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 ファンファーレも感慨もない凱旋帰郷マーチング・ホームを終え、三日間におよぶ共和国市民移送作戦開始まであと数時間。一般市民らの避難も始まった日付の変わる直前、ライデンは仮の床から起き上がっていた。
 部屋の気配が薄い。おそらく同室の死神はレーナのもとへ行ったのであろう。身支度を済ませ、ライデンは深夜の静謐へ繰り出した。
 いくらか涼しくなった風が肌を撫でる。吐息が白くなることはないが、人も遮る障害物も減ったため直接嬲られる。かつて市街地であった場所に人の営みの見る影はなく、ただ無機質なコンクリート壁があるのみ。それも少数派で大半が瓦礫と化していた。
 ライデンが今後この地を踏むことはないだろう。郷愁も良い思い出もエイティシックスたちには皆無だがレーナやアネット、ダスティンにとっては寂しいことに違いなかった。感慨はないが、考えることはある。
 ふとライデンは足を止める。
 白のジャケットとチノパンに、いつもの半分ほどの高さのヒールでどこかへ向かう白銀の長い髪と、結ばれた赤いリボン。共和国の空気の悪さのせいか、晴天の下できらめいていた白銀が濁って灰色のように映った。
「リズベット」
 気づいた時には名前を呼んでいて、白銀の尻尾がスローモーションのように宙を舞う。
「待てっ」
 ライデンだと認識するや否や駆け出したリズベットの背中を追って伸ばした手首は、第三者の手によって瞬く間に捻り上げられた。
「離して」
 気配なく現れた軍人をリズベットが制止し、それは反撃体制を取ったライデンをも掣肘した。
「彼は危害を加えません。だからその手を離してください」
 あっさりと手が離され、そそくさと一歩引いた軍人へライデンは視線を流す。警戒は当然緩まれていなかった。
「……もう関わるなと忠告したはずです」
「話したい」
 おずおずとライデンへ正対したリズベットは渋面を象る。だがライデンとて引けない。
 どれだけの間攻防していただろうか。堪らず、といったタイミングで白銀の瞳が逸らされ、ライデンの後方で従える軍人へ向けた。
「搭乗時刻までには向かうと連絡をお願いします」
夫人フラウ
「大丈夫です。必ず間に合わせます」
 感情の読めないいわおは一拍置いたあと、リズベットに敬礼をすると当初向かっていた方角へ姿を消した。
「場所を移動しましょう」
 人気のない、瓦礫を道端に寄せただけの道をふたり歩を進める。途中落ちていた診療所の看板に一瞥くれるもリズベットはそのまま踏みつけた。
 連邦軍が寝泊まりする宿営から二、三分のところの公園に到着する。ひしゃげた遊具たちが今なお残っていて、申し訳程度に点いた誘蛾灯が二人を暗く照らす。
「手短にお願いします」
 怜悧な態度に今更怯む理由もなかった。
「どうして関わるななんて言った」
 口は重い。その対応は想定内で、クローズドクエスチョンイエス・オア・ノーに切り替える。
「信用ならないからか」
「……私と関わったってロクなことにならない」
 ようやく口を開いたリズベットは黒グローブで反対側の肘を掴んでいる。
「しなくてもいい嫌な思いを何度もさせた」
 リズベットを気遣っていた人物たちを思い浮かべる。
 赤ん坊を預かっているあの壮年の女性はリズベットに友人ができたことを我が事のように喜んでいた。
 准尉も思い詰める性分であるリズベットのことを何よりも心配していた。
 ヴィレムも何だかんだ言って他人であるライデンにリズベットの陰湿な顔をどうにかしろと命令してきた。
「あのひとらも含めてるのなら、お前がお前を貶める行為は大事にしたいと思ってる人間を蔑ろにする行為だ」
 どれもリズベットのことがどうでもよければしない行動だ。そして誰も苦労を口にはしなかった。
「心配してんだよ」
「彼らはあくまで義務で私と接しているだけです。心配だなんてそんな、奇特な方があの世にだっているわけないでしょう」
 アレク以外ということか。それともアレクも含めてか。
「リズベット」
 もう一度手を掴み、名前を呼ぶ。珂雪がライデンを捉える。今にも額が触れそうなこの距離ははじめてだ。
「やめて」
 震える声が拒絶する。
「この前も言ったでしょう。ライデンのその感情は勘違いです」
「違う」
 何と言われようともリズベットの事が大事だ。恋慕であると自覚する前に終わった感情だけれど、こればかりは譲れない。
「何をもって勘違いじゃないと断言できるんですか」
 俯いて一向に目を合わせないままリズベットは訴える。
「もし、もし仮にあなたの気持ちが本物だとしてもそんなこと言われる資格なんてない」
 堪忍袋の緒が切れた。
「俺の気持ちを否定する資格もお前にはないだろ」
 伝わらない無力感はやがてふつふつと行き場のいい怒りへと変貌する。
他人ひとの気持ち否定ばっかして、自分が相手を否定してるのに気づいてない被害者ヅラは直ってなかったんだな」
 想いを受け取れないと拒否されるだけならまだ諦められた。しかしライデンの想いも勘違いだと否定し、自分に好意を受け取る資格なぞないと言いきった。卑下もここまで到達すれば自傷だ。今のリズベットの方がよっぽど不快で、それははじめて会ったときのリズベットと何ら変わりない。
「自分ばかり傷ついたみたいなカオしやがって。白系種どもと同じじゃねえか」
 低く唸り、今度はライデンから傷をつけに行った。
「そうやって一生そこで蹲ってろよ」
 ライデンは華奢な手首を振り払い、来た道を再び辿った。
〈ヴェアヴォルフ〉の座席シートが悲鳴をあげる。何もかもが不快の刺激で舌打ちが零れていく。女性をあの時間帯に一人置いてきたのはどうかと僅かばかりに残った理性が𠮟りつけるけれど、今のライデンはそこまで大人になれなかった。
 あんなにも頑固だったから。大事にしたいのに、大事にしたい当人が自らを大事にしないことでライデンが大事にされていないように感じて、あげられない悲鳴の代わりに突き放した。いつもリズベットだってやってきた。今更自分が同じことをされると覚悟していなかったわけではなかろう。
 短く切り揃えた髪を乱暴に掻き、とどまるところを知らない言い訳を追い出す。
 傷付ける意思がなくて傷付けたのと、傷付ける意思があって傷付けたのでは後者のほうがよっぽど質が悪い。リズベットが白系種に対して嫌悪感を抱いていることはダスティンから聞き及んでいた。以前ライデンも本人や祖母である老婦人からそれに準じたような言葉を耳にしてはいたが、実際には目の当たりにしたことはない。だから白ブタどもと同等と扱う苦しみを想像もせず、躊躇しなかった。
 謝らなければいけないことはわかっている。だが今は駄目だ。びた一文冷静じゃない。億が一、周囲がお膳立てしてくれたとしてもきっと平行線で終わる。いいや、断絶かそれ以上の結末を迎える可能性のほうが火を見るより明らかだ。
 軍人に呼ばれたリズベットの敬称が脳内にリフレインする。どんなに歳下の少女だとしても誰かの伴侶で、余人が軽々しく触れてはいけない存在なのだと思い知らされた。
 ひたすらに時間がほしかった。リズベットを傷付けた罪悪感と、届かぬ悲憤を咀嚼する時間が。

 終わったら、作戦が無事滞りなく終わったら。
 また今度。その次。
 それまでに。

 そうやって二度と会えなくなることがあるなんて、この世界にごまんと転がっていることを知っていたはずなのに。

 □□□

 あちらこちらで獣たちが甘い香りをくゆらせて燃え盛る。わずかに聞こえる聖歌のような悲鳴は篝火とともに夜を美しく彩るが戦場に鼓膜はなく、アリアの喘鳴は誰にも聞き届けられない。
 白骨の戦乙女に、大いなる神を飲み込んだ狼。それらと相対する無数の軍隊蟻が鎬を削る。二本足の獣ケダモノが彼らとともに踊るにはあまりにも脆弱すぎると否が応でも思い知らされる。
 焼け焦げた瓦礫の大通り、その一本裏の私道をひとり歩く。ナパーム産の熱風が喉を焼いて呼吸がうまくできない。それでも奄々と汚く生き延びていた畜生どもの国がついに滅びを迎え、歓喜匂う嘲りが心を埋め尽くしていた。
 しかし、やはりと言うべきか。まったく心は満たされてくれなかった。無様に松明が踊るこの光景をたしかに望んだのに自分は何が気に食わないのだろうと原因を探ってみる。
 白系種同士で責任を押し付けている光景に何やってんだか、と傍から見ていて呆れるほかなかった。結局押し付ける相手なんて誰でもよかったのだと今更ながらに思い知らされる。自分の無力を誰かのせいにしなければ被る損に耐えられない。罪を自覚していないのだから尚更タチが悪い。
 大攻勢で勝手に罰を受けた。誰かが下さなくとも、勝手に。
 それでも変わらなかった。変わったり、自覚したりした者は少数だ。
 ああ、と目を細める。
 そうだ、まだ生きている・・・・・・・じゃないか。
 列車に搭乗した市民や壁の中へ戻った市民の生存は絶望的だろうが、その他の白系種はまだ残存している。連邦と諸外国とわざわざタイミングをずらしてまで徹底的に殲滅したかったにもかかわらずこの体たらく。
 まるで人間みたい。
 前の大攻勢のときと趣が違う。機械であれば義務として一頭残らず屠れたはず。しかし今は己の欲を満たすために、なるべく残忍な方法で屠っていた。
 目的よりも享楽を優先してしまったがゆえの詰めの甘さ。
 今はこの窮地をどうくぐり抜けるかを考えなければならない。こんなドブにわざわざ戻ってきた目的は果たされてしまったので連邦から粗雑に扱われることは確定だ。用済みの末路を知ったらあのひとは怒りそうだと苦笑いが零れ、そのちいさな勢いで足を動かす。
 避難民とは別の車両に搭乗していたとはいえ、出発するタイミングは同時刻であった。だから〈レギオン〉の強襲に見舞われた。
 乗っていた車輌は悪運の強いことに直撃は免れた。しかし隣のホームに停車していた貨車は燃え上がり、恐怖で市民たちは無惨な壁の中へ戻っていった。
 あまりの愚かしさに呆然とする以外、どう反応するのが正解だったのだろう。
 何故死を選ぶ。あんなにも死にたくないと宣いながら、どうして地獄への道を進んで選ぶことができる。
 こんな国、見捨てるのが正解だ。でも私情を殺し、公に捧げなければならない。そう連邦で教えこまれた。
 矛盾に足を取られて躊躇ったのが運の尽き。その一瞬で乗っていた車両は衝撃波で突き飛ばされ、無惨な荒野へ放り出された。
 辛うじて軽傷で済んだため、自力で連邦軍の進駐している安全地帯まで向かう。同乗していた市民を連れ戻すのは諦めた。一人の力では限界だ。せめて自分の命くらいと踏ん張ったところで、何かに誘われるように振り返る。
 光学センサーの青白い光。斥候型アーマイゼ、忠実なる兵隊しもべ
 赤信号で足を止めるのと同じ道理で魂の色に歩みを止める。
〈レギオン〉が戦場で死んだ人間の脳組織を再利用しているという仮説が事実だと知ったとき、もしかしたらと非科学的で不謹慎な考えが浮かんだ。無論、そんなことはないと直後に付け加えられてささやかな期待は砕け散った。
 会いたいという一途な願いが死者に会わせるのだとしたら、彼らに会えない自分は思いが足りないのだろう。もしくは思いが弱いのだ。
 そんな非科学的な論説に縋りたくなったときがあった。心が弱っていたと今でも思う。でももしかしたらをチラつかされて手を伸ばそうと考えることは罪足りえるのか。
 熱風が吹き荒び、汚れた白銀の髪は灼熱とともに舞い上がる。卵が腐ったような刺激臭が鼻を衝いて、〈レギオン〉の灯火に硫黄の炎色反応を重ねた。
 視線の先、貴賤なく命刈り取る華奢な鎌が首を擡げる。北の虚空にて輝く極光にも似た明滅は温もりと寒さ、そして道標を人に与えた。
 ――ああ、やっと。
 未練ねつをすべて融かし、劫火の温もりに身を委ねた少女の脳裏に過ぎったのは果たして誰だったのだろう。


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