幼馴染のその先で。




 可愛い女の子を前にしてデレデレと笑っている萩に少しだけムッとしてしまった。
 それが始まりだったかもしれない。

 確か……小学校時代からになる筈だから、もう十数年来の付き合いで。この萩原研二という男とは所謂幼馴染だ。
 そんな萩のことを好きになっていたのはいつからだっただろうか。
 幼い頃の曖昧な記憶を引きずり出してみれば、萩と出会ったのは……確か小学校低学年の頃だったと思う。

 私ともう一人の幼馴染である松田陣平は、たまにクラスにいる『関わってはいけない家庭の子』だった。陣平の父は冤罪で釈放されてはいたけれど、当時殺人の容疑で逮捕されており「人殺しの息子」なんて言われていじめられていたし、私は…まあ。家庭環境の悪さから来る腫れ物扱いされている子だった。
 別に、陣平とは物心つく頃からの幼馴染で互いの家庭の事情は何となく分かっていたから、傷の舐め合いではないけれど。同級生の輪に入れないこともあり、大体はふたりで居ることが多かった。
 それでも、ひとりだけそんなことも関係なく私と陣平に話しかけるやつがいた。それが萩だ。
 萩持ち前のコミュ力で私たちの警戒を解くのは早かったし、気が付けばいつも三人で行動することが多かった。

 そして、気付けばそんな萩のことを好きになっていた。
 ……とは言っても、初恋というやつのせいで割と曖昧な感情だったのだけど。少なくとも、幼馴染以上の感情を抱いているのは確かで。
 そう言いきれてしまうのも、萩より長い時間を共に過ごしているもう一人の幼馴染とはまた違った別の感情だから、とりあえずこの好きという気持ちは『恋愛』という感情として処理をしている。

 あの頃から、今みたいにああやって女の子のことを追いかけてばかりいるのは変わらない。今までは我慢できていたと言えばいいのか、なんというか。
 別に自分が彼にとって『幼馴染』であり、それ以上でもそれ以下でもないことは理解している。現に陣平と私の扱いに、そんなに大差はないしその扱いが心地良いとまで思ってしまっている。
 それでも、好きな相手から完全に恋愛対象として見られていないのは案外辛いものがある。

 相も変わらず他の教場の女の子にデレデレと鼻の下を緩めているところを見て、遂に抑えていたものがドロドロと溢れ出してしまった。
 カッとなってしまったら直ぐに体が動いてしまうところ、この先警察官として生きていくのであれば絶対に直さなきゃいけないのは勿論分かっている。
 それでも、我慢なんか出来なくて。

「っ、ん…。は…なんで、なんで萩は、私の事女の子として見てくれないの…?」
「っえ……、りょーかちゃ、?」

 そこまで口に出して、ずっと我慢していたけれど思わずぶわりと涙が溢れる。生暖かいそれは頬を伝ってボロボロと流れ落ち、シャツに濃い青色のシミを作る。
 突然、胸ぐらを掴まれたと思えば引き寄せられて、唇同士をくっつけられて、こんな事言われて。泣きたいのは萩の方かもしれない。
 理解が追いついていないのか、口元を押さえキョトンとした顔でこちらを見つめる萩に、やってしまったという気持ちと罪悪感。

「……ごめん、今の忘れて」

 ぱっと萩から手を離して背を向ける。
 「待って!」なんて制止の声なんて聞こえないふりをして、無責任かもしれないけれどその場から逃げることしか出来なかった。

────────

 その日の眠りは驚く程に浅く、眠れた気なんてしなかった。一日中、ぼんやりとなんであんなことしちゃったんだ……なんて猛省。
 ちらりと萩の方を見遣ればいつものように陣平達と楽しげに話している。
 萩、陣平は共に伊達さんの班だ。二人はその班員のみんなで固まっていることが多く、二人の幼馴染という縁で私と、そしてこの学校で仲良くなったまりちゃんの計七人でつるむことが多々ある。
 ……何となく自分から勝手になのだけど。少し気まずくなって、あれ以来萩を避けるようになってしまった。そうすれば自ずとみんなに近寄らなくなってしまう訳で。

「ねね、涼香ちゃん。今日はあの幼馴染達と一緒に居ないけど、なんかあった?」
「……ん?別に、何も無いけど……どしたの?」
「いんや、今日何となく元気ないみたいだし。そういえば萩原にも同じ事訊いてみたんだけど、少し考えてから、なんも無いけどどした?って、同じこと言ってた」
「ふふ、ウケるね」

 萩と言ってることが同じなんて。こんな些細な事で、少しだけ嬉しくなってしまった自分が憎らしい。
 そんなことよりも、今日一日そんなに元気が無く見えていたのか。それは困ったものだ。

「んっとね、ちょっと寝れなくて。寝不足気味かも」
「遅くまで起きてちゃダメだよ」
「それはね〜そうなんだけど、寝れなくてつい」
「今日は早めに寝るといいかも」
「そうかも」

 ふあ、なんて大きなあくびが溢れる。
 まあもう少しだけ、もう少し距離を置いて考え直すのもありだろう。きっと萩のことばかり考えていてもドツボにハマってしまうだけだろうし。



 ……なんて、考えていればもう早一週間が過ぎようとしていた。
 陣平や降谷くん達と話す機会は割とあったけれど、萩と話そうとすればどこから誰がどう見ても萩と何かあっただろ……なんて分かってしまう程には気まずく。

「お前らなんかあったろ」
「……なんもないって!」
「ぜってぇに萩となんかあった」
「もう!陣平が心配するようなことはほんとにないから、平気」
「ふーん。……まあ、お前が静かだと調子狂う」

 ───から早く萩と仲直りしろ。
 …とでも言いたいのか。呆れたように後ろに含みのある言い方されて、ちょっと申し訳なくなってしまうじゃないか。
 どちらかと言えば、私と陣平が揉めて萩が仲裁してくれることの方が多かったかもな…なんて過去のことをぼんやりと思い出す。
 コツンと頭を軽く小突かれて顔をあげれば小さく笑う陣平。

「萩の奴、すげー困ってたぞ。涼香ちゃんに避けられてる気がすんだけど……って」
「……あんなやつ、困らせとけばいいんだよ」
「おーそうだな、困らせとけ」

 やけに似た萩のモノマネにぷっと噴きだせば陣平も鼻で小さく笑って、さっき言っていたこととは真逆みたいなことを言いだすもんだから、少し和んでしまった。
 こちらとしても、そろそろ気まずいのもなんだか辛いし明日はちゃんと話し掛けてみようかな。なんて心の中で決意するのだった。


「おはよ」
「…! 涼香ちゃん、おはよう」
「ふふ、朝から元気だね?……あのさ、あとでちょっといい?」
「いいけど、どしたの?」
「なんでも」

 じゃあ、なんて手をひらりと上げて自分の席に戻る。この一週間、考える時間はたっぷりあった。
 こんな風になりたくて、ああやって動いた訳では無いんだ。


────────


 いきなり、こっちに向かって歩いてきたかと思ったらガッツリ胸ぐらを掴まれて。
 なんかしたっけ!?とか、怒られんのかと思ったらそのまま俺の目の前は涼香ちゃんでいっぱいになった。
 本当に突然の事で何も言えずにいれば、

「っ、ん…。は…なんで、なんで萩は、私の事女の子として見てくれないの…?」
「っえ……、りょーかちゃ、?」

 悲しそうな、それでいて今にも泣きそうな顔でそんなことを呟く彼女に向かって、情けない声で名前を呼ぶしか出来なかった。
 少し、なんとも言えない間が空いたと思えば涼香ちゃんの目からは堰を切ったようにボロボロと涙が溢れ出す。
 未だ何も出来ず、何も分からないままただただ涼香ちゃんを見つめていれば、バツが悪そうな顔をした彼女は「……ごめん、今の忘れて」なんて小さく呟いて背を向けて走っていく。
 ハッとして制止の言葉を投げかけるけど、涼香ちゃんは振り向くことなんてなく。いつしか彼女の背中は見えなくなった。

「え、えぇ……?」

 思わずその場にヘナヘナとへたりこんでしまう。
 ただの幼馴染だと思っていた、あの子の唇の柔らかさと泣き顔がいつまでも忘れられないでいた。

────

 次の日、未だ若干混乱した頭で教官の話を聞くけれど一ミリも頭に入ってこない。
 いつからだ?いつから彼女は俺に対してそういうことを思っていたんだろうか。昔のことを思い返してもそんな素振りなんて一切ないし、涼香ちゃんもだって俺の事を男として見てなかったんじゃ……?

 なんなら、ずっと涼香ちゃんは降谷ちゃんの事が好きだと思ってたし、降谷ちゃんも涼香ちゃんの事気になってるみたいだったし。俺、めちゃくちゃふたりのこと良い感じにしようとしてたんだけど……もしかして、すげぇ余計なことしてた?
プラプラとペンを動かしながら板書を取るけれど、頭の中は堂々巡りで。


「ねえ、萩原。涼香ちゃんとなんかあった?」
「え〜?……なんも無いけどどうした?」
「ふーん。あ、涼香ちゃん」
「ちょ、えっ!りょーかち、」
「フン、冗談だが」
「京極ちゃん、それ笑えねぇよ…」

 ふう、と一息ついて肩を撫で下ろす。
 まだどうするか考えてる途中なのに、涼香ちゃんが突然現れたら俺どうして接していいか分かんねぇよ。

「は〜おもしろ。じゃ、涼香ちゃんとこ行ってくる」
「そっか、じゃあな」

 ふらりと現れてまたどこかへといなくなる。京極ちゃんはそんな女だ。
 というか今日、涼香ちゃんの事あんまり見てねぇな。同じ教場だし、見ないと言えば少し語弊があるけど、少なくとも今日は話してない。
 授業中にちらりと盗み見た涼香ちゃんは、少し眠たそうだったけど相変わらず真剣に話を聞いていたし、案外昨日のことは気にしてねぇのかもしれない。
 ということは、実は昨日のあれはドッキリだったとか?陣平ちゃんと今ごろ俺の出方を予想してたりして。

 ……なんて、考えていればいつの間にか一週間も経っていた。
 その間、京極ちゃんはもちろん。陣平ちゃんや降谷ちゃんと楽しそうに話している涼香ちゃんを見かけることは多々あった。
 その割に相変わらずいつものメンツで話していると寄ってこないし、なんなら授業関連で俺と話す時は若干気まずそうな顔すらしていた。
 あんな顔されたら、流石の俺も傷付くんだけどな〜…。とか思いながら陣平ちゃんを探し歩いていれば、涼香ちゃんと陣平ちゃんの声が聞こえてくる。

「お前………ろ」
「…………って!」
「……に…となん……た」

 全部が聞こえる訳じゃなくて途切れ途切れ。これ以上近付いたら流石にバレちまうな…とか、なんで俺こんなコソコソしてんだか……。
 必死に盗み聞きしようとしていれば話は進んだのか、陣平ちゃんと涼香ちゃんはふたりして笑っている。
 ……なんだよ、涼香ちゃん。俺の事好きじゃなかったのかよ。俺とは気まずいくせして、陣平ちゃんとはあんな楽しそうに話しちゃってさ。
 ズキリと胸に一瞬だけ痛みが走る。俺、何考えちゃってんの?わしゃわしゃと頭をかいてその場を後にした。

────────

「おはよ」
「…! 涼香ちゃん、おはよう」
「ふふ、朝から元気だね?……あのさ、あとでちょっといい?」
「いいけど、どしたの?」
「なんでも」

 じゃあ、なんて手をひらりと上げて自分の席に戻って行く涼香ちゃんの背を見送る。一週間ぶりにちゃんと話したかもしんねぇ、ちょっと嬉しい。
 あとでちょっといい?ってことは多分、あの時の話だろう。

 授業終了後、教室を出ようとしている涼香ちゃんを俺の方を見て目が合えば、行くぞと言わんばかりに外を指さす。

「悪ぃ、陣平ちゃん。先戻っといて」
「…オウ、しっかりやれよ」
「……何がだよ」

 なにか事情を知ってか知らずかそういって俺を送り出した陣平ちゃん。
 あの時追えなかった、先を行く涼香ちゃんの背中を追えば人気の無い静かな場所に向かっているようで。

「ん、これ」
「おお、ありがと。で、なにを…」
「何って、謝ろうと思って」

 手渡されたコーヒーを開けて口をつければ、思っていた通りあの話の続きなんだろうけど。謝るってなにを……と一旦飲むのを止めて涼香ちゃんを見る。

「や、突然変な事言ってごめんね。気まずくなりたくて言った訳じゃないんだけどね、……というか突然あんな事されたら怖いよね」
「まあ…びっくりしたわな」
「あはは、だよね。私も同じ事されたらびっくりすると思う」

 なんて涼香ちゃんは笑いながら紅茶を飲み下す。
 しゃがみこんで、渡されたコーヒーを同じようにちびちびと飲みながら、ふと疑問に思ったことを口に出しみる。

「涼香ちゃんって、いつから俺の事好きなの?」
「んなっ!…急じゃん」
「…気になったから」
「……まあ、少なくとも小学生の頃からずっと、萩のこと好きだよ。あ、待って。そういえばこの前、ちゃんと好きって言ってなかったかも……!」
「ぶっ、!……それ、今更?」

 涼香ちゃんの急な気付きに思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
 まあ、確かにニュアンスでそうなのかと思っていたけど、改めて「好き」なんて言葉に出されると少しむず痒い。

「う〜、まあ、そう。萩のこと、好きなんだけど。萩からすれば私なんて多分、恋愛対象じゃないでしょう?」
「……や、」
「だからさ、この一週間考えて決めた」
「……何を?」

 恋愛対象じゃない、の一言に返そうとしたのに遮られ「考えがある」と言いながら残り少なくなった紅茶を一気飲みして、彼女はこちらを見据える。
 真剣な、それでいて自分の中でスッキリしたのかいつも通りの笑い顔で涼香ちゃんは続ける。

「絶対に私の事好きになってもらうから、覚悟しておいてください」
「は、はあ!?」
「なに、ダメだった?でも決めたから、よろしく。じゃあね」

 そう言い残して未だ固まっている俺を置いてさっさと行ってしまった。
 ……幼馴染ながら、ある意味恐ろしい女の子に好かれてしまったかもしれない。
 今回は「待って」なんて制止することも出来ないまま、半笑いになりながら残りのコーヒーを飲み干した。




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