月明かりの下で

……正気ですか!?」

「晴明、あのようななどと言ってはならぬ。あのお方はこの京の都の帝じゃぞ?一番偉いお方だということはわかるじゃろう。妾はその御身に仕える者。更衣……つまりは一番下の位であるがな」

「姉上……、もう人間界に居るのはおやめください。姉上には妖の世界に居てほしいのです……。私から離れないでくださいませ!」

「晴明、なぜそこまで妾に執拗にせまるのじゃ?妾は、今までお主と母上と共に過ごしていたが、流石にあの場所に三人も共に過ごすのはきつい。それゆえ、身分を偽って妾はこうして働きに出ておるというに……」

「私は、……私は姉上とずっと一緒に居たいのです!」

「…………晴明、まだお主はそのようなことを……。義父上が聞いたら、何とおっしゃられることか……」

「橘、かように晴明を叱ってくれるな。まだ13になったばかりじゃぞ?」

「母上!橘姉様がまた人間界に……」

「おお、晴明。少し向こうで遊んでおれ。お主の姉様に少し話があるでな……」

「はい!」

「母上……またそのように甘やかすから、晴明はいつまでも親離れしないのですぞ?」

「ふふ、かわいい子ゆえに……な。橘、そなたは少し情が足りぬのではないのかえ?」

「母上はやはり晴明に甘すぎます。いくらあの子の父が居ないと言えど、あれは少々……」

「……そうかのう?妾はそなたにも同じくらいの愛を注いだつもりじゃが……」

「…………あの子がもう少し年がいったらどうなるか……。元服を済ませた男があのように姉や母から離れられないなど、前代未聞ですぞ」

「ふふ、橘は心配性じゃのう。あれは大丈夫じゃ。そなたも信じてやるがよい」



なつかしいすがた

なつかしいこえ

なつかしいふうけい



全てが儚き夢の中のこと。


「……………ろ、…………お…………!」

何かが聞こえると同時に、体が揺さぶられているような感覚を覚える。

「……き……、…………ろ、……起きろ橘!」

耳にした声に反応し、うっすらと目を開ける。すると、心配そうな顔をしたぬらりひょんの顔が一尺ほど先にあった。

「…………ぬら……ひょ……?」

うまく口を動かせないながらも、橘は彼の名を呼ぶ。冷たい水が入った湯飲みを手にしていた彼は、それを彼女に渡す。

ゆっくりと茶碗を傾けて飲み終えると、それをまた彼のもとに返す。

「……はぁ、…………すまぬ」

「いいってことよ。それにしてもあんた、何を夢にみたんだい?随分うなされてるように見えたが……」

橘は、彼に指摘されて自分が何の夢を見ていたかおぼろ気に思い出した。

「昔の夢じゃよ。今は遠い昔の……な。もう忘れかけていた懐かしい昔…………」

嬉しそうに、それでいて悲しそうな声で話す橘。ぬらりひょんはそれを見て、彼女が己よりずっと古くから居る妖だということを改めて思い知らされた。

「そうかい。あんたも長いこと生きてるからな……、ワシには想像できないことなのじゃろうのう」

そう言って、彼は障子を少し開ける。今は夜中で、空は闇に包まれていた。闇夜から二人の居る部屋へと柔らかな月の光が差し込み、静かな風が蛙の声とともに流れ込む。

「暫くしたら、……また出入りに行こうと思う」

淡々とぬらりひょんが告げる。それに橘は目を細める。

「そうか……。次はどこへ行くのじゃ?」

「……四国にしようと思ってな。まだあそこには行ったことがないからな。……橘も行くか?」

「……妾が?」

ぬらりひょんが、こちらに戻ってきてから小規模な出入りはたびたびあった。だが、こちらから赴くというのはなかった。しかも橘はいつも屋敷に残り、彼の帰りを待つのみ。橘は彼の正式な妻となったという訳ではないし、他の組員たち全てに知らせた訳でもない。ただ、お互いを慕いあうという、何とも説明し難い仲になっただけである。恋仲では説明しきれない深いものが二人にはあるのだ。

「……妾が行ったところで、戦力にはならぬだろう。だが、そなたと暫く離れるのは……避けたい」

最後の方は蚊のなくように小さな声だった。ぬらりひょんには聞こえずらいものだが、彼女の寂しそうに視線をそらすしぐさを見て納得した。

「なら、決まったも同然じゃ。橘もともに来るがよい。お主を置いていくのは忍びなかった。それと……じゃ」

ぬらりひょんが彼女に近寄り座り込む。何かを彼が思案しているのだろう、目を閉じて動かなくなった。

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