11

 盟約同盟での少し延びた休暇から戻った訓練期間のあと、恩人と再会することが叶った。口うるさいところは相変わらずだったが、この会っていない年月の間で随分とやつれたように見える。
「ばあちゃんに娘なんていたのか」
 自分たちが収容されたあとにどういう生活を送っていたか、そんな他愛もない雑談の最中にもたらされた事実に驚きを隠せなかった。
「娘とは反りが合わなくて、ほとんど没交渉だったのだけれど。……その様子だと私に孫がいたことも忘れているんでしょう」
 初耳というくらいにまったく覚えていない。どれだけ搾り出そうとしても、その姿を思い出せない。
「当たり前よね。積極的に孫だと言っていなかったし、なんせもう六年以上も前の話なのだから」
 あのとき一緒に匿われたエイティシックスにされた同級生たちの顔は全員霞んでいる。生きるか死ぬかの日々の中で、思い出す暇もなかった時間がすべての色を薄めた。
「無事だといいのだけれど」
「探してもらうよう連邦に言うこともできるけど」
 提案すれば老婦人の表情は苦く歪められ、やっぱりいいと力なく首を横に振る。
「あの子は私を恨んでいるから、生きていたとしても会いたくないはず。だから」
「孫の名前は」
 ライデンと窘める声に言葉を重ねる。
「たった一人の家族を諦めんな」
 老婦人とその孫の間に何があったかについてライデンは知らない。二人の問題だから彼らのわだかまりを解こうなんて余計な首を突っ込む真似もしない。
 けれど自分たちはもういなくて、大事にすることも、何を思っているか話すことすら出来なくなってしまった。
 だから自分の大事なひとにまだ望みが残っているのなら諦めてほしくない。
 これが自分勝手な願いだと自覚していてなお、もう一度ライデンは問いかける。生きているのならきっと恩師は謝りたいはずだ。たとえ許されなくとも、大事なひとが二度と後悔しないように。
「孫の名前は」
「……名前で呼ばれるのを嫌っていたから知っている子は少ないだろうけど」
 もしかしたらこう呼ばせていたかもしれないと、一旦引き結んだ唇をゆっくりと開く。
「――ベティ」

「ベティって呼ばれてた女子生徒? 知らないな」
 老婦人の孫が高等学校に通っていたということもあって早速休憩中にダスティンに聞いてみたが、案の定不発だった。
「何年生とかは聞いたか?」
「それは聞いてなかった。悪い」
 名前を訊き出すことだけに必死になっていたのでそこまで頭が回らなかった。
「となるとかなり範囲が広くなって難易度上がるな……。ベティだったらエリザベスとかベサニー辺りでいた気もなくはないけど、ベティと呼ばれていたかはまた違うしなあ」
 愛称を許すなら名前も許すものだろうと訝しがったが、恩師の暗くなった表情にそれ以上突っ込むことは憚られた。
「マイヤーは知ってるか」
 うんうん唸っていたダスティンがこいつ大丈夫かという目でライデンを見てきた。
「あいつ友達少ないぞ」
 容赦も遠慮もなくダスティンは友人の交流関係をぶった斬る。
「お前が知らないだけでいるかもしれないだろ」
 限りなく可能性は低いだろうが。
「まあそうだけど考えてもみてくれ。元々大人びた相貌と、触れたら殺すみたいな絶対零度の目つきで愛想悪い上に、力量を見誤ったやつは折れるまで叩くあの気性。周りは腫れ物として扱ってたから、俺が仲良くなった二年生の頃までにアレク以外で話し込んでた人間はいない」
 一部そういう嗜好・・・・・・の奴らに人気があったとか何とかの与太話は聞き流した。
「じゃあ笑ったりとかはまったく」
「ないない。少なくとも俺は一度も見たことがない、って待て待て」
 流れかけたダスティンが信じられないものを見たかのような顔で詰め寄る。
「んだよ」
「なんでリズが笑ったか笑ってないかの流れになる。ばあちゃん先生の孫が生きてるかどうかの話だったろ? いや本題はそっちなんだけどリズが笑ったのか? ニヒルなのじゃなくて?」
 混乱しながらもニヒルに笑った顔真似がかなり似ていたのは置いておいて。
「声出して笑ってたぞ」
 間は短かったし、背に隠されて見えなかったけれど確かに声をあげて笑っていた。
「そっか。よかった……」
 本当に嬉しそうに肩の力を抜いたダスティンにライデンは首を傾げる。
「共和国にいた頃は笑ってなかったのか」
「ニコリともしなかったさ。困ったように眉を下げることはあっても、声出して笑うなんてアレクも見たことないと思う」
 ふーんと何てことない表情で相槌を打つ。恥じらいとも照れとも似つかぬ柔さが滲んだ笑みについては言及しなかった。振り撒かなくても、円滑なコミュニケーションを取る武器として使ったっていいくらいだった。それにあの赤ん坊に見せた表情については話したくない、というより話すと自分の中でチリつくため積極的には話題に上げたくなかった。
「アレクも喜んでるはずだ。呪いに肩肘張って苦しそうだってずっと心配してたから」
「……」
 呪いとはまた物騒な形容だ。一方で忖度なくそう言ってしまえるくらいににはアレクという男は随分と深くリズベットを理解しているようで、長年傍にいた少年でさえ崩せなかった壁の向こう側を見た優越感は寸暇もなくへし折られた。
「……リズはちゃんと泣いたのかな」
 ダスティンが友人たちに思いを馳せる。
 知らない白ブタが一人死んでも同情も感傷も湧かないけれど、リズベットは泣けたのかは気になった。溜め込む人間は知らぬ間に唐突に折れることが往々にしてある。友人であるダスティンだって常時リズベットの傍にはいられないように、リズベットの傍にはいつも同じ人間がいない。彼女の周りにいるのは受け止めてくれる器のある人物たちだが、いかんせん一緒にいる期間が短いので信頼関係を築くために時間がかかる。
「人探しとか人海戦術が必要なものは顔の広かったアレクが生きてたら早かったんだけど」
 先の大攻勢で自分が看取ったとリズベットはダスティンに言っていた。
 いない人間に期待したってどうもできない。今いる人間でどうにかこうにか生きていくしかないのだ。
 暗くなった雰囲気に気づいたダスティンが払拭するようにわざとらしく笑う。
「とりあえず、ばあちゃん先生の孫探しについてリズに訊いてみるのもアリだと思う。ただあんまりオススメしない」

 事務方の終業時間を狙って事務室に顔を出す。この時間帯なら終わっていなくとも一休憩が入っているはずだとグレーテから引き出した情報の通り、リズベットの上司がひとり花を活けていた。
「あれ? どうした?」
「マイヤーに用事があって来たんすけど」
 あの銀の少女の姿は見当たらない。
「まだ来てないよ。明日か遅くても明後日に戻ってくるけど、急ぎなら伝言送る?」
 すぐ戻ってくるのなら直接訪ねたほうが確実だがああは説得した手前、恩師に要らない期待を長く持たせるのは酷な話だ。少々個人的な話が誰かの目につくのは必至。でもここは連邦だから、共和国の人間について詮索してくる輩はいない。とにかく存在の有無の速度を求めていた。
 言伝を伝えて、リズベットを助けてから一ヶ月近くもの時が流れたのだなとふと感慨に似た感情が去来する。言葉や顔を交わさなくとも姿やら噂やらに触れていたから基地にいないこと自体に違和感を抱き、空白めいた感覚を抱いた自分にいささか戸惑った。
「その花は隣町で買ってきたんですか」
 ちいさな動揺を消すように、電子機器ばかりの殺風景な仕事部屋に彩りを添えた花の話題を振る。基地の購買では見かけない絢爛な花ばかりだ。
「ううん。マイヤーさんに隔週届けられるものだよ」
 他人に贈られたものを勝手にと眉を顰めたライデンに、相手は気にしない性格だから適当にしていいと受取人からお達しがあったことを好々爺は教えてくれた。
「いつもは彼女がやってくれるけれど、いないときは僕が」
 薄くなった好々爺の肩に存在する階級章が目に入る。黄土色に挟まれた銀色のラインにかかる黒の桟。自分と同じ配色だが、尉官に必要な星がない。
「マイヤーって軍属じゃないんですよね」
「うん」
「じゃあどうしてジイさんが上司やってるんすか」
 リズベット本人の口から軍属ではないと聞いていた。管轄が違うのに上司になれるのは不可解だ。
「僕は上司じゃなくて、あの子のお目付け役だよ」
 ついでに上司なのは彼女だからね、と何てことないように付け加えられた事実に目を見張る。
「でも上司って自分で」
「経験もない若造が経験豊富な人間の上に立つのが嫌いだし、教えを乞うのは自分のほうだからって聞いてくれなくて、そういうていにしているだけだよ」
 リズベットもリズベットで、勘違いされているほうが色々と好都合だからと訂正もしないそうだ。リズベットが偉ぶらない態度のおかげで好々爺、もとい准尉が上司だと周囲は見事に勘違いしている。ちなみにこの関係を把握しているのはリヒャルトとヴィレムだけらしい。
「お目付け役がつくって一体何したんですか」
 グレーテからリュストカマーに来る前にひと悶着を起こしたと聞いている。今は一線を引いているとしても、軍人の手を必要とするくらい暴れたと考えるのが普通だ。
 准尉はリュストカマーに来る前の話をぽつぽつとしてくれた。
 リュストカマーに来る前に担当していた地区で、集落一つを丸々飲み込むような土砂崩れが起こった。一分一秒を争う事態に迅速な避難をと勧告したが、先祖代々の土地だとか、思い出がとか喚いて住民はなかなか避難しなかった。
 帝国時代では住民を強制で移動させる権限はその土地を治めている貴族にあり、連邦に代わったあとでも行政へ正確に移管されているところは少数だった。また〈レギオン〉の脅威に晒されていない土地に数がひっ迫している軍人は配備されておらず、近隣の駐屯地に要請するにも緊急事態用の行政と軍部のチャンネルのマニュアルがなく、出動までに手間取った。
 同胞の願いになすすべもない職員を見かねて、リズベットは命よりも大事なものはないと土砂に埋もれた家族の傍を離れなかった住民を無理矢理引き摺った。それが後々、家を捨てればいいというのは余所ものの暴力だ、思い出を捨てろって言うのかと囂々の嵐となった。
「果ては国を簡単に捨てた白髪頭に何がわかるか、って」
 避難することは一時的であろうとなかろうと、今の生活を捨てさせることだ。しかし命より大事なものはない。渋ることに罪はないが、他人の命のために自身の命を危機に晒した人間に対して暴言を吐くのは違う。
「マイヤーさんが共和国から来たっていう情報が流れていたことが問題でね。彼女、連邦の言葉を綺麗に発音するから僕も言われなきゃわからなかったくらいなのに、一言すら交わしていない住民がそんな個人情報を入手できるわけがない」
 ライデンは連邦に来て三年目に入る。そのライデンよりも短いリズベットの連邦語は流暢で、初見では連邦の白系種だとまず思い込む。それが一般市民の耳に入っているとなると、誰かが流したことは明らか。実際、調べたら同僚が流したことが判明したそうだ。
「じゃあ折り合いが悪かったっていうのは」
「同僚のことだね。取っ組み合いになって、しかも勝っちゃったもんだから尾ひれがついちゃって事実とは違うことが広まった」
「それでお目付け役……でもこっちにわざわざ出向かせた理由がピンと来ねえな」
「もともとワーカホリック気味だからどうにか休ませたいという向こうの上司さんの意向もあって、ここでは面倒を見きれないということにして軍のほうに流したんだ」
 要は気分転換を狙ったのだろう。気の毒なことにあまり是正の進捗は進んでいない、と思う。
「ツテを頼ってマイヤーさんの上司になったひとたちに当時どういう働き方をしていたのか聞いてみたら、朝の始業前から仕事をしているのは当たり前。夜も自宅に戻らず仮眠室に鍵かけて寝泊まり。土日出勤も日常茶飯事。仕事は優秀なんだけど、仕事をしているというより仕事していることで他のことを考えないようにしている。――まるでこれしかない、ってばかりに」
 戦場しか知らないエイティシックスのように。
「こっちに赴任した当初もそんな感じで、どうやって仕事をさせまいか苦心していたのだけれど、ちょっとずつ雰囲気が柔らかくなっていった」
 何があったんだろうねと小首を傾げる准尉の表情はすべてを見透かしているようだった。
「もし彼女が自分が何を思っているか話したくなったときは聞いてあげて。それだけで救われるだろうから」
 だからなんで自分に、と聞くのはいくらなんでも悪足掻きすぎた。


 リズベットの姿を見かけたのは翌日の午後だった。
 照りつける太陽を背に、ブリジンガメン戦隊の一人と歩きながら話している。白のスーツが黒へ代わり、装いを新たにしていた。
 気遣わしげな表情で真剣な話をしているなと見ていたら、リズベットが何か相当面白いことを話したのか隊員が腹を抱えて笑った。相変わらずリズの表情は変わらないのが珍妙な光景に拍車をかける。
「ブランカの嬢ちゃん」
 ちゃんと馬鹿話できる相手の存在に安心してリズベットに声をかけようとしたが、近くでたむろしていたノルトリヒト戦隊の戦闘属領兵ヴァルグスが話しかけてしまってタイミングを完全に失う。
「これ。この前は助かった」
 差し出されたコーヒー缶をしばらく観察し、リズベットは胸の前に手を翳した。
「いつのことでしょうか」
「大雨のときだよ」
「……お気持ちは大変ありがたいのですが、利益供与になるので受け取れません」
 一緒にいた何人かが「真面目か」と口をそろえて突っ込む。
「ったく、可愛げがねえなあ。そんなんじゃ恋人も作れねえぞ」
「余計なお世話です。昔はどうだか知りませんが、その発言セクハラになるので気をつけたほうがいいかと」
「お前、休暇で家に戻ったら娘に嫌われたとかさっき嘆いてなかったか」
「うるせえ!」
 笑いがどっと上がる。
「どちらかと言えば、私のほうがお世話になったと思います。腕のいい金物屋さんを紹介していただきましたし」
「しかしなあ、借りっぱなしってのは性に合わねえんだよ。何かほしいのねえの?」
 居心地悪そうに隊員は頭を掻く。その質問にひとつだけ瞬きを落とし、
「生きて家に帰ってあげてください」
 珂雪はそうはっきり切り返した。
「望むのはそれだけです」
 優しく。季節外れの春のように。リズベットの告げた声音に誰もが言葉を失くす。
「おーい、アルトとリズ! お前らも参加しろよ」
 歴戦の戦闘属領兵でさえ戸惑った空気を知ってか知らまいか、シデンがリズベットを呼ぶ。仕事の途中だからと断るリズベットにいいからいいからと隊の中でも若いヤツに退路を塞がせ、周りはようやく我に返っていつも通りに戻った。
「ベルノルトのおっさん」
 試験部隊の頃から一緒に戦っていたベルノルトが難しい顔で輪を外から眺めていたので声をかける。
「何考えてたんだ?」
「いやあ……アンタらも十分大人びてるとは思っちゃいますが、あの嬢ちゃんはそれ以上だなと」
 ベルノルトの言わんとしていることはわかる。歳相応の表情を見せてくれないと年上なんじゃないかといまだに錯覚する。
「俺がほしいものあったらあげますよって誘ったら中尉は何を答えますか」
 何もないとか、別にはダメですからねと先手を打たれる。
「肉だったり、新しい工具とか」
 視界ではどう足掻いても逃がしてくれない空気にため息を吐いて、不承不承にリズが輪へと足を進める。
「普通はそういう俗物的なものが出るんです。でもあの嬢ちゃんは俺たちゃ除け者の戦闘属領兵が家に生きて帰ることを望んだ。はっきり言って、気持ち悪い」
「気持ち悪い」
 ベルノルトの感想をそのまま反芻したライデンを見て、ベルノルトが頭を叩く。
「こりゃ口が悪すぎましたね……。薄気味悪い、とか何て言えばいいんすかね。アンタら五人と関わっていくうちに湧いた、とくにウチの馬鹿戦隊長の戦いぶりを見たときの感じ」
「……異様か?」
「それです」
 リズベットが木箱造りの闘場に腰を下ろす。色彩豊かな草原に迷い込んだ白い鳩はどうやら腕相撲へ参戦するみたいだ。
「あの嬢ちゃん、生まれも育ちも共和国でしょう? その割にはアンタらエイティシックスたちのことも、俺たちのこともフラットに向き合うのが板についているのが引っかかって」
 シデンやブリジガメン戦隊の隊員たち。気安いとまで行かなくとも、それなりに自分たちのテリトリーに入ることを許容している。レーナでさえスピアヘッド戦隊で信頼を置くのにそれなりの時間がかかったから、大攻勢のときに同じ場数を踏んだことも鑑みても確かに異様と表現しても過言ではない。
「幼馴染みがエイティシックスだったって聞いてるからそれが原因じゃないか? アンタたちも何だかんだ仲良くなってるし」
「仲良くっていうか、嬢ちゃんがうちの属領に来たんすよ」
 わずかに眼を見張る。昨日今日と驚く事実ばかり聞かされている。
「戦争が終わったら戦闘属領にも学校を作りたいからって、わざわざ自分の休暇中に。そのときにちょっと話し込んだり子守りをしてもらったりしていたんで、仲良く見えたのはそのせいかと」
 一回だけだとリズベットが黒グローブのかかかった左手首の腕時計を外す。相手は友人のダスティンで、さっそくどちらが勝つか賭けが始まっていた。
「そういやさっき呼んでたブランカって何だ」
「連邦の北西にある戦闘属領、俺の故郷の言い伝えに出てくるオオカミだよ」
 ノルトリヒト戦隊の隊員の一人が口を添えてくれる。
「真っ白な毛皮を持ったオオカミのことをオレらの土地では銀狼ジルヴァって総称で呼んでて、その昔群れだろうと猟師だろうと自分の縄張りに入ったヤツを返り討ちにしちまうくらい頭のキレるメスにちなんで白狼ブランカて呼ぶんだ」
 災害対応で二回りも年上の大佐を翻弄したことからリズベットをそう呼んでおり、あっちも苦言も呈さないため戦闘属領兵たちは馴染みのある呼び方を使っているそうだ。
 狼は社会性のある動物で、また単体では自分より図体の大きい敵に立ち向かう膂力を持っていない。だから群れを作って、獲物を狩り、宿敵たちと対抗する。それを一頭で成し遂げたのだから、本当に強かったのだろう。
「んま、畜産物が軒並み倒れた年にソイツを見ねえんで縄張りに探しに行ったら巣穴の前で立ったまんま死んだ奴さんがいて、巣穴には玉のように綺麗な兎がいたってオチが待ってるけどな」
 種族の違うものを愛した故の結末として伝わっているが、何かと美談にしたくなる人間の悪いところだと悪態をつく。
「食いモンになる相手を庇護して守って、そして死んだ。テメエが死んじゃ元も子もねえっていう、馬鹿な話だ」
 戦闘属領兵らしいシビアな考え方だ。
 はてさて勝負はというと、始まる直前の特有の緊張感が辺りを支配していた。
 木箱の闘技場に肘が乗り、大きさの違う手が掴み合う。審判レフェリーのミカの手が添えられ、ギャラリーは固唾を飲み――。
 開始と同時に叩きつけられる音が轟いた。
 木箱の闘技場周辺が静けさに沈む。傍で見守っていた誰もが事の果てに声も出せず唖然とするほかなく、少し離れたところから見ていたライデンも例外でなかった。
 宣言通り一回で済ませ、腰を上げたリズベットにようやくシデンが騙したな! と吠える。どうやらダスティンに賭けていたみたいだ。
 生物学上、女性は男性より筋肉量が劣る。最初はアンジュに伸されていたダスティンもこの半年で相当鍛えられた。だがリズベットはダスティンの手の甲を速攻で地につけた。
 大人しいという表現を最初につけたヤツが今の場面を見たら何と訂正するのか、至極どうでもいいことをライデンの頭は考えた。


 その日の夜、リズベットが刻んだアルミの碑の前にライデンはいた。
 実は何度もひとりで訪れたことがある。最初にリズベットと訪れたのは随分と前。それ以降設置した当人のリズベットが来なかったら寂しいだろう、と機を見ては足を向けていた。
 それ以外にも、自分の知らないところで戦い抜いた同胞のことを知っておきたかった。
 忘れないでくれるやつがいる。覚えていてもらうことが目的ではないけれど、覚えていようとしてくれた人間がいるだけで救いになることもある。
「シュガ中尉?」
 雑草を踏みしめる音に振り向くと、リズベットが素朴な花を手に佇んでいた。風呂上りなのか化粧が落ちていて、太陽の下で見たときよりも柔らかく感じる。年若くなめられることを危惧しての対処なのだろう。ヒールをわざと高くしている理由もそれに違いない。
 銀のピアスが月明かりに煌めいて、あどけないかんばせを照らす。
「お帰りなさい」
 不意打ちだった。
 嬉しいとか浮ついた感情より、幼いころの己を慰めてもらえた心地がした。
 言ってもらいたくて、ついぞ言われることのなかった、欲しかった言葉。
 首都に帰ればエルンストやテレザに言ってもらえた。基地にいれば戦隊の仲間たちが言ってくれた。
 リズベットは家族でも、同胞でもない。立ち位置だけ見れば迫害した側と迫害された側の相反する者同士で、ライデンの居場所になる相手ではない。
 なのにリズからなんの衒いもなく告げられて、たった四文字をライデンは紡げなかった。
「首都でお会いしたときに言えなかったので」
「……そうだったか?」
「ええ。それはそうと、何故ここに?」
 第一声と予想していた問いが嬉しさと寂しさが綯い交ぜになったライデンを引き戻す。
「これを渡しに来た」
「……どういう」
「前に勉強に付き合ってくれたときの礼」
 困惑するリズベットの前に揺れるのは、ガラス細工のストラップ。色とりどりのガラス細工に加えて螺鈿も入っていて、控えめな月明かりで万華鏡のように淡く光る。
 リズベットに礼すら告げていなかったことを滞在したホテルの湖の街で思い出したライデンは、慌てて近くの土産屋に駆け込んだ。ネックレスやブレスレットといったアクセサリーも売られていたけれど、異性の知人に気楽に渡すにしては少々重い。比較的軽いと思ったリボンもリズベットにとって毎日身に着けるものだ。
 すでに高いそのハードルを頑張って乗り越えた先で待っていたのは、センス。
 無難なご当地の食べ物にしようと考えて、そんなもので済ませてしまっていのだろうかとライデンは馬鹿真面目に悩んでしまった。反対に形の残るものをあげるのも重すぎるような気がして、店主に彼女への贈り物かと勘違いされた。
 結果、感謝の意を伝えられて、かつ捨てるときに罪悪感が少ないストラップを購入した。リズベットの好みを知っていそうなダスティンに尋ねようとしたが、とやかく囃し立てる輩に察知されることを厭って、四苦八苦しながらも自力で選んだ。
 付き合いの短いライデンなりに選んだものであったので、一向に反応が返ってこない状況は不安が煽られて非常にいたたまれない。
「気に入らなかったら捨てても」
「捨てません」
 耐えかねて張った予防線にリズベットが食い気味に返す。そんな彼女に驚いたが、口にした本人も驚いていた。
「ごめんなさい。こういうのをもらった経験が少なくて」
「いや、喜んでもらえたのならよかった」
「もらってばかりで申し訳ないです」
「そうか?」
「何かお返しを、あ」
 リズベットに何かあげたかと首を傾げていると、リズベットが何かを思い出したような声をあげる。
「この間お会いしたとき、ちょうどお誕生日の前後ではありませんでしたか」
「そうだけど」
 どうしてそんなことを知っているのだと視線を流してしまい、リズベットが察して答える。
「以前事務作業をしていたときに見かけて」
 エイティシックスのなかで誕生日を正確に覚えているのはライデンのみ。パイ投げが行われなかったことがせめてもの救いだ。
「記憶力がいいんだな」
「……そう良いことばかりではないです。忘れたくても忘れられないことが多いです」
 夜闇に風が吹く。
「すぐに何かできることがなくてすみません」
「別にいらねえよ。祝ってくれた気持ちだけで十分だ」
 ぱちと長い睫毛が揺れる。風呂上りなのか、普段化粧をしているときよりも幼く見える。
 正直首都のことがかなりの衝撃で気まずい。エルンストはリズベットが子持ちであることを知っていたんだろう。あの頃はこういうふうに話す間柄になるとは思わなかったから、先にそういう重要なことは言っておいてくれとエルンストを責めるのはお門違いであるが。
「休暇が伸びたとイーダ大尉から聞きました。楽しかったですか?」
「ああ。楽しめたよ」
「それはよかった」
 表情は変わらないが、声音は柔い。存外わかりやすい少女なのだ。
 休暇に、わかりやすい。
 いいタイミングなのではと、ライデンはリズベットに恐る恐る聞いてみる。
「なあ」
「はい」
「ダスティンってああなのか」
「ああ、とは」
「タイミングが絶妙に悪いところ」
 曖昧にぼかした表現にしばし瞬いて、思い当たる節があったのかリズベットは肩を竦める。
「あれはもうダスティンの病気みたいなものです。本人にその気はまったくないのに、ここ一番というときに限って邪魔をしてしまう。絶望的なまでに」
 絶望的なまでに、の言葉に込められた重さに苦笑いが零れた。たしかにあれは絶望的と表現したほうが的確だ。
「ダスティンが馴染めているようでよかった」
 表情をわずかに和らがせ、我が事のようにリズベットは喜んでるように見えた。
「そっちはどうなんだ」
「何が」
「連邦に馴染めてるのか」
 他人のことばかり心配して、自分については無頓着。ダスティンは元々協調性があったので何とかなってきた。一方でこの少女は違う。仕事面で融通が利く一方、自分の信念に関わることは鋼鉄のように頑固だ。
「……仕事に支障が出ない程度には」
 シデンたちやベルノルトたちと軽い雑談をしている場面を見ていたので、はぐらかされたと察する。
 線を引かれるのは慣れている。引かれたのならその領分を守るだけ。お互いにとってそれが最善だから。
 だがライデンは知ってしまった。この少女が冷たく、無感情なだけではないと。
 それはそうと、とリズベットが話題を変える。
「准尉からいただいた伝言ですが」
 土産を渡す以上に重要な話で、ライデンは居ずまいを少しだけ正しくする。
「ベティと呼ばれていた女子生徒が下級生にもいたかは私も把握していません。だから生きているかどうかもわからず……期待に沿えず申し訳ありません」
「いや」
 ダメ元で頼んだから成果が出ないのは承知の上だ。老婦人が諦めていないのなら連邦に追加で捜索を頼めばいいだけのこと。
「お前腕っぷし強いんだな」
「腕相撲はまあそれなりに……と言いたいところですが、休暇中に訪ねた戦闘属領兵の方々に鍛えてもらったのが功を奏しただけです」
「なんで鍛えられることになってんだ」
「現状について少々煽ったら、言葉よりも行動で示せと言われたのでそのなりゆきで」
「はあっ?」
「ベルノルト曹長には特にお世話になりました」
 ――何がちょっと話し込んだ、だ。がっつり絡んでんじゃねえか。
 たしかにダスティンが負けたとき、隣にいたベルノルトだけはあまり驚いていなかった。それであの場で起きた原因を察しろなど土台無理な話であるが、欺かれた気分で釈然としない。
 それから腕相撲の必勝法なるもの、ベルノルトたちとの論戦、花火の火薬で作る爆弾などをリズベットから教えられるという、不可思議で穏やかな時間を過ごした。

 □□□

 約半刻前。
 訓練が長引いてしまい、アンジュとクレナは浴場への道を小走りで進む。
 佐官クラスになれば個室に浴室がついているけれど、尉官クラスには大浴場が割り当てられていた。食堂は待っていてくれるが、風呂は時間がことに厳しく例外は認めてくれない。
 扉を勢いよく開け、中にある時計を見やる。長くは浸かれないものの、汚れを流すことはできるようだ。
「あ」
 先客がいたのかとクレナの視線の先をアンジュが追うと、濡れぼそった白銀の髪から夕露が零れる。しなやかで均整の取れた、平均値よりすこし高めの上背。軍人のように綺麗に伸ばされた姿勢は彼女の性質を表す一部だ。
「……お疲れ様です」
 すでに風呂から上がっていたリズベットはワイシャツを腕に通して着替えを手短に終わらせると、二人に挨拶を済ませ更衣室から足早に出ていった。
「ねえ、アンジュ」
「……ええ」
 クレナの声が痛みを堪えるような響きとなって、扇風機の音だけの更衣室に落ちる。
 キャミソールとYシャツの垣間。
 何度も執拗に動かされたのだろう、二の腕の背面部分には傷口の整っていない無数の小さな傷があり、右の肩甲骨には獣の鉤爪で引き裂かれたような大きな傷が深々と刻まれていた。
 そして一閃、右腕を両断するように肘に走る裂傷。
 その傷たちが、何もなかった人間なんていないと自分たちを責めているようだった。


BoyMeetsXXX