それぞれの動き
奴良組はあの総会以降、偵察部隊に四国のあちこちを調べさせていた。前述の通り、向こうの動きがわからないまま、闇雲に動いても仕方がないためである。
そんな中、日はどんどん過ぎていった。
そんな中、二人の大男が宝船から四国の地を見渡していた。
「はぁ、四国の妖怪は何をしたいんじゃ。出入りに来たってぇのに、謎の抗争ばかりでは、こちらはやたらに介入できん」
「そう騒ぐな、一つ目。総大将の命があるまで動かないと決めたのだ、暫く我慢せい」
キセルをくわえた不機嫌な一つ目を、隣にしゃがみこんでいる狒々が抑えた。
「儂とて、こんなことになるとは思わなんだ」
能面を外していた狒々の端整な素顔は歪んでいた。彼はいつも能面を着けており、素顔は全く晒さなかった。能面の下の素顔は、そんじょそこらの女にもひけをとらぬ整った顔立ちである。
奴良組の誰もが同じことを思っているであろう。出入りに来たというのに、戦うこともなくただ偵察が戻るのを待つだけだなんてことを、誰が想像したろうか。確かに情報収集はする。そこで、妖怪同士が戦っているのはわかる。だが、人間と妖怪が戦っているなど前代未聞。事態がわかるまで動かないようにと言われた幹部たちは、大人しく宝船や陣中にて待機しているわけである。
「それにしても、総大将はいずこへ向かったんじゃろうのう。昨日から姿を見かけぬが」
狒々は一つ目に問いかける。一つ目は口から煙を吹きながら、考えてるようだった。
「まぁた居なくなったんか?総大将らしいっちゃ総大将らしいが、動かないようにと言ってた張本人じゃ……」
「総大将にもお考えがあるのでしょう」
「チッ、牛鬼か。おめェはまだうちの組に入ったばかりであろうに」
後ろから偉丈夫が現れた。物静かな雰囲気が、狒々と一つ目の張り詰めた空気を柔らかくした。
「まぁまぁ、一つ目。ところで牛鬼、こうなることがわかっとったんか?」
能面を片手に、狒々は鋭い目で問いかける。女顔ではあるが、彼が発する気は大妖怪のそれであった。
「いえ、総大将のなさることは私には考え付かないことが多い。此度のことも想定外の事態ゆえ」
低い声で話す彼は、瀬戸内の海を見つめていた。
「……じゃろうのう。儂にも総大将の考えはわからん。急に突拍子もないことをしだすからのぅ」
つい先ほど殺気を放ったとは思えないほどに、顔を緩ませて悩む狒々。
「じゃが、そこが総大将の悪くて良いところなんじゃろう!だからこそ、ワシもお主らもそんな総大将に惚れてここまでついてきたんじゃろうが」
一つ目が凛々しい笑顔で総大将を熱く語る。そんな彼を、二人は一瞬呆けた顔で見たが、それぞれニヒルに笑い返す。
「そりゃそうじゃ。ぬらりひょんが総大将だからこそ、儂はここまでついてきたんじゃよ」
「その通りだ。ぬらりひょん様だからこそ、私もここにいる」
三人の大男たちがそう話し込んでいる中、話題に上がっている総大将ぬらりひょんは、四国の山地を駆けていた。
ぬらりひょんは、ただ一人で森林の中を駆け抜ける。川が目前に来ても、上流から流されてきたであろう大きな石の上を跳びはねて軽々と越えて行く。ときたま妖怪と出くわしても、畏れを使い姿を見せないようにしてるため、今のところ問題はない。
━何じゃこの殺伐とした空気は。
彼が思ったのはこの一言につきる。
山林の中なら聞こえるだろう鳥のさえずり、虫の鳴き声、そんなものは一切ない。異様なつめたい風が吹き、繁った葉が擦れる音しかしなかった。
鴉が伝えたことには、この山の奥に隠神刑部狸という四国妖怪を仕切っている長がいるという。ぬらりひょんは、そいつに会えば全てがわかる、そう思ってこの山に単身乗り込んだ。
暫く道なき道を進んでいると、開けた場所についた。
「何じゃ……ここっは!?」
ドォン!と音を立てて大きな暗い影が上から降ってきた。間一髪、それの攻撃を避けてぬらりひょんは後ろに飛び退いた。
「避けた、か。すばしっこい奴がきたもんよ」
ぬらりひょんの前に、とてつもなく大きな男が目の前にいた。ぬらりひょんの二〜三倍はあろう。
「何じゃてめぇは?四国の奴じゃねえにおいがするわ」
そいつの声は、辺りに響くような大きいものだった。
「ワシか?ワシは奴良組総大将ぬらりひょんじゃ。江戸から来たんじゃ、見覚えあるわけない。わかったらよぉく覚えとくんじゃな、四国の妖怪よ」
「奴良組だぁ?聞いたことねぇな。まあいい、……ワシは四国に住まう妖怪、手洗い鬼。ここから先は、我らが四国の妖怪の長たる隠神刑部狸様がおわす地。奴良組だかぬらりひょんだか知らんが、得体の知れぬ者を通すわけにはいかん!」
そう言って、手洗い鬼はその大きな拳をぬらりひょんに向けて突き出した。それを軽々とぬらりひょんはかわす。ズゥン!と重たい音を立ててぬらりひょんが元々いた場所の地面が大きくえぐれた。
「ひょぇ〜、危なかったのぅ」
「おやおや、好い男がいるじゃないか、手洗い鬼よ」
ぬらりひょんの背後から興奮したような女の声が聞こえた。
「なっ!?」
直後、ヒュンヒュン!と音がしたと思えば、鋭い鉤針状のものが飛んできた。不意をつかれ反応できず、避けきれなかったぬらりひょんの左側の袖が何ヵ所かビリビリとやぶけた。
「おい針女!邪魔すんじゃねぇ」
「何さ、私とて主様にお仕えする身。主様に危険が及ぶと判断したものは滅するのが役目。それと、私にはおはるって名がある、針女だなんて野暮な呼び方はやめておくれ」
髪は鋼のように黒く、その毛先が鉤針のようになった女が手洗い鬼の前に現れた。
「フフ、主様には及ばぬがそこそこの色男だ、この私の自慢の髪で串刺しにしてあげようじゃないか」
妖しく微笑む針女は、その髪をフワフワと揺らす。
━やれやれ、畏れをとかねば良かったかのう……。
と、ぬらりひょんは思うものの、仕方なくその二人を相手にする為、刀を構え直すのだった。
カキン、カキンと堅いものがぶつかり合う音と共に、ドスン、ズゥン!と重たい音が響く。陽の光で金色に輝く髪をなびかせながら、ぬらりひょんは必死に針女の鉤針を切って払い退け、動きの鈍い手洗い鬼の四肢を切り刻む。
「…チッ、ちょこまかと鼠のように動く奴じゃ!」
「そこだっ!くっ、……邪魔だよ!手洗い鬼、あんたはでかい図体してるんだから少しは考えな!ほら、また逃がした!」
どうもお互いに邪魔をしあってもつれだした四国妖怪の二人。 ぬらりひょんはポカンとした顔でそれを見ていたが、暫くしてにたりと微笑むと、明鏡止水を使って二人の脇を通りすぎる。
ぬらりひょんの目的は隠神刑部狸に会い、四国で何が起こってるかを問いただすため。彼の心のなかでは、最早四国を制圧するという考えは失せていた。ただ純粋に、この地で何が起こっているかを知りたいという好奇心だけが、彼の心を埋め尽くしていた。
「ぬらりひょんが消えたじゃと?」
橘の元に、雪麗とお蓮がそれぞれ落ち着かない様子でやって来た。
「全く、こんな敵地の中でもあんな感じなんだから、バカぬらりひょんが!」
雪麗は苛々としてたまらないようで、唇をわなわなと震わせている。
「それで、どこにいったかめぼしい所はないのかえ?」
「幹部連中もわからないの一点張りで。鴉天狗が偵察部隊に至急連絡をとるようにしてますが……」
お蓮はただ心配だというように眉をハの字に下げている。
「橘様はご存じありませんか?」
そう言われるも、橘とて知らなかったこと。それも、部屋で持ってきた巻物を広げて読んでいただけの彼女に、彼の行き先などわかるはずもなく。
「……すまぬが、妾も知らぬ。じゃが、あの方はむやみやたらに危ない場所へ向かうかのう?」
「……あいつなら行くわね」
はぁとため息をついて雪麗が即答した。
「そうか……。ぬらりひょんが消える前、何か頼りになるような言葉を言ってはいなかったか?」
橘は、あらゆることを尋ね、手がかりになりそうなことを見つけようとした。そのことに気付いたお蓮は、機転を利かせた。
「……幹部連中や鴉に聞いてみた方がいいわね。橘様、有難う御座います」
彼女の言わんとすることに、雪麗も気付く。
「そうね。有難う、橘殿」
二人はそう言って素早く退出した。トントンと軽い足音が遠退いていった。
残された橘は、落ち着かない様子で部屋をうろうろとしていた。彼が居なくなってしまうのが、たまらなく不安になった。
「……妾も堕ちたものよ。これが、好いてしまったもののさだめか……」
自身が今までにないほど、他人のことを心配しているのがよくわかった。これがぬらりひょんだからなのか、それとも別の理由があるのか。どちらにせよ、橘は締め付けられるような胸の苦しみを感じていた。
そんな憂いた顔をする彼女を、外から盗み見るものがいた。
「うひひひ、上質な着物じゃのう……。女も上玉じゃ、どんな表情になるのか、楽しみじゃ」
この物語の原作を読んだ方々ならおわかりだろう。四国編の名物……じゃない、有名人(?)であるあの方である。
「さぁて、あの袖を頂こうかのう……ひひひひ」
おわかりいただけただろうか?
そう、誰もが御存知、袖モギ様であらせられる!
すうっと、音をたてずにその小さな妖怪は橘の部屋に入り込む。そして、彼女の上質な絹の着物を手に取る。
袖モギ様はそのまま硬直した。ここまで上質な着物の袖を手にしたのは久々だったからである。表情がわかりずらいが、それはとても幸せそうな気を撒き散らしていた。
一方、橘は昔ほど着物を着込んではいないものの、それなりに重ねていたため、着物を手にされたことに気づかず、憂いた表情で空中を見つめていた。
暫くして、袖モギ様はハッとした。はやくこの袖を食わねば、と。そうして、ゆっくりとその袖を口にした。
橘は、後ろからむしゃむしゃと何かを食べる音がすることに気付いた。ここには、誰もいないはず、そう思いおそるおそる後ろを振りかえる。
「!?」
「ひひ、絹はうまいのぅ……さぁ、袖をおいてけ。さもなくば袖モギ様と呼べ!」
地蔵のようなものが、彼女の袖を食べているのを目にした。
ビリビリビリィ!
「っ!!」
大きな音を立てて右の袖のほとんどが破られた。
━こやつ、いつから……!?小さなからだの割りに力が強い。
橘は、己しか今は頼れるものがないことに冷や汗を流した。何せ、真剣に彼女が妖怪とやりあったのは何十年、それこそ百年以上前かもしれないのだ。おまけに、刀など持っていない。本当に頼れるのは手にした鉄扇、懐刀、自身のからだしかない。
「さて、どうしたものかの……」
「ひひ……、袖を寄越せ」
そのままにらみ合い、一歩も動かなかった。両者の間は四尺ほど。どちらかが動けばすぐに触れるようなものであった。