第六話

月明かりに照らされて薄い金色に光る髪。彼の黄金色の瞳から向けられる視線は真っ直ぐ妖狐を射貫く。ずっと聞きたかった懐かしい声。

「ああ……、なぜ、どうして……」

ふわりと包まれる感触は昔と変わらない。紅の瞳から伝うのは血ではなく、透明な涙。思わず、その逞しい背を抱きしめようと――己の手を回そうとしてやめた。

――今の妾は血に塗れている獣(けだもの)と同じ。どうしてこの人を抱きしめられようか。

「……は、なれよ」

か細い声で言うも、目の前の男には届かない。それどころか、更にきつく抱きしめる。彼の衣からは、奴良組に居たときと変わらない香の匂いがする。橘がよく好んでいたものを、彼は自ら買ってくれたのだ。

「やっと、この手の中に……。もう離さない、離すものか……橘!」





ぬらりひょんは京についてから、絶世の美女と噂された女を見に行った。それは橘ではなかった。しかも妖でない、人の子だった。だが、橘とは違った美しさを持つ彼女に見とれてしまった彼は、橘の情報を手に入れてくると言ってはその娘――珱姫のもとへ足を運んだ。珱姫はどこか橘と似て、憂いた顔をしていることが殆どだった。

他の女、それも人の子に気を取られていると橘が知ったら、どんな顔をするだろうか、己に失望するだろうか。そう考えて通うのを止めようと何度も思った。しかしそう思ったものの、現実は違う。己よりもいくつも若いだろう娘が部屋に押し込められ、窮屈そうにしているのを見てしまっては、居ても立ってもいられなかった。だが、何重もの結界を張り、格の違う陰陽師に守らせているため、珱姫に己の存在を知られないよう身を潜め、少し離れた物陰から見守るだけに済ませていた。

 そんなある日、ぬらりひょんは生き肝狩りが派手になっているとあちらこちらで耳にした。鴉天狗にそのことを尋ねると、橘らしき者もその中に混じっていると聞く。

「橘様が生き肝を食するとは、今までのご様子からは考えられませぬ。しかしながら、羽衣狐の仕業とすれば、十二分にあり得ますな」

そこにいつもより青い顔をしたお蓮が、おそるおそる口を挟む。

「総大将様、橘様がそのような……生き肝を口にするなんてこと、私がお仕えし始めてから袂を分かちしあの日まで一度たりともありませんでした」

「お蓮、顔色がいつもより悪いぞ、少しは休んだらどうだ」

鴉天狗は、お蓮が京についてからというもの、休む間もなくあちらこちらへ出向いていることを知っていた。

「しかし」

そう言葉を返そうとしたお蓮に、後ろから声をかける者がいた。

「濡女、最近のお前は働き過ぎだぞ」

振り返ると、顔を半分髪で覆った男――牛鬼がこちらへゆったりと歩いてきた。

「牛鬼殿……!」

お蓮はすごすごと退く。奴良組のなかでも上層部が目の前に居るのだ。主が居なくなった今、濡女はただの下女に近い。後ろ盾の居ない侍女が会話にどうして参加できようか。

「おお、牛鬼。お主も居ったのか」

「総大将、最近は足繁く出向いておりますな。何か進展はございましたか?」

「鴉天狗から今良い情報を聞き出した、今夜すぐに向かうつもりだ」

ぬらりひょんのその言葉に、お蓮は下を向いていた頭をさっと上げる。

「真でございますか!?」

「ああ、今夜下見に向かい、橘がいるか確かめてくる。本当に彼女なら、必ず取り戻すまでよ!」

「恐れながら総大将、お一人で向かわれるので?」

鴉天狗は咎めるような目線を送る。

「ああ、ワシの明鏡止水で姿はみえぬようにするからのう。安心せい、無茶な真似はせぬ。何せ、あの羽衣狐相手じゃからのう。ワシとて早死にする気はない」

はあ、とため息をついて鴉天狗はしぶしぶ了承した。止めたところで、行かないはずがない。長年のつきあいで十分わかっている。

「ご無事でお戻り下さい、総大将」



実際生き肝狩りで目にした愛しの女、橘は自分の知っている橘ではなかった。だが、血に塗れても、生き肝を貪っていても、気品を失わずにいた。強い妖気が彼女から満ち溢れており、これが妖怪としての橘本来の姿なのだろう。そう思わざるを得なかった。何度か目にした半獣の姿。狐の証である尖った耳、つり上がった目に赤い瞳、着物の裾から飛び出た長い二つの尾。ゆらゆら妖しげに揺らめく尾は、襲い来る敵を次々になぎ払う。紅の唇から滴り落ちる赤黒い血が、月光に照らされて光り、とても恐ろしくもあり妖艶でもあった。

ぬらりひょんは、彼女を畏れたのだ。今の彼女は、ただ美しいだけの者ではない、踏み入ってはいけない、そう感じさせる何かがあった。

どれくらいの間魅入っていたのか。狩りが一段落して帰ろうとしたのだろう、次々に妖が大坂方面へ向かう。なにやら陰陽師らしき人間が二人居たが、それもすぐに帰ってしまった。ぬらりひょんは思わず彼女のもとへと歩き出していた。止めた方が良い、そう思ったが、体は言うことを聞かない。

こちらに気付いたのか、橘がゆっくり、焦らすように振り返った。紅の瞳と金の瞳の目線が交わる。もう止められなかった。一気に駆け出す。

「    」

何かを呟く橘。その瞳は涙で濡れ、揺れ動いていた。

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