09

一度だけ、研究所から逃げ出したことがある。

その頃にはもう俺の身体は人間じゃなくなっていた。自力で拘束を外して、研究員を殴り飛ばして、扉を蹴り壊して、俺は外に出た。

目的があったわけじゃない。ただ逃げ出したかった。繰り返される投薬から。感情のない研究員の目から。続々と被験体たちが命を落とし、次は自分かもしれないと怯える日々から。

迷い込んだ先も平和には程遠い世界だった。平原は血で血を洗う戦場と化していた。俺はなるべく巻き込まれないようにと森の中に潜んだ。

そこで出会ったのは、自分に瓜二つの子供だった。

「何してるの?」
「うるさい、あっち行けよ」
「おれ、土方十六夜! お前は?」
「あっち行けって!」

勝手に名乗ったそいつは、邪険にする俺にしつこく絡んできた。根負けして構うようになってからは急速に、俺たちは双子のように仲良くなった。

俺たちはいろんなことを話した。お互いの生まれ、境遇、好きな食べ物から嫌いなものまで、何でも話した。顔だけでなく年齢まで同じだと分かった時はちょっと笑った。

「なあ、おれが世話になってる拠点にお前も来いよ。侍の兄ちゃんたちを驚かせてやろうぜ」
「行かない。迷惑だろ」
「えー、大丈夫だと思うけどなァ」

十六夜は戦争の渦中である攘夷志士たちの拠点に世話になっているらしく、何かにつけて一緒に過ごそうと誘ってきた。けれども俺はその度に断った。研究所からの追手が来るかもしれないと思うと、大人数の中に飛び込むのは気が引けたから。今思えば、素直に誘いに乗っていれば良かったと思う。追手より侍の方がよっぽど強かっただろうに、世間知らずの俺がそれを知ったのはずっと後のことだった。

「見つけたぞ!」

知らない声に反応するのが僅かに遅れた。それがいけなかった。放たれた銃弾は俺でなく十六夜の身体を貫いたのだ。まさかそこに同じ顔が二つあるなんて思ってもみない追手の男が、傷ついた十六夜に近づいたのを全力で蹴り飛ばした。どんどん赤く染まっていく十六夜を抱えて走った。十六夜に何度も誘われた拠点を目指して、聞いた話を頼りに無我夢中で走った。

十六夜を木にもたれさせて、見つけた拠点に踏み込んだ。

「今日は早い帰りじゃねェか」

声をかけられて振り返った先には白い侍がいた。この人が十六夜の言っていた侍の兄ちゃんの一人なのだろう。

「あの、けが、手当てを、重傷で……!」
「今日は一段と激しかったからな。アイツは大丈夫だ、安心しろ」

違う、十六夜が。そう言おうとしたところで、自分が十六夜だと思われていることに気が付いた。十六夜の「驚かせてやろうぜ」なんて言葉が頭を巡る。

「今日はもう中にいた方がいい」

そう言って向けられた背中に、何も言えなかった。十六夜のもとに戻り、止まれと念じながら傷口を服で抑える。薬の作用で怪我をしてもすぐに塞がってしまう俺は、応急手当の仕方なんて知らなかった。俺の願いとは裏腹にどくどくと血は流れていく。

「なあ……」
「大丈夫、だから」
「いつか……兄上に、ごめんって……」
「自分で言えよ、俺に言うな……!」
「手、にぎって……」
「握るよ、なあ、目開けてろよ、まだ夜じゃねェぞ」

どんどん冷たくなっていく十六夜の手を握りながら必死に声をかける。十六夜は最期に「ありが、と、な……」と言って動かなくなった。

また置いていかれてしまった。そこからは逃げ出せたと思ったのに。

どうやっても逃げ出せないのならば、連れて行こうと思った。俺と出会いさえしなければ死ななかったはずの十六夜を、薬に耐え切れなかった同胞たちを。この手に抱えて生きていくと決めた。