「ラギー先輩」
サバナクロー寮にその人の姿はあった。
「ユウくん」
彼女の名前はユウくん。魔法も使えないのに、魔法士を育成するこのナイトレイブンカレッジに転がり込んできた異端児。同じく転がり込んできたグリムくんとセットで扱われることでやっと入学が許可された学園のちょっとした有名人。
そのユウくんは明日元の世界に帰る。最初ユウくんが異世界の人間がだと聞かされたときはもっとまともな嘘をついてくれと信じなかったが、魔法を使えないことや、ツイステッドワンダーランドのあれそれに疎いことなど、そう言われれば納得出来ることが多かった。
「こんなところでどうしたんスか」
昨日も支度やらで色々と忙しくしている姿を見ていたから挨拶は当日になるだろうと考えていたので、こんな風に話せるとは思ってもいなかった。
「ラギー先輩に用があって」
「オレにッスか?」
何か返し忘れていたものでもあっただろうか。
「今日一日付き合ってください」
「今日一日、って……」
目をぱちくりと瞬かせる。そりゃあエースくんやデュースくん、グリムくんに比べたら劣るけれど、ユウくんと仲良くしていたと自負している。だがその三人を押し退けてまで彼女の最後の一日を独り占めしていいポジションだとは自惚れてはいない。
「夕方まででいいんですけど」
「いやいや、そこはオレよりも優先しなきゃいけないヤツといるべきッスよ。エースくんやデュースくんとか」
「二人とグリムには了承を得ています」
段取りがいいことで……って違う、感心している場合じゃなくて。
「なんでオレなんかと」
この世界にいられる最後の一日をどうしてこんな自分に割こうと考えたのか、理由をいくら探してみても見つからなかった。
「……迷惑、でしたか」
うっと喉の奥が詰まる。そんな無理して作った笑顔をさせるつもりはなかったと言い訳がバカみたいに急いで走ってくる。
「無理を言いましたね。じゃあ――」
「いいッスよ」
退った言葉に強引に被せる。
「今日一日お付き合いするッス」
醜い感情を飲み込んで降参だとばかりに両手を上げてみせる。これでホッとした表情が拝めるはずだとユウくんを見ると、不自然な笑みを象っていた口角はいつの間にか下がっており、そして意地悪く上がった。
「……まさか」
――嵌められた?
「はい。騙されてくれてありがとうございます」
悪びれもしない顔に肩の力が一気に抜ける。第一印象は簡単に丸め込まれそうなお人好しだと見ていたが、随分とこっちの流儀に染まったものだ。
それでもさっきみたいな顔をされるよりよっぽどマシだった。悪役の顔でいいから、ずっと笑っていてほしかった。
「で、こんな事でいいんスか」
「はい」
黙々と草むらからめぼしい茎をブチッ、ブチッと抜いていき、それを別の茎に絡めて結んでいく。根気が必要な作業は苦ではないが、なんせ初めてのことだからなかなか指が慣れてくれない。
「よし、できた!」
この場所に誘ってきた張本人は一足先にできたそれを空に掲げる。素人目からも綺麗に出来ていて、白の花が真昼の光に透き通っていた。
「ラギー先輩、頭をこっちにお願いします」
答えるよりも早く頭にわずかな重みが増える。
「……これ」
「この花、『復讐』っていう花言葉があるんですよ」
「物騒な花言葉教えながらオレの頭に載せるなんてユウくんもいい性格してるッスね……」
「へへっ」
話を聞かず、ドヤ顔をされても返しに困る。まあユウくんが楽しそうならそれでいいかと納得する辺り、随分と抜け出せないところまで惚れ込んでいる。被せてくれたこの花冠を振り払えないことが確たる証拠だった。
「けどこの歳にもなってこれは」
「可愛いですよ」
男に可愛いと言うといつか痛い目見るとこれまで何度も口酸っぱく言ってきたが、結局定着しなかったみたいだ。
――ユウくんのほうが可愛い。
浮かんだ言葉を奥歯で潰し、止まっていた仕上げに取り掛かる。飛び出したいくつもの茎を編んでいった隙間に目立たないよう丁寧に埋めていく。そうすれば、
「一丁あがり、っと」
手の中に花の輪が咲く。うん、うん。初めてにしてはいい出来じゃないだろうか。
「器用ですね」
「まあね。はい」
「え」
ぽすっと音を立ててシロツメクサが色気のない髪を彩る。
「ユウくんの方が似合ってるッスよ」
ここに誘ってきたときの仕返しは大成功に収まったみたいで、困惑していたユウくんの頬がカアッと照れだす。今なら鼻歌でも歌える気分だ。
「おそろいですね」
無垢な子供みたいに破顔した彼女に何も言えなくなる。
残酷だ。
可愛らしい花を咲かせながら人をどん底に落とす、まるでこの花みたいに。
夕
「んじゃ、明日」
それなのに。
「……何してるんスか、ユウくん」
咎めているくせに引っ張られた裾をどうにもできないでいる。
「今日はここまでって」
「自分でも狡いって、最低だって思います」
らしくない声音が心臓を突き刺した後、抑え込んでいたドス黒い感情が暴れ出す。
明日には全部置いていくくせに。ここで作った居場所も、思い出も、自分に縋るもの全部捨てて元の世界を選んだのに、どうして今更そちらから手を引っ張る。
追い縋ることができたらどんなに楽だろう。最低だと自分が持つあらゆる語彙でなじり倒すことができたらどんなに良かっただろう。
でも自分は物分りがよすぎた。どれだけ彼女が元の世界に戻りたがっているかもその口から聞いて知っていた。物分りがよすぎて、もう自分の気持ちをまともに伝えられなくなっていたが。
「狡いッスね」
そう言って節くれ立った自分の指を小さな手に絡める。逃げようと思えば逃げられる。そんな今にも解けそうな力加減に細い指はどう応えるか。
「……っ」
指の隙間を縫って力いっぱい握ってきた彼女の気持ちを無下にすることはできなかった。
ギシギシと軋む床を横目に部屋へと入り、今夜が最後となるベッドにやさしく押し倒す。
「そういやグリムくんは」
「……ハーツラビュルに」
ムードもへったくれもない応酬に二人して同時に吹き出す。自分たちらしいとひとしきり笑ってから、額に、瞼に、頬にと順に口付けを落とす。唇には落とさないと決めていた。
「噛んで、ほしいです」
自分から頼むことで痕をつけたこっちを悪者にさせないように手を打つ。どこまでもズルくて優しい。
「どこを?」
余裕を装って尋ねれば、おずおずとワイシャツのボタンが外されていく。そのもたつきに焦らされている気がして、喉がゴクリと鳴るのを抑えられなかった。
そうしてようやくお目見えした首元はハケで染められたかのように白から赤に色づいていて、もう一度喉が唾を飲み込む。
「っん」
なるべく痛くしないよう歯を立てた瞬間、鼻を抜ける甘ったるい声が背筋を駆け抜ける。今まで感じたどの感覚よりも艶っぽく、男の性をいたずらに撫でるそれはひどく官能的だった。
鎖骨、肩、二の腕。余すところなく痕をつける間、ごめんなさいと彼女は謝らなかった。謝ってしまえば今の状況があっけなく崩れることを知っているから。
謝ってくれたらと願わなかったことはない。けれども自分の醜い優越感を満たすためだけに謝らせることは誰よりも自分が許せなかった。
酷く傷つけられたらどんなによかったか。こんな時ほどハイエナの雄であることを恨んだことはない。
ふと予感が走る。もし、もしもだ。こうすることしかできないようこちらを無自覚に追い込んだとしたのなら。
「ラギー先輩」
好きだ。好きだ、好きだ、好きだ。
言ってしまえ。好きだと言ってしまえ。
でもこんな言葉で変わってくれるほど、彼女は優しくないと知っていた。
「……ラギー先輩」
「明日は早いッスから」
最後に触れた額から唇をそっと離して、火照った体躯を自分の胸に抱き留める。これ以上はダメだった。
察しのいい手が強く背中を握る。ここで意気地なしと罵ってもよかったのに、そういう優しさが嬉しくて好きで、切なかった。
二度と来ない二人だけの夜を抱き締める。そこに後悔はなかった。
「ほんと、狡いヤツに惚れちまったな〜……」
彼女との別れを惜しむ同級生たちの輪を遠くから眺める。天然人タラシは他の男たちもたぶらかしていたようだ。
「昨日はお楽しみだったか?」
新しいオモチャを見つけたときの顔が近づいてくる。寮のメンバー全員が寝ているギリギリの時間帯を狙ったというのに、こういう時に限ってうちの寮長は起きていやがった。明日から絶対起こしてやらない。
「ゲスな勘ぐりは嫌われるッスよ?」
「いいから吐けって。どうだったんだ? よかったか?」
朝からずっとこの顔と調子で話しかけてくるので、いい加減ウザったらしかった。
『じゃあ』
それだけだった。これ以上は必要ないと互いに言葉を足さなかった。
「残念ながらレオナさんが期待しているようなことは何もありませんでしたから」
「ふぅん……」
「何か言いたげッスね」
「別に」
つまらないと言いたげな表情をして、レオナさんはどこかへ去っていった。やっと興味を失ってくれたかと、ためいていた息を吐いてつま先を眺める。
引き留める言葉を伝えることはついぞなかった。臆病風に吹かれたのかと啄かれそうだったが、彼女のお人好しが伝染ったのだと目を瞑ってほしい。
「何もなかった、ね……」
何もなかったというのは半分嘘で半分本当だ。ただ誰かに教えるのは嫌だった。
あの夜、あの時間は愚かな二人だけの秘密だから。
さよなら。
真っ直ぐで、ずるくて、平凡で、非凡で。時々ドライな優しい共犯者。
「ラギー先輩!」
突如呼ばれた自分の名前に弾かれたように顔を上げる。まさか呼ばれるなんて露ほども考えていなかった丸く開いた目をしばたたせると、その先で彼女は憎たらしいほどの笑顔でこちらを待っていた。
「ブッ!」
あまりの清々しさに一応用意していた社交辞令も吹っ飛ぶ。そんな顔をされちゃあ、引き留めるのも野暮ってものだ。
まあ引き留めるま言葉とはいかなくとも、嫌味の一つぐらい言っても構わないだろう。ここにいる全員止めやしないはずだ。
「何スかー? 早く帰らないと文句が沢山――」
「《
「……は」
叫ばれた自分のユニーク魔法のあとを情けない無声音が追いかけていく。
――なんだそれ。
時間が奪われた静謐に誰も彼もが動きを止める。
ただ一人、帰る少女を除いて。
先程までの賑わいが嘘だったみたいに静まり返った鏡の間へしゃがむ。座り込んだ床は色を亡くしたように随分と冷たかった。
「ほんと、狡いッスよ……」
顔の半分を覆った左手から乾いた笑いが漏れる。隣にいたジャックくんが心配している雰囲気を出していたが、そんな心配はご無用だった。
悲しくはなかった。そうとも、ちっとも悲しくなんかない。
『ラギー先輩のユニーク魔法、好きなんです』
『なんでまた』
『だって《私と笑って》っていう意味になるから』
さよなら、いとしい愛しい
さよなら、ブギーポップの君。