呼び方ひとつで恋になる
あの事件からどんだけ時間が経ったやろか。
少しだけ、久下先輩と仲良くなった……気がする。あんな最悪な出会いだったのに、仲良くなれたんはある意味奇跡だろう。
それに、少しだけ彼女に詳しくなった。
部活ではトランペットを吹いていること、幼い頃からピアノを習っていたこと。案外よく笑うことと、笑う時だけ少し子供っぽくなること。
出来ればもっと知りたいけど、どうすれば良いんやろうか。何も案は思いつかないまま、ずるずると時間だけが経っている。
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「休憩!」の声にぐうっと眉根を寄せる。もうちょいやりたいねんけど、もうそんな時間か。
無理に練習続けたら怒られるし、なんて諦めてコートから出て水分補給。
「今日はゴネへんのや」
「次ゴネたらコート入れん言われた」
「ああ、せやったっけ」
そう言うと片割れは興味を失ったように視線を真っ直ぐ戻して水筒を傾けている。ほな聞くなよ。
ぼんやりとしていれば、外からうっすら聞こえる応援歌の音色。まさか、もしかして!ばっと手に持っていた水筒を床に置いて立ち上がる。
「どこ行くん?」
「うんこ!」
「きたな。そんな高らかに宣言すなや」
急いで体育館から出て、校舎と体育館の間を目指す。ちょっとした段差のところに見覚えのある姿が座っていて、やっぱり!なんて少しだけ嬉しくなってしまう。
「久下先輩!」
「……ん、ああ。宮くん。部活は?」
「休憩!先輩は?」
「私も休憩。外の空気吸いたなって」
そう言って手に持ったトランペットを膝の上に下ろし、こちらを見上げている。同じように隣に座れば不思議そうに久下先輩は続ける。
「なに?」
「なんか、吹いてくださいよ」
「なんかって……何よ」
「えー、じゃあドラクエのやつ」
「ドラクエのやつって……」
はあ、なんて小さく溜息をつかれてしまう。ぶつぶつと「楽譜あるかな……」なんて言っている辺り、吹いてくれる気はあるみたいや。
少し経った後、小さく息を吸う音。構えたトランペットへと口をつければ、流れ出す聞き覚えのある大きな音に少しだけびっくりする。音出る分かってても隣でこの大きさの音はびっくりする。
有名なフレーズの辺りだけ吹いてぷは、とトランペットから口を離す久下先輩。
「すごー……ドラクエや」
「楽譜スマホで見ただけでは覚えきれんから、続き聞きたいなら楽譜買うて」
「次!次は、つぎー……えー、なんも思いつかん」
「次って、はあ……。思いつくまで応援歌吹いてるから」
そう言って聞き馴染みのある音楽が流れ出して、試合中を思い出しなんとも言えない気持ち。別に、ええねんけど。俺、これいっつも止めてるし……ちょっと。色々含めて、うんうんと考えていればぴたりと音色が止まる。
「……なあ」
「え?」
「そういえば、治く」
「は?なんでサム?え?なんで名前で呼ん」
「あー!うるさい!委員会一緒!」
「……い」
「なに?」
「ずるい!!俺も侑がええ!!」
なんで!俺の方が仲良いはずなのにサムだけ名前で呼ばれてんねん!ていうかサムとも俺とも接点あるなら、俺の事「宮くん」呼びなんおかしない!?
嫌や嫌や!と駄々を捏ねていれば今日何度目か分からない溜息をついたあと、久下先輩はじいっとこっちを見る。
「侑」
「……ひぇー……」
「ひぇーってなに、ひぇーって」
呼ばれた瞬間、思わず息が止まった。死んだかと思った。し、訳も分からず間抜けな声を出した自分自身にもビビった。
わは、なんてこちらを見て笑っている久下先輩には俺の気持ちなんか分からんやろな。良くて侑くんやろなとか思ってたら、まさか呼び捨てって。
「侑くんの方が良かった?」
「……侑でええ」
「そう?不服なんかと思ってた」
熱い顔を隠すように俯いていれば、隣に座っていたはずの久下先輩は立ち上がりスカートについたゴミをパンパンと払っている。
「もう行くん?」
「うん。そろそろ休憩終わるし。侑もちゃんと練習しなよ」
「……おん。……涼香ちゃんも、練習。頑張ってな」
馴れ馴れしすぎたやろか。チラリと様子を窺うけれど、どんな顔をしているか分からない彼女はくすくすと笑いながら続ける。
「ええけど。私先輩やで、一応。ふふ、ほなまた」
「……また」
ええけど、なんて言葉にパッと顔を上げれば軽く手を振り校舎へと戻っていく後ろ姿。うわー……なんて今にもその辺に転がりそうな体を支え天を仰ぐ。
名前で呼んでも、許されるくらいには懐に入り込めたんやろか。なんて考えれば少しずつ、恥ずかしいような嬉しいようななんとも言えない気持ちが溢れ出す。
名前で呼ばれたくらいでこんな嬉しいなんて。呼べただけでこんな緊張するとか。きっと、こういうのが恋とかいうやつなんやろうな。
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