あの秋を越えて




 報告を受けた時、だらりと嫌な汗が背中を伝った感覚はきっと死ぬまで忘れられないだろう。
 「萩が爆発に巻き込まれた」そう陣平から聞いた時、耳の奥がキンとして頭は真っ白でバクバクと心臓が跳ねた。厳密に言うと、爆風に巻き込まれ吹き飛ばされて……らしいけれど詳しいことは分からない。

 仕事が終わったあと、搬送先の病院に飛んで行ったけれど面会は許されていない。予断を許さない状況で、峠を越えなければ……覚悟はしておいた方がいい。なんて萩の両親から聞いて、目の前は真っ暗になった。
 ただの恋人で、家族では無い私はどうすることも出来ない。ただ、真っ暗な部屋で震える手を押さえつけひたすらに萩の無事を祈るしかなかった。

 けれど、幸いに峠は越えたようで数日経った頃には面会が許された……けど。会いに行った萩は目を覚ましておらず、昏睡したまま。いつ目を覚ますか分からない、そう聞いた。
 だけど、生きてくれているだけで良かった。本当に爆発に巻き込まれていたら、遺体だって残らなかったかもしれない。

 ベッドで横たわっているだけの萩の手を取りぎゅうと握る。自分が来たことで目を覚まして……なんて夢物語は見ていない。温かい、その手が嬉しくて、だけどあの大好きな笑顔が、優しい声が聞けないという事実が苦しくて。

「ねえ、萩。さみしいから、早く起きて」

 気を利かせてか、ふたりきりにしてもらった病室で、そう一言だけぽつりと呟くことしか出来なかった。

────────

 あれから三年と少しの月日が経った。すっかりこの病院に通うのも慣れてしまった。
 この約三年間、毎日仕事終わりに間に合えば数分だけでも面会して、今日あったことを話して、今日も彼は起きなかったと少しだけめそりとする日々が続いた。

 ずっと寝ているだけの萩。ヒゲなんかはお手入れされているようだけど、髪はだいぶ伸びていて、逞しかったあの体からはすっかり筋肉が落ち今ではすらりとしている。
 私に出来ることは、毎日顔を見に来る事くらい。だけど、萩はまだ起きない。


 ───そんなある日の事だった。
 警らから戻り、白バイの点検をしていたところ私宛に電話が鳴った。今までこんなことは無かったから、不思議に思い電話に出れば相手は千速ちゃんからで。
 「研二が目を覚ました」その一言に、大きく目を見開いて口元を抑える。ああ、やっと。やっと起きてくれたのか。
 零れそうな涙を我慢して、「仕事が終わったら、すぐに向かうね」なんて返事をする。

 電話を切って、数秒後。思わずその場にしゃがみこんで少しだけ泣いた。そんな私を見ていた中隊長はびっくりしたのか、何度見かされたけれど。それでも泣いた。

────────

 その日は事情を知った上が気を利かせてくれたのか、すんなりと、少しだけ早く上がらせてもらった。
 心臓がドキドキしている。やっと、やっと会える。でも、あれから三年経ってしまった。私はもう二十六歳。萩の最後の記憶の私から、少しだけ歳をとってしまっているけれど、ガッカリされないだろうか。
 自分ではそんなに変わっていないと思うけど、少しだけ怖い。

 受付で許可証を貰い何度も通った萩の病室の前で深呼吸。千速ちゃんと話しているのが聞こえる。萩の声だ、久しぶりに聞いてなんだか手が震える。
 震える手で扉をノックすれば「はーい」と間伸びた声。ああ、もう!のんきな人!

「っ、萩……」
「りょーかちゃん……だ……」

 目が合って、お互い何も出来ずに変な間が空く。変な空気の中、ぷっと笑ったのは千速ちゃん。

「お前たちギクシャクしすぎだろう。どれ、私はお邪魔だろうから帰らせてもらう。研二、無理はするなよ」
「おう……姉ちゃんもありがとな」

 千速ちゃんはにこりと笑って手を振り病室から出て行った。
 き、緊張する。萩相手に何緊張してるんだろう…なんて自問自答して、ベッド近くの椅子に腰かける。

「……久しぶり。元気だった…?」
「……うん、うん…。萩……はぎ…寂しかった、起きて、良かった……」
「ごめんな、涼香ちゃん」

 ぼろぼろ、萩の前で泣いてしまった。久しぶりに見せる顔は笑顔でいたかったのに、恥ずかしい。
 ベッドの上に力なくだらりと放り出されている手を取り、いつもしていたみたいに軽く添える。

「あのね、萩にね、いっぱい話したいことあるの。でも、その」
「はは、おちついて。もう……いなくならいからさ」
「……あのね、私。白バイ隊員になったよ」
「ええ!やったじゃん!」
「うん、うん。えっと、陣平は捜一に異動して、真梨ちゃんは警察庁に行って、」
「なあ。もっと、りょーかちゃんのこときかせて」

 そう言って優しく笑うもんだから、あんだけ話したいことがあったのに何を話したかったのか分からなくなっちゃって。

「毎日、ここに来て……待ってたの」
「心配かけてごめん」
「ううん、好きでやってたから。……萩、好き。ずっと好き……」
「……もう、泣かないでくれよ〜……。困っちまうからさ」
「ごめん、ごめんね。嬉しくって」

 細い腕がゆるりと動いて、緩く私の頬を撫でる。萩が動いている嬉しさと、細くなってしまった彼の腕に苦しさが混じってしまいどうしようもない。

「悲しそうな顔しなさんな」
「ん……。あ……そろそろ、面会時間終わりかも。……やだなぁ、まだ離れたくないな……」
「また来てくれよ、待ってるから……な?」
「……うん。また、毎日来るから。約束ね」

 ぎゅうと小指を絡めいつもしていたみたいに指切りげんまんで約束。
 荷物を持ち手を振れば力なく揺れる萩の手。ああ、これからきっとリハビリで大変かもしれないけれど、ずっとずっと、応援しているからね。

────────

 萩の目が覚めてから二週間ほどが経った頃。上から声がかかり、なんと私は白バイの特練生に選ばれたのだった。
 十月の競技会へ向け、取締りには参加せず日がな一日中バイクの訓練。休みの日も自主練なんかをしていたら、中々お見舞いの時間が取れず会えない日々が続いた。

 最後に会った時、萩に特練生に選ばれたことを伝えれば誰よりも喜んでくれた。「応援してる」そう言って微笑む萩の顔が懐かしく感じる。
 そして、そんな萩にかなり久しぶりに会うのが今日。あれだけ毎日見ていたのに、かなり久しぶりで早く会いたい一心で病室へ一直線。
 控えめにノックをすれば「どうぞ」なんて萩の声。

「失礼します……。ふふ、久しぶり」
「……ああ、涼香ちゃんか……。久しぶりだな」

 なんだか、弱々しく笑う萩に胸がずきりと痛む。せっかく起きたのに、最後に見た時よりやつれている気がするし、あまり元気がなさそうに見える。
 傍の椅子に座り萩に目をやれば、目を細め微笑んだ萩はゆっくりと口を開く。

「今日、涼香ちゃんに伝えたいことがあって」
「なぁに?急に改まって……」
「あのな。……俺と別れて欲しい」
「…………は?」

 言葉の意味が理解出来ずに、それを飲み込むために頭を必死に回す。俺と別れて……別れてって、恋人という関係を解消するという意味か?

「え、と……」
「……あのさ、俺の右耳。ほぼ聞こえてねぇの。それにリハビリはしてっけど、上手く歩けねぇし力も上手く入んねぇし。頭もずっとぼんやりしてて、三年も寝てたことが信じらんなくて、浦島太郎状態なんだ」
「はぎ……?」
「……こんな俺と一緒にいたら、きっと涼香ちゃんは幸せになれねぇ。幸せにする約束をしてたけど、約束を果たせる自信が……ない。だから、別れて。涼香ちゃんには、別の誰かと幸せになって欲しい」

 そうそれだけ私の話を聞かずに言い切った萩。頭が、真っ白になる。
 耳が聞こえにくいとは言ってたけど、三年も昏睡していたせいで身体が上手く機能していないだけかと思っていた。だけど、そんな軽いものではなく爆風に巻き込まれた時に……。まあ、起きてみなければ分からないが、身体に何らかの障害が残るかもしれない……とは先生から聞いていた。
 それに、確かに。萩にとって三年前のあの日は、三年前じゃなくてつい一ヶ月くらい前にしか感じられないのに、世界はガラリと変わってしまっている。

 当たり前が当たり前で無くなった身体に、変わってしまった世界と自分の思考と現実の埋まらないギャップ。
 心が壊れていくのも、必然かもしれない。だけど。

「……や」
「ん?」
「……絶対に、嫌」
「……相変わらず、頑固だなぁ」

 力なく笑った萩。萩は「涼香ちゃんの幸せのため」と言った。私の幸せは萩といることで、他の誰かと幸せになるなんて、そんなことはなくって。

「やだ、やだよ。そんな事言わないでよ」
「ごめんな。俺の最後のわがまま、一生で一回の本気のおねがい。聞いてくれよ」
「……嫌だ」

 困ったように眉を下げ小さく溜息をつく彼を横目に、ぐっと拳に力を込める。何を、何を勝手に。ばか、バカ萩。

「……萩が、目が覚めて。なにかの障害が残るかもしれないは承知の上だった」
「ちょ、りょうかちゃ、」

 思わず、ベッドの上で上体を起こして座っている萩の胸ぐらを掴んで引き寄せる。萩の軽くなった身体。ああ、こんなことしたい訳ではないけれど、伝えなきゃ伝わらないなら。

「何かあっても支えるって、私、貴方の手に、足に、目に、耳にだってなる覚悟は、もう……とっくに決めてたの。三年前から、腹括ってんの!馬鹿なこと言わないで!」

 ボタボタと流れる涙がシーツを濡らし濃いシミを作る。びっくりした顔のまま固まっている萩を真っ直ぐと見据えながら続ける。

「だから、死んでも別れるとか言うな。最期まで支える気がないなら、三年間毎日のように見舞いなんか来てない。あんまり、私の覚悟を舐めるな」
「……それって、プロポーズ?」
「して欲しいならしてあげる。萩がどんだけグズグズでダメになっても、病める時も健やかなる時も私が死ぬまで支えてやる。養ったっていい。だから……、私を諦めないで。一生一緒に居て」

 「ね。だから、別れるとか、言わないで」ぽつり、最後にいちばん伝えたかった事を零す。少し勢いで強いことを言ってしまったかもしれない。若干の反省と恥ずかしさで下を向いて、幾ら返事を待っていても萩からは返って来ない。
 不安になってゆっくり顔を上げれば、顔を真っ赤にした萩は私がこちらに向いたことに気付き「あ、えっと……ちょ、待って、」なんて慌てたように何度か言葉を発したあと、深呼吸。

「……ごめん、涼香ちゃんの覚悟軽く見てたわ」
「伝わって良かった」
「今の俺、かなり厄介者だぜ?本当に、後悔しない?」
「絶対にしない。それに……腫れ物の傍に好き好んで居続けて、惚れさせたのは萩の方でしょう?」
「……そうだったなぁ」

 降参だ、と言ったように両手を上にあげ首を振った萩に思わず笑い声が漏れる。あーあ、負けちゃったね、萩。
 分かってくれて良かった。一安心、ほっと胸を撫で下ろす。

「涼香ちゃんの怒った顔……おっかねぇから、ずっと笑ってて欲しいな」
「それは……萩次第でしょ?」
「そりゃあそうだな」

 顔を見合せてお互い同じタイミングでぷっと吹き出す。

「ふふ、あのね。今、大会に向けての訓練が忙しくて。少し暇がないから……そうだな。大会が終わったら、また改めてプロポーズさせてよ」
「いや、ごめん。そん時は流石に俺からさせて欲しいかも」
「あはは、そう?……じゃあ、頑張ってリハビリ続けて元気になったら、競技会見に来て。それで、終わったらその時に聞かせて?」
「おう。お互い頑張ろうぜ。もちろん、怪我しない程度にな」

 ぱちんと萩の得意なウインクを見せてくれて、さっきまでの険悪な雰囲気はどこへやら。
 すると、突然ガラリと開いた扉に思わず肩を跳ねさせる。

「んで、もう痴話喧嘩は終わったかよ。京極が限界なんだけどよ」
「松田ァ!邪魔するな!ごめんね。ふたりは、続けて」
「う、うわああ!!びっっっくりした!う、嘘。待って、聞い、」
「てないから、安心して……。私は、末永く見守るつもりだからネ……!」
「真梨ちゃん!!」

 ぼんっ、と顔が赤くなるのがわかる。さらに、陣平と真梨ちゃんの隙間からは降谷くんに諸伏くんに伊達さんが見えて。ああ、ああ。一世一代のブチギレプロポーズが、同期に聞かれていたなんて。
 わあわあと騒がしくなった病室に看護師さんが飛んできて、良い歳をした大人が怒られるのは、ほんの少し先の話だ。


────────────────


 まだ暑さはじんわりと残るけれど、ほんの少しだけ過ごしやすい時期になった。
 無事開催された競技会。初出場にしてはそこそこの成績を残せたつもりだ。全プログラムが終了し、片付けに入る頃。大好きなあの人の声がする。
 ぶんぶんと力強く手を振りながら、しっかりとした足取りでこちらに向かって笑顔で駆け寄る萩の姿。未だ完全とは言えなくても、あの頃の突けば折れてしまいそうな萩はもう居ない。

「涼香ちゃん!お疲れ様」
「わ、ありがとう。どしたの?」

 ごほん、なんてわざとらしく咳払いをした萩は緊張した面持ちでその場に恭しく跪いて、ポケットから何かを取りだして。

「……涼香ちゃ……涼香さん。こんな俺だけど、俺と─────」



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