Prologue

ある産婦人科の病院。
若い女が震えた涙声で悲痛な叫びをあげていた。

「……ず、め、……む、すめを……、わだしの娘を、返じてぇえ!」

その女はベッドに横たえられていたのだろうか、掛け布団はぐしゃぐしゃにめくれている。
赤く腫らしながら涙を流すその目の先には、産まれて間もない赤子……の死体。

死産。

腹を痛ませて産んだ己の初の子。痛みに耐えて産んだ子が産声をあげず、微動だにしない。
そばにいる助産師は、うつ向いてただ首を横にふるのみ。

「……残念ですがお母さん、……この子は「イヤアアアアァァ!!いわ、…ないで。ああ、私の……私の娘が。嘘よ、嘘だと………」

赤い髪の女はただ涙を流し、冷たくなった己の子の体を撫でた。

その夜、赤い髪の女、リリー・ポッターは、生きていたら今頃世話をやいているであろう娘の死体を抱き上げていた。彼女は子守歌を口ずさんでいる。
彼女の頬には涙を流した跡がくっきり残っていた。
彼女以外に誰も居らず、この明かりのついていない部屋は、産まれてきた新たな家族の部屋になるはずのものだった。
だが、その持ち主はこの世に居ない。
三日月が出ているが、満月ほど明るくならず、少し気味悪い印象である。

「……リリー、そろそろ寝ないと体にさわるよ」

彼女の夫、ジェームズ・ポッターが部屋にそっと入ってきた。

「ジェームズ……。でも、この子が……マーガレットが……」

愛する妻の悲痛な顔をみたジェームズは、心配そうな顔を悲しみの色に染めた。

「その気持ちはわかる。だが、君の体調も心配なんだ」

リリーは眉をひそめたが、ジェームズの言葉にうなずき、冷たい赤子をベビーベッドに横たえようとした。

「やれやれ、面倒なことをしてくれるね」

ポッター夫妻以外の声が、彼らの家に響いた。

「誰だ!?」

勇気ある夫は、妻をかばい一歩前にでる。

「おっと!……人間に聞かれてしまったか」

声の持ち主らしき人物は、驚いた声を一瞬あげたが、もとの落ち着いた様子に戻る。

「声だけなぜ聞こえる?どこにいるんだ、姿を見せろ!」

「あー、本当に面倒なことになったよ。上司に怒られる前に終わらせないと」

声を荒げたジェームズに、渋々と姿を見せたのは深緑色の髪を持つ背の高い男だった。
男は黒いスーツ姿で、マントを羽織っていた。一見魔法使いに見えるが、雰囲気がどうみても違う。

「こんばんは、私はバルタザールともうします。死者の魂を然るべき道に誘う役目を承っております」

男は軽い口調を改めて、手を前に出してお辞儀し、名乗った。ジェームズとリリーは呆気にとられたかのような顔をする。

「この度は、あなた方の子として生まれるはずだったマーガレット様の魂が死者の輪に還ってしまうという不備が生じまして。皆さま方の記憶を操作し、無かったことにする予定だったのです」

バルタザールはことの次第を淡々と説明した。リリーは娘の名前を聞いた途端に我にかえり、おそるおそる彼へとたずねた。

「マーガレットの魂は、なぜ……その、死者の……にかえったのですか?」

「死者の輪。それは、この世の魂すべてが死んでから一度は通る道。マーガレット様の魂は、前世でとても悲惨な人生を歩まれました。その上、自殺を試み、そのまま命を絶ちました」

ジェームズとリリーは、静かに彼の話を聞く。バルタザールはそれを目線で見て、話を続けた。

「自殺した魂も死者の輪に入ります。そして、自殺した者の魂は必ず新たに生まれ来る人の子に転生します。新しい人生を歩むために」

「それなら、なぜマーガレットの魂は……?」

ジェームズは突拍子もない話を必死に理解しようとした。いきなり現れた怪しげな男に、娘の魂、死者の輪、などと難しい話をされる。そんなことを言われても、ついていけるはずがない。

「マーガレット様は、生きることを、新しい命となることを、望んでいなかったのです」

「……どういうこと?」

リリーは、疑問を浮かべるしかなかった。新しく生まれ変わり、新たな人生を歩む。どこに嫌な所があるのだろうか、と。

「普通ならば、新たな人生を歩むことを望みます。ですが、マーガレット様は違いました。彼女は『生きること』が、辛くて仕方がなかったのです」

「……、……!」

二人は少しの間、バルタザールの言うことが理解できなかった。が、すぐに思い出した。マーガレットの前世が悲惨なものだということを。

「お分かりいただけたようですね。ですが、自殺した者の魂は必ず新たな人生を歩まなければならない規則です。マーガレット様の魂は、私と同じ役目をもつ者たちの制止を振り切った。そのため、あなた方の子は………。これ以上は説明しなくても宜しいでしょう」

バルタザールは説明を終えると、どこからともなく手帳のようなものを取りだし、何かを綴りはじめた。ジェームズとリリーは話があられもないことだらけで、頭での理解が追い付いていなかった。バルタザールは、そのことにすぐに気付いた。

「ふむ、やはり思考が追い付きませんか。ですから、地上に下りるのは面倒だと言ったのにあの人は……。まあいいでしょう、ともかく私たちの不備であなた方は迷惑を被った。なので、記憶を消させていただきます」

記憶を消すという言葉に、リリーは意識を目の前の男に向けた。

「待って!そんな、……私たちのはじめての子供なのよ!?こんな結果になるなんて、私許せないわ!」

ジェームズは、妻の怒鳴り声にはっとし、同じ意見を述べる。

「確かに、いくらなんでも酷だ。妻は己の子が死んだというだけで精神的ショックを受けているのに……。記憶を消すなんて酷すぎる!」

バルタザールは不服そうに眉をひそめた。

「なら、どうしろと?確かに私たちが制止をできなかったことが悪い。だが、死体に新たに魂をいれるなんて。……!」

荒い口調でバルタザールは反論するが、何かを思い付いたようで、顎に手を当て考え始めた。リリーとジェームズは心配そうに顔を見合せ、バルタザールの答えを待つ。

「では、こうしましょう。私が、マーガレット様の魂をもう一度あなた方の子の体へと転生させます。お二人はその子を育てれば良いのです。簡単なことですね」

最初に出会ったときのように、バルタザールは軽そうに説明をした。

「そんなこと、できるの?」

リリーは不安そうにたずねた。

「勿論、代償はいただきますよ。あなた方は、この子を必ず幸せにすること。それが、第一です」

ジェームズは「それだけか!」と喜びの笑顔を浮かべる。 だが、バルタザールはただし、と真剣な顔つきで続ける。

「ただし、もしマーガレット様の魂を幸せにすることの条件が満たされない場合、この子は世界を滅ぼすきっかけとなります」

リリーはまさか、と目を見開いた。

「そんな、冗談です……よね?」

「この魂は負の感情を通常の何倍も持っています。生きることが辛いという人間は数えきれないほど存在します。ですが、この魂ほど負の感情が強くはありません。あなた方が、この魂を幸せにする自信があるならば、私は魂をあなた方の子に転生させましょう」

リリーは、己の子が甦るということに言い様のない喜びを感じた。そして、

「お願いします!私の……私たちのマーガレットを、転生させてあげてください!!」

「僕からもお願いします!必ず、必ずこの子を幸せにします!」

二人はそろってバルタザールに懇願した。全ては、己の子のため。

「……わかりました。では、この子の命、あなた方に託しましょう。私との約束、お忘れなきよう……」

そう言って、バルタザールは姿を消した。

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