傀儡姫

その頃、江戸にいたぬらりひょんは橘の跡を追って京へとやってきていた。鴉天狗の情報によれば、京都には絶世の美女がいるという。橘の可能性があると思い、傘下のものも総出で奴良組はやってきた。一人、お蓮だけは神妙な顔で控えていた。

「ねえ、お蓮。西はそんなに恐ろしいところなの?」

雪麗は、あまりにも怯えた様子で震えているお蓮に尋ねる。

「京の妖怪は、一癖も二癖もあります。今まで相手にしてきたものとは地力が・・・・・・あまりにも違いすぎるのです」

「あたしらの総大将では敵わないとでも?」

「わかりません。ですが、あの女だけには・・・・・・敵うはずがない」

雪麗は、その言葉に苦々しい顔をした。お蓮の言うあの女とは、京の妖怪を統べるという羽衣狐のことである。何度も転生を繰り返し、その度に力を強めていく、稀にみる妖。しかも、聞いた話によれば、今までにないほど彼女の力は強まっているという。

「あの羽衣狐が後ろだてに居るのに、敵うわけがない!」

羽衣狐の名に、その場にいた妖は全てお蓮を見やる。次々にその名が伝染し、濡女を見る目が変わる。

お蓮が気付いたときには、もう手遅れだった。橘がひた隠しにしてきた出生が知られてしまった。ぬらりひょんたちに恐れられたくなくて、嫌われたくなくて隠していたのだ。だが、今のお蓮の一言で、全てが変わってしまった。

「お蓮・・・・・・今の話は本当なのか」

「・・・・・・総大将っ!」

彼女の後ろには、うつむいていて表情の読めない総大将、ぬらりひょんが立っていた。

「本当なのか・・・・・・」

「う、うう・・・・・・うぅ!」

お蓮はその場に崩れ落ち、涙を堪えながら今までのことを話した。ぬらりひょんは何も言わず、ただ黙ってお蓮の話を聴いた。

「橘様は、正体を明かすことにより、己の身だけではなく、奴良組がが危険にさらされることも非常に案じておりました。そして、自分の立場が変わることも・・・・・・」

お蓮の脳裏に甦るのは、過去の夢を見たときの橘の顔。悪夢に魘され、疲弊した彼女を見れば、いかに触れられたくないかわかるだろう。

「橘と羽衣狐の関係は何なのだ」

静かにぬらりひょんは尋ねた。

「……羽衣狐は、橘様の実の母親です」

わあっとその場に驚きの声が広がる。次々にあらぬことが噂されるのが、嫌にでもわかった。お蓮は「もう駄目だ、奴良組にはもう居られまい」と覚悟を決めた。羽衣狐に関わったものは、その僕となるか、塵となるかの二択。歯向かえば即この世から消えてなくなる。自ら危険に飛び入るようなもの。

「静まれい!」

お蓮が悪い方向へ考えていた最中、ぬらりひょんが喝を入れた。

「羽衣狐は今の百鬼夜行の主と云われている。だが、それではワシは何じゃ?このぬらりひょんが真の百鬼夜行の主になるには、遅かれ早かれこの大妖怪を倒さねばならぬ。それが今になっただけのこと、そうではないか?」

総大将の言葉に、皆はハッとする。そのうち、皆の恐れは徐々に消えていく。

その光景に、お蓮は微かな希望を見いだした。この妖こそ、鎖に縛られた我が主を、真に解き放つのではないか、と。何故だか、このぬらりひょんの言葉には、この身を託して良い。そう思えるような気がした。

「濡女、安心せい。橘は必ず取り戻す」

「そ、総大将……」

その言葉に、お蓮は涙を流し、心から感謝した。このぬらりひょんなら、本当に、そうしてくれる。彼なら主を取り返してくれる。必ず。



橘は、謁見の間に居た。目の前には、緊張した面持ちの姫たちが座っている。母、羽衣狐こと淀殿は所用で少し席を外していた。娘の橘は、その間この姫たちの相手をすることになったのだ。まさか、この後生き肝を喰われることになろうとは、誰一人思っていまい。そうして当たり障りない会話が続き、半刻ほど後に主の淀殿が戻ってきた。和やかな空間は、ほんの暫く後に地獄絵図へと化す。
あわれな姫たちの悲鳴は、外に漏れることなくかき消える。

「ん、今日も美味であった……。橘や、お主は本当に要らぬのかえ?」

羽衣狐は、娘に最後に残った姫を抱き抱えて尋ねる。その姫は、恐怖に目を見開き叫び声もあげられず、ただただ震えて橘を見ていた。

「妾には生き肝の力は必要ありませぬ。母上が力をつけるために必要なもの。どうぞ、お構い無く……」

「そうか……では、遠慮なく頂こうかの」

そう言って、羽衣狐は腕の中の姫の肝を、口吸いするかのように喰らった。

最後に残ったのは、口から血を流し、白眼を剥いた姫たちの骸。そして、にこやかな笑みを浮かべる人の皮を被った狐。

「橘や、生き肝が欲しくなったら、遠慮なく言うが良い」

高笑いしながら、羽衣狐が去ると、他の妖怪たちも次々に去っていく。最後に残ったのは言わずもがな、橘だ。

橘は、ただただこの地獄の一時が終わるのを、張り裂けそうな心を抑えつけて堪えていた。既に、彼女の心には亀裂が生じている。そして、それは彼女自身が変わってしまうほどに、恐ろしいもの。変わってしまえば、二度と、奴良組には戻れないだろう。ぬらりひょんにも会うことはできないだろう。

無駄なこととわかっていながらも、橘は彼を求めてしまう。有り得ないことだと、心のどこかでせせら笑いながら。

「嗚呼、どうか助けて、ぬらりひょん……」

彼女のか細い悲鳴は、誰に届くこともなくかき消えた。

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