「ひでぇ顔だな」
「そんなにですか……」
書類作業に疲弊したレーナが突っ伏したテーブルから顔を上げる。書類とさぞ高名な名称にしているけれど、その実連邦へと先に渡ったレーナやアネットといった共和国で上流階級出身だった者に早期に逃してくれというみっともない嘆願書の山であった。
「さすがに来てないと思いますけど、リズベットが来ていたら本っ当に助けてほしい……」
ふたたび机に突っ伏すレーナに、ライデンは同情の念を強める。しかし白系種の横のつながりとやらに疎いライデンが手助けできることはなく、差し入れぐらいしかできることがなかった。
「リズベットもそういうの知ってるもんなんだな」
「リズベットが知っているのは特異だと思います。卒論作成にあたって相当調べているはずですよ。そこまで関わりがないにしても、どういう立ち位置なのかは把握しているみたいです」
ライデンはコーヒー缶のプルタブを立て、レーナはライデンが持ってきたノンカフェインの紅茶に口をつける。
リズベットの卒論に草案があったとかつてダスティンから聞いている。もし実現する心づもりがあったのなら、施行に必要な根回しの蔓を探していたはずだとレーナは答える。
方々を走り回る姿を想像できてしまって、胸中に広がる気持ちをライデンは持て余す。共和国の病は根治できない。それでも自分にできることはすべてやろうとしていたのだろう。
視線を感じて辿れば、柔らかい表情でレーナがライデンを見上げていた。
「ライデンはリズベットとよく話をしていますね」
「まあな」
白銀の瞳がぱちりと瞬くのでライデンは眉を顰める。
「なんだよその顔」
「いえ、否定されるものだとばかり」
「……気にかけてんのは事実だからな」
「ようやくシン離れできますか?」
「どうだろうな」
いまだに危なっかしいし、レーナもレーナで心配なところがあるので何とも言いがたい。でもライデンがシンの世話を焼く回数を少しずつ減らしていったほうがいいことは前々から決めていた。恋人の特権を侵害するのは野暮というものである。
シンがいなければライデンは何もできないと指摘してきたのは誰であったか。逆のことは八六区で散々揶揄われて慣れていたが連邦に来てからは自分より年齢が上の人間が多く、ライデンはシンと同じく庇護される少年の扱いを受けた。なんだかむず痒いと感じるのは仕方あるまい。
「似ていますよね、シンと」
そうだなと主語が抜けた文に相槌を打つ。文脈からリズベットのことを指しているのは誰でもわかる。
家族の話をしないところや自分が今思っていることを話さないところなんて瓜二つと呼んでも過言ではない。話しても価値がないと思っているのだ。リズベットに関しては自分たちエイティシックスに遠慮しているということもなくもないが。
「気にかけているのはシンに似ているからですか?」
「それもあると思う」
断定口調にできなかったのは似ていないと判断を下すには情報が足りず、その状態で断定するのは誠実でないと思ったからだった。
「似ていても違いますよ」
レーナのその言葉で確信を持った。
「なあレーナ。リズベットのことで俺たちに話してないことあるだろ」
突飛な確認だったというのに、レーナはさして驚く様子を見せなかった。
「ええ」
でもごめんなさいと間を置かず謝られる。
「本人から口止めされているのでこれ以上私から話すことはできないんです」
再会したときアネットを遮っていたので疑わないし、レーナを責める気なんて毛頭ない。
「レーナに悪いがちょっとホッとしてる」
「どうして」
「自分の口から聞かなきゃ意味ねえって」
リズベットと向き合うときは真っ新でいないといけないと思っている。あの白魔は対峙する者に一点の汚れも許さない。
「……連邦で再会した際のリズベットは初めて会った当時の彼女と何か変質していました。ダスティンほど時間は重ねていない私やシデンでさえ何かあったと悟るほどに」
けど変わったと翳っていた顔を上げてレーナはライデンに訴える。
「ライデンと関わるようになってから」
過去に思いを馳せたときの微笑。土産のストラップを見られて慌てた姿。
ライデンがはじめてリズベットと会ったときのあの鋭さ、儚さから離れて。
「私もリズベットのすべてを知っているわけではありませんから気休めにもならないでしょうが」
共和国にいたときのリズベットをライデンは知らない。いまだに違和感が残る箇所もある。それでも関わりのあったレーナから言われたのなら、もし何かを変えることができていたのなら出会えてよかったと思えた。
たとえライデンのなかの小さな何かが成就しなくても。
「おーいお二人さん」
ノックの訪れに扉を一斉に振り返る。少しだけ皺で縒れた白衣に、レーナと同種の疲労を漂わせるアネットが扉に寄り掛かっていた。
「いくら連邦だからって扉が半開きなのは不用心よ」
「それは俺のせいだな」
シンのためにレーナと密室で二人きりになる状態は避けていた。
「なるほどね。そろそろ就寝時間になるからレーナもライデンも早く寝なさいよ」
「これが終わったら寝るわ」
肩を竦めて封筒を一つ持ち上げるレーナに、あーとアネットが半眼になる。
「リズベット呼ぶ? さっきまで私の部屋にいたわよ」
「「え」」
呆けた声が二つ重なり、知らなかったのと驚く声が落ちた。
「何しにいたんだ?」
「嘆願書のゴミ処理を助けてもらったの。ダスティンにも手伝ってもらってたけどリズベットが来てからはほとんどやってもらったって言ったほうがいいくらいに仕事してくれて、逆に申し訳なくなっちゃったんだから」
二人で音を上げていた山四つ分の嘆願書のデータをものの十五分で捌いたそうだ。他の業務もこなしている人間にとって随分と楽になる。ついでに重要じゃない手紙のデータを印刷する手配までしてくれたそうだ。
「リズベットも共和国に? 原本移送といった事務系はこの前の大攻勢であらかた連邦が手を尽くしたからやることないはずなのに」
レーナが首を傾げる。この時期に連れ戻す魂胆やもたらされる利益は一体何か。
「理由はぼかされたけどなんか複雑みたいね。今軍属じゃないらしいし」
加えて軍人二人を引き連れていると告げ、アネットは眉を顰める。
「前々から感じてたけどリズベットってどんな扱いされてんのよ。行政にいたと思えば軍属になるし、気付いたら元に戻ってたらい回し。いくら役人志望の白系種だからって連邦はいいように扱いすぎ」
アネットの意見にライデンも心の中で頷く。人事に関して共和国から来て立場の弱いリズベットの意向が汲まれていることはまずない。操作することができるのはリズベットの上、もしくはその背後。
違和感が自分たちの知らないところで蠢いている。それも手に負えないような大きな何かが。
「まあそんなことなくても、リズベットなんか帰郷したくなかっただろうに無理矢理連れて来られて参ってるんじゃないの」
二組の白銀がライデンを振り仰ぐ。
「何するべきかわかってるでしょ?」
「マイヤーさんの居場所? なんでまた」
翌日の昼すぎ。自分たちに一番近く、そして上層部とのつながりが濃いグレーテのところへ赴いて見事に出鼻を挫かれた。
「スイウからリズベットとばあちゃんとのひと悶着について苦情が来てんだ。その真偽を確かめたくて」
自分たちの込み入った事情をグレーテに包み隠さず話すのも憚られ、結局当たり障りのない答えになってしまった。
軍属でもないため今どこにいるか掴めない。一応グレーテのもとを訪れる前にお目付け役の准尉のところに先に寄ってきたが彼も不在で、寝泊まりしている女性兵の宿舎で待つという方法はどうにもストーカーじみていて却下した。レーナとアネットにリズベットの居場所を探ってもらったが、二人が使っている宿舎に寝泊まりしておらず所在はわからずじまいな状況であった。
「中尉ったら何から何まで抱えすぎじゃないかしら。少尉が自分でやればいいのに」
真っ当な指摘だがスイウも手を尽くしたあとだとスイウのためにもグレーテに伝えておいた。
「彼女は今の時間帯なら本部で雑用をしているんじゃないかしら」
「なんで軍属じゃないリズベットがここに呼び出されるんすか。共和国に行く必要だってないはずで」
「連邦が探してる情報を彼女が知っていたの」
共和国に明るい、もとい出身であるリズベットに案内を打診したところ、心当たりがあると引き受けてくれたそうだ。付き添っている軍人は護衛ではなくその担当者で、リズベットがその探しものとやらを隠滅する可能性も考慮しての配置らしい。
「同行する必要性は」
「どうも上からの圧がかかったみたいね」
目付け役の准尉の不在が気になる。不可解な違和感があれこれと波濤として押し寄せ、大切なものまで岸辺から離していく。
舌打ちをひとつ落とす。今のライデンにとてやらなければならないことはある。リズベットにだけ時間を割くことはほぼ不可能だ。ひとまずリズベットが置かれている現状についての考察は脇に寄せる。とにかく会わなければ話が進まない。
勘が囁いているのだ。
ここを逃してはいけない、と。
「彼女は一足先に共和国に入るから、もしロミオとジュリエットをやるのなら明後日までに済ましておくことね」
その表現にグレーテまでとライデンはげんなりする。冗談よとその様子を見たグレーテがデスクに頬杖をつき、血色の良い口角を上げる。
「彼女の身体が完全にフリーになるのは夕方以降。それまでにこっちで手回ししてほしいことはある?」
見透かされてる居心地の悪さを飲み込んでライデンは頼れる大人に相対する。
「じゃあ二つお願いしてもいいですか」
時間も更け、残映も飲み込んだ薄墨がいっときの静寂を基地浸らせる。
居待月を仰ぐ。こんなにも人間の世界は目まぐるしく動いているというのに自然の在り方は変わらない。
指定した場所はオンボロ官舎。もう跡形もなく更地であるものの、二人にとって誰にも邪魔されずにわかりやすい場所だった。
雑草の踏まれるわずかな音が響く。伝言はちゃんと届いたようだった。
軍属でなくなったためか、リズベットはザンクト・イェデルで着ていた白のパンツスーツを身に纏っている。高いヒールは久々にあの意地の塔だった。
「飯ちゃんと食ってるか」
「はい」
「赤ん坊は元気か」
「……ええ。元気だと預かってもらっている方から連絡を聞いています」
白銀の瞳がわずかに揺らぎ、銀のピアスが月影に照らされる。
「それでお話とは」
途切れた一間を突いてリズベットから切り出される。今更ながらに心臓が忙しなく脈を打ち始める。
「ばあちゃんの孫なのか」
スイウからはなんとかしろとの調整のお達しであったが、ライデンにとってまず重要なのはその確認であった。
「あのひと……違うな。スイウからですか」
三秒にも満たない沈黙のあと、探るようでいてすでに答えは出ている声音が落ちる。
否定しない。それが答えであった。
嘘をついていたと詰るのは簡単だ。しかしリズベットは嘘をついていなかった。
嘘はどこにもいない、本当にも触れなかっただけで。
祖母が教師をやっていたという話もそうだ。考えれば思い当たってもおかしくないのにどうして今まで気づかなかったのか。我ながら鈍すぎて頭が痛くなる。
「じゃあオレや他のやつらとも一緒に」
「五年という短い間でしたが」
丸みを帯びた口調が真実だと伝えるものだから、なんで言ってくれなかったのかと不満がさらに募る。顔に出ていたのか、リズベットが冷たい寂しさを口角にのせる。
「幼少期に過ごしたことがあると顔も覚えてない白系種に告白されて思い出せますか」
老婦人と話したときに学友が存在していたことは覚えているけれど、その詳細な顔貌までは霞んでいると話した。そのときに一切リズベットのことすら引っかからなかった。
「……いや」
「無理に思い出させて嫌な思いをさせるくらいなら、どうせそこまで深く尋ねられることもないだろうと黙っていました。そのくせ定期的に近くにいたのだから、気持ち悪いと思われても仕方のない行為でしょうね」
自嘲するリズベットに嫌な記憶などひとつもなかったと言いたかった。しかしそう告げるにはあまりにもライデンは思い出を有していなかった。
「修復する気はあんのか」
感謝していると言っておきながら、リズベットからは老婦人との関係を改善する態度がない。あれは本心ではなかったのかと疑念が強まる。
「空気が悪い。スイウたちも困っている。せめて大人の対応くらいは」
「わかりました。悪影響になっているようなのでそちらには今後顔を出しません」
極端な回答はライデンを困惑へと突き落とした。
「なんでそうなる」
「あれ以上の対応は無理ですし、私ができてもあのひとはずっと気まずい顔をする。なら諸悪の根源が消えればいい話です」
露悪的に振る舞うリズベットに違和感を禁じ得ない。自罰的な性格はあったが、こんなに露骨でなかった。
「もうリュストカマーや西方方面基地にも赴くこともないので顔を合わせる機会はないでしょう」
こんな一方的に終わらせるようなやり方はらしくない。
連邦に来て変わったと口を揃える。一方で事実だとは連邦に来てから知り合ったライデンには思えなかった。
リズベットが連邦に来た理由。
「お前は一体何のためにこの国に来たんだよ」
土塗れになった夜、好物を教えてくれたあの夜。どちらも前向きな言葉を聞けたのに結局進んでいなかったのか、嘘だったのか。
「終わらせるために」
どうあるべきか決めている、みくびるなと言ったあの鋭さがライデンをふたたび貫く。
あのときもそうだった。
レーナやアネット、ダスティンのまばゆい銀の白。シデンの淡い雪花の白。アンジュとクロードの歯がゆい月の白。
そのどれとも違う白。
「終わりが来る、その日まで」
風が二人を激しく叩きつける。
前までは相手との間に無理解の断絶が横たわっていても受け入れていた。リズベットのときもそうだ。エイティシックスの自分と白ブタの彼女との関係はそんなものだろうと。
イタイ。
「チクったのはどうせお前なんだろ」
口を衝いて出たのは痛みを誤魔化すために取り繕った棘だらけの断定。学友たちを密告したことを、とは今この場にいる二人に説明は不要だった。
話をしてくれようともしないリズベットに腹が立って、自棄になって。引き留めたくて、無意識にリズベットを傷付ける言葉を選んで。
ざっくりと傷ついたリズベットの顔を見るまで、そんな自分の愚かさに気づかなかった。
「リズベット」
反射で細腕を掴む。しかし何もかもが手遅れだった。
「私だけこうして生き残っているのだからその結論に至るのも当然です」
どうせ信じないのだろうと遠回しに言われる。ひび割れて、諦めた下手くそな笑顔が痛々しい。
違う。きいてくれ。傷付けるつもりなんてなかった。
打ち消す言葉は言い訳になって喉に貼りついて出てくれやしない。
"どうせ"
その強い言葉は白系種だという偏見から出るものだ。
「ただ、私の人生に懸けてそんな卑劣な行為だけはしないと言っておきます」
夜闇に侵された鈍い灰色が鉄黒を仰ぐ。
「お互い明日も早いはずです。もう戻りましょう」
すり抜けようとした腕を掴み直す。案の定、嫌悪感が陰に隠れた顔に顕になる。知らなかったとはいえ傷付けたのはライデンだ。その男に身体を触れられて不快にならないわけがない。
「悪かった」
「何がです」
「何も知らないで責めて」
「知らなかったのだから仕方ありません」
でもなんとか対話を試みたくて。案の定、線が引かれる。
「そうやって自分が傷ついたことをなかったことにするな」
傷付いたことをなかったことにすれば感覚が麻痺していく。加えて外野は徐々に削がれていく本人を見逃すことになる。そしていつか崩れたときに寄り添えなくなることは必至だった。
「言って何が変わるんですか」
再訪した堂々巡りに奥歯を強く噛み締める。以前の焼き直しはライデンの許容するところではない。
「何かしてやれるかもしれないだろ」
「それはちゃんと返ってくる前提、関係性で成り立つものです」
言外に自分たちはそういう関係ではないと断言が刃として深部まで刺される。
伝わらない。届かない。どうしてこんなにも遠いのだろう。
「一緒にすんなよ」
語気が強くなる。これまで関わってきて何となくだがリズベットという人間の輪郭が見えてきた。
氷の仮面に隠すのが上手いから周りが気付かないだけで、傷や痛みに鈍感なわけでもない。記憶力と頭の回転が良いから二度と同じ轍を踏まないように先手を打ち、穴を潰す。ヤマアラシのように針を逆立て攻撃することを厭わない。
でも弊害があった。それはライデン自身を見ていないということだ。経験というフィルターを通して、ライデンを今まで傷付けてきた人間たちのカテゴリーに分類する。それがライデンにとってたまらなく許せなかった。
「――そっちこそ」
地を這うような声が聞こえた途端、掴んでいた手が強く振り払われる。
「いつまでも私をノウゼン大尉に重ねないでください」
苦々しげに絞り出され、銀色の瞳が鉄色の瞳を
「気づかないと思ってましたか。馬鹿にするのも大概にしていただきたい」
黒グローブが力強く拳を作って、秘匿されていた怒りが湧きだすのを懸命に堪えていた。
「憐憫は本能です。あなたが私に世話を焼くのはノウゼン大尉に似ているから、あなたの手を離れたから。彼にできなかったことを私で代用しているだけ」
何もそこまで言うことだろうか。ライデンの気持ちまで否定することはなかろう。
だが現に痛いところを突かれていて何も言えず、振り払われた手がじくじくと痛む。
「もう関わらないでください」
半分に減ったヒールが去り、更地に一人残される。
頭上の星々は空気も読まずはしゃいでいて、地上の身の置き場を掻き消した。
「マイヤー事務官と話はできたのか」
翌朝、小隊間のブリーフィングへ向かう道すがらシンから話題を振られる。筒抜けになっていて、情報元に見当がついた。
「……話はできた」
そんなぼかした言葉でシンは納得してくれなかった。
「ちゃんと終わったような顔じゃない」
「うるせえ。わかってるなら言うな」
シン絡みで話し合いが決裂したなどと言ったら責任転嫁したように思えて言いたくなかった。
「作戦には影響させない」
「それについては心配していない」
では何を、とライデンは血赤を見下ろす。
「知り合いだったんだろう」
「ああ」
「何年ぶりになるんだ。十年は経ってるか」
「八年近く、だな」
記憶が正しければ、のあやふやな年数だが。
「事務官と出会ってから半年以上経った今まで過ごした時間は半分以下のはずだ」
「……距離を詰めすぎたってか」
「そう、だと思う」
その自覚はうっすらとある。あったからこそ、余計に認めたくなったのかもしれない。多少なりとも心を許してくれていると勘違いして踏み込んで、過去のしっぺ返しを食らって逆上した勢いのまま傷付けた。
僅かな期間で理解した気になるというのは傲慢と呼ぶべきものだ。かつてのレーナとスピアヘッド戦隊、シンとレーナの間でだってそれ以上の対話がなされていた。
リズベットは自分から話すタイプではない。ライデンが知っているのは、好きな食べ物がミネストローネであること。子供もそんなに苦手ではないはずだが、本人の口から直接聞いて尚且つダスティンが知り得ていないものはただひとつだけ。あとは淡い過去。しかしそれら全部、ライデンから尋ねたものばかりだった。
明日の天気がどうとか。信念の話よりも、何を見てどう感じたか。白系種とエイティシックスという立場を抜きに、ただの一人と一人として。一つずつ知って、他愛のない話をあっちからしてくれる関係を作ることから始めるべきだった。
「人の話を聞くのは難しい。寄り添うというのはとても根気がいることだとレーナから教わった。お前は俺とちがってそういうの得意だろう」
シンも変わった。前は理解できない、わかり得ないと最初から諦めていたというのに。
「話してくれると思うか」
「多少なりとも悪いと思っているのなら道はあるはずだ」
ため息を吐く。
「シンにフォローされんのムカつく」
「ここまで言わせておいてその言い草はないだろう」
あのシンが
抽斗にしまっていた自分用の携帯から電話をかける。かけた先は勿論リズベットである。行き違いがないようにと伝言を預かってもらう願いとともにグレーテ経由ですでにその情報を持っていた。
呼び出し音が数回鳴らされ、留守電に切り替わる。昨日の今日で取ってもらえるとは夢見るほど楽観視していない。
「……ライデンだ。番号はヴェンツェル大佐から聞いた。昨晩のことで面と向かって謝りたい。もう一度ちゃんと話をしたい。そっちがよくなったらこの番号にかけてくれ」
甲高い発信音が打ち上げられたあと、つたない思いを残す。電話を切ると深い息が口から吐き出された。無意識に詰めていたようで、端末を支える手がみっともなくちいさく震えている。
リズベットがかけ直してくれるかは正直期待していない。それでも次に会えたとき、会えるように祈りをかけた。