“栗毛の天使”騒動記
どこで聞いたか『栗毛の天使』なんて二つ名?異名?みたいなのが、最近巷で騒がれているらしい。
とはいっても、ほんの狭い界隈みたいだけど。そういう流行りに疎い自覚があるから、あまりにも平和な私の脳みそはそんなの流行ってるんだ、だけで終わっていたけれど。
「それ、久下先輩ですよ」
「……は?宮本、あんた正気?」
「正気も何も……」
一つ下の後輩である宮本由美は、聞かれたから答えたのに。なんて顔をしてむすりと頬を膨らませている。
どうやら、栗毛の天使とやらは私の事らしい。まあ、確かに栗毛ではあるけれど……天使って何?考えた人、正気?
「久下先輩にも変なファンいるんですねぇ」
「普通に信じたくなくてびっくりしちゃった」
「あそこ、あの〜なんだっけ。警備部の彼氏さん。先輩のこと溺愛してるみたいだし何か関係あるんじゃ?」
「……帰ったら聞いてみるか」
いや、でも!どう萩に切り出せばいいの?「栗毛の天使って私らしいんだけど、」から話を始めたくなさすぎる。
言い出したの、本当に誰なんだ……!萩だったら絶対に許してやらない……。
────────
「ただいま〜」
「おかえりなさい。ご飯出来てるよ」
「今日も美味そ!ちょっと着替えて来るわ」
「ジャケットと靴下、その辺に脱ぎ捨てないでよ〜?」
玄関から真っ直ぐリビングへとやってきた萩。机の上に並べられた料理を見てお腹が空いたのか、楽な格好へと着替えてすぐに戻ってくる。
「いただきまーす」
「召し上がれ。……ねぇ萩」
「ん?どうかした?」
煮物を口に運びつつ顔を上げた萩。
ああ、言い難い話題すぎる。なんて言えばいいのか……なんてモニョモニョ考えても仕方がない。
「栗毛の天使……って知ってる?」
「勿論知ってるぜ?涼香ちゃんの事だろ?」
「やっぱり……。まさか、萩が言い出したことじゃないでしょうね」
じとりと睨み付ければ「俺じゃねぇよ」なんて首を振りつつもぐもぐと口を動かしている。
萩じゃないのか……じゃあ、やっぱりなんか変なファンとかいるのかな。
「何か知ってる?」
「んーん、何にも」
「栗毛は間違いじゃないかもだけどさぁ……。天使ってなに……?天使ではなくない?」
「涼香ちゃんは天使だろ」
真顔でそんなこと言うもんだから思わず顔を顰める。正気か、こいつも。
「……千速ちゃんが風の女神は分かるんだけど」
「姉ちゃんはどっちかっつーと魔王だろ」
「千速ちゃんは女神ですけど?」
じーっと軽く睨めば肩を竦める萩。
……そういえば、群馬には銀白の魔女なんてドライバーの伝説があったはずだ。……まあ、捜一の佐藤さんだったみたいだけど。
「まあでも、ひとりだけ心当たりはあるぜ」
「えっ、誰?」
「考えてみろよ、涼香ちゃんのことがすげぇ好きで涼香ちゃんのこと「天使」って恥ずかしげもなく言いそうな奴を」
……さっき、萩も恥ずかしげもなく言ってたけど……なんて野暮なことは言わないであげるけど。
と、まあ。萩がそんなヒントをくれて私も何となく、ひとりだけ心当たりがあった。まさか、ねえ。そんな事しないよね?真梨ちゃん……。
────────
「真梨ちゃん、お待たせ。ごめんね」
「待ってないよ」
ダメだったら別の案を考える予定だったけれど、お昼ご飯に誘ってみれば当日だったのに、珍しくすんなりOKが出た。
とはいえ、うちの庁舎近くにある定食屋なんだけど。
「お仕事は落ち着いた感じ?」
「……その話は一旦置いといて」
「あ〜……なるほどね」
「断じてサボりではないです」
逃げ出したのだろうか。……まあ、忙しそうだしたまにはのんびりお昼ご飯を食べても良いのでは?
サバ定食を頼み席へ運ぶ。真梨ちゃんは相も変わらずカレーを食べている。ほんと、真梨ちゃんってばカレー好きだね。
食べ始めて少し経った頃、他愛もない話をしていたけれど今日の本題に入る。
「あのさ、実は。今日真梨ちゃんに聞きたいことがあって」
「ん?どしたの」
「……最近、ほんと一部でなんだけど……。私が栗毛の天使って呼ばれてるの……知ってる?」
「涼香ちゃんに似合ってて素敵だネ!」
にぃっと歯茎剥き出しで笑う真梨ちゃん。……この顔、やってますわ。思わずはあ……と深い溜息。
「真梨ちゃんでしょ」
「エッ」
「これ、言い出したの。真梨ちゃんでしょ」
「……ふう。そろそろ仕事戻らなきゃな。ゆっくりお話出来なくてごめんね、涼香ちゃん。これで払っといて、じゃ!」
「あっ!コラ!待ちなさい!」
そう言って詰め寄れば、物凄い勢いでカレーをかきこんで机の上に万札を置いてそそくさと出ていってしまった真梨ちゃん。
クソ、取り逃がした。逃げ足の速いこと速いこと……。せめてあと味噌汁さえ飲んでいたら。
まだ食べている途中だから、これとお会計を放って追いかけるなんてことは出来ない。
はあ、なんてまた大きく溜息。もう、今回はこれで手を打ってあげるけど、次は無いからね。なんて、次会ったらしっかり釘を刺すことを決めたのだった。
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