初めてのお誘い

ぬらりひょんの突然の告白から半年以上が経過した。

あれ以来、昼夜問わずぬらりくらりと現れては橘を愛でて、愛の言葉を紡ぐ。橘は戸惑いながらもぬらりひょんからの求愛を断るが、彼の炎を鎮めることはかなわない。

「橘、一緒になろう?お主と共にこの先もずっと過ごしたい」

「ぬらりひょん、妾に愛を求めるなど……愚かなことよ。妾はどの妖だろうと、一緒になることなどできぬ」

「……ワシはあんたをその枷から外すと言ったじゃろう。いったい、何がお主を縛っているのじゃ?」

「誰だろうとかなわない。あの者には……」

そのときの橘の脳裏に浮かんだのは、懐かしくて、愛しくて、それでいて憎らしい男だった。ぬらりひょんは、目を伏せて哀愁漂わせる橘を、後ろからただ抱き締めることだけしかできなかった。



この組のものは、大概が遠くから二人を見守っている。いつか二人が夫婦になれば彼らの子ができ、組も繁栄するだろう。生まれてくる子が男ならぬらりひょんに似てたくましいものになるだろうし、女ならば橘に似て美しく可愛らしい子になるだろう。そう噂されていた。何よりも、橘御前という伝説上の妖と呼ばれたものが妻となる。その事実が何よりも喜ばしかった。まだ恋人という状況にもなっていないが、奴良組の連中にとっては、もう夫婦だといっても過言ではない状態なのだ。

ぬらりひょんを昔から慕っている雪麗に関しては、『あの人の唇は奪ってやる』と酒を飲んだ後はいつも呟いている。だが、正気のときには橘にあの馬鹿の相手をしてやるようにとやんわり言われていたりする。

お蓮は、何も言わずに橘の補佐をしている。だがある日、急に風変わりなことを申し出てきた。

「橘様、一度ぬらりひょん殿と二人で出掛けてきたらどうでしょう?」

「何を申すかと思えば……。お蓮や、そなたは血迷うたのかえ?」

春の陽気で、暖かな日差しが射し込むようになり、梅の花が散り桜の花が咲く頃になった。橘は自室から障子を開け、庭を眺めていたのだった。そこにお蓮がやって来てお茶を出したかと思えば、先のことを言ったのである。

「いいえ。ぬらりひょん殿からの愛を流し続けては失礼かと思いまして……。それに、橘様にもきっと何か良いことになるかもしれぬと。ぬらりひょん殿への思いが何なのかわかるのではないかと」

正直、ぬらりひょんへの思いが恋愛のモノなのか別のモノなのか、わかっていないのが橘の心境である。

「しかし、やたらに接触してあの者に期待させるのはよくないのではないか?その上妾は、恋愛事など……」

「してはいけないなどという、あなた様の枷、彼の妖なら外せるのではありませんか?私めにはそのように最近思えてきて……」

橘にはめられた枷。

それは、義姉への思慕を募らせた義弟の晴明からかけられた呪いだった。橘の見目麗しい容姿に惹かれた愚かな妖や人間たちに、乱暴されたときに誤って子を成してはしまわないようにかけられた術だった。そして、行き過ぎた愛情故に、晴明は彼女の子孫を残すための臓器の機能を止めてしまったのだ。その呪いを解くことができる方法を橘は知らない。晴明にきくことができなかった。

とどのつまり、橘は子が成せぬのである。これが彼女の枷。昔から彼女を縛る鎖の一つである。他にも、晴明がよみがえる為に必要な母―羽衣狐の手伝いという鎖が巻き付いているが、京妖怪たちに見つかっていない今、手伝いをする必要性はない。

橘が京妖怪たちから姿を眩ませた理由。それは、いつまでも縛られる生活に嫌気がさしたからである。理由はただそれだけである。だが、いつかは見つかるだろうと予測している。そして、一度見つかれば、二度と日の光を浴びることは叶わないだろうことも。晴明に忠実な彼らだ、言いつけを守らないはずがあろうか?いや、まずありえない。

「……そうじゃのう。諦めてばかりではいけないかのう」

そう言って、垂れ桜を見上げる橘の目には光が強く宿っていた。

「ぬらりひょん、そこにいるか?」

そう言って、総大将の部屋を訪れた橘。返事がいつまでも無いため、襖をそっと開けて入ると、中には誰もいなかった。

「留守か……」

橘は仕方がない、と呟いて部屋を去る。放浪癖がある彼の者のことだ。どこかにふらりと出掛けてふらりとまた現れるであろう。橘はそう思った。

暫く廊下を歩いていると、後ろから突然誰かに肩を強くつかまれたと思えば、口も塞がれた。

「んむっ!?」

「夜分にワシの部屋に自ずから来るだなんて、お主は誘っているのか?」

そう耳元で囁く声の持ち主は、橘が探していたぬらりひょん本人であった。

「はっ……ぬらりひょんよ、わざと姿を消していたな?」

口を塞いでいた彼の手をどかすと、橘はためていた息をはいた。

「あんたの気配がしたもんでね。何しに来たのか気になって、わざと明鏡止水を使ったんじゃ」

「まったく……、放浪癖が出たのかと思うたわ」

それはすまんと言いながらも、全く反省する素振りが無いぬらりひょん。腰に回された彼の両腕も、いつまでも外される気配が無い。痺れを切らした橘が、素早く妖気をまとって妖の姿に戻ると金に輝く二本の尻尾で彼を振り払う。

「いつまでも鬱陶しいわ、いい加減にせよ」

ドスッと音を立ててぬらりひょんが尻餅をつく。

「イテテ、まさか尻尾を使うとは……」

そう言いながら打ち付けた箇所を手で撫でる。数秒もしないで、彼は床に手をつけて立ち上がる。

「それで、橘は何のようがあってワシのところに来たんじゃ?」

ようやくぬらりひょんが本題に突っ込む。 橘は思い出したかのようにあっ!と声をあげた。たが、しどろもどろとして話になっていない。

「……そ、その、だな……えっと……ああ、どう…………ば……い………の…?」

次第に頬を赤らめ、着物の袖を口元に当てがいながらもぞもぞと動く。男性を、しかも相手が己に恋情を抱いているものに自ら勧誘の言葉をかけるなどなかった。それ故に、緊張と恥ずかしさを持ち合わせた彼女はとても慌てていた。

本来の姿になって狐の耳もそれにあわせてピク、ピク、と跳ねるように動き、尻尾もゆらゆらとさせている。ぬらりひょんにとってみれば、可愛い小動物が目の前に居るのと同じである。

彼は、自身が熱く高ぶっていることがわかった。だが、今はそれを必死に押さえつけた。ここでその感情を解放すれば、周りから白い目で見られるのは間違いないだろう。彼女を己の部屋に留めないでおいて良かったと、痛切に身に感じた。

「ああ、……その。……とっ、共に出掛けてくれぬか!?」

橘がようやく胸の内をはき出した。梅花のように赤く染まった頬がとても綺麗な色をしていた。

ぬらりひょんはと言うと、何を彼女が言うのかと待ちわびていたが、彼の思っていたことと少し違うことに残念に思うのと同時に嬉しさを感じていた。彼女からお出掛けに誘ってもらえるのは冥利である。

「……クッ、ハハッ。良いぜ橘。お前の望むところ、このぬらりひょんがどこにでも付き合おう」

彼が笑って出掛けるのに付き合うと言ってくれたことに、橘は言い様の無い安心感と嬉しさを覚えた。心がほっと暖まるような感覚であった。

「本当か?良かった……」

「明日じゃ急すぎるからな。明後日以降で良いな?」

ぬらりひょんが鴉天狗がうるさいからのうとぼやきながら日にちの提案をした。橘がいつでも良いと答えたので、ぬらりひょんは明日どこにいくか考えようと言うと、彼女を部屋まで送り届けた。

「橘、誘ってくれてありがとうな。ワシは素直に嬉しいぞ」

ニカっと歯を見せて笑う彼に、彼女は身に覚えの無い感情を感じ取った。それが何なのかまだ知るよしもなかったが。

『何なのだ……。いずれ解るときがくるだろうか?』

床についてから暫く悩んでいたが、暫くして睡魔に身を委ね寝てしまった。彼女の寝顔はとても穏やかなものであった。

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