宝船の中で

その場に取り残された三人の女は無言で立ち尽くしていた。

「…………わ、妾もあてがわれた部屋で休むとしよう。ああ、ぬらりひょんの元に水を届けるのを忘れないようにな。……………それと、後でおにぎりを二つばかり妾の元へ頼む」

橘は、空気が悪くなる前に早口でそう言うと、あてがわれた部屋へとゆっくり去っていった。

「さ、さあ雪麗、水を用意しま…………雪麗?」

お蓮が雪麗を見やると、彼女に青筋が浮かび上がっていた。

「せ、…………せっかく、……折角作ったのにいぃ〜〜ッ!」

雪麗が叫ぶと同時に辺りに冷気がほとばしり、床や壁がパキパキと音をたてて凍りつく。お蓮の足元もカチコチに凍りつき、歩くのが大変なことにとなってしまった。

「はあ……、周りのことを考えてちょうだいな……」

彼女の呟きは雪麗に届くことはなかった。



その頃、橘は自室だとあてがわれた部屋で、正確には部屋の襖を開けたところで立ち尽くしていた。

「……何故、何故お主が居るのだ……?」

襖を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、藍色の着物とさらしがまかれた胸板。顔を少しあげれば、黄金色の瞳と視線が交差する。

「……どうした、橘?」

ぬらりひょんは、不思議そうに首をかしげてこちらを見る。

「それは、こちらの台詞というものよ。何故ぬらりひょんが……、妾の部屋にいるのだ…」

「………ぷっはは、はははは!橘は聞いてなかったのか?」

突如笑い出すぬらりひょん。状況が飲み込めない橘は、ただそれを眺めるだけだった。

「…………どういうことなのじゃ」

ほんの時を経て正気に戻った彼女は、眉間にシワを寄せて目をつり上げる。発された声は存外に低かった。

「悪い、悪い。この宝船の部屋が足りなくてな、ワシとお主は遅かれ早かれ夫婦になるのだから、一緒にしちまえと鴉天狗に言ったんじゃよ」

「……なっ!?」

橘は、これまでにないほど驚いた顔をしていた。六百年以上生きてきたが、彼女は色恋沙汰とは全く縁の無い生涯を送ってきた。この年齢になって、羞恥に頬を染めるなど……誰が考えようか?それによく考えれば、ぬらりひょんは話を聞く限り橘よりずっと後に現れた妖。何故この男に、自身は手のひらで踊らされているような扱いを受けているのか?

だが、この男を慕う感情は日に日に増していく。前まで自覚はなかったのは確かだが、ここのところぬらりひょんを見かけると嬉しくなり、胸が踊る自身がいる。

だが、間違ってもそれを口にはしない。きっとそれを明かせば、彼は付け上がるだろう。妾の方がこの現世で長く生きてきたのだ。そんな誇りが彼女の胸の内にあった。そう易々と彼に出し抜かれるのは許せなかったのだ。

「……ぬらりひょんは、良いのか?妾と同室で」

「今まで同室でないのが不思議なぐらいよ。それに、帰ったときには婚礼の儀を行う予定じゃ。仲睦まじくして何が悪い 」

「だがしかし…………」

と彼女は反論するが、彼はそれをしらぬように障子を開けて外を眺め始めた。拒否権はないと、暗示したようなものだ。それに橘は致し方なしと言う代わりにはぁ、とため息をつくのだった。

「まあ良いわ。今さら変えようなどと我が儘は言わぬ」

その言葉に、ぬらりひょんは驚いたように首をこちらに向けた。

「部屋がないからこうしただけじゃ。そうでなければ一緒にいるなどと言わぬ!」

などと、橘は頬を紅に染めてぬらりひょんに向かって叫ぶと、彼と対するように部屋の反対の隅の方へ座った。豪華絢爛な容姿と幼い子供のような行動。そのちぐはぐな様子は、あまりにも滑稽だった。

ぬらりひょんはそれに内心くすくす笑っていた。だが、疲れたのか彼女が畳の上に寝そべったのを見て、彼は布団を出してきた。そして、橘を横抱きにして抱えると、その白い布団に横たわらせた。彼女の漆黒の長い髪が布団のあちこちに散らばって広がり、白い肌と相まって艶やかに見えた。

それに魅惑を感じたぬらりひょんだが、寝ている彼女にやたらに触るのは忍びないので、その肌に触れたい衝動を理性で押さえつけていた。

―やはり、橘は屋敷に残してくるべきだったか?

その疑問が彼のなかで渦巻いていた。なぜなら、彼女はあまり出掛けるような人物ではない。まして、戦闘を好んだり、戦闘に向いているようなものでもない。ただ、妖怪として人々を惑わし操る術はある。それが彼女の得意とする畏れだろう。

そう、未だに彼は見たことがないのだ。

橘の畏れを。

彼女は狐の妖怪だ。なにせ、橘御前というのは、"見目麗しい妖狐"と伝説で語られてきたのだ。実際に本来の妖怪としての姿に近いものをたまにではあるが、ぬらりひょんは目にしてきた。彼女の本来の姿は狐の耳と二尾の尻尾を出したものだそうだ。獣の姿の方が俊敏に動けるそうだが、大抵人の形のままであるが故に慣れないらしく、人と獸の中間であるその姿が一番妖力を使えるらしい。

だが、彼女の戦闘するところは一切見たことがない。まあ、奴良組にわざわざ刃を向けるのはあまり居ないが。

「やれやれ、ワシも一眠りするかのう」

そう言って、彼はもう一つ布団を出して寝転がった。次に目が覚めたとき、橘がどんな反応を見せてくれるのか楽しみにして、彼は眠りについた。

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