の"個性"が必要になったらいつでもご用命を。まずは"君の偽り"を見抜いてあげようか?」
「……面白いですね。私も傍若無人のあなたの深層を探ってみたくなりました」
「……。あの、席代わりましょうか?」

 私を挟んで火花を散らさないで!

 上空だけに高度な駆け引きが唐突に始まりそうになりながら、飛行機は目的地に向かう――……


 ***


 数時間の空の旅、無事に飛行機は着陸した。
 第二の喧嘩は起こりはせず、飽きて寝てしまった乱歩さんを揺り起こす。

「では、私はこれで。なかなか楽しい旅でしたよ、稀代の名探偵と言葉を交わせて」

 条野さんはにっこりと笑って言う。お腹真っ黒そうな笑みだ。(私は真ん中でハラハラしてましたよ……)

「理世さんはヒーロー志望でしたね。立派なヒーローになれるよう、影ながら応援してますよ」
「頑張ります」
「……あなたみたいな素晴らしい"個性"の持ち主が"こちら側"で良かった」
「え――」

 最後に意味深な言葉を残して、すらりとした背中は人混みの中に消えて行く。

「なんで私の"個性"を知ってたんだろ……あの人何者なんですか!?」
「ただの公安のフリをしている猟犬だよ」
「え、公安?猟犬??」


 ふぁ、と乱歩さんはマイペースにあくびをした。


「あ、ほら。迎えってあれじゃない?」

 乱歩さんの指差す方向を見ると、手を大きく振る男の子の姿が……

「初めまして!僕、宮沢政次郎の息子の賢治って言います。乱歩さんと、理世ちゃんですね!」

 そう名乗った賢治くんは、金髪にそばかす顔で、白いシャツにオーバオールという素朴な格好をしている。
 何より、太陽のような笑顔が眩しい!

「君が賢治くんかぁ」
「初めまして」

 迎えは賢治くんだけかと思ったけど、どうやら車を用意してくれているらしい。

「イーハトーヴォ村に行く手段は車しかないんです」

 電車はもちろんバスもないとか。

「ここから5時間ぐらいですね」
「「5時間!?」」

 乱歩さんと声がハモった。長時間のフライトから車で6時間はしんどい。辺鄙な村って、聞いてはいたけど……。

「理世、今こそ君の"個性"の出番だ」
「途中で行き倒れになりますね」


 いや、もしかしたら空からまっすぐ行ったら案外近いかも……?


 という事はないので、大人しく車に乗り込む。
 運転手は山咲さんという、村一番の車の運転に長けてる人物らしい。

「あんちゃんたちは縦浜っつー遠い所から来たんだって?」
「横浜ですよ。山咲のお兄さん」
(惜しいっ)

 賢治くんの訂正に山咲さんは「そうだそうだ」と、豪快に笑う。

「お兄さん?」

 私も疑問に思っていた事を、乱歩さんは口にした。失礼ながらどう見てもお兄さんという年齢じゃあ……

「うちの村では若者の範疇です」

 村、すごい!

「ここに来るまでも疲れたろ。なるべく車を飛ばすっからな!」
「ありがとうございます」
「山咲のお兄さんは道を知り尽くしてるんですよ」

 賢治くんの言葉に裏道でも知っているのかなぁって思っていたら――……違った。

「知り尽くしてるってそういうこと――!―――!――!?」
「お〜、スリルがあるねー!」

 猛スピード&ノーブレーキ!!

 山道特有のカーブをありえない速度で降って行く。ひえっ。

「わっはは!どっからカーブが来るか体で覚えちまってんからな。目を瞑っても運転できんぜ〜」
「目は開けてくださいっ!」

 地元民の運転、やばい!!

 途中、対向車とぎりぎりの距離感で道を譲り合ったり……

「山咲さんっ崖から落ちそうですー!!」
「大丈夫大丈夫」

 鹿が飛び出して来てぶつかりそうになったり……

「鹿!?」
「鹿見るのは初めてか、嬢ちゃん」
「野生は初めてです……」
「この辺りは他にも動物がいっぱいいますよ。タヌキやうさぎに猪に熊とか」
「熊……!」

 すでに都会では出来ない経験を体験した。田舎の山、すごい!

 ――それに。

「気持ちいい〜!すごく空気が澄んでる気がする!」

 都会より断然涼しい。途中、休憩に車から降りて、座りっぱなしだった体をうーんと伸ばす。

「僕たちが降って来たのはあの山ですね」

 賢治くんが指差す方角を眺める。ずいぶんと走ってきたんだ。

「長時間座ってたから体凝っちゃったよーこれ、僕らエコノミー症候群に気を付けないとねえ」
「ですねぇ〜あっ乱歩さん、背筋伸ばししましょう!」

 乱歩さんと背中合わせに腕を組んで、交互に背筋を伸ばしていると「皆さーん、お昼にしましょう!」賢治くんの明るい声が響いた。(そういえば、途中お菓子をつまんだけど、お腹ペコペコだ)

「僕の母がお弁当を作ってくれました」
「わぁ〜すごい!」
「君のお母さんは料理上手なんだね」

 たくさんのおにぎりに定番の唐揚げや佃煮に煮物、漬け物などなど、どれもすごくおいしそう!

「いただきますっ」

 まずは、おにぎりをいただく。

「……っ!めっちゃおいしい……!中身は牛肉?」

 ほどよい甘辛のタレが、柔らかいお肉に絡んでてご飯に合う!

「はい!僕らが育てた牛で、母の得意料理の牛肉のしぐれ煮です。お二人のお口に合ったなら嬉しいです」
「作り方教えてほしい〜」
「母に聞いたら喜ぶと思いますよ」
「こっちの野菜は俺が育てたものだぜ〜。食べてみな」
「筑前煮ですね……こっちもおいしい!」
「こんなおいしいお弁当が食べられないなんて、社長は来れなくて残念だね!」

 乱歩さんの言葉にうんうんと頷きながら、おにぎりを一個、ぺろりと平らげた。


「賢治くん、寝ちゃいましたね」

 すやすやと車の座席で、賢治くんは眠っている。

「賢ちゃんは満腹になるといつもこうさ。なんでも、"個性"の影響らしいな」

 山咲さんの言葉にへえ、と頷く。社長がスカウトしたいって言うぐらいだから、賢治くんの"個性"はすごい"個性"なんだろうな。(あとで賢治くんに聞いてみよう)


 ――イーハトーヴォ村に着く頃には、すっかり辺りは夕闇に包まれていた。

 私も乱歩さんも途中で眠ってしまい、起きて辺りを見渡す。小さな村らしく、民家の灯りがぽつりぽつりとあるだけで、外灯もなくて薄暗い。

 ひぐらしの鳴き声や虫たちの声が、田舎に縁がなくてもノスタルジーな気持ちになった。

 運転してくれた山咲さんにお礼を言って、賢治くんのお家に向かう。暖かく出迎えてくれる賢治くんのご両親に、お土産の横浜名物のお菓子を手渡す。

(ドラマとかで見たことある昔ながらの家だぁ。でも、なんだか落ち着く)

 夕飯はたくさんの手料理が並び、乱歩さんは賢治くんのお父さんの政次郎さんから社長の話を聞いて、楽しそうだ。

「お湯まで都会と違う気がする……」

 楽しい食事の後は湯船に浸かり、旅の疲れを癒やす。疲れって言っても、あとは寝るだけだし、今日は食べて寝るしかしていないな……。(移動疲れだということで)

 お風呂から上がって、廊下を歩く。
 不意に何かの気配を感じて足元を見た。

 悲鳴を上げた。

「理世ちゃん!どうしました!?」
「け、賢治くん……っ」

 すぐさまやって来た賢治くんの後ろに、テレポートしてその背中に隠れる。

「変なっ……!変な虫がいる……!!!」

 なんなのあれぇ!?!?

 まるでGに長い足が生えたような恐ろしい姿……泣きそうになりながら、震える指で差した。

「ああ、カマドウマですね」

 都会にはいませんか?と、何のこともないように賢治くんは言う。

「カマドウマ……!?」

 なんだその奇妙な名前は!

「昔は便所コオロギとも言いましたね」
「……!コオロギなの!?」

 私の知っているコオロギとは全然違うよ!?(コオロギも苦手……)

「大丈夫ですよ。毒とか噛みついたりしませんから」

 いや、それ以前に見た目が凶悪過ぎて……

「跳躍力がすごくて、これぐらいの高さは跳びます」

 賢治くんの「これぐらい」という手の高さに青ざめる。恐ろしすぎる……!こんなGかそれ以上に恐ろしい虫がいたなんて……!!

 もし、こっちに飛びかかってでも来られたら、失神するか"個性"が暴走するかの二択だ。

「とりあえず、外に逃がしてあげますね。……さあ、自然にお帰り」
「………………」

 この時――……私には田舎に暮らすのは絶対に無理だなって悟った。

「あ、理世ちゃんと乱歩さんは別々の部屋がいいですか?」
「同じ部屋で大丈夫です!!」


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