楽しくないです!!





「そうだ」



上野駅から電車に乗り、米花町の家路を進んでいた時
じじいがそう言えば、と声を発した。



「……何ですか」



どことなくなんとなく嫌な予感がしつつも、
その緩い笑みに応える。



「いやはや、忘れておったぞ。

娘、お主、名は何と申す」


「…………」






はいキター!

来ると思ってたよそういうの!!

寧ろ聞いてこないのおかしいなとか思ってたんだけどやっぱり忘れてただけか!チィッ!!



「…………えーっと、」



神様には本当の名前を知られるとダメなんだっけ。
どうしたらええんじゃ。


そんなことを考えていると、
じじいがはっはっはと笑いながら言った。



「なに、あまり深く考えなくともよい。
人としての名と、真名とは違うものだ。
真名はお主の知らぬところにあるものだからな」


「……どういうこと?」


「お主の母君がつけた名はお主の名だが、
それはお主がお主として在るための……
何と言ったか……ああ、あいでんてぃてぃーだ。
お主が生まれ持つ、その存在自体の名は違うものだよ」




…………このじじい、アイデンティティーなんて言葉知ってるのか。

まあ、それは置いといて。


いまいち言いたいことが分からないっていうか混乱してきた。
つまり何が言いたいんだこのじじいは。



「まあつまりはだな。
俺がお主の名乗る名を知っても、神隠しや言霊などは使えん。
そういうことだ」



「……それ、信じていいの?」



「ああ、こんなことで嘘は吐かん」




その眼があんまりまっすぐ私を見つめるもんだから、
私はその言葉を信じることにした。



「じゃあ信じるよ。
私の名前は千紗」



そう伝えれば、じじいは嬉しそうに目を細めた。





「では宜しく頼むぞ、千紗」






ふわりと笑う頭上に桜の花びらが舞うその姿は、
不覚にも、どうしようもなく美しく見えた。








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