音彩

 ユキくんは頑固だった。

「ユキくんあのね、やっぱりここのコード進行、変えたくて」
「却下」

「ここのフレーズ、違う方が良くないか?」
「……なんで」

 ちゃんとした理由を彼に伝えれば、明日には修正している時も多々ある。けれどユキくんは、その場では絶対に音を変えない。
 兄さんはユキくんのことを頑固だと言った。でもそれと同じくらい兄さんも頑固で、多分、私も頑固なんだろうな、とは思っていた。

「流れ的にしつこい感じがする。ちょっと抜く感じで……あれは?この前やった……」
「変えない」
「絶対、そっちの方がいい。軽めにしないと、これじゃサビを殺すよ。そこがすごくいいのに」
「うるさい」
「……」

 でもこういう会話を何度も聞くと、やっぱりユキくんが私達の中で一番頑固なんだな、と思う。音楽へのこだわりが強くって、だからこそ彼の紡ぐ音は綺麗なんだ、って。……私は、どちらかというと不純な動機だった。兄さんが好きなものを好きになりたくて始めた音楽だったから。元々、歌を歌うのは好きだったけど、下手なのは理解していて、だから楽器を始めた。作曲はその延長線上にあるというだけで。楽譜を持って目を伏せる。

「今日は終わりだな。帰ろう、京」
「うん、兄さん」

 次に会う時になったら、変えてみたけどどうだろう、くらいは良いそうだな。頭の中で想像して笑いながら、私は兄さんと共に家に帰る。
 結局、その予想は的中していた。

「変えてみた」
「変えたんだ」
「やっぱりね……」

 すっと抜ける感じ。まさに兄さんが最近ユキくんに言った通りだ。兄さんの笑顔も輝いている。そうして私が思うのは、やっぱりユキくんには才能があるんだな、ということだ。最近はそれを、強く感じる。
 共に作り上げてきたRe:valeの音楽。兄さんとユキくんの可能性。それら全てを、私が潰してしまっている気がした。ユキくんの負担になりたくなくて作曲を真面目に覚えるようになれば、もうそれは、ユキくんが好きになってくれた私の音では無くなったような幻を感じて。新曲のスコアを入れてきた鞄を人知れず握り締めれば、小さく紙の音がする。

「「未完成な僕ら」は、完成させない」

 「未完成な僕ら」は、私とユキくんで、初めて完成させた曲だ。日が経つにつれて、いじりたい場所は変わっていって、その曲の色彩を変える。あの曲だけが、今の私の拠り所で、宿り木だった。だから、完成させなくて良かった。私もユキくんも、そう思っていた。

・・・


 Re:valeが有名になるにつれて、私は裏に引っ込むようになったし、ユキくんは憔悴していったと思う。義務教育を終えていない私が作った曲だというだけでイメージを損ねてしまうのが嫌だったから、スタッフ然、ライブハウスのバイトですよ、という顔をして控え室に入っていたし、そういう顔をしている以上、お客さんの対応だってやった。あんまり二人は良い顔をしていなかったけど、それも全て無視して。

「もう一緒にはやらねえよ!」
「……」

 ベーシストがユキくんに怒鳴った。ユキくんは音楽への思い入れが強いから、注文が多くなるのは自明の理で、やっぱり本来の意味でユキくんを理解できるのは兄さんだけなんじゃないかと思う。「好きだって言ってたじゃないか」、と兄さんは言った。好きだったけど、とそのベーシストが言うのを、私は嫌に冷めた目で見ていて、目を伏せる。

「調子づいてんじゃねえよ、千!おまえらの曲なんか誰も喜んでねえからな!」

 バタンと音を立てて出ていったベーシストの言葉を、頭の中で復唱する。決して純粋な音ではない私の曲はともかく、ユキくんや兄さんの曲はいいものばかりで。喜んでいない、とか、そんな訳無いのに。

「はぁ……また探し直しだ」
「……」
「き、気にしないでよユキくん、Re:valeの曲は素敵だよ」
「気にするくらいなら態度を改めろよ。音楽のことでは饒舌なのに、他のことは喋らないから誤解されるんだ」
「そうね」
「そうねじゃないよ」

 ユキくんが変われば、ユキくんが生み出す音も変わっていく。ユキくんが私を見ている気がして、俯いて、手のひらを強く握った。私が変われば、私から生まれる音も変わっていく。ユキくんに詰られている気がした。言葉のない圧力を幻視する。傲慢さも、驕りも、今の私にあるようなそれで、怖くて、依存心と恋心で偽りに塗り固められた私の音がバレているんじゃないかって、そう思って。

「僕は僕が愛されなくたっていい。僕の歌だけ、神様にも虫にも愛して欲しいんだ。……万、僕は間違ってるか?」
「……」

 いつもなら、私にも聞いていた。京、って、ユキくんの声で呼ばれるのが好きだった。けれど今日は私の名を呼ばない。無意識かもしれなかった。私は話を聞いていないと思われたかも。ただ私が今日それを特に気にしていた、それだけだ。

「どうして、くだらない奴らの汚い手で触られなくちゃいけないんだ」
「千……」

 でも。

「違う……」
「、京?」
「違う、ユキくんの曲は誰にも汚されないよ、誰にだって、何にだって!」

 綺麗な心で叫んでいるわけじゃない。劣等感と猜疑心と恐怖心でコーティングされた私を、見ないで欲しい。でも違う。

「ユキくんの……っ、Re:valeの曲は、素敵なの!誰が否定したって、それこそ神様がユキくんの曲を愛してくれなくたって、私だけはユキくんの曲をずっと、」

 瞳が熱い。

「ユキくんの曲を愛してくれない神様なんて、死んじゃえばいいのに」

 大好きな万理兄さんの好きなものを好きになるために、音楽を始めた。
 大好きなユキくんの助けになりたくて、何度も二人で曲を奏でた。

「……ごめんなさい、帰るね」
「京、待って」

 椅子の上に転がしていた鞄を取って控え室から出る。後から楽譜を入れた方の小さな袋を忘れたと気付いて、乾いた笑いが止まらなくなった。あの曲こそ、傲慢と、驕りで出来た、汚い音楽の見本みたいなものだ。そう思っていたのに、二人はその時、私の楽譜を見つけて、決意した。

「千、「未完成な僕ら」を、完成させよう」
「……」
「演奏を辞めて、ボーカルだけにしよう。アイドルみたいに、歌って踊るんだ」

 そうやって私はいつも逃げる。私の大好きだったRe:valeが、変わっていく。置いていかれるのは、私だけだ。私の曲は二人と一緒に歌っているのに。