弟の怒り

信太の森にて、晴明と母―羽衣狐は久々の再会を果たしていた。雨が降ってきたため、羽衣狐は自分の住まいに案内する。彼女が住まうところは古びた神社の境内。人も寄り付かないぼろぼろの建物である。

そして、晴明は人と妖の理想世界のために、何年にも渡る考えのもと、"反魂の術"の完全なる方法を悟ったのである。そして、羽衣狐に何度でも生むように頼んだのであった。もちろん、羽衣狐は愛しき息子のためにそれを承諾した。

「ありがとう母上…人と妖の理想世界のため、必ずこの"反魂の術"を完成させてみせます」

「おお…晴明。お前といるとこの先千年、退屈せんのじゃのう。姉の橘もお前と過ごせることを、嬉しく思うじゃろう」

二人はひしと抱き締めあった。

「姉上も妖。家族そろって過ごせる日が来るのを、待ち遠しく思います。これにて失礼します、母上。また会いましょう」

「次は橘と共に参れ。そなたのことをとても心配しておったぞ」

羽衣狐は、橘が前に来たことを晴明に告げた。

「そうですか!姉上が私のことを……。また会いにいかなくては」

姉の心配する顔が晴明の頭に浮かんだ。

「晴明、外は雨じゃ。気を付けて帰るのじゃぞ」

「母上もお元気で」

そして、二人は別れた。つかの間の再会であつた。その後に起こるのは、悲劇の始まりである。



晴明が帰った後、羽衣狐は寂しく思っていた。晴明とはわずかな間しか過ごすことができないのだ。

外はどしゃ降りの雨が降っていた。

すると、バシャバシャと、水が跳ねる音が聞こえた。

「晴明?」

羽衣狐は、晴明がまた来たのかと、期待を込めて戸を開ける。

「なんじゃ…忘れ物かえ…?今あけるでな…」

障子の破けた古い木戸が開き、中から人が見えた。そこにいたのはたくさんの人であった。

そしてヒュンッと細いものが飛んできて、羽衣狐の左目と胸元に刺さった。

「ほぁ」

羽衣狐はグラリと後ろに倒れかかる。

「とらえよ!!」

指揮官の声がその場にとどろいた。ヒュンヒュンッ、とたくさんの矢が次から次へと飛んで来る。

―なんじゃ?

ドドドっと、羽衣狐にその矢が突き刺さる。二本の矢が突き刺さった痛みで動けない彼女は、避ける術をもたない。

「やめんか!」

彼女が叫ぶも、捕らえるためにやって来た人間が、いうことを聞くはずもない。

―どういうことじゃ!?死んでしまう…

突き刺さった矢の痛みに体を貫かれながらも、彼女は奥へと逃げようとする。

―妾が死んだら…

痛みでずるずると這うように逃げる羽衣狐を捕らえようと、人間たちが建物の中に土足で上がり込む。

「晴明を産めぬではないか!!」

外は先程よりも雨が音をたてて降っていた。



ひどい雨の後、晴れ渡る京の空。

一人の白い狩衣を来た男―晴明が姉の橘が住まう屋敷を訪れた。すると、屋敷は慌ただしく動く人でいっぱいであった。

「そこの侍女、橘の君はいらっしゃるか?」

訝しげに思いながらも晴明は、近くにいた橘の君に使える侍女にたずねた。その侍女は、彼が訪ねてくることをよく知る一人だった。

「これは晴明様!?何というときにおいでになられたことか!……お願いです、橘の君を探してくださいませ……」

侍女は青白く血相を変えて、晴明に頭を下げた。

「橘の君を探せとは……。どういうことか、説明せよ」

晴明は、侍女の言うことがわからないという風に首をかしげる。その侍女は申し訳ありませんと言うと、訳を話し出した。

「昨晩、橘の君の部屋から叫び声がしたのです。見回りの兵に頼み見てきてもらうと、部屋が荒れており、橘の君のお姿もありません。何者かに拐われたのではないかと……」

侍女は最後の方になると、声を小さくしていった。晴明は、焦りと怒りで満ちたおどろおどろしい顔になった。

「あね……いえ。橘の君が……。すぐに見つけてごらんにいれましょう。慌てず待っていなさい」

晴明は、表面を静かに保つよう深呼吸をして、屋敷から立ち去った。

「……鬼童丸、茨木童子」

晴明は、屋敷から離れた場所で立ち止まる。

「ここに……」

彼の後ろに居るはずのなかった二人の異形の影がたった。

「姉上を探し出せ。親は他界し、権力も後ろだてもない。そんな"橘の君"を拐うなどあり得ん。おそらく蘆谷道満の仕業と見て良いだろう。奴ならやりかねん」

その声は怒りに満ちた低い声であった。

「すぐに突き止めてみせましょう」

鬼童丸は一礼すると、煙のように消え去った。

「あの女が捕まるとは思えないが……」

茨木童子はぶつぶつと言いながら鬼童丸と同じように消えた。それを見届けた晴明は、空を見上げる。昨日とうって変わって晴天。雲一つない青い空が広がっていた。風がザッと吹き、周りのまばらな雑草を揺らす。

「姉上は……必ず私が救い出す!」



その頃、橘は蘆谷道満の屋敷の離れにある、倉の中へと入れられていた。足を枷と鎖で繋ぎ、辺りに魔除けの札を貼られていた。

橘が着ていた着物は、寝る前だったために薄い長襦袢のみ。倉の中は外と同じぐらいに冷え込む。彼女は凍える気持ちであった。

何故晴明の姉だとわかったのか、未だに謎であった。彼と接するときに覗かれていたのか。それでも周りに誰もいないときか、自分の館しかでしか会っていない。それぐらいしかばれる点はない。

そもそも、いつ橘が狐女―妖怪だとわかったのか。考えてもきりがない。だが、何とかここから逃げたさなければ……。彼女の気持ちは焦るばかりである。

倉の冷たい空気が肌をヒヤリと刺す。それがどんどん彼女の体力を奪っていく。抜け出そうにも、戦う術や抗う術を知らない橘が、ここから逃げることはかなわなかった。

蘆谷道満の狙い。それはおそらく、晴明を京の都から追放することだろう。禁術を使う怪しい男など置いとけば、いつか何かしでかす。この前の術くらべを見ればそれは明白なこと。

愛しい弟のために、何がなんでも足手まといにはなりたくない。足手まといになるならば、この命を差し出してもよい。などと橘は考えたが、それは最後の手段。

姉と母が大事な弟。橘が死んだと知れば、何をするかわかったものではない。

前に橘が衛兵の男と会話してただけで、晴明はそのあと衛兵の男に何か呪いをしかけたと聞く。他にも、橘が他の女より綺麗だからという理由で妬み、陰口を言う女たちを二度と口が聞けぬようにした。

など、どこか行き過ぎな愛情を注ぐ。後者は被害を被っているからまだわかるが、前者はなんとも私怨である。それをやめるよう言った橘に、泣きながら「何故ですか、姉上!?」などとしがみつかれては、もうどうしようもないことは火を見るより明らか。

「……どうすればよいのじゃ、晴明よ」

彼女はため息をつく。動けないこの身では、助けが来ることを祈るばかりであった。

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