闇に咲く花

 本日は土曜日。一般的なカリキュラムなら4限までしかないけど、ヒーロー科は土曜日も6限まである。

(今日も疲れたぁ〜)

 平日もヒーロー科は7限まで、職場体験の日程も迫っているし、ヒーロー志望はなかなかハードな日々だった。

「明日の日曜、みんなでROUND1行かね!?」

 そう提案したのは上鳴くんだ。大体こういう遊びの誘いをするのは上鳴くんだ。

「行く行くー!」

 三奈ちゃんが元気よく手を上げる。参加するのは大体同じようなメンツで。

「なあなあ、飯田も行こうぜ!」
「いや、俺は明日は用事があるんだ。すまない」
(飯田くん……お兄さんのお見舞いかな)
「みんなが行くならウチも行こうかな。理世も行こうよ」
「ごめん、明日は私も大事な用事があるんだ〜」

 耳郎ちゃんのお誘いを申し訳なさそうな顔をして断った。

(そういえば、耳郎ちゃんの下の名前も同じ"きょうか"なんだよね。漢字違うけど)

 明日は――敦くんと、鏡花ちゃんに会いに行く日だ。

 私が鏡花ちゃんと出会ったのはちょうど三年前、中学生になって、新しい生活にも慣れて来た頃だ。


 ――この話は、私、結月理世が一人の少女と出会い、中島敦が、一人の少年のヒーローになる話である――……。


 中学校は、地元の子達と一緒になるのが嫌で、離れた私立の中学を選んだ。

 堀須磨大附属中学校。

 友達もできたし、なかなか楽しいスクールライフを送っているんじゃないかな、と思いながらの帰り道――

「ん?」

 不意に、小さな白い手に制服の裾を掴まれた。その手は、たすき掛けした赤い着物の袖から伸びている。

 その手の持ち主は、小柄な美少女だった。

 青く澄んだ、でもどこか感情が乏しい瞳で、じっと私を見つめている。えっと……?

「私に何か用かな?」

 戸惑いながら尋ねると、少女はこくりと頷く。

「……助けて」

 口から出た声は平坦なものだった。ただ、その言葉は穏やかではない。「何があったの?」そうさらに聞くと……

「向こうで猫が怪我をしてる」

 そう指を差して、少女は答えた。

 その先は路地裏だ。少女に視線を戻して、観察する。
 年齢は私より少し下に見えた。長い黒髪を二つ結びにして、そこには白い花の髪飾りをつけている。そして、目の引く着物姿。(知らない人にはついて行ったらダメだけど、女の子だし大丈夫だよね……)

「うん、分かった。案内して」

 少しだけ思案して、そう笑顔で答えた。無表情のまま、少女は踵を返す。

「こっち」

 暗い路地裏を歩き、彼女の後ろをついていく。
 赤い着物に橙色の帯がゆらゆらと揺れて、まるで金魚みたいだ。

「……どうして、私に声をかけたの?」

 その背中に、小さな疑問を問いかける。

「……あなたなら、助けてくれそうだったから」

 少女はしばしの沈黙の後、そう口にした。
 そして、ぴたりとその足が止まる。
 振り返ったその手には、首から下げた携帯を掴んでいる。

「……私の名は泉鏡花。あなたと同じ孤児」

 ――でも、あなたとは違う。

 その瞬間、少女の纏う空気が変わった。

「好きなものは兎と豆府。嫌いなものは犬と雷」

 続けて、泉鏡花と名乗った少女は言う。


「私は……ヴィラン


 澄んだ瞳は、嘘のように暗かった。この薄暗い路地裏の色を映しているように――。

ヴィランっ……?」

 目の前にいるそう歳が変わらない少女が……?正直、信じられない。

「夜叉白雪――」
「え……!?」

 そう証明するように、少女の背後には刀を持つ白い夜叉が忽然と現れた。
 その迫力と、仕込み杖から見える刃の殺気にたじろぐ。

(夜叉を具現化する"個性"……!?)

 夜叉は宙に浮かぶと、刀を抜き、その切っ先を下に向ける。

「ッ!!」

 空から降り注ぐ斬撃。咄嗟に手で庇うけど、それは私に向けたものではなかった。

「ぅあっ!」

 地面が、崩れ落ちる――!

「理世ちゃん……!!」
「!?敦くんっ!」

 ――突然、飛び込んできた敦くんの存在に驚く。伸ばされた敦くんの手を掴もうと、落ちながら手を伸ばす。

 落ちたその先は、人の手が加えられたような空洞だった。

 敦くんの手を掴むと、"個性"を使う。地面に衝突する前に、安全に着地した。

「……誰」

 地上から、少女は見下ろす。

「敦くん、どうして……?」
「君が、路地裏に入る姿を見つけて、気になって追いかけたら……」

 身軽に降りてきた少女は、かなりの身のこなしだった。敦くんは警戒するように、彼女をじっと見つめる。

「……連れて来いと言われたのは、彼女だけ……」

 少女は静かに呟いた。

「狙いは理世ちゃん……?どうして君みたいな女の子が……」

 敦くんが戸惑う口調で問う。

「………」

 少女は何も答えない。無表情だが、なんだか困惑しているようにも感じた。
 たすき掛けをしていない反対の袖から、スっと短刀を取り出す。

「!!」

 敦くんと一緒に身構えた。ヴィランかどうかはともかく。ただの少女ではないという事は分かった。

「…………」

 再び沈黙が流れる。少女の短刀を持つその手は止まったままだ。

「……両方連れて行く。痛い目を見たくなかったら、大人しくついて来て」

 短刀を仕舞うと、くるりと少女は背中を見せた。
 無防備だと思ったけど、代わりに夜叉白雪が私たちを見張るように後ろにいる。

 さっきの剣撃を見ても、下手に動かない方が良さそう。

 あの素早い攻撃から、テレポートでも逃げ切れる自信がない。
 敦くんと無言で顔を見合わせ、頷く。

 ――今は大人しく従おう。

「なんか……ごめん。助けに来たつもりが、逆に理世ちゃんに助けられちゃって」

 歩きながら、ぽつりと敦くんが言った。たぶん、さっき落ちた時の事だ。

「ううん。敦くんがいてくれて心強いよ。それはそうと、敦くん。連絡とかって……」

 最後の言葉は小声で尋ねる。

「……ごめん。慌てて飛び込んだから……ヒーロー志望なのに本当僕ポンコツでごめんっ」
「元気だして、敦くん!」

 両手で顔を抑え、ワナワナと俯く敦くんを励ます。敦くんは悪くない。無我夢中で助けに入ったのもヒーローっぽいし。
 そもそも女の子だからって、油断して路地裏までついて行った私が悪いから……。スマホのGPS機能は入っているから、誰かが事態に気づいてくれるように祈る。(……電波入ると良いな)

 暗い地下通路を、少女の後ろについて歩いて行く。
 ここは非常時に使われる通路じゃないかと、敦くんは言った。

「……あの子。理世ちゃんより少し下ぐらいの年齢だよな……。ヴィランだなんて信じられないけど、何の為に君を拐って……」

 敦くんが小声で思案するように呟く。

「もしかして、脅されてとか……ちょっと聞いてみる」
「へ!?えぇ……!」

 いても立ってもいられず、その背中を追いかけて声をかけた。

「鏡花ちゃん。あなたは本当にヴィランなの?誰かに脅されてこんなことをしているんじゃなくて?どうして、私を連れて来いって言われたの?」

 後ろから、疑問を問いかける。

「……私の"個性"の《夜叉白雪》は、殺戮に特化した"個性"。色んな人を傷つけ、犯罪に加担した」

 ……まるで、自分の"個性"はヴィラン向きだから、当然だと言うように。

「連れて来いと指示されただけだから、他は知らない。指示には従う。私はヴィランだから」

 ロボットのように、感情が見えない声で答えた。彼女は、あくまでも自分は"ヴィラン"だと言う。

 それ以降は、ぴたりとその口を閉ざした。

 しばらく歩いて、地下通路から地上には出たけど、ここがどこだかは分からない。距離的には大通りからそう遠くはなさそうだけど……。

 そして、薄暗い雑居にある扉の中に入ると――きらびやかな空間がそこに存在していた。

「カジノ……!」
「こんな場所にあるなんて……きっと違法カジノだ」
「こっち」

 少女はそう言って、奥の扉を目指す。
 二人の屈強な異形の姿をした男性に阻まれたその扉は、彼女を前に、無言で開く。


「私の秘密のカジノへようこそ……」


 その先で待っていたのは、燕尾服を着た、つり目の男だった。金髪の揃っているのか揃っていないのか、はっきりしない前髪がさらりと揺れた。

「私はAエース

 そう男は名乗った。冷ややかな目で見下ろさせる。

「君とはこれから長い付き合いになるだろうから、仲良くしようリトルレディ」
「どういうことだ!」

 その言葉にいち早く反応して、敦くんが噛みつくように言った。
「敦くんっ」
 慌てて宥めるように声をかけた。

 後ろにいる夜叉白雪が反応したからだ。

 Aと名乗った男の目が、敦くんに移る。
 冷ややかな目は、汚ならしい物を見るような目付きに変わった。それに嫌悪感を覚える。とてもじゃないけど、仲良くできそうにないな。

「こちらが聞きたい。招かれざる客がいるとはどういうことだ、鏡花」
「……連れ去るところを見られたから、一緒に連れて来た」

 Aに睨まれても、少女の口調は淡々としたものだった。

「ふん。その制服、彼の雄英のものか。ヒーロー志望が一緒に捕まるとは、それはそれで滑稽で面白いな」
「お前の目的はなんだ?」
「口の聞き方には気を付けろ。彼女とは違い、君には用がないからな。いつでもその首を刎ねることができる――」
「敦くんに手を出したら私、舌噛み切って死ぬから!大事な人質なんでしょ、私!」

 舌を噛み切って死ぬ前に、一矢報いてやるけど。

「やれやれ、見た目に反して気の強いリトルレディだ」

 芝居くさい口調が余計に腹立つ。

「では、君たちに質問しよう。この世で一番大事なものってなんだと思う?」
「命」
「自分」
 
 唐突の質問に、ほぼ同時で敦くんと答えた。

 ………………。

 二人が無言で私を見る。だって、何事もまずは自分ありきじゃない?

「……情報だ」

 そう一言、Aは答えを聞かなかった事にしたらしい。

「情報は金にもなるし、生き抜く手助けもしてくれる。私の"個性"は少し特殊でな。その"個性"のおかげで、富は十分にある――。さながら私は、生まれ乍らの王」

 どこからか取り出した、トランプのカードを見せた。スペードのKINGを。

「王となるのは、情報を制する者だ。君にたどり着いたのもその情報でだよ」
「どうして、私を……」

 珍しい"個性"が狙い?人身売買?

 ――答えは、どっちも違った。

「個性特務課の参事官補佐こと、坂口安吾」
「……!」
「彼の頭の中には、重要な機密情報がたっぷり詰まってるという話はご存じかな?」

 狙いは、安吾さん――!

「"個性"の情報から、政府、ヒーロー、ヴィランまで……。どれほど大金を積んでも手に入らない情報だ」
「……私を誘拐したのは」

 そう呟いた自分の声は、震えていた。

「孤児になった恩人の娘を引き取るなど、彼にできた大きな弱みを使わない手はない」

 恐怖でなんかじゃない。怒りでだ――ぎゅっと唇を噛み締める。

「彼女を利用するなんて、ふざけるな!!」

 私の代わりのように、敦くんの怒声が響いた。

「守るべきもの……大事なもの……それがあるから強くなるというのは、幻想であり、実に傲慢な考え方だ」

 気にも止めずそうAは続けて話し、逸らした視線の先は――

「鏡花の両親のように……」
「……」

 彼女は俯いたまま、人形のように動かない。

(両親……?一体何が……)

 疑問に答えるように、Aは再び口を開く。

「彼女の両親はヴィランの恨みを買ってね。娘を守ろうとして、二人は亡くなった。そして、彼女はその"個性"をそのヴィランに買われてこちら側に……ああ、私ではないよ。むしろ私は、彼女をドブ臭い格下ヴィランから救い上げたのだ」

 救い……上げた……?

「君はなかなか警戒心が強い上、その"個性"だからね。余計な者まで連れて来たが、十分役目を果たしてくれたよ」

 ――皆、その幼い容姿に油断する。

 好き勝手言いたい事を言って、そこまで聞いて我慢ならない。

「結局、彼女を利用しているあなたも同じドブ臭いヴィランでしょう。自分が王とか言ってたけど、身のほどを……」
「っ理世ちゃん!」

 今度は敦くんが宥めた。瞬きをするうちに、夜叉白雪の刀が目の前にあった。(……っ)さすがに口を閉じる。

「君もヒーロー志望かい?小さな正義感を持ち合わせているようだが。彼女の為を思うなら、尚更大人しく私に従った方がいい」
「……どういうこと?」
「特別に、私の"個性"を教えてあげよう」

 Aが何やら拳を握ると、後ろに控えていた男が、急に苦しみだした。

「っ!?」
「これが私の"個性"。『部下の寿命を同価値の宝石に変える』能力――」

 その手から、ぽろぽろと数多の宝石がこぼれ落ちる。

「……!」

 倒れた男は動かない。目を疑いたい光景だった。

「……命をっ、なんだと思って……っ!」

 敦くんが、喉から絞り出したような声でAに言った。
 温厚な敦くんが怒る事は滅多にない。
 先ほど「この世界で一番大切なものは」と聞かれて「命」と、答えた敦くんだ。

(私だって、この男……許せない)
「クズの命を価値のあるモノに変換する、実に慈悲に溢れた"個性"だ」

 さらにAは、高々に言う。

「部下の証である首輪は、本人の同意なしには装着出来ない。そして、着ければ二度と外せない……この意味が分かるだろう?」

 はっと彼女の首を見る。白く細い首に似合わない首輪が付いている。

(次は、鏡花ちゃんを同じ目に合わせるという脅し……)

 ――そんなこと、絶対に許されない。

 自分をヴィランだと、鏡花ちゃんは言った。それは、犯した罪を認めているという事だ。
 家族を奪われ、利用され……これ以上何故、彼女が苦しめられないといけないのか。

「では、理解したところで、リトルレディには人質らしくしてもらおう」
「理世ちゃん!!」

 こちらに来い、と腕を引っ張られて、敦くんと引き離される。

「さて、君はこの首輪をつけて、私の部下になるというならここで飼い慣らしてあげよう」
「誰が、お前なんかの!」

 当然、敦くんは間髪入れず拒否した。

「そうか。次に私が来る時まで、返事が変わっている事を願うよ」

 Aの「閉じ込めておけ」という言葉に、部下の男たちは敦くんは取り押さえる。

「敦くん!!」


 ――そして、私も小さな部屋に閉じ込められた。

「君が暴れたりしない限り、手荒な真似はしないと約束しよう。子供とはいえ、女性を痛め付ける趣味は私にはないからな」

 あくまでも紳士的に、Aは言う。

 見た限り、A自体は軟弱そうだから、戦ったら勝てそうだ。お父さんに教わったのは護身術だけど、蹴りぐらいは入れられるはず。
 テレポートで背後に回って不意を突いて……虎視眈々とやつを倒す算段を考えていると、拉致したという証拠の写真を撮られる。

 夜叉白雪の刃を、喉に当てられた。

 刃物特有のひんやりした感触はないのに、これを引かれれば、一瞬で私の首は飛ぶと……分かる。

「鏡花、部屋の前で見張っておけ」

 この夜叉がいる限り、やつに手出しは出来ない。きっと、Aの切り札だ。


(どうしよう……。私はどうしたらいい?太宰さんがよく口にする最適解。この場合の最適解はなに――?)

 一人になった部屋で考え込む。

 得意気に語ったAの作戦通り、安吾さんは一人で来るだろうか。警察にもヒーローにも言わず、護衛も付けず、武装探偵社にも内緒で。

(私のせいで、安吾さんが……!)

 ポケットからスマホを取り出す。奪われなかったのは、地下で電波が届かず役に立たないからだ。(このまま、大人しく……)

 待ってなんていられない!

 今、考えられる私が出来る事をやるんだ。諦めて大人しくするのは、それからでも遅くはないはず。

「どこか電波が入らないかな?……」

 狭い部屋を歩きながら、諦めず電波を探す。
 …………だめだ。椅子の上に乗って、腕いっぱい伸ばすも当然電波は拾えない。
 扉の向こうならともかく。この状況で外にテレポートはできないし……。そもそも、それが出来たらこんな電波を探す必要性は……

「……そうだ!」

(スマホだけ、外にテレポートさせれば……!)

 スマホだったら出来るかも!成功するかは分からないけど、試さないよりマシだ。

 状況、Aの"個性"、分かる範囲の情報を簡潔にメールに打ち込む。

 送り主は太宰さんと乱歩さんの二人。

 安吾さんを省いたのは、もしAの言う通りに動いて、万が一スマホを見られた際の可能性を考えて。二人なら、どちらかが気づいて読んでくれたら状況は変わる。(……念の為、織田作さんにも送っておこう)

 送信を押して、電波が入ったら自動的にメッセージは送られるシステムを利用して……。

 集中して、太宰さんの教えを思い出す。

 場所を頭の中で思い浮かべ、正確に飛ばせるよう、私の歩幅と移動時間から大まかな距離を計算して……

『あとは自信を持ちたまえ。君ならできると私が保証しよう』

 手にあるスマホを飛ばす!

 瞬間、スマホが消える。テレポート先は、地下通路に落とされた裏道だ。あそこならまだ何となく位置を把握出来るし、人通りもないから、事故に繋がる可能性も少ないはず。(上手くいきますように――)

「…………」

 そして、今度は扉の前に立つ。


「鏡花ちゃん」


 この向こうで見張っているだろう彼女に、声をかけた。


 ***


(ああ、どうしようっ……太宰さん、相澤先生……。こんな時、僕はどうすればいいんでしょうか!!)

 ――Aと名乗る男に、理世ちゃんと僕は捕えられた。

 ……落ち着け!歳上の僕がしっかりしないでどうするんだ――。ぱちんっと頬を両手で叩いた。

 じんじんとする頬の痛みに、頭がクリアになっていく。

 まずは、状況確認だ。理世ちゃんとは離れ離れになってしまったけど、人質だから今はまだ無事なはずだ。
 ただ、彼女の心情が心配だ。不安だと思うし、自分のせいでとか、責任を感じていないと良いけど……。
 このまま救けを待つと言っても、人質がいる為に上手く動けない可能性も高い。

「というか、その前に自分の身が危ないよな……」

 理世ちゃんが「この世界で一番大切なものは」と聞かれて「自分」と答えていたけど、それは正しい。

 僕だって、こんな所で死ぬのはまっぴらごめんだ。

 僕が閉じ込められたのは牢屋……。

 今時、牢屋なんてあるんだなと驚きつつ、鉄格子を掴んだ。頑張れば、虎の"個性"でどうにかこじ開ける事が出来るかも知れない。(僕の"個性"はたぶん知られてないよな……居合わせたの偶然だし)

 だけど、上手く脱出しないと、理世ちゃんの身にも危険が及ぶ。それに、あの子……鏡花ちゃんの身にも。

(あの子も僕らと一緒だ。孤児で、拾われたのがヴィランだったってだけで……)

 どうにか、二人を――……

「……なあ、あんた」
「うひゃあ!!」
「っ!?」

 急に声をかけられて、大袈裟に驚いてしまった。

「そんな驚かなくても……」

 気づけば、牢の前に少年が立っていた。
 茶色の髪に、日本人離れした端整な顔立ちは、外国の人かもしれない。
 彼は頬にある切り傷を掻くように苦笑いしている。……今の悲鳴は忘れて欲しい。

「あんた、さっきAが言ってたけど、ヒーロー志望なのか?」
「あ、うん。一応……」

 ヒーロー志望らしからぬ反応をしたから、疑われても無理はない。

「かっこいいなぁ。ヒーロー校ってことは、夢に向かって頑張ってるんだろ?」

 年相応の友好的な口調たった。無邪気なその笑顔に、その首に付けられた首輪がさらに異様に見えた。
 僕の視線に気づいて、彼はふっと刹那的な笑みを浮かべて、その首輪に触れる。

「俺は見ての通り、首輪の奴隷だよ」
「なんで……あの少女といい、君みたいな少年が……」

 奴隷……なんて。僕と同じぐらいの年齢で。

「俺は自業自得だから」
「……自業自得って」

 聞き返すと、彼は自分の事を話してくれた。

「俺、外国の小さな田舎で育ったんだけど、嫌になって飛び出して来たんだ――」

 宛もなく勢いだけで飛び出して。
 こっそりと船に乗り込んで、気がつけば、ここ日本に辿り着いたのだと言う。

「とにかく何もない田舎で、ヴィランも滅多に出ないから、ヒーローも自堕落的でさ。全然かっこいいと思えなくて、嫌いだった。映画で観たマフィアに憧れて……悪がかっこいいとか、マフィアのボスになるのが夢だとか、馬鹿みたいだろ?現実はこの様だよ」

 流れ流れてAに捕まり、生き残る為にその首輪を付けて奴隷になったという。

 自嘲するように笑って、彼は続ける。

「或る日、正義のヒーローがAを倒し、俺たちを首輪から解放する――そんな奇跡を、皆一度は夢見る」
「………っ」
「でも、事件が表沙汰にならなければ、ヒーローも気づかない。ヒーローを嫌いだと思っておきながら、虫が良すぎる話だよな。むしろ、ヒーローからしてみれば、俺たちはヴィランなのに。だから、自業自得。あんたも生き残りたいならこれを着けた方がいい。拒否したら殺されるか、もっと悲惨な場所に売り飛ばされるかのどちらかだ」

 ――まるで、映画のような話だと思った。

 でも、僕の目の前にいる少年が話したように、ずっと身近な世界の話だ。

 ヒーローとヴィラン

 正義と悪がはっきり存在する超人社会では、そちら側の世界に足を踏み込んでしまうのは簡単な事だった。

 現に、僕がそうだ。虎の姿で暴れまわって……。あの時、織田作さんと太宰さんに救われなければ……僕は、簡単にそちら側に行ってたかも知れない。

「あの……」

 なんて答えていいのか、こういう時に上手く言葉を紡げなくてもどかしい。

「逃げ出すっていう選択肢は……!!」

 僕の言葉に、彼はきょとんとした。

「協力して欲しいんだ。ここから抜け出して、まずは理世ちゃんと合流したい。彼女の"個性"なら、きっと君の首輪を外せる」
「……!!」

 理世ちゃんの"個性"は自身をテレポートさせるだけでなく、手で触れたものもテレポートさせる事が出来る。
 Aは外せないと言ったけど、"空間に作用する"彼女の"個性"なら、どんな原理でも勝ると考えた。

「無理だよ……扉の鍵はAが全て管理してるし、俺たち部下でさえ、Aの許可なしには出入り出来ない。それに、みんな死にたくないからAに忠実だ。……俺も」

 そう言って、彼は力なく目を伏せた。

「もし、あんたが失敗したら、俺だけでなくあの鏡花って子も犠牲になる」

 ……そうだ。Aは明らかにその素振りを見せていた。

「ごめん……。ヒーローならともかく。見習いのあんたに命を預けられるほど、俺に……勇気はない」

 彼の言っている事は分かる。僕はまだ学生の身だ。しかも、雄英校に入学したばかりで、見習いとも言えない。(命を預けてなんて……言えない)

「……分かった。Aを呼んでくれ。その首輪を、僕も付けるよ」
「っ!……あんた……」

 驚いたように目を見開いた後、悟ったように彼は「……分かった」と、小さく頷いた。


「やぁ、賢明な判断をしたな。君は良い奴隷になりそうだ」

 にこやかに笑いながら、Aから鉄格子越しに首輪を渡される。自分で付けろという事らしい。

「これを付けるから……。代わりに、鏡花という子の首輪を外してくれないか?」

 Aの眉がピクリと動いた。

「……君は自分が交渉が出来るほど、私と対等であると?君にある選択肢はその首輪を付けて、私に服従するか否かだ」

 薄い微笑を浮かべるも、その目は笑っておらず、冷ややなままだ。
 予想通りの返答だ。僕だって、この男がこんな交渉に乗るなんて思っていない。

「……これでいいか?」

 さっさとその首輪を首に付けて見せた。

「……よろしい。なかなか似合っているよ。あとは、その言葉遣いを気を付けるんだな」

 言いたい事を言うと、あっさりAは踵を返した。

「あっ、ちょっ……牢屋から出してくれないんですか!」
「この件が片付いたら、正式に私の奴隷と認め、出してあげよう。今はまだ、君は何か企んでそうな目をしてるからな」

(……くそっ)

 鉄格子をぎゅっと握り締めて、その背中を睨み付けた。

「あんた、まさかその為に首輪を付けたのか?」

 Aが出て行った後、少年が信じられない、という口調で言う。

「僕、諦めだけは悪いんだ」

 そう、彼に笑顔を向けた。

「もう一度、お願いする。僕に協力してくれ!君が、僕に命を預けられないのは分かる。だから、せめて……」
「……ッ」

 同じ立場じゃないのに、一方的に頼み込むのは都合が良すぎるから。

「僕の命を懸けた。理世ちゃんもあの少女も、君も――救けたいんだ!!」

 無謀な事をしようとしている。大人しく救けを待った方が賢明だと、もう一人の僕が言う。
(でも……)
 救けたい――ただその純粋な思いと、この言葉が、いつだって僕の背中を押すんだ。


『頭は間違うことがあっても、血は間違わない』

 
「あんた……イカれてるな」

 イカれてるか……。驚くその言葉に「だよな」と、笑う。

「君が言うように、僕はヒーローじゃない。ただのヒーロー志望だから……。君が僕に命を預けてもらえるような説得方法が、これしか思い付かなかったんだ」

 織田作さんや太宰さんなら、もっと他に上手い方法が思い付くんだろうけど……。

「――……は、はは」

 少年の口から小さく笑みがこぼれる。

「あんたには勝てないよ」

 そう、彼は眉を下げて笑った。

「分かった。協力する。でも……俺はしたっぱだし、大して役には立てないと思う。あんたをここから出してやることだって……」
「それなら、大丈夫」

 袖を捲り上げ、腕に力を込めた。

「……っな……!」

 白虎の"個性"を部分的に手に発現。鉄格子を掴んで力を入れると、通れる大きさにまで広げる。

「虎!?す、すごい……」

 ひとまず牢屋からは脱出できた。虎の手はパワーは増すけど、袖を捲らないと服が破けるのが難点だ。

「まずは、理世ちゃんの居場所に案内してくれ」
「うん!道案内ならできる」

 部屋を出ようとしたところで、少年は何かに気づいたように立ち止まる。

「そういえばまだ名前を言ってなかったな。……俺の名前は、カルマ」


 ――あんたの名前は?


「僕の名前は、敦」


 ……中島敦。今年の春から雄英高校に入学して、ヒーローを目指す、ごく一般的な普通の高校生だ――。


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