グラスの氷がとけるまで


欲しいものは


っくしゅん!
大丈夫かよ、これも着とけ


仕事終わり、職場近くの中華料理屋で彼と夕食を済ませた帰り道。
食べたばかりで体は温まっているというのに、大きなくしゃみが出てしまうくらいには外はすっかり寒かった。


こんなに冷えると思わなかったー、もうマフラー欲しいくらい
あー……そうだな


駅へ向かうのかと思ったが、彼は自宅の方向へ歩き出した。
私に貸してしまったため、自分用の上着をもう一枚取りに行くつもりなのだろうか。


上着ありがとう、でも返すよ、駅まですぐだし真っ直ぐ帰るから
バカ、ンなカッコで家まで歩いたら風邪ひくだろうが、車出すから乗っていけ
でも……
それとも、コートでも買ってやろうか?
いえ、お言葉に甘えて車に乗せていただきたいです


さっきご飯をご馳走になってしまったのに、上着まで買ってもらうわけにはいかない。
ここは大人しく彼に付いて行くことにした。
さっきお酒を頼まなかったのは、最初から運転するつもりだったからかも知れない。
自惚れすぎかな、とその背中を見て考えていると、ふいに彼が振り返ったので少しびっくりする。


なあ、来週の木曜、特に用がなきゃウチに来いよ
木曜? わかった、空けとく。仕事終わったら連絡するね


いつもは翌日や、その日の夜に会おうと言われることが多いので、一週間後を指定されたのは意外だった。
木曜日ってなにかの日だったかな。ともかく、それだけ時間があれば何かしら用意ができる。
「じゃあその日は私がご馳走するから、お弁当期待してて!」と張り切って約束をした。


いやー、食った食った
だね、3つ買っておいて正解だったよ


先週、約束をした翌日にさっそくお弁当を予約し、コーヒーに合いそうな小さめの焼き菓子などを探した。
彼はお肉が好きなので、牛と豚と鶏を一通り揃えて、余ったら翌日にでも食べてもらおうと考えたのだった。
まさか一回で平らげるとは思わなかったけど、男性からすれば一つひとつのサイズがそこまで大きくなかったのかも知れない。


ごちそーさん
お粗末様でしたー、お菓子あけていい?
ほどほどにしろよ
はーい


まだ食うのかよ、という視線をよこしながら、コーヒーを淹れるために立ち上がる。
小言をいう彼には申し訳ないが、甘いものは別腹なのだ。
それに、このために自分用のお弁当は小さめのものを選んでいたので、セーフということにして欲しい。


ほらよ


台所から戻った彼は片方の手首に紙袋をさげ、両手でコーヒーカップを持っていた。
まず差し出されたコーヒーカップを受け取ってローテーブルに置く。
そのあと、紙袋も渡されたのでお礼を言って受け取った。中身を取り出してみると、品のいいマフラーが入っていた。


どうしたの、早めのお歳暮とか貰い物?
なんでそうなるンだよ……
いや、女物を持て余してたのかと
ちげーよ、お前の誕生日プレゼント……遅くなっちまったけど


ぽかん、である。
彼も言うように、私の誕生日はとうに過ぎている。
まさかいま、誕生日プレゼントを渡されるなんてこれっぽっちも思っていなかった。


……ありがとう、嬉しい……でも、なんでいま?
今日、俺様の誕生日なンだよ
えっ!?


隣に腰掛けた彼が、無言で「うるせえ」と言っている気がする。
仕方ないじゃないか、私にとっては一大事なんだから。
そんな、今日は木曜日だと告げるようなテンションで言われても困るのだ、全く何も用意できていない。
でも、彼にしては珍しく会う日を指定してきたことには納得できた。


初耳なんだけど!
初めて言ったからな


しれっと答える彼は、そんなことどうだっていいだろとでも言いたげで、そのまま何事もなかったかのようにコーヒーに口をつける。
いやいや、全然どうでも良くない。しかし、なぜお誕生日様がプレゼントをもらうのではなくあげる側に?
彼の家はそういう文化の持ち主なんだろうか。そんな文化、私は聞いたことがないけれど。


お前の誕生日に、欲しいもの考えとけって言ったろ


そう切り出されて、前回の自分の誕生日を思い出す。
そういえば、まだ付き合い始めて日が浅く、お互いの誕生日なんて知らなかったころだ。
いざ自分の誕生日が近づいても、食事やプレゼントをねだるような度胸はなかった。
それでも、会う口実にするくらいならバチは当たらないだろうと、ケーキを買って彼の家にお邪魔して、コーヒーを淹れてもらったのだった。
あのあと彼の誕生日を聞きだすはずが、欲しいものは無いのかと詰め寄られてそれどころではなかった。
すぐには思いつかないし、すでに夜。いまからお店をゆっくり見るのも難しいからと、保留にすることでその場はやり過ごしたのだった。


先週お前がマフラー欲しいっつった時に思い出したンだよ、いろいろな
いろいろ……


おそらく、自身の誕生日もその時に思い出したのだ。
頭の片隅でずっと何か買おうと思っていて、マフラー発言で私の誕生日プレゼントのこと、自分の誕生日のことを思い出したんじゃないだろうか。
そう考えて、改めて自分の手の中を確認する。
肌触りが良く、上質でシンプルな白のマフラー。
この1週間で、彼が私のために選んでくれたのだ。
すごく、すごく嬉しい。でもやっぱり、こうなると俄然私からも彼に何かをプレゼントしたい。


じゃあ今度は私が欲しいもの教えてもらう番だね
だから言ったろ、今日空けとけって
え……なに、そういうことだったの?


もしかして、一緒にいられる時間が欲しかった、って、そう受け取っていいのだろうか。
自惚れかもしれないぞ自分! と言い聞かせてみるも、顔に集まる熱はおさまらない。


でも、何かあるじゃん。他にもっと、プレゼントっぽいものとか
他に欲しいモンなんてねえよ、あっても自分で手に入れる
そ、ソウデスカ……


照れ隠しに食い下がって欲しいものを聞いたのに、余計恥ずかしいことになってしまった。
なんだこれ、彼の顔を直視できない。
少しずつ落ちていく視線が、私の両頬を包んだ彼の両手によって持ち上げられる。


今日なんで呼んだか分かったかよ?
わかったけど……


誕生日だって知っていたら、もっとできる準備がいろいろあったのに……そう訴える私の視線を、彼は黙って受け止める。
そのうえ、そんなの構わないと言うように真っ直ぐに見つめ返されてしまった。
彼の瞳から目が離せない。すがるようにマフラーを握る手に力が入る。
お互いの鼻が触れる距離に近づいた瞬間、インターホンの音が部屋中に響いた。


私の頬を包んでいた彼の手がするりと離れ、小さな舌打ちのあとに「目ぇつぶれっての」と軽いデコピンをくらわせる。それからすぐに彼はインターホンの応対に向かった。
またやってしまった。彼とのキスは初めてではないけれど、ついびっくりして固まってしまうのだ。


あー……悪い、ちょっと出るわ
いいよ、気にしないで


モニターで相手を確認して、無下にできない相手だと判断したのだろう。
玄関に向かう彼を見送り、私はコーヒーと焼き菓子に手を伸ばした。
プレゼント選びのヒントがないかと、それとなく部屋を見渡す。
必要最低限のものが揃い、すっきりとした室内を見ていると、余計なものを増やすのが忍びなく思える。
身につけるタイプのものだと、すぐ連想するのはジッポだ。
彼はよくタバコを吸うので、あれば使うと思うが、すでに持っている気もする。

意外と難しいな、と考えたところで思い出したのは、幼少期に親に渡した肩たたき券。
しょぼいかなと思ったが、それくらいなら今この場で用意できそうだ。
スケジュール帳にくっついていたメッセージカード用のページを切り取り、ボールペンで「一日私貸出券」と書いてみる。
肩たたきは自信がないので、まあ出来る範囲で一日なにか頑張ろう、といった感じ。

ペンなどを片付けていると、玄関の方から「お邪魔します」という声がした。大急ぎで手作り券をカバンにしまう。
直後、リビングのドアが開き、彼に続いてミリタリーファッションに身を包んだ男性と、メガネをかけた男性の二人がやって来た。
私は一方的に知っている。彼ら三人こそがヨコハマの有力チーム、Mad Trigger Crew であることを。

中央区が政権を掌握して数年、各ディビジョンでは数々のチームが形成され、日々ラップバトルが繰り広げられている。
全ての争いは根絶され、あらゆる暴力が厳しく取り締まられる一方で、これまでの兵器に代わり登場したヒプノシスマイクを駆使した勢力争いが各地で勃発している。
彼らは先の中央区が主催したラップバトルでヨコハマの代表を勤めたチームだ。
私はもともと彼のファンだったが、なんとなく言い出すタイミングを逃してしまい、今に至る。
こうしてお会いするのは初めてなので、ひとまず挨拶をした。興奮が伝わっていませんように。

聞けば、二人は彼の誕生日をサプライズでお祝いしに来たらしい。
かぶらないように、という意図もあり、思い切ってプレゼントを何にしたのか聞いてみる。


今日は左馬刻の誕生日なので、手料理を振る舞おうと思ってな
私はお酒です。まさか先客がいるとは思わず、お邪魔してしまい申し訳ありませんが、これだけでも置かせていただこうかと


たしかに、二人の手荷物は重そうだ。なるほど、物を贈るというより一緒に誕生パーティーを楽しむ方針らしい。
これから彼らが飲むのだとしたら、私は電車で帰らなければいけない。
明日も普段通り通勤するので、そろそろ帰宅した方がよさそうだ。


あの、明日も仕事だし家まで少しあるので、私はそろそろ帰ります
む、よければ貴殿の分も用意しようと思ったのだが
えーっと、私たち夜ご飯をしっかり食べたばかりなので……
そうか……


理鶯さんは本当に料理を振る舞うのが好きならしく、食後だと告げると明らかにしょげてしまった。
そんな私たちのやりとりをよそに、彼は「そーいうことだから俺様の分も食べていいぜ」と銃兎さんに絡んでいる。
賑やかになったリビングから抜け出し、使ったコーヒーカップをいそいそと片付ける。
氷など使うんだろうか。冷凍庫の製氷機を確認していると、私の上着とカバンを持った彼がキッチンに顔を出した。


玄関まで送る
ありがとう


リビングの二人に軽く会釈して、彼に続いて玄関へ向かう。
廊下はひんやりしていて、外が冷えているのが容易に想像できた。


なんか悪かったな、呼び出しておいて
とんでもない、私こそ何も用意してなくて……


ごめんね、と言いかけて、先ほど作った手作り券の存在を思い出す。
カバンに慌てて入れてしまったため端が少し折れているが、やぶれてはいなかった。


また今度ゆっくりお祝いさせて
はっ、ガキかよ


そう言って券を受け取った彼は、秘密基地を見つけた少年のように笑っていて、感触は悪くなかった。
ドアを開けると外気はやはりとても冷たく、彼がマフラーを巻いてくれる。
新品なのでタグがついているんじゃないかと心配したが、彼が切っておいてくれたらしい。


ん、糸くず付いちまったな、目ぇつぶれ
うん


前髪のあたりをつままれる感覚がする。
そろそろ取れただろうか、と思ったとき、互いのくちびるが触れたらしい。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。びっくりして目を開けると、至近距離で視線がかちあう。


気ぃつけて帰れよ


みるみるうちに顔に熱があつまり、たまらず鼻までマフラーで隠してしまった。
こくこくと頷き、彼の家をあとにする。
この人が満足するなにかをプレゼント、もしくは一日でなにかをしてあげられるんだろうか。
一日私貸出券のご利用を楽しみに思いつつ、なんだか先が思いやられる心地だった。

- 4 -

*前次#


ページ: