グラスの氷がとけるまで


プレゼントは


あと一ヶ月もしたら、もうクリスマスなんだね


十一月、彼の車で家へ送ってもらう道中、街路樹のイルミネーションを見ていて自然とでた言葉。
運転席の彼はそれを聞き逃さず、「なんか欲しいもんあるか?」とすかさず聞いてくる。
そろそろ付き合って半年になる彼は、イベントの度に何かと買い与えようとしてくれる。
クールな雰囲気の割に、行事はしっかり楽しむ主義らしいことも最近分かってきた。
気持ちは嬉しいのだけど、実は今月、彼の誕生日の時期に私もプレゼントをもらってしまっていた。
特に必要なものも思い浮かばず、欲しいものと言われて言葉につまる。
それでも、クリスマスに何もしないのも味気ないなと考えていたとき、ふと思い浮かぶものがあった。


私、クリスマスマーケットに行ってみたいな


あれから月が変わり、私も彼もそれぞれに繁忙期を迎えていた。
彼はいわゆるヤクザの若頭で、毎年十二月上旬に組をあげて「事始め」という行事を行うらしい。
ちょうどそれが落ち着いたあたりから、今度は私の仕事が年末進行に差し掛かる。
いつもなら週一のペースで会っているところだが、気づけば最後に会ってから三週間ほどが経っていた。
ご飯やお風呂を一通り済ませて寝ようとしたところ、携帯電話が着信で震えた。


よう、いまいいか?


ちょうど会いたいなと考えていた、彼からの電話だった。
久しぶりに聞く声に、自然と顔がほころぶのが自分でも分かる。
要件はクリスマスマーケットについて。
混雑が予想されるので、入場券を事前購入した方が良いのではないかという提案だ。
さっそく検索したところ、二十五日の事前販売分はすでに売り切れ。
退勤後に立ち寄れる枠を探し、結局購入したのは二十四日の入場券二枚だった。

翌日から、金曜のクリスマスイヴにむけて無我夢中で仕事をさばいた。
これならイヴは定時で上がれそうだ。
……そのはずだったのだ、木曜の退勤時までは。


え、年賀状を刷り直し、ですか……?


金曜の昼休み後、上司から他部署の後輩を手伝うよう指示があった。
なんでも印刷した年賀状の全て、先方の役職名が入っていなかったそうだ。
いまの担当者の上長は他の業務で手が離せないらしい。
そこで以前、年賀状業務を担当した経験のある私に白羽の矢がたったのだ。


”ごめん、今日は定時で上がれそうにない”


彼に手早くメッセージを送り、すぐにデータの確認に取りかかる。
後輩が新しい年賀状を調達して帰社するなり、すぐに出力して確認作業を進める。
年賀状のあれこれが落ち着いたのが、ちょうど本来の定時。
午後に片付けようとしていた自分の業務はまだ手付かずだ。


”今日クリスマスマーケット行けなそう、本当にごめん”


入場の時間を考えれば、定時オーバーの許容範囲は一時間。
自分の手元に残っているのは、どう考えても二時間はかかる業務内容だ。
肩を落としていると、彼からメッセージが届く。


”お疲れさん、仕事終わったら言えよ”


もうやる気らしいやる気なんて湧きそうになかったけれど、どうにか気力を振り絞った。
彼のメッセージから、今夜お出かけは出来なくても、会ってくれる気なんだと確信できたから…。

仕事が終わったことを彼に伝えて、デスクを後にする。
玄関を出ると外の空気が冷たくて、耳が千切れそうだなと思った、そのとき。


おい…ひでえ面だな、ちゃんと寝てるか?


会社を出るなり呼び止められ、すごくびっくりした。
その割には、自分の体はおろか、表情筋でさえぴくりともしない。
どうやら驚く体力も残っていないらしい。
久しぶりに会えた彼に向けて力なく笑ってみせるも、嬉しいやらホッとしたやらで、次から次へと涙があふれだした。


……会いたかった
おう、俺様もだ


彼の腕の中で、されるがままに背中をさすられる。
普段なら職場の近くでこんなこと、絶対にしない。
でも、今日はそんなことどうでもよくなるくらい限界で。


とりあえず乗れよ、車つけてっから


そう促され、目の前の車に乗り込む。
よく会社の場所が分かったなと感心していたが、出会ったときに手渡した名刺を頼りに来てくれたらしい。


…お腹すいた
だろうな。好きなもん食えよ、ちっと冷めてるけどよ


助手席につくと、ジャンクフードの匂いに食欲がそそられる。
クリスマスマーケットの出店で買ったらしい、ウインナーやポテトを入れたビニール袋が、ドリンクホルダーに引っかけられていた。
お言葉に甘えて頬張っていると、車を運転しながら彼がぽつりぽつりとこぼす。


忙しそうだからって、連絡しなかった俺がバカだったわ


静かで、ちょっと怒っていて、でも優しい声。
おさまっていた涙腺が、またゆるんでしまう。


無理すんなっつっても聞かないタイプだって、分かってたのによ
ん…見栄っ張りだからさ、私
ばーか、不器用の間違いだろ


赤信号の交差点で、めずらしく頬をつままれて少しびっくりする。
痛みは全くなくて、明らかに頬をぷにぷにする指使いに抗議の目を向けると、車が発進して私だけがバランスを崩す。
それが妙におかしくて笑い声をもらすと、彼の口元を優しい吐息が通り抜ける。


俺様がいないと息抜きもできねーのかよ
あはは、そうみたい…
ったく…しょーがねーな


そう言ってシートベルトを外す彼に違和感を覚え外を見ると、そこは彼の家の駐車場だった。
いつのまに、と言うより、私の家に向かっていないことに、全然気がつかなかった。


明日は一日ぐだぐだしとけ、付き合ってやっから


部屋に入るなりベッドへ向かうように言われたが、さすがに一旦洗面所を目指す。
簡易的なクレンジングシートでメイクを落とし、歯を磨けば睡魔がやってくる。
洗っていない頭でひと様の寝床に入るのは申し訳ないが、いいから寝ろと言われたので大人しくお布団にもぐりこんだ。


俺様が目ぇ覚ますまでちゃんと枕元にいろよ
なにそれポエム?
ロマンチックって言えや


欲張りな彼氏様は、靴下におさまるプレゼントじゃ満足できないらしい。
目が覚めたとき、枕元に恋人がいるクリスマスか。
たしかにロマンチックだなあ、と思った。


私が目を覚ますと、彼は枕元にはいなかった。
代わりに、クリスマスマーケットがとじこめられたスノードームが置いてある。
つい傾けて可愛らしい小屋に雪を降らせていると、お前にやるよ、と部屋の入り口から声がした。


おはよう…私も、プレゼントは恋人がよかったな
良い子に早起きしてりゃな


そう言われて時計を見ると、もう十一時になっていた。
たしかに、こんな時間まで寝ていろという方が難しいだろう。
我ながらお寝坊にも程がある…


腹減ったろ、飯できてんぞ…っつっても、昨日の出店の残りもんだけどよ
そうなの?なんか甘い香りがするけど
そりゃ俺様特製フレンチトーストの匂いだな
フレンチトースト!?


ついさっき「目を覚ますまで隣にいて欲しかった」とすねてみたのが嘘のように、甘い響きにうっかり食いついてしまった。
単純かよ、と笑われてしまったけど、単純で結構。
だって、添い寝をしてくれた恋人が、目覚めると自分のためにフレンチトーストを作ってくれていたんだもの。
手放しで喜びますとも。
ああ、私はなんて幸せ者なんだろう。


神様?仏様?サンタ様?
左馬刻様だろうが、ばーか

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