10

 大型液晶パネルにこの時間帯おなじみのニュースキャスターが映る。人を信頼させるような清潔感は変わっていない。〈レギオン〉戦争に関する報道は相も変わらずで、陽射しの強さに伴う変化だけがあった。
 訓練期間の、それも休息日に誕生日が偶然重なった。部屋には養父であるエルンストからのプレゼントが届けられ、テレザからの手紙も入っていて、身体には気をつけること、いつでも帰りを待っていることなど温かい気遣いが丁寧な字で綴られていた。もし親がいたらこんな感じだったのだろうと両親の面影が欠片も残っていないライデンは想像する。エルンストはいいところもあるが鬱陶しい父親であっただろうし、テレザは時に厳しくも優しく見守ってくれる良き母だろう。
 午前中は顔見知りの大人たちから祝われた。たいそうなものを渡せず悪いと謝られたが言葉だけでも十分だった。戦友たちからの祝いは夜にあるようで、当日は宿舎から出ていけと前もって通告されていたのでライデンは時間まで大人しく街に退避する。
 スターチスの消えた花屋に味のしない喪失を感じながら通り過ぎ、目当ての工具店に展示されていた工具に後ろ髪を引かれ、普段行かない裏通りの本屋に足を踏み入れる。晩夏の熱さも裏通りの日陰に入ってしまえばそれほど感じない。五月の異常気象が本当に異常だったのだとつくづく実感する。
 ぼちぼち戻ろうとして、表の通りが騒がしいことに気づく。
「離し……――……さい」
 男の身なりから中流階級以上の生まれであることが読み取れる。
 温度を感じさせない声が男の背の向こうから聞こえるも、男の背もあって途切れ途切れに届く。白銀の長い髪が垣間見え、足元には乳幼児向けのファンシーでデフォルメだらけの玩具が落ちている。白系種の女性と黒系種の男性の痴話喧嘩らしきものが起こっていた。
 目立つ大通りでいい大人が何をやってんだかと馬鹿馬鹿しくなる。周囲も訝しげに見ているだけで、仲裁に入ろうとはしない。迂回しようにも必ず付近を通らなければならない。
「白系種の君を受け入れようと言っているのにどうして」
 傲岸な発言に外野のライデンでさえ眉を顰める。
 共和国の暴挙が白日の下に晒されて以降、連邦内に元々いた白系種に向ける視線や偏見が横行した。そんな渦中で配偶者に迎えようとするのはある種の賭けである。しかしそれをそのまま本人に言うのは配慮に欠ける。善意だから無自覚に言えてしまい、かつ手酷く責めることを躊躇わせる。連邦のエイティシックスたちへの同情とまったく同じもの。ノブレス・オブリージュを建前にしている貴族のほうがまだマシかもしれない。
 気に障ったのか、男の背の向こうで女性が抵抗を強くする。それが男のわずかに残った理性を焼き切った。苛立ちが頂点に達した男の手が女性へと振り下ろされ、
「やめとけよ」
 その手首をライデンは掴んだ。
「君は一体誰だ」
「別に誰だっていいだろ」
 どうせ名乗ったとしても深く知るつもりなんてお互い毛頭ないだろう。
「これは私と彼女の問題だ。部外者は首を突っ込まないでもらいたい」
「それなら人通りのあるところでするもんじゃないでしょうに」
「っ、だからここではなく」
 穏やかでない傷のある相貌と、平均以上の上背にがっしりとした体躯を持つライデンの威圧にたじろがない者はいない。ライデンと同性の男も哀れに身体を強張らせる。
「冷静になったほうがいい。相手がどんな表情でいるか、自分の行動が周囲にどう見られているか」
 女性の顔を見ていないから出まかせだが、通行人らが白い目で男をじろじろと見ていることから自明だ。
「君のせいで――」
 プライドを貶され男が女性を振り返る。
 その瞬間、華奢な足が勢い鋭くへと振り抜かれた。
「ッ!!」
 声なき悶絶とともに男は前へと屈み、予想外の出来事に誰もが開いた口が塞がらない。話し合おうと口先だけで宣う男への心証は誰のものも悪かった。だが一連の動作は黙らせるには十分な反撃で、幸か不幸なことにこの状況になってはじめて男に同情が寄せられた。
 激痛に身体を折り曲げた奥からやっと口論の相手である女性が顔を出す。現れた顔と、もう片方の手で隠すように包まれた黒グローブを見たら身体が勝手に動いていた。
「逃げるぞ」
 ライデンは転がったオモチャを拾い上げたあと女性の手を取り、その場から逃げ出した。
 現場から離れた公園に辿り着く。ここまで来れば追ってくることはないはずだ。
「大丈夫か――マイヤー」
 ようやく見つけたベンチに座らせて女性、もといリズベットに問いかける。
 約二ヶ月ぶりの邂逅。トレードマークとも言える茜色のリボンがなかった上に、動きやすさを重視したスニーカーを履いたことで本来の身長になっていたリズベットに気づくことができなかった。だがこの暑い日にガードの堅い服装で黒グローブを左手にはめている人間、それも白系種となれば連邦広しと言えどもリズベットしかいない。
「なんとか」
 逃げ出したのはあの場に留まっていればあらぬ誤解を呼んでしまうことに加えて、リズベットの顔色が悪かったことも要因の一つだった。そのくせ軍人の体力でかなりのスピードを出してしまったわけだが、リズベットの返答に息は混じっていない。顔色もすこし戻ってきた。
 また面倒事に巻き込まれて、とライデンは人知れずため息を吐く。対象はリズベットにも、首を突っ込むような形で関わる自分にも。正義感などという可愛いものよりも、見捨てられないという気持ちが先走るのだ。
「助けてくださってありがとうございます」
 同情のようでいて、同情と呼ぶには引っかかる。リズベットを見下ろしながら名前のつけられない感情を頭の端へ追いやった。
「最後のは絶対余計だっただろ」
「それは、その……反省しています」
 後悔していると言わないのがリズベットらしいなんて軽口は嘘でも叩けない。
 男と相対していたリズベットにあったのは恐怖。脅威を前にして立ち尽くす、ただの人間であった。
 そうして遅れて気づく。あの無駄に高いヒールの意味を。あれは意地であり、護身用であったのだ。今まであんな歩きづらそうなものを履いている理由に無関心であった自分の呑気さが一転して裏返る。
「なんで絡まれてたのかとか聞いていいのか」
 一人分空けてリズベットの左側に座る。口論の内容から今日初めて会ったわけではなさそうというのは汲み取れた。
「……あの方は、私の能力を買ってくれた上司がこのまま連邦に残るのなら、と勧めてきた縁談相手のおひとりです」
 若い身空にも関わらず、もうそんな話が持ち上がることに口を閉ざす。
「世話になっている家がそこそこ大きい家門で、そのツテがほしいのが本音でしょうが」
 白系種であることは置いておいて、能力を認めてくれたのは喜ばしいことだろうに付属品オマケが余計だ。しかも善意ではなく、コネづくりといった政治的な思惑まで絡んでいる。自分より一つ下のリズベットが巻き込まれている。それをリズベットも受け入れている様子に、ただでさえ自分よりも若い彼女が結婚していることに距離を感じていたのに、手を伸ばせば近いと信じていた星が遥か彼方にあると思い知らされたような感覚に揺さぶられた。
「見合いなら指輪見せれば一発だろ」
 黒グローブの下にある指輪。嵌められている指から誰だって配偶者の存在を推測でき、大抵の人間は潔く身を引く。その切り札を何故使わないのか不思議に思った。
「どうしてそれを」
 信じられない表情でこちらを仰ぐリズベットにやっべ、と口元を押さえるけれど後の祭り。凝然と探る視線の圧が強く、目つきが鋭いこともさらに焦りを加速させた。
「……基地でペンキぶっかけられた時に見た」
 正直に話すとリズベットはああと納得しただけで特に気分を害した様子はなく、まったくの杞憂だった。
「見せることで得られる効果の大きさは承知していますが、これはそういうのではないので」
 指輪のある箇所を細い指が弄ぶ。その仕草にちりと耳の奥で何かが響き、それをライデンは無視する。
「共和国に戻らないのか」
「……」
 リズベットは答えなかった。エルンストから自ら連邦行きを志願したと聞いていたので、いつかはレーナたちのように生まれ育った祖国に戻ると考えていたが、この様子だと迷っているようだ。
 しかしそれだと見合いを断る理由が腑に落ちない。共和国に戻るのを躊躇いながら、連邦に残る意思も芳しくない。律義なリズベットの性格から考えれば、気は進まないものの世話になっている家に泥を塗るような真似は避けるはず。というかそもそも指輪をしている少女に見合いを持ってくる大人たちの神経を疑う。
 ちらりと銀のピアスが光る。
 共和国へ戻る戻らないは置いておいて、リズベットの中で見合いを断るに値する別の理由。
 そんなもの、一つしか思い当たらなかった。
「いー!」
 隣をいじましく見ていると、小さい子ども特有の甲高い声が飛び込んできた。声の出処を辿れば銀髪白眼の赤ん坊がおり、とてとてと頼りない足取りでこちらに向かっている。
 ありふれた、守るべき光景。そこへリズベットは脇目も振らず赤ん坊のもとへと駆け出し、ほとんど頽れる形で地べたに膝をつき抱き締めた。赤ん坊は気に入らなかったのか不満顔になり、ぐずり始める。慌てたリズベットが抱え上げてあやすと一転、満面の笑みを浮かべた。
 離れていて話の内容はライデンには届いていない。だが赤ん坊を見つめるリズベットの横顔がすべてを物語っていた。
「練習の成果は出せなかったようね」
 くすくすと顔に刻まれた皺を深くしながら、五十代ほどの白系種の女性が現れる。
「一秒でも早く会いたかったみたい。明後日からまた他のところへ向かってしまうのでしょう?」
「……すみません」
「忙しいのはお仕事だということは理解しているわ。ちゃんと連絡して、元気な顔を見せてくれればいいの。忘れられたくないでしょう?」
 しおらしく頷くと思われたリズベットだったが、妙な間を空けて何も言わなかった。
「お知り合い?」
 そんなリズベットに複雑な表情を浮かべた婦人がライデンに気づき、目が合う。
「赴任先でよくしてくれる方です」
「まあまあ! お友達なのね!」
 心から喜ぶ婦人と対照的に二人して体をギシリと同時に固まらせる。
 いざそう呼ばれると、なかなか首肯しにくい。たしかに世間一般の知人の基準には当てはまるものの、友人であると二人の間で合意したわけではない。ではただの知人かと尋ねられれば、どこか引っかかるものを感じてしまうくらいには深く長く関わっていた。
「よかったわ。リズベットさんったらそういう話をぜんっぜんしてくれないから、すごい心配していたの」
 婦人の言葉に、静かに抱えていた心配に近かった疑問がゆっくりと溶けていく。
 心配してくれる誰かがいる。いつも傍にはいられないようだが、リズベットにもそういう大人が存在していることに胸を撫で下ろす。
 ふと赤ん坊と目が合う。こちらをじっと見つめている丸い瞳から逸らすのも感じが悪いし、ライデンは別に赤ん坊という生き物が苦手でも、ましてや嫌いではなかったから指先をちらちら擦り合わせる。案の定幼い女児は惹きつけられ、ふくよかな指を伸ばす。
「この子が初めて会うひとを怖がらないなんて珍しい」
 何度も柔い指先は宙を切る。顔のパーツを中心に集めたものだから泣くと身構えると、赤子はライデンの袖を掴んだ。
「こらっ、放してあげて! 中尉もすみません……!」
「いい」
「でも」
「気が済むまでこのままで大丈夫だ」
 本当かと不安げに仰いでいたリズベットだったが、赤ん坊に向ける表情には慈愛の色が浮かんでいる。
 ロケットペンダントを渡されたときの表情より大人びた、けれど同じくらい心からの。
「家族みたいね」
「へ」
「っ、変なこと言わないでください。そんなこと言われたって向こうは迷惑でしょう」
「ごめんなさい」
 普段と様子が違う大人たちを他所に、赤ん坊は満足したのか飽きたのか布地から手を離す。
「ではこれで」
「ああ」
 二人に別れを告げて、ライデンも宿舎へ戻る。リズたちが歩き出した反対方向からは赤ん坊の嬉しそうな声が混じった和やかな談笑が聞こえ、ふと一抹の違和感が心のやわらかいところを撫でる。
 世話になっている家の子供。赤ん坊はせいぜい一歳を超えている辺り。歳が相当離れているとは言えリズの妹が妥当だろう。ラフな格好や、乳幼児が興味を持ちそうな服飾品をつけていなかった理由も頷ける。脇に抱えていたプレゼントはあの赤ん坊宛てだろう。
 ――ではあの子供はリズベットの何だ?
 ライデンはリズベットの両親がすでに亡くなっていると聞いていた。
 脈拍が急かされ、息もわずかばかりに浅い。靴底から伝うレンガの感触が鮮明だ。
 知りたくない。境界線の気配を本能が警告している。気づいてしまえば、今まで守っていた一線を踏み越えてしまう。喉元までせり上がっている正体に見て見ぬフリをしたい。
 だがライデンの自制は空しくもあっさりと踏破されることとなる。
ママ・・が元気そうでよかったわね」


BoyMeetsXXX