傀儡姫

大坂城に来てからというもの、橘は仮面を貼り付けたかのように無表情で過ごしていた。ただ、羽衣狐に付き従い、言われたことを淡々として過ごしていた。流石にその様子をおかしいと思ったのだろう、鞍馬山の大天狗が羽衣狐にそのことを申し出た。

「ふむ・・・・・・、お主もそう思うておったか。昔はもう少し表情のある娘であったがな。妾とて娘が苦しいのは辛い。・・・・・・そうじゃ、何も城の中だけではつまらぬであろ、橘を暫く外に出してやれ。京の都でも見て参るがよかろう」



その一言で橘はお付きの者数名と共に、数百年ぶりの京都へ足を踏み入れた。人や妖が入り乱れ、昔とは色々と違うものの、賑やかであった。

橘は人波に紛れながらあちこち歩く。人々の活気に多少なり感化されたのか、出かける前と比べると表情が柔らかくなっていた。

そんな中、彼女は江戸においてきた側近、お蓮のことをふと思い出した。今まで必死に忘れようとしていたというのに。今彼女はどうしているのだろう。置き手紙をしたのだ。ぬらりひょんなら、彼女を邪険に扱いはしないだろう。

――ああ、こんなときにあの人を思い出してしまうなんて。

折角全てを記憶の彼方に封じ込めて、物思いをなくしてしまおうと努力してきたのに。彼女は目頭が熱くなるのを感じた。これでは今までの行いが水の泡だ。だが、ぐっと涙をこらえ、前に進もうとしたとき、すれ違いざまに誰かと肩がぶつかった。橘は急ぎ振り返り、笠の垂れから顔をのぞかせる。

「おお、あいすまぬ」

「いいえ、こちらこそ前を見ずに・・・・・・、申し訳ありません」

相手の方は年若い娘だった。まだあどけなさの残る顔立ちだ。長い黒髪が日の光に当たり、明るく輝いていた。上質な着物を身に纏っており、どこかの高貴な家の者だろうことがわかる。その娘は何をするでもなく、驚いた顔でじっと橘の顔を見ていた。

「珱姫様、お早く!」

先に進んでいたお付きの者が娘の名を呼んだ。その声にはっと気付き、娘は頭を下げる。 

「はい!では、失礼します」

「ああ、さらば」

そう言うと、橘も歩を進める。この後、この娘と再会することになるとは思いもしなかった。それも、大坂城で。

一方の珱姫は、先程ぶつかった相手の顔を忘れられずにいた。雪のように白い肌、紅の唇、黒真珠のような瞳、滝のように流れていた黒髪。ほんのわずかな笠の垂れの隙間から見えた女の顔。その女の口調、佇まい、顔のつくり、纏っていた着物の上質さ。どれをとっても非の打ち所がない。あのような女が京にいたとは・・・・・・。

「先程の女性、とても美しゅうございました・・・・・・」

珱姫がそう言うと、側仕えの女性が笑って答える。

「ほほ、姫様以上の方がこの世に居るとは、私めには思えませなんだ」

「ですが・・・・・・、ほんの少ししか見えませんでしたが、・・・・・・本当に綺麗で。まさに唐土に伝わる楊貴妃のように」

それ以上は誰も、何も言わなかった。ただ珱姫だけが瞳を輝かせていた。叶うならば、もう一度。一目だけでも会いたい。



珱姫一行が屋敷に着くと、剃髪の男が迎え入れた。珱姫は公家の娘で、家は大層な大金持ちである。

「珱姫様、お帰りなさいませ・・・・・・。なにやら妖気が感じられたので、是光めが直々に参りました」

「まあ、花開院殿。私は別に何も・・・・・・」

珱姫は首を傾げて言う。姫は神通力を持っており、妖怪の類に狙われやすく、実際問題、昔から命を狙われている。先程のお付きの者も実はこの陰陽師の一族、花開院家の出である。

「ですが、この感じ・・・・・・かなりの妖気です。特に右腕から感じられます、何者かと接触したのでは?」

「右腕・・・・・・!先程、とても美しい女性とぶつかってしまいまして・・・・・・。まさか、妖が化けたものだとでも!?」

その言葉に、その場にいた誰もが珱姫たちへ顔を向ける。

ほんの少しの間の後、姫の問いに是光はおそらく、と頷く。姫はたいそう驚き、その場にへなへなと座り込む。

「そんな・・・・・・」

「姫様、後はお部屋の方でお伺いします。さあ、立てますか?」

はいと頷き、珱姫は自室に移動した。その後、是光に根掘り葉掘り聞かれ、美しい女性について教えたのだった。

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