邪智暴虐の教師

 ヒアンシーは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の教師を叱らねばならぬと決意した。
 ことの発端はとある休日、昼食を共にしていた友人──イクトゥスの何気ない一言に遡る。
「クトゥたん。今、なんと言いました?」
「うん? 先生の前世って、絶対大地獣だと思うんだよね」
「もう一つ前です!」
「えと、アナクサゴラス先生って実験のときにゴーグルと防護服──間違えた、白衣を一切身につけないんだけど、なんであれで無事なんだろう……?」
 ヒアンシーは少しの間、呆然とする。イクトゥスは不思議そうな顔で七穀パンをもぐもぐと頬張った。イカルンがそんな彼女の手元に興味を示したのを横目に、ヒアンシーは震える声で聞き返す。
「な、なぜ実験にゴーグルと防護服が必要なんですか?」
「爆発するから、かな? あとごめん、一応白衣……」
 ほかにも理由は色々あるけど、一番はたぶんそれだと思う。イクトゥスはなんてことないように答えながら、小さくちぎった七穀パンをイカルンにあげた。イカルンがぷるる、とご機嫌そうに笑う。対してヒアンシーは理解が及んだ瞬間、珍しく大きな声を出した。
「クトゥたんは、どうしてそんな危険な実験をさせられているんですか!?」
「え?」
「ぷる?」
「やっぱりアナイクス先生に脅されてるんですか!?」
「えっ!?」
「ぷるる!」
 ないない、とイクトゥスは何度も手を胸の前で振って否定したが、怒り心頭に発したヒアンシーに届いたのかは定かではない。
「クトゥたんは学生ですよね。一歩間違えれば命の危険に関わるような実験は、一般的に学者になって初めて許されるものなんです!」
「そうなんだ……初めて聞いたかも」
 ヒアンシーはその場に崩れ落ちた。なんてことだ。アナイクス先生、わたしは先生を信じていたのに。一方でイクトゥスは他人事のように、ヒアンシーは怒っても可愛いんだなと一連の友人の反応を呑気に眺めるだけだった。
 ──そして今頃になって、イクトゥスは心優しき友人を止めなかったことを少し後悔する羽目になる。
「騒がしいですね。何の用ですか」
 ヒアンシーはイクトゥスとイカルンを連れて、アナイクスのもとへ突撃した。
「アナイクス先生、私の友達に危険な実験を手伝わせないでください!」
「何を言うかと思えば……危険がないことがすでに分かっている実験など、ただの演習に過ぎません」
「限度があると思います。常識的に考えて、学生──しかも女の子を爆破実験に付き合わせることが正しいとは思えません」
「第一に、私が行っているのは錬金術であって、爆破実験ではありません。第二に、危険性はきちんと考慮した上で適切な装備をこちらですべて支給しました。それに、彼女は学生であり立派な学者です。危険を知らないまま錬金術を扱うことの方がよっぽど危険でしょう」
「二人とも、私を挟んで喧嘩しないでください……」
 頭上で言い合う二人に、イカルンを胸の前でぎゅっと抱きしめながらイクトゥスは懇願した。双方の視線がイクトゥスに突き刺さる。
「……イクトゥス。貴方は実験に付き合わされることが嫌なのですか?」
 イクトゥスはおろおろと落ち着かない様子で二人の顔に視線を彷徨わせた。
「先生についていけるか不安になったことはあります。でも実験そのものが嫌だと思ったことはないです」
「だそうですが」
「クトゥたん……本当に、錬金術は危険なんですよ」
 医療現場に身を置くヒアンシーは知っていた。錬金術はとりわけ扱いが難しく、不慮の事故が多いことを。錬金術における等価交換の法則は、時として使い手の想像をはるかに超えた結果をもたらすことがある。実際、樹庭の学生はよほどの用がない限りアナイクスの実験室には近寄ろうとしない。彼女は、それが怖くないのだろうか。
「でも、けっこう楽しいよ?」
 イクトゥスは笑った。しかし、その返答にはヒアンシーはもちろんのこと、アナイクスも少々呆れた様子を隠せない。
「教員助手。彼女は貴方が思っている以上に、根っからの学者気質ですよ」
「今、理解しました……クトゥたんは本当に錬金術が好きなんですね」
 ヒアンシーは感心した。同時に、彼女への認識を改める。元より、イクトゥスは好奇心旺盛で知りたがり屋な一面があった。でもそれは今までヒアンシーが思っていたよりもずっと貪欲で、ひたむきなものだったのだろう。なんだか少し、イクトゥスがアナイクス先生に似てきている気がした。あるいは、はじめから彼女と彼には似通っていた部分があったのかもしれない。
「心配してくれてありがとう。ヒアンシー」
 ヒアンシーはいいえ、と首を横に振る。
「クトゥたんが楽しそうで、何よりです!」
「まったく、人騒がせな」
 アナイクスはため息をつく。
「とはいえ、昏光の庭に所属する者として、易々と見逃すわけにはいきません。クトゥたん、先生に嫌なことをされたときはきちんと嫌と言って、怪我をしたらちゃんと報告してくださいね!」
 イクトゥスは素直に頷いた。
「前々から思っていましたが、ヒアシンシアはいささかイクトゥスに過保護すぎるのではありませんか?」
「アナイクス先生には言われたくありません」
 ──私、知ってるんですよ。今まで生徒を入れたことのなかった研究室の合鍵をイクトゥスにはすでに渡していることも、標準的な錬金術師用の装備品ではなく、アナイクス先生お手製の装備品をわざわざ彼女のために用意したことも。それってつまり、先生はクトゥたんのことをとっても気に入っているってことじゃないですか?
「……ヒアシンシア、それはどういう意味ですか」
「ふふ、内緒です!」

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