第八話 残されたもの

その後、別室に移動したお蓮は、雪麗からぬらりひょんの話を静かに聞いた。雪麗は終始気まずそうに、申し訳なさそうに俯いたままだった。

「あの馬鹿に一体何があったのか、わからないけど……」

雪麗がお蓮のことを、主のことを大切に思っていることは前々から感じていた。だから、お蓮は彼女を責め立てたりしなかった。それに――。

「ありがとう、雪麗。でも、良いの。もう良いのよ」
「……良いって、どういうことなの?」
「きっと、総大将は我が主に会ったのでしょう。だから、あのお方のことがわからなくなってしまった」

 雪麗は彼女の言うことがわからなかった。

「会ったって、なんでそう言えるの?それに、会ったからわからなくなるって」
「ですから、恐らく、橘様が何かしらの術をかけたのでしょう。あの方は、惑わすことが一番得意なのです」

 橘は狐の妖だ。幻惑に長けており、今までも様々な幻術を使って騙し合い、化かし合いをしてきた。

「だからって、総大将を惑わす必要性がどこにあるの?」

 そう、ぬらりひょんに使われたのもその幻術の一つ。どうして彼に術を使ったのか。お蓮は隠すのを諦めたように瞳を伏せる。

「それは、恐らくですが、総大将を守るためです」
「……総大将を、守るため?どうして惑わす必要性が」
「羽衣狐から守るためでしょう。あのお方は、今羽衣狐の管理下にあります。きっと、近付けば総大将もただでは済まされますまい」

間髪入れずにお蓮は答えた。

「もう、これ以上近付けば彼の身を守ることができない。または、主自身に危険が及ぶ。だから彼との縁を絶つために、彼を惑わした。そう考えれば辻褄が合います」
「そんな……そんなことって」
「相手はあの羽衣狐。何が起こっても不思議ではありませんよ」

 焦る素振りも見せず、お蓮は淡々と述べる。反対に雪麗は眉を八の字にする。

「雪麗、あの羽衣狐相手に、私たちが立ち向かうこと自体が間違っていたのかもしれない」

 そういう彼女の声は震えていた。総大将にかけられた幻惑を、お蓮はよく知っている。何度もそれを見てきたのだから。彼女に深く関わった者たちにかけられる幻術。そして、その術がかけられたものは、二度と彼女に会うことは無かった。それらが意味することは。

「もう関わらないで……、橘様を忘れてください。私たちにできることはありません」

お蓮は震える声ではなく、はっきりと今度は言い切った。冷徹な目で雪麗を見ながら。

「そんな、お蓮!あなた何を言っているか、わかっているの!?」

雪女だとは思えないほど顔を赤くして、雪麗は大声を出した。普段の冷めた表情は影も形
も無い。

「はっきり言いましょう。橘様があの幻術を使ったことは、術をかけられた相手と縁を絶ちきる事を意味します。そして、その相手は二度と目にすることはありません」
「どうしてぬらりひょんが……。あの方はぬらりひょんと夫婦になるほどの仲だったじゃないの!?今更縁を絶つだなんて、納得する訳がないでしょ!」

奴良組の者なら誰もが知っている通り、雪麗はぬらりひょんを慕っていた。だが、彼が憧れていた相手が現れ、二人は良い仲となり、婚姻の準備までしていた。雪麗は橘が相手だと知り、女として圧倒的な美貌と、妖力の差に身を引いた。

「どうもこうもありません。私も主に会う術はない、何もできないのです。納得するも何も、これが全て。主はぬらりひょん様との縁を絶った。今言えることは、それで全てです」
「……ッ!」

長い間側仕えとして連れ添ってきたお蓮にも、何もできない。そう言われてしまえば、雪麗にもどうすることもできなかった。その事実に、彼女は両手を握りしめる。

「雪麗、あなたの気持ちはわかりますし、私とて本当はこの状況を認めたくありませぬ。ですが、これは橘様が決めたこと。私たちがあれこれするなど、道理に反します」

 お蓮とて、本当は主がこれを望んで、または自分から進んでこうなりたいと思って、この行動をしたのではないと思っていた。だが、この術を使ったからには、橘の置かれた状況は芳しくないのだろうことが予想される。

「橘様のことです、これが今できる最善の方法だったのでしょう。私はあのお方の側に居たかった。この命尽きるまで、彼女のお側に仕えたかった。ですが、私はここに残されました」
「奴良組に、残された?」

何故、と雪麗が口にすると、お蓮は今までするすると話していたのをやめた。片手で口を覆うと、雪麗をちらと見て視線をそらす。

「……こんな時に話すことではありませぬが。お恥ずかしいことながら、私は実はこの組に属する、ある方をお慕いしているのです。橘様にはそれが筒抜けだったようで」

そう言う彼女の白い肌がほんのり赤くなった。

『お蓮、そなたはここに残れ。わざわざ辛い環境に身を置くこともあるまい。それに、ここでならお主も幸せに暮らせよう。生涯を縛り付けられたまま一生を終えるなど、あってはならぬ』

主の優しさが、今は憎らしい。だが、私のことを大事に思ってくれてのことだと、お蓮はわかっていた。

「ですが、私一人幸せになるなど、私自身が許せません。どうにか、橘様を自由の身にしてあげたい。しかし、総大将があの様子では……何も、何も手が思いつきませぬ」

お蓮は唇をかんでしまったのか、血が薄ら滲んでいる。雪麗は思わず彼女を抱きしめる。これ以上、彼女を傷つけさせたくなかった。濡れ女のしっとりと濡れた髪が手にまとわりつくのも気にせず、手にぎゅっと力を込める。

「お蓮、これ以上自分を責めないで。何かしら方法はあるはずよ、橘様を絶対助け出しましょう!」
「あ、あ……せ、つら……」

ぽた、ぽた、と目から雫がこぼれ落ちた。

氷のように冷たい女は、とても暖かかった。その場で、子供のように泣きじゃくるお蓮を、雪麗は優しく受けとめた。

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