廃屋敷とぬらりひょん
「そうかい……。いや、探してる人物にそっくりだからちょっとな」
橘は、ほうと呟く。そして、次の瞬間。
「…………もしや、橘御前などと言うのではないかえ?」
彼女の口から思いもよらない名前が出てきた。ぬらりひょんはここぞとばかりに突っ込む。
「っ!あんた、知ってんのかい」
「ふふ、知ってるも何も、お主の前に居るからのう……」
扇を片手にあおぐ目の前の女は妖気を放つと、ぬらりひょんの目の前に黄金にきらめく獣の耳を生やす。そして、ゆらりと大きなふさふさとした二つの尾を揺らめかせた。彼女の持つ切れ長の目の中にある瞳は、月のように光を放ち輝いていた。
ぬらりひょんは思わず背筋にぞくぞくとした震える感覚を覚えた。間違いなく今、彼女を、橘御前を"畏れ"た。
「これが……、橘御前だってのか……!」
「お主もこれを求めてきたのじゃろう?」
どこか悲しげに聞こえる彼女の凛とした声は、ぬらりひょんにとって心地よく響く音となって聞こえた。
「…………ああ、そうだな。ここまでとは思わなかった。絶世の美女というよりは、最早女神と言ったほうが良いかもしれんのう」
「……妾は妖じゃ。女神だの美女だの云われる筋ではない」
そう目を伏せて静かに言うと、彼女は妖気を絶つ。そして、元の人形へと戻った。
「さあ、お主の望むものは見せた。この後はどうするのだ?」
ぬらりひょんは意表をつかれ、どうしたものかと思案した。己の望んでいたものは、予想以上の早さで見つかってしまった。それも、思わぬかたちで。このまま己のものにするのも悪くないとは思う。だが、あそこまで神々しいものを見せられては、自分のものにするのも気が引けてきたのである。
「…………変わった男じゃのう。妾を手籠めにする、などと言うと思うたが」
橘の遠慮のかけらもない言葉に、ぬらりひょんは思わずむせた。
「っな!あんたは自分の身を何だと……!?」
「男なら皆そうすると思ったまでよ。まあ、この身を喰らおうというのも居たがな……」
そう言って、彼女は縁側へと出た。鈍い光を放つ半月が顔を出していた。
「妾は自由になることができぬ。今は一時の自由をもらっているのだ」
何を言っているのだこの女は、とぬらりひょんは思った。
「妾には見えぬ鎖が、紐が、巻き付いている。それをほどくことのできる人物を待っている身だ」
至極真面目な顔つきで彼女は答える。
「そなたは、ぬらりひょんと言ったか……」
「ん、……ああ、そうじゃ」
いきなりの問いにぬらりひょんは驚いたが、たじろぐことなく答えた。
「旅をしておるのか?お主は」
「ん、まあな。強い妖たちを集めるためじゃ。そして百鬼夜行をつくる。ワシはいずれ魑魅魍魎の主となる男じゃからのう、ハハハ!」
ぬらりひょんはけらけらと笑う。橘はそれを驚いた目で見やった。
「妾は、今まで何百年と妖を見てきたがお主は他とは何か違うな……。のう、妾を連れ出してはくれぬか?一時の自由の身なればこそ……!」
彼女は苦しげに顔を歪め、しゃがみこむとぬらりひょんに近づいた。
「橘……?」
「初対面のお主に言うのもおかしな話じゃ。だが、今を逃すと妾は一生後悔するじゃろう。頼む、妾を連れ出しておくれ」
このときの彼女は、とても魅力的であった。紅を塗った唇が微かに開いていて扇情的であった。
ぬらりひょんは、(短絡的に言えば)一時と言えど自分のものになるという見目麗しい橘御前に、断る理由も見当たらないために、申し出を受けることにした。
「橘様……」
すると、脇にある襖がすすっと開き、お蓮と呼ばれていた濡女が現れた。彼女は、不安げにこちらを見ていた。
「お蓮、暫くこの方のもとにお世話になるぞ……。挨拶をしときなさい」
「はい、ぬらりひょん殿……でしたな。私めは濡女のお蓮と申します。こちらの橘様の元で数百年に渡りお仕えしてきました。彼女の身の回りの世話は熟知しておりますゆえ、何とぞ私めもお連れくださいまし。あの御方と離れるなぞ、あり得ませぬ」
「お、おう」
濡女の語りから、強い執念を感じ取ったぬらりひょんは、少しびびったのであった。
こうして、ぬらりひょんは今宵はこの屋敷に泊まることになったのだった。
翌朝、ぬらりひょんはこの屋敷の必要な荷物を持ち運ぶ準備をし終えた橘とお蓮に会った。そして、奴良組が待機する宿屋へとその足で向かった。鴉天狗が、ぬらりひょんが連れてきた人物に驚いて熱を出したのはまた別の話である。