修行達成

七日目の夜。

煌々と輝く三日月が空の上に昇った頃に、俺はやっと両手を使わないで木の天辺まで登ることに成功した。

「はぁ…、はぁ……っ」

切れる息を何とか整えながら、枝の上でしゃがみ込む。
カカシが言うには下に降りて少し歩いてから休んだ方が良いらしいが、下に降りる余裕すらない。
初日みたいに吐く事はないが、全力疾走後のような疲労感は拭えない。

眠い。
きつい。
怠い。

だけど、それらを上回る程の満足感が胸を支配していた。

これはほんの第一歩かもしれない。
けど、俺にとっては大きな第一歩だ。

「…あ、」

これだけ力が入っていないと、そりゃ無防備にもなる。
加えて満足感から、完全に油断した状態だった。
何かにしがみ付く暇も無く、俺の身体はふらりと揺れて、そのまま足を外す。

襲い来る浮遊感。

こんな所から落ちたら危ないとわかっているのに、辛うじて残っている意識すらも薄れようとしている。

(ね…む…)

落ちる。
落ちてしまう。

このまま地面にぶつかったら、きっとタダでは済まないだろう。
わかっている。
わかっているのに……。

(ああ…落ちて―――、)

頭から真っ逆さまに落ちた俺の脳漿が辺りに散らばる想像。
そんな惨たらしい構図が現実となる前に、全身が優しい匂いに包まれる。

ふわりと何かに腕を取られる感触。
落ちていたはずの身体は柔らかな誰かに捕らえられて、そのまま終着点まで連れていかれる。

月明かりが眩しい。
目を射す光に、ほんの少ししか瞼が開かなかった。
けれど、その中でもソイツの姿を見ることはできたんだ。

「…ナルト」

俺の身体を荷物のように抱えていたナルトは、存外優しく地面に下してくれた。
顔の上にふわりと落ちてくる柔らかなもの。
感触からして、タオルだろうか?

視界があっという間に闇に包まれて、獲物を今か今かと待ち続けていた睡魔が襲ってくる。
聞こえてくる鈴虫の声が子守歌のようにすんなりと耳に入って、俺に眠れと告げてきた。

「ゆっくり寝ろ」

意識が落ちる瞬間に、ナルトのそんな言葉を聞いた気がした。









その珍しい光景に、タズナの家で食事をしていたカカシとサクラは食器を片手に固まった。
家の扉が開き、ようやく帰って来たのかと視線を向けた先には、安らかな寝息を立てるサスケを俵のように抱えたナルトの姿。
よっぽど衝撃を与えたのか、二人は「おかえり」を言う事も出来ず凝視している。

どこか疲労の空気を纏ったナルトは、空いている席に(適当だが)ナルトにしては優しい手つきでサスケの体を置いた。
俺達は幻覚でも見ているのだろうか。
サクラとカカシはお互いに目を合わせ、両目を擦る。
そしてもう一度視線を戻すと、やはりそれは幻覚の光景などでは無く、現実に起こっている事だった。

あのナルトがサスケに優しくしている。
明日は空から雹でも降ってくるのか。
いや、槍かもしれない。

こそこそと話し合う二人。それを微妙な表情で眺めるタズナと、イナリの母親であるツナミ。

そんな四人の視線を集めながら、ナルトは優しい手つきでサスケの頬を撫でた。


――…そしてそのままビンタする。


((((!?))))

ぱぁん!!と破裂音が辺りに響き渡り、四人はぎょっと目を剥いた。
その物凄い衝撃で、サスケの閉じられていた瞼が開く。
真っ赤になった頬を片手で抑えて、訳が分からないと言いたげに辺りを見渡した。

「…?、……?、?」

酷く混乱している様子が手に取るようにわかる。

「ち、ちょっとナルト…もっと優しく扱ってやんなさいよ」

そんなサクラの小言もどこ吹く風で、ナルトは一つ鼻を鳴らすと自分もサスケの向かいに腰を下ろす。
何事も無かったかのように「いただきます」を言って料理を食べ始めるので、サクラも大人しく食事を再開した。

しばらくボンヤリと視線を漂わせていたサスケだが、目の前に置かれている料理を目に入れたときに漸くここが何処だか解ったらしい。
慌てたように顔を上げて目を瞬かせる。

「俺、いつの間に…」
「たった今ナルトに抱えられて戻って来たぞ」
「えっナルトに…?」

あ、反応するとこそこなのね。

口には出さなかったが、一瞬だけカカシの目が死んだような気がして、タズナは何となく同情した。
サクラに至っては慣れている事なのか、完全にスルーである。

戻ってくる間の記憶は全く無いようで、サスケは酷く感動した様子で目の前に座るナルトに顔を向けている。
いつもは少し大人びた表情をしているというのに、何故こうも残念なところがあるのか…。
対して視線を向けられたナルトは、その熱い眼差しに気付いている癖に無反応を貫いている。

恐らくナルトにとって酷くなじみ深い光景なのだという事は理解した。


「……んで、てっぺんには登れるようになった?」
「ああ。もう問題ない」
「そ。ならサスケも明日からタズナさんの護衛について良いぞ」

疲労に塗り潰されていたサスケの顔が、みるみる明るさを取り戻す。
そのまま机に片側の頬を付ける体勢で、心底一息ついたとでも言いたげに長い息を吐き出した。

…まあ、任務が終わっていないのに気を抜くのは本来見過ごせないが、こうして一週間で修行を終えたのだから明日までは許してやろう。

今すぐにでも寝てしまいそうだとでも言うように、サスケがスッと目を閉じる。

「サスケくん、大丈夫なの?」
「寝たら回復するだろ」

サクラの言葉に、ナルトが静かに返した。
心配そうな面持ちではあったが、サクラは納得したように頷く。
自分よりもずっと長い間サスケと一緒に居たナルトの言葉を信じるのは至極当然といった雰囲気だ。

そのまま全員がいつもの食事風景に戻ろうとしたが、それを切り裂くように何の前触れも無く衝撃音が鳴り響いた。

―――ガタンッッ

何事かと全員が顔を向けた先で、タズナの孫であるイナリが、何故かぼろぼろと涙を零しながらサスケを睨み付けていた。
なんだなんだ何事だ、と二人の顔を見比べる外野。
眠りかけていたサスケも、流石の事態に再び目を醒ます。

訳が分からないと片眉を上げ自分を訝し気に見てくるサスケに、イナリは烈火の如く大きな声を上げた。

「――なんでそんなになるまで必死に頑張るんだよ!!修行なんかしたってガトーの手下には敵いっこないんだよ!いくらカッコイイこと言って努力したって、本当に強いヤツの前じゃ弱いヤツはやられちゃうんだ!」

イナリが涙を流しながら、胸の内をサスケに向かって怒鳴りつける。
ボロボロなサスケのその姿が、彼の父親代わりであった英雄カイザと重なったのか。
しん、と静まり返る中で、サスケも眠気を振り切るように立ち上がる。
負けて堪るかとイナリを見下ろすと、疲れた体に鞭を打つように腹から声を上げた。

「何もやってねえ奴が偉そうなことを俺に言うな!お前が勝手に泣き喚こうがどうでもいいがな、俺に当たるんじゃねえ!」
「お前見てるとムカつくんだ!この国のことなんにも知らないくせに!辛いことなんかなんにも知らないでいつもヘラヘラやってるお前とは違うんだよ!!」
「――ならそこで一生泣いてろよ、弱虫野郎。お前みたいな馬鹿はもっと色んなものを失って後悔しないと分からねえんだろうよ」
「っ」

静かな怒り。
先程までの怒りが赤い炎とするなら、それはもっと熱を上げた青い炎のような怒りだった。
鋭い眼光に足が竦んだのか、言われたことに思う所があったのかはわからない。しかしイナリはハッとしたように、そのまま固まった。

ふんっ、と鼻を鳴らしてドスドスと部屋を出て行くサスケ。

一週間の自分の修行を無駄だと言われたせいか、酷く悔しそうな表情だった。


やがて涙を拭ったイナリが静かに出て行く。
ツナミやタズナが心配そうな表情で静止の声を掛けようとしていたが、イナリにも一人で考える時間が必要だろうと、カカシがそれをやんわりと止める。

「さすがカカシ先生。腐っても教師」
「ねえ俺サクラになんかしたっけ?」

「……ガキの喧嘩」

ナルトの小さな呟きが、存外、部屋の中にぽつりと響いた。


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