蚊の鳴くような声とともに血に塗れた手が弱々しく自分の頬に伸ばされた。
「私のヘマは私のせい。むしろ最後まで足引っ張ってごめんね」
「もう喋るな」
言葉と言葉の合間にヒューヒューと喉の奥から鳴る音に語気を強める。土手っ腹に手のひらサイズの破片を貫通させられたのだから激痛で喋っていることすら苦しいはずで、喋れば喋るほど出血して死に向かうと彼女も理解しているのに。
「いやよ」
いつだってユートの言うことに「うん」と頷いていた彼女がユートの懇願を手酷く跳ね返した。
「だってユートと喋っていたいもの」
その後に隠された言葉に気づかないほど鈍くはない。
「もうあんな取り乱し方しちゃだめだよ。戦隊長が動揺したら隊員のみんなに伝わるから」
「……ああ」
掠めただけと
「鉄仮面のユートがなにを考えてるのかをわたし以外に汲み取れるひとが現れてくれるかなあ」
「お前だけがわかっていてくれればいい」
聞き分けの効かない子供みたいな拗ねた声を被せる。もう助からないとわかっているのに未来を、それも他人であるユートの未来を望む無邪気な姿を見たくなかった。
「そうだね、うん……それはとても甘くて──……」
縋るようなユートの駄々をやさしく受け止めて閉ざされた唇がふと歪んだと思ったら、次の幕間には微笑みを象っていた。
「ねえ、ユート。この世界は残酷なばかりでふざけたものだけど、みんなやユートと過ごした日々はとてもたのしくて、うつくしかった」
エイティシックスと蔑まされ、白系種の代わりに死ねと刻まれた日々だったけれどすべてが絶望で黒く染まっていたわけではなかった。
「私のカラスさん」
透き通った彼女の瞳が真っ直ぐユートを貫く。
「あなたはここから飛んでゆける。戦い抜いたさきであたらしいひとたちと出会って、はばたくの」
「……お得意の神託か」
「うん」
戦闘如何に関わらず彼女の勘はよく当たって、仲間は巫女殿の神託だとふざけて呼んでいた。パーソナルネームも彼女のルーツから因んで名付けられたもので、ユートが考えたと知ったときの彼女の表情は誰にも言いたくないくらい可愛かった。
だがユートは信じられなかった。
エイティシックスは死ぬ。いつかだが、必ず。彼女のように、突然に。
だから誰よりも長く一緒にいた彼女の言葉であっても信じられなかった。
もし彼女の勘が本当になったとしても、だ。
「お前を置いてか」
「ちがうよ。先に行くの」
握る力が強くなった手から体温が抜けていく。別れがすぐそこに迫っているのは明白だった。
「さきに行ってまってるの。ずっとユートをおいかけてたから、今度はユートがわたしをおいかけるんだよ」
「……それはいいかもな」
「おいつくのはゆっくりでいいよ。そのかわりなにを見たか、どうおもったかたくさんはなしてね」
ここではない優しいところへ、彼女が上る。それをユートが止めることはできない。
瞼がゆっくりと落ちていく。日に焼けた肌から血の気は引き、色を無くしたかのように白くなっていた。
「ああでも、やっぱり」
たまらず彼女の目尻から零れた涙が雪原を走る。
「まだ、ユートの、そば……に……」
飛び立つように彼女の手が掌からするりと滑り落ち、操縦桿にぶつかる音が敵のいない戦場に消えていく。
慟哭も、涙も零れない。今日もまたエイティシックスの日常が訪れただけ。
そう言い聞かせるので手一杯だった。