07
「遊園地?」
「……遊園地で『Adam』の曲が流れるみたい」
「コラボするってこと?」
「……一般的にはそう言うのかな」
はっきりしない返事にいまいちピンとこないが、彼らの曲が流れるということは、そういうことだろう。そんな話題が上がったのは、彼が遊園地に行きたいとという一言を放ったからだった。
発掘に行ったり、石を見に行ったりする彼は一見アウトドアな性格なのかと思われるが、それは知識を蓄えるための手段にすぎず、専らインドア派だ。そんな彼が『遊園地』という意外な提案をした。彼が行きたいというのであればもちろん同行するが、アイドルなのに異性と遊園地に行くというのはどうなんだろうか。
「可能です!」
七種くんの軽快な声が電話口から聞こえた。ハンズフリーの状態で部屋にその声が響いた。
「へ?」
彼が得意げな表情でスマホを持っていた。いつの間にか電話で確認をしていたらしい。
「……わかった。じゃあ、その日でお願い」
「アイアイ! 閣下がご所望とあらば!」
顔を見なくともいつものように綺麗な敬礼をしているのが目に見えた。一日中貸し切りというのは難しいようで、夜の数時間ならば貸し切りにできるようだった。七種くんの人脈はどうなっているんだ。コラボがあるからということなのか、それにしても何も確認をしていないのにその日だと断言できる自信は早々ないだろう。
「いやぁ、仕事のために遊園地の魅力を知っておくという熱心な考えに大変感銘を受けました! 閣下がそのように前向きに考えてくれているとは!」
七種くんが感動している一方で、彼はニコニコと楽しみにしていた。恐らく、勉強というよりは単に行きたいだけだと思うけど……。そんな無粋なことは七種くんには言わなかった。
それから、とんとん拍子に話は進み、来週末に行くこととなった。
◇
今日はいつもと違い、ケーキはお預け。代わりに遊園地内で何か食べようということになり、夕方までそわそわと落ち着かない様子だった。
夕日が沈み切った時間。ひとの波は次第に薄れ、たちまち遊園地の中は誰もいなくなった。暗い中ライトアップされる遊園地。寂しげなそこには二人の影。そんな様子を吹き飛ばすぐらいには浮立っていた。特に彼が。
「これは何?」
「これも、見たことがないね」
「ねえ、あれ」
と、何か目につくたびキラキラと目を輝かせて私の手を引いていた。その様子が子どものようで、あまりにかわいくて彼の思うままに着いて行った。
「そんなに?」と笑っても、真剣な面持ちで楽しむ彼に、胸が温まるのと同時に痛んだ。この年齢で遊園地を経験していないのは世間一般で言ったら珍しい。来たことがないと言っても知識はあるはずだ。それが彼にないのだから。家族で、友人で来る遊園地。そんな当たり前の日常が彼には存在しなかった。
そんな切ない気持ちを抱いてしまい、彼の要望には難なく応えた。
「凪砂くん、クレープ売ってるよ」
『クレープ』という単語に反応した彼はピタッと立ち止まった。
「……クレープ。聞いたことがある。薄焼きにされた小麦粉から作られるものだね」
深々と語る彼が可笑しくて思わず吹き出してしまう。クレープをそんな面持ちで説明するひとはいないだろう。
「クレープの事そんな風に言うの凪砂くんだけだよ」
不思議そうに「そうかな」と言う彼を見ると先程よりもじわりと笑いが込み上げてお腹を抱えてしまう。至って真剣な表情が尚更可笑しくて。涙を浮かべるほど笑っていると、彼は何もわからないと言いたげに首を傾げていた。
そんな楽しい時間もあっという間。長いようで短い数時間はすぐに終わってしまう。
「凪砂くん。もうそろそろ時間だけど、最後に何か乗りたいものある?」
そう聞いた途端、彼が突然その場に留まった。すると、静かに遠くを指さした。指した先には大きい観覧車。
「ああ、観覧車。遊園地と言えばだよね」
「……そうなの?」
「うん。眺めも良いんだよ」
そんなことを話しているうちに入口に到着した。
「それでは、いってらっしゃ〜い!」
軽快なスタッフさんの声で扉の鍵がガチャリと閉まる。スピードを上げて進んだかと思えばゆったりと上昇していった。
向かい合う形。彼の表情がよく見える位置だった。顔には大きく表われなくとも、彼がきょろきょろと辺りを見ていることから気持ちが躍っているのは容易くわかった。
すると、視線が私にパチリと合った。優しい目元で微笑んだ彼にドキリと心臓が揺れた。
「……今日は楽しかったね。君と共に居る時間はやっぱり何物にも代えがたい。私がひとの世に絶望していても、君がいるなら悪くないと思う」
「凪砂くん、今日はお喋りだね?」
私の微笑みに、彼が目をぱちくりとさせていた。
「……なぜだろう。話すことは未だに苦手だけど、君といると言葉が溢れてくるんだ。伝えたいことがたくさんある」
嬉しそうに、照れくさそうに目を細める彼に、胸がとくんっと高鳴った。
「え……」
その言葉に、なぜか涙が出てきそうだった。私を慕ってくれる彼が可愛いから? 純粋に彼の好意が嬉しいから?
それから、先程まで楽しんでいた乗り物について話した。ゴーカートでは彼の運転が上手で、いつか車の運転もしてみたいとか、ジェットコースターでは心臓が不可解な感覚になったとか、コーヒーカップは回しすぎてはだめとか。ほんの数時間で思い出がたくさんできた。
二人が乗るゴンドラが高い位置に差し掛かると、星を散りばめたような街並みが目に入った。
息を呑むような風景に、ふたりで外を覗き込んだ。
「綺麗だね」
ため息が溢れるほどの美しさだった。
「……うん。君も」
その一言に驚いた私はピタッと時が止まったように固まってしまう。そんな彼は恍惚とした瞳でこちらを向いていた。不意に彼からこぼれた言葉を拾うのが難しくなる。いつからそのような殺し文句を言うようになったのか。
「凪砂くん、どこでそんなこと覚えてくるの……」
一瞬怪訝な表情を浮かべたかと思えば首を傾げていた。
「……君が、綺麗だと思ったから言ったんだけれど」
さも当然であるかのように言い放つ彼に、私の心臓はうるさく鼓動を打っていた。
ゴンドラの中で二人きり。まるで暗い夜空に二人で漂っているようで、辺りは私たちだけを照らしているよう。こんなにロマンチックな状況では嫌でも彼のことを意識してしまう。太陽の光に照らされる彼はいつも綺麗だが、月や星に照らされているとこんなにも幻想的に見えるなんて。
「……ねえ」
沈黙を破ったのは彼の方だった。どうしたの、という意を込めて首をかしげる。
「……君に触れたいから、こっちに来てほしいな」
彼の言っていることが分かるのに、頭ではそれを正常に処理できない。今の状態の私が彼の元へと言ってしまったら、私は何か余計なことを口走ってしまわないか。
こくりと頷くと彼が隣を開けてくれた。おずおずと隣に腰かける。手先が触れる、もどかしい距離。決して密着はしていないが、もう少しで肌が触れ合う、そんな距離だ。
緊張で背筋がピリッと疼く。心なしか鼓動も段々と速くなっていた。いつも彼を抱きしめて眠っっているではないか。でも、それは彼のことを弟のように思っていたからであって――。
「……今日は楽しかったね」
「う、うん。そうだね」
何故だろう、彼の顔を直視できない。
頑なに顔を上げない私に疑問を持った彼が、不意に顔を覗き込んだ。目が、合ってしまう。
叫びたくなるような、彼に体を預けたくなるような、そんな複雑な気持ち。彼がひとつ距離を縮めると、指先が容易く絡みとられた。ごつごつとした大人の男性の手だ。心臓の音が騒がしくて、触れる手から彼に伝わってしまいそうで。
突如明るくなった世界。弾かれたように視線を逸らした。頂上に到達したようで、月や星に一番近いところ、海が一望できるところまで来ていた。海は星空の光で輝いていて、幻想的だった。感嘆の声が漏れ、弾んだ心を彼と共有したいと無意識に肩を叩いていた。
「見て、凪砂くん。綺麗だよ」
目を細めて微笑んでいるということを露知らずに。その愛おしいものを見るような表情を見た途端、息が詰まった。
「あ、ごめんね一人ではしゃいじゃって」
「……ううん。続けて。君の声が心地いいから」
そう言って私の肩に頭を乗せた。彼はいつまでも甘えん坊さんだ。微笑ましくて、心が温かいもので溢れる。でも、今の私はいつもと何かが違う。この気持ちは――。
「ナマエちゃん」
不意に名前を呼ばれ、左手を強く握られる。座り直した彼が私の方をじっと見ていた。
ドクン、ドクン、と大きい音を立てて彼のことだけを考える。彼の優しい笑みは可愛いのでなく美しいとただただ感じた。彼が目尻を下げて私を見つめるたびに、彼の瞳に映った私が見えた。彼の瞳に囚われている私。
ああ、いつの日からだろうか。彼をこんなにも大人の男性だと意識し始めたのは。
――もう、以前までの私には戻れない。理性を保ったままあくまで彼の保護者の『フリ』をしていた私には。
この瞬間、そう悟った。戻れない場所まで来てしまっている。
彼の潤んだ唇の視線がいく。吸い寄せられるようにそれに近づいていく。彼に好きだと伝えたいのに許されない。彼の幸せを願っているのに誰にも渡したくない。そんな私の我儘が、私の想いに正直になっていく。瞼を閉じて、それから――。
「ッ!」
突然ゴンドラがガタンッと激しく揺れると、先程よりもゆっくりと動いた。体制を崩した私を大きな腕で抱き留めてくれる。どうやら終わりの時間みたいだ。ガチャッと扉の鍵が開くと同時に現実世界に戻された私たちは、見つめ合う視線が瞬時に切れた。
ハッと我に返った私は血の気が引いていた。完全に雰囲気に酔っていた。
あの瞬間、私は明らかにキスをしようとしていた。彼がどんな真意で私の名を呼んで見つめていたのかわからないが、少なくとも私は雰囲気に任せて彼の唇に触れるところだった。