母の死
一度屋敷に帰った橘は、京の都を旅立つことを告げる。そして、使えていた侍女や衛兵たちにたくさんの金や銀、財宝を与え、暇を出した。彼らは泣きながら橘のお供すると懇願したが、橘は頑なにそれを断った。その代わり、心からの感謝の言葉を伝えたのであった。
別れを済ました橘が屋敷の外へと出てきた。
「もう、宜しいのですか?」
鬼童丸が、橘に人間たちの処遇をたずねた。
「ああ、いつかはこうなると思っていた。だが、寂しいものだな」
そう言って橘は少し涙を目にためていた。鬼童丸は、少しそれを不憫に思った。
「そういえば、晴明はまたどこぞに呼ばれておるのか?」
橘は、晴明がどこに居るかたずねた。
「は、今日は関白頼道殿のもとへ向かっております」
―関白頼道の屋敷にて
「おお…よう来たのう、晴明!!」
上座に座る男は、とても肥えた図体をしていた。
「およびでしょうか、頼道様」
晴明は、下に座り一礼をし、面を上げた。
「おお晴明、お主にいつも聞いておったろう、不老不死の方法を。なぜこんな素敵なことを教えてくれぬのじゃ?」
頼道は下卑た目付きで晴明を見た。晴明は話がわからず首をかしげた。
「……?……どういうことでしょう。延命の術なら多少のおぼえはありますが」
「違う違う!信太の狐のことじゃ」
間髪いれずに頼道が訂正した。頼道の言葉を聞いた瞬間、晴明の目付きが鋭くなった。頼道はそのことに気付かないで話を続けた。
「見ろ〜、やっとのことでつかまえたんだぞ〜」
そう子供が虫を捕まえたかのように言う頼道は、隣にある箱の蓋を開けた。中からは、頼道の明るげな行動とは裏腹に、矢が刺さり血塗れになった狐の死体が出てきた。頼道はその狐の死体をポンポンと叩いて示した。
「これがその狐じゃ!!ホレホレ…千年も生きるというこいつの胆を喰らえば、不老不死になるそうじゃぞ?お主なら知ってそうなもんじゃがのう?」
晴明は頼道の言葉を歯牙にもかけなかった。ただ、その狐が信太の森の狐だということを嘘だと思いたかった。羽衣狐―母の死を認めたくなかった。
そんな晴明のことをつゆも知らずに、頼道は晴明に命を下す。
「うむ!これはお主にたくすぞ晴明。お主、この狐で見事不老不死の薬を作ってみい!」
晴明は怒りと悲しみと嘆きと怨みに囚われた。彼の目は大いなる怒りに満ちた。晴明のまとう気がそれに変わったのがわかったのだろう。周囲の者たちが声をあげた。
「む…なんじゃその目は?」
「関白頼道様に無礼であるぞ!!控えろ、晴明殿」
すると、晴明はどこからか小さな紙をすうっと取り出した。その紙はゆらゆらと揺らめきながら、頼道のもとへ飛んでいった。
「なんじゃこ…れは」
その瞬間、頼道の顔が風船のように異常にふくれあがったと思いきや、パァンッと音をたてて破裂した。肉が飛び散り、血が噴水のように飛び散った。頼道が居た場所には、肉の塊があるだけだった。
「ヒィ…!?」
「せ…晴明殿ー!?」
「何をなさるのじゃー!」
周りの者たちは、それを見て慌てふためいた。
晴明は、心ここにあらずというかのように、ゆらりゆらり、ふらりふらりとよろけながら、狐の死体へと向かってあるいた。そして、しゃがみこみその狐を壊れ物のようにそうっと抱き上げた。なにか呪文を唱えると、死体に手をあてがった。
「は…母上…。起きてくだされ、目を…あけてくだされ」
暖かい光が狐を取り囲むと思うと、そこには狐の耳を持つ、矢があちこちに刺さり血塗れになった女が居た。
「ぅ…あい、……すまぬな、晴明」
「母上!!」
羽衣狐は、途切れ途切れ、苦しそうにかすれた声をあげた。
「お主をもう産めぬ…。愛して…おったぞ…」
羽衣狐は、そう言うと静かに息を引き取った。
晴明に、もはや正常な心は残っていなかった。ただ、母を奪った人間が憎くて仕方がなかった。
「貴様ら…
何故闘えぬ母を討った!? 」
彼の顔が鬼のように恐ろしいものになった。周りの者たちは悲鳴をあげながら逃げ惑う。
「ら…乱心じゃ」
「晴明殿…、冷静になれ」
今の晴明には、誰が何をいっても無駄であった。晴明が手印をつくる。
「堕ちろ人ども。貴様らは…"上に立つ"べきではない…!!」
その瞬間、大きく丸い閃光と爆音が屋敷にとどろいた。屋敷はたちまち全壊し、同時に炎で包み込まれた。
「……なんじゃあれは」
鬼童丸たちに連れられ、橘は晴明が呼ばれた屋敷に向かっていた。すると、その目的地から爆音と破裂音が聞こえた。御簾をあげて外を見てみると、一角の屋敷が火事になっていた。
「鬼童丸、あれは……」
橘は鬼童丸に心配そうに声をかけた。鬼童丸は難しい顔をしてうなるだけであった。
そして、車はその燃え盛る屋敷へと到着した。
橘が外へ降りると、辺り一面が火の海と化していた。探してる人物は鬼童丸たち妖が探してくれることになったている。
そして、ザッザッと足音が聞こえてきた。見てみると、目から血の涙を流す男が、血塗れになった女を抱き抱えてこちらへとやって来るところであった。
「……せ、いめい?」
橘は、おぞましい妖気を放つ弟に恐れおののいた。そして、抱き抱えている女性の正体に気づくと、絶望の表情を浮かべた。
「せ、晴明……、これはどういうことじゃ」
「……姉上。晴明は、この世を闇で覆うために、闇の主となることを誓います。闇が光の上に立つ、秩序ある世界のため……!」
橘は、ただ目の前の男に恐れを抱いた。
「晴明、そなたは……共生するのではなかったのか……」
「姉上、我らの母上は、愚かな人間に討たれたのだ。そのような輩と共生?ふざけるな、あのような者たちの上に私は立つのだ……!姉上も、この晴明の力になってくれるでしょう?」
橘は、愛しい弟が激昂するとこなど見たことがなかった。彼にこのような恐ろしい一面が隠れていたなど……。いや、今までもどこか、片鱗は見えていた。ただ今は、この男に従うしかないのだという思いにかられた。
「晴明、そなたがそう言うのなら、この橘はそなたの力になろう。母上は常々そう言っておられた……、この世は闇に包まれてしまえば良いと……」
橘は、今まで見せたことのない恐ろしく、それでいて美しい笑みを浮かべた。晴明はそれを見て、この人も母の血を色濃く継いでいるのだと改めて感じた。そして、後ろの鬼や妖を連れて歩き出した。
「行くぞ、この地を闇で包むために……」
晴明は、姉を引き連れてこの地から去った。
その後、この姉弟は別の名で呼ばれるようになった。
弟は『鵺』、姉は『橘御前』と。