アシュタロトの咆哮


 ──いつも泣いていた。「流石卯月の妹」「卯月の妹は」「卯月は」「卯月の」「卯月が」

 第一次大規模侵攻の時、わたしは泣いていた。古くから兄を知っている昔のボーダーの人は、わたしを「卯月の妹」と呼んで褒めたけど、新しく入った人はそんなこと知らない。迅くんはその頃から、ううん、もしかしたらもっと前から暗躍していて頼れなかったし、一つ上の桐絵ちゃんにだって、呆れられたら、嫌だなあって。

「羽純。その黒トリガーは誰にも言ってはいけない」
「……どうして? 悠ちゃんは、風刃、使ってるじゃん」
「どうしても、だ。四月の性能が高すぎる」
「、分かった」

 兄は旧く、ボーダーのポジションというものが出来ていない時、今で言う狙撃手の立場に居た。隠れて撃ち、また隠れては、撃つ。だからこそ、兄を知る人たちは、わたしにそれを勧めた。わたしは頷いた。わたしは兄さんじゃない、わたしを見て。そんな気持ちを、どこかで押し殺して。

 赤坂羽由、という人がいた。

「羽純ちゃん」

 太刀川慶、という人がいた。

「羽純」

 あの日、あの時。わたしの全てを見て、わたしを受け止めてくれた。わたしの、光=B大切な、


 目を、開けた。准くんが本部に連絡しようとしていて、それに乗じてわたしも忍田さんと連絡を取ろうと思った時。迸ったノイズ。

「……沢村さん?」
「本部、応答してくれ!」

 本部との接続が正常ではない。何かあったのだろうか。ノイズで耳が痛い。通信機から手を離すと同時に、近くにある本部からの轟音が聞こえて、そちらに目を向ける。本部からの迎撃。目標は、爆撃用のトリオン兵、イルガー。

「真史くん!」
『ザッ……ザザッ……はず……いっ……い……』
「……! 本部聞こえる? 七々原、了解」

 後続のイルガーを見る。ボーダー本部は頑丈だし、鬼怒田さんがまさかここに何のリソースも割いていないとは思えないので、イルガーが自爆したって一度は平気だろう。でも二回目は分からない。もしかしたら大丈夫かもしれない。けれど、通信の不安定な今、それを聞くのに時間を使っている訳にはいかない。「羽純、一体」。それを聞くことが出来たのなら、充分だよ。

「SE、今回も宜しく」
「羽純!」
「だーいじょうぶ、准くんはB級とかのこと心配しててよ。行ってくるね」

 大気変動のSE。その真骨頂は、テレポートではないのかと言わんばかりの加速移動。どうにかして本部に戻るにはSEが必要不可欠。その代わりこのSEは地球上に確実に存在する酸素、二酸化炭素、窒素のいずれかが無いと発動出来ない代物だ。このSEで、本部まで。ううん、本部の、その上空まで。

「加速、する……っ!」

 その瞬間、イルガーの一体が本部にぶつかって爆発した。強風に吹き飛ばされそうになるが、これもまた大気変動で風を切り裂きながら進む。本部の迎撃でイルガー一体を沈めて、あと、三匹。わたしが到着するまであと少し。間に合うか、間に合わないか……?
 そう思った矢先のことだった。一刀がイルガーを斬り裂いて、この斬り方には、見覚えがある。A級1位太刀川隊、慶お兄さんだ。残りは二体。これならば。

「メテオラ────斬れ、羽月!」

 メテオラの威力と速度を調整して比較的柔らかい部位にぶつけ、それと同時に、メテオラにぶつかった場所目掛けて羽月をひく。イルガーは二体とも破損。わたしは安心したように息を吐き、そのまま地上へと着地した。イルガーを一刀両断したその人と本部に、通信を繋げる。

「お兄さんが居るんだったら、わたしが呼ばれた意味、ほぼ無くない? お兄さんが全部斬っちゃえば良かったじゃん、旋空で」
『あ〜……そこ突いちゃうか……。まあ気にするな。お前の見せ場を作っただけだ! 俺はお前のお兄さん≠セからな!』
「もー……。慶お兄さんったら……。忍田さん、新型迎撃しました。あと本部の障壁一発しか耐えられないと思ったからイルガー二体斬ったけど、良かったよね?」
『勿論だ。良くやった羽純、慶。慶の相手は新型だ 斬れるだけ斬って来い』
『了解了解、……さっさと片付けて、昼飯の続きだ』

 そう言いながら通信を切ったお兄さんに多少いらつきはあれど、嵐山隊の繋がった通信を聞いて安堵する。

「忍田さん、わたし南西部に行ってきますね。京ちゃんの様子も見たいし」
『良いだろう。ついでに新型も倒してこい』
「はーい」

 さて、わたしはお仕事の続きだ。




「私があれだけ苦労したイルガーを……一刀両断……」

 A級1位の、太刀川慶という人がいる。普段はちゃらんぽらんなのに、戦闘になると頭がキレて、強い人だ。

「それに、羽純さんも」
「……羽純は、強いよ」

 ランク外の、七々原羽純という人がいる。先程、太刀川さんに続いてイルガーを二体ほど討伐した人だ。私と一つしか歳が違わないのに、本当にすごい。時枝先輩だって、今通信の繋がっている佐鳥先輩も、隊長である嵐山さんも。皆、眩しそうに羽純さんを見上げる。

「強いよ、あの人は」

 例の黒トリガーだって、そう言っているんだから。その強さは本物だ。

「旧ボーダー時代からの戦闘員。師匠はあの赤坂羽由さん、戦闘のセンスが抜きん出ててトリオン量も大きい。……すごい人間だよ、あいつは」

 でも、嵐山さん。あの人はただの高校一年生です。ねえ、嵐山さん。私の、……大好きな、烏丸先輩と同い歳です。羽純さんを、羽純さんを、眩さで潰さないで。

『藍ちゃん』

 私の星を、眩さで摘まないで。