アイシテルは言えなくて

「……随分と変わったな」
 人通りの少ない路地裏。久方ぶりに見た綺麗なかんばせに、あの頃より伸びた髪が雨露に濡れて貼りついている。焦がれた白は何処にもいない。
「そりゃあ変わるよ。あなたが変わったように私も変わる。何年経ってると思うの?」
 ビニール傘を叩きつける銀箭が足元に転がっている人たちにも降りかかる。やったのは当然ひ弱な自分じゃない。
「もうあの頃の私じゃないんだよ」
 端正な容貌がわずかに歪む。
「あなたのせいじゃないよ」
 そんな表情をさせたかったわけじゃない。何とか不安を消したくて、翳る白皙に咄嗟に笑いかけたものの逆効果で、なおさら苦しそうに目が細められる。喧嘩以外で感情を露わにするひとではなかったから戸惑う。
 何故こんな再会の仕方をしてしまったのだろう。あのとき私の手を離してくれたあなたのおかげで普通の女の子になって、普通の幸せに笑っていたはずなのに。
 大雨ひちさめが白煙を上げるなか、誰も微動だにしない。指一本動かしたそのとき、均衡が崩れると本能が警告していたから。
 どのくらい見つめあっていただろう。痺れを切らした付き人がそろそろと急かし、若狭さんの気配が鋭くなる。
「どうする? 今ここで引き留める? それとも見逃す?」
 考えれば――いいや、コンマ一秒考えなくとも梵を守るためにはここで誘拐なり交渉なりと、何かしら手を打つのが最善だ。
 私としては引き留められようが見逃されようがどちらでも構わなかった。どちらに転ぶにせよ、もう二人があの頃のように隣で話に花を咲かせる未来は絶たれたのだから。
 果てさて、彼はどの選択肢に手を伸ばすのだろうと紫苑の瞳を見据える。
 その瞬間。
 たった一瞬。
 刹那も驚く、時の短さにおいて。
 彼は迷った・・・・・
 せめて未練を捨てられるようにと別離の言葉を縒り合わせていた舌が乾き、傍らの付き人がたじろいだ。驚くのも無理ない。私が浮かべたのはこの局面で迷った過去の男への嘲笑でも憐憫でもなく、ぐちゃぐちゃな歓喜だったから。
 醜い顔を隠すようにコートを翻し、沛然と降りしきる雨の中を歩き出す。十年近く前の私が今ここにいたら、こんなお高いブランド物を羽織っている女が自分とは信じられないはずだ。
 水たまりを蹴ったことで薄汚れた水が侵入し、ストッキングがつま先まで濡らす。でも不思議と嫌じゃなかった。
 迷ってくれた。あなたの本当に大事にしたいものと天秤にかけて、目隠しの女神様に待てをかけてくれた。
 その一瞬だけで私は生きていける。
 心が躍る。躍って、こんな風に歪んで汚れてしまった理由と原因を本当は頭も心も理解していたことを思い出す。でも認めたくなかった。認めてしまえばあなたを悲しませてしまうから。
 あなたにもう一度会いたいと願ってしまって、ごめんなさい。

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Boy Meets Lady