走り始めた光に向けて


「――迅くん?」

 それを言われたのは、唐突だった。大規模侵攻についてを知らされたちょっと後のこと。レプリカ特別顧問、だっけ。レプリカが見せてくれた星の位置図は、……本当はこんなことを思ってはいけないんだけど、綺麗だな、と思った。
 部隊でのランク戦は文字通りランク外だからしないとはいえ、わたしはS級ではないから、個人でのランク戦はやっている。ナンバーワンとか、そういうのはあまり好きではないんだけど、これでも攻撃手としては慶お兄さんかちょっと上くらいだし、射手もあいつが合成弾を編み出してからは絶好調だ。狙撃手は、……やらない、とは決めているけど、東さんに一度、惜しいと言われるくらいの腕前だった。過剰表現だと、わたしは思っている。攻撃手としても射手としても、狙撃手としてもわたしは生温い。けれども、慶お兄さんやら米屋先輩やら緑川くんやら、好戦的な人たちからはそれ──ランク戦に誘われることが多いのも事実。今日は大気変動のSEを使う度にふらふらしちゃって調子が悪いのは分かっていたし、だからこそ、そういう人たちに会わないように本部を歩いていたのに。

「羽純、頼みたいことがあるんだ」

 本部の廊下で出会った決して嫌いではない旧友に、今にも千々れそうな、哀しそうな笑顔を貼り付けて言われて、断れる人間が居るだろうか。少なくとも、わたしには無理だった。これは、……これは、多分。未来視のSEを持つ、迅くんと。兄のSE、瞬間記憶能力を持つ、わたしが組んでこそ、の。大気変動の方だったら、多少は無理しなくちゃいけないけど……。瞬間記憶能力のSEは基本、常時発動している。気分が悪くなることはない。

「いいよ、分かった。用件は?」
「……、俺が頼んだとはいえ、ちょっとは考えるとかさあ……」
「迅くんはわざわざわたしに嘘をつくような人間じゃないでしょ。何言ってんの」
「はー……。流石、羽純には敵わないなあ。要件を話すよ。良く聞いて」

 一瞬、誰かに聞かれてもいい話なのかと思ったけど、彼のSEは未来視だ。ここに誰か来る未来が視えなかったのだろう。もしくは、可能性が限りなく低い。そもそもこの廊下自体、本部の中でも人通りの少ない場所だ。全部考えた上でここに来たんだろう、迅くんは。彼はそういう人だから。

「大規模侵攻のことは聞いてるな?」
「慶お兄さんでも聞いてるよ……」
「なら話は早い。────羽純」



 逃げたい、と、思った。兄さんが所属していたボーダー。大好きだったボーダー。

「やだ、ねえ、兄さん、待って」
「幸せになれ、羽純────」

 白く塵になって風に吹かれた兄さん。大好きだった兄さん。愛してくれていた、兄さん。いつも笑わなかったくせに、あの時珍しく笑った兄さん。どうして。兄さん、兄さん、……兄さん。

 兄さんと一緒にボーダーに居た。所属している、というわけではなかったけど、トリオン量が多かったことや、センスが良かったこともあって、色んな人が稽古をつけてくれたし、それに可愛がってくれて、戦うための武器だってくれた。もしもボーダーの言う近界民からの侵攻≠ェあった時、わたしが狙われたら困るから。それと、住んでいる人たちを、出来る限り逃がせるように。でも兄さんは死んだ。その侵攻の前に。わたしの目の前で。白い塵となって。

「真史くん、これ、なあに、兄さん、どこいっちゃったの?」

 兄さんが風に吹かれたあとに遺った黒い異物を、真史くんに見せる。兄さん、この中に閉じこもっちゃったのかな。おかしいな。兄さんは引きこもりじゃないはずなんだけど。
 そう言って笑っていると、ふと、衝撃がした。わたしよりも大きい体。目に馴染むブラウンの髪。ジャケット。

「羽純」
「……悠ちゃん?」

 悠ちゃんだ。未来を視れる男の子だ。わたしより、四つ上の男の子。

「っ羽純……」
「悠ちゃん、どうして、……泣いてるの」

 わたしの分まで泣いちゃって、これじゃあ、わたしが泣けないよ。