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「随分と気にかけてるみたいだな」
 グレーテの部屋の前で壁に寄り掛かって少女を待っていると、廊下の向こうから足音もなく腐れ縁がやって来た。その声がどことなく揶揄いの色を帯びていて、ライデンはムッと顔を顰める。
「たまたまだよ」
「それだけか?」
 妙に食い下がってきたシンを一瞥して目の前の閉ざされた扉を見つめる。
 他の誰にも言えなかったことも本人相手には言えるかもしれない。
「……お前に似てんだよ」
 誰にも頼ろうとしない孤独な在り方が長年傍で見てきた死神の姿に重なった。
「シュガ」
 シンの後ろから着替えを済ませたダスティンが小走りで現れる。
「頭は冷えたか」
「ああ。悪かった」
 それと同時に蝶番がきつりと鳴き、中からグレーテと、サイズの合ってない機甲搭乗服パンツァーヤッケをまとったリズベットが出てきた。
「あら中尉まだいたの?」
 グレーテに言われてからリズベットを待つ義理も理由も特にないのに待っていた事実に今更ながら気づかされる。
「まあ心配になるのも無理ないわ。イェーガー少尉が来るまでだったのだろうから、あとはよろしく頼むわ」
「はい」
 的外れな誤解をしたままグレーテはくるりとリズベットへ向き直る。
「今日はこれでしまいよ。悪かったわね」
「いえ」
「何かあったら私に言って頂戴。できる限り力になるから」
「ありがとうございます」
「大尉は次の作戦についてかしら」
「ええ」
 短い応答を背にダスティンがリズベットを連れて離れていく。野戦服の深緑に白が翻るのを見送り、シンとともに次の作戦の概要を聞き終わり時計を見ると昼飯の時間になっていたので、そのまま食堂に向かう。
「格納庫にいたやつらがかなり焦ってたって言っていた。何があったんだ」
「……最悪死ぬところだったらしい」
 リズベットと入れ違いにグレーテの部屋から出てきたグレンから聞かされた。
 基地周辺の当時の気温と湿度。
 古いペンキの揮発性と可燃性。
 格納庫内の換気具合。
 ヒール部分に取り付けられた金属とコンクリートの摩擦。
 火花ひとつで引火する条件は揃っていた。
 銃弾が放たれていたらと思うと背筋が凍る心地がした。アレは違うだろとダスティンが怒鳴っていたのはその可能性に気づいていたからだろう。
「どうかしたか」
 食事をよそうライデンをシンが気遣わしげに見つめる。
「何を考えてる」
「……いや」
「遅い!」
 色とりどりの昼食が載ったプレートを持っていつもの席へ向かえば、先に集まっていたクレナに叱られる。
「遅くなった」
「仕方ないわ。ライデンくんはマイヤーちゃんに付きっきりだったんだから」
「その白ブタちゃんが何したってその場にいた人たちに聞いたけど」
 一様に呆れた顔をする。
「新しいオモチャ候補に返り討ちにされるなんて笑うしかないよね」
 自分たちと同じように戦っているからあまり悪く言わないが、連邦が自分で思っているより善人ではないと知っていたので正直なところ、ざまあみろという感情はあった。
「リズベット⁉」
 銀鈴が一閃横切り、職劫にいたほとんどがその方向に目をやって、白さに目を眇める。
 第八六独立機動打撃群の指揮官であり、かつてスピアヘッド戦隊のハンドラーであったヴラディレーナ・ミリーゼが同じく白系種であるリズベットに駆け寄っていたからだ。
「よかった、生きていたのですね……!」
 レーナのあとからシデンとアネットが遅れてやって来る。アネットはあ、と声にならない驚きを上げた。
「お久しぶりです、ミリーゼ大尉……いえ、大佐に昇進されたと聞きました。大差こそよくご無事で」
 顔見知りの空気に、リズベットの傍にいたダスティンがわずかに腰を引く。
「私たちと別れたあとはどうしていましたか? ずっと心配していたんです。だってあなたは――」
「大尉」
 ふるふると髪が横に揺れる。
「その話はここでは」
「でも」
「ペンローズ大尉も元気そうで何よりです」
 話題を避けるようにリズベットは相手をアネットへと移す。
「そっちこそ。怪我は治った?」
「ぼちぼちですね」
「テメエがリズベットか」
「……イーダ大尉」
 レーナから半歩離れた場所で静観していたシデンがリズベットに近づく。男の中にいても見劣りしない身長のシデンが距離を詰めてもリズベットが退くことはない。
「今は大尉じゃねえけど」
「あなたも無事でよかったです」
「おかげさまでな」
 気に食わないと苦々しく吐き出すと、シデンはリズベットの顔をしげしげと観察し始める。
「そういう顔してたんだな」
「どんな顔してると思っていたんですか」
「世界を斜めに見てる、イケすかねーカオ」
「否定はしません」
「……少佐だけじゃなくてシデンも知っていたのね」
 久方ぶりの再会をスピアヘッドの面々は遠くから眺める。気心知れた雰囲気に周りも遠巻きにするほかない。
「でもまあ言い返したことについては意外って思わなかったこともないけど」
 セオが話をリズベットの気性へと戻す。エルンスト邸でリズベットの態度をクレナも見ていたように、何を言われてもそれが当然だと諦めていた姿はどこにもなかった。
 ペンキが撒かれた時、リズベットは自分たち二人に背を向けていたから表情を窺い知ることはできなかったが、相当腹に据えかねていたことは馬鹿でもわかった。ただそれがクレナの言うように言い返すとは思わなかっただけで。
「? リズは元々ああいう感じだぞ」
 白と女子の輪から抜けてきたダスティンが、何を言ってるんだと心底不思議そうな表情でスピアヘッドの隊員たちを見やる。
「放っておいて大丈夫なのかよ」
「積もる話も聞かれたくない話もあるだろうし」
 椅子を引き、ダスティンは同じテーブルの人半分離れたところに腰を下ろした。
「それって啖呵を切ったほうが素ってこと?」
 尋ねたアンジュにダスティンは首を縦に振る。
「そ。喧嘩を売られたら倍の値で買って、叩くなら相手が折れるまで叩く。自分に売られた喧嘩は自分でカタをつける。それがアイツのポリシーだ」
 あの時シュガを止めたのもそのせい、とダスティンはぼやく。
「あいつ、自分に売られた喧嘩に仲裁やら加勢やら介入してきた第三者に滅茶苦茶容赦ないんだよ」
 それで何度苦労したことかと嘆いたダスティンの表情に影が差す。
「まあちょっと今日のは行き過ぎてたけど」
「「ふーん」」
「お前みたいだな」
 どうでもいいと滲むセオとクレナの相槌のあと、シンが聞き捨てならないことを挟む。
「どこが」
「誰彼構わず噛みつくところとか」
「んなことしてねえよ」
「昔は噛みついていたぞ」
 こういう時に限って口を挟んでくるところが忌々しい。
「……本当に大丈夫か」
 真向かいの血赤がこちらを窺う。
「何が」
「さっきから変だぞ」
「それは」
「ここいいですか?」
 レーナがやって来て、話が中断する。どうやらリズベットとの話は終わったみたいだ。
「どうぞ」
「マイヤーは?」
 あまり深く聞かれたくない話題に突入しそうだったのでその搭乗はありがたく、何とか話題を変えようとらしくもなくあの少女の話を振ってしまった。
「マイヤー……ああ、リズベットのことですね。仕事があるからと先程職場へ戻りましたよ。一緒に昼食でもと誘ったのですが断られて」
 まあ断るだろうなと思う。余程の図太さか鈍さがなければエイティシックスだらけの輪に入ることはできない。その前に輪が霧散するだろうけど、とは言わないでおいた。
「レーナはリズと知り合いだったんだな」
「ええ。大攻勢のときに随分と助けてもらいました」
 大攻勢。
 自分たちは知らない、レーナたちの戦い。
「ライデンの言葉で思い出しましたが、リズベットはどこかの養子になったんですか?」
 進めていたスプーンがかつんとプレートにぶつかる。
「共和国で名前を訊いたときと違っていたのでもしかしたら、と思ったのですが」
「んなこと僕たちが知るわけないじゃん」
「連邦のどっかの白系種が憐れんで結婚してくれたんじゃないの」
 適当な推測が放り投げられていく。レーナのあの妙に間の空いた返答は戸惑っていたのだと知る。
「ダスティンくんも知らないの?」
「ああ。連邦に知己がいるって話も聞いたことないし、むしろ俺が聞きたいくらいだ」
「そうですか……」
 レーナやダスティンは指輪のことを知らない。傷があると友人であるダスティンに嘘をついてまで隠したいものを本人がいない場所で話すのもどうかと思い、その話に触れるのはやめておいた。
 一足先に食べ終わったライデンはプレートを持って返却台に向かう。
「って……」
 手の甲を見やると、いつ付けたかわからない擦り傷が出来ていて舌打ちする。
 傷の乾き具合から、リズベットがグレーテの執務室に入るのを見届けたあとについたものだ。
 シンがライデンを気にしていた原因はその前に起こっていた。

「お前、自分が何かされるって気づいてただろ」
 シャワーを浴び終わって、部屋から出てきたリズベットに訊ねる。
 あのとき靴に何か入ったと急に立ち止まったことが疑問だったが、事が起こってしまえばすべて合点がいく。あのタイミングで立ち止まったのは、自分たち二人にペンキがかからないよう距離を取るため。
 頭一つ離れたリズベットを見下ろす。ヒールのことが完全に頭から抜けていて、本来の身長よりも一回りサイズが大きい替えを用意してしまった。現に利き腕の右腕の裾はしっかり肘の辺りまで捲られているが、左側は桜色の爪しか見えていない。
「それを知ってあなたはどうするんですか」
「どうするって」
 言葉に詰まる。
 気づいていなかったら不運だったと同情し、それで納得していたか。
 否。
 わからない・・・・・
 どんな答えが返ってきたら自分はよかったのだろう。
「……お好きなように解釈してください。ただ、気づいていようがいまいが私はああしたと思います。私たちとあなたがたの問題に首を突っ込んでいい理由なんてこの国の人間には誰一人としてありませんから」
 そもそも、と白魔の奥から芯の通った鈍色がライデンを貫く。
「あんなことをされずとも自分たちがしてきたことに対してどう向き合うか、どう在るべきかはすでに決めてあります」
 見くびるなと言外に告げる氷の瞳から目を逸らせなくなる。矜持を侮られた怒りはナパームの焔のように燻っていた。
 ヴェンツェル大佐のもとへ行きましょうと促されて、やっと動き始める。
 執務室に辿り着くまでの間、互いが話すことは一言もなかった。

 手のひらをグッと握り締める。
 知ることは踏み込むこと。
 踏み込むことは傷付くこと。
 興味本位で踏み込めば強烈なしっぺ返しが襲ってくる。今回は手加減してもらったからこの程度で済んだにすぎない。
 擦過傷だから時も置かずにすぐ治る。治って、傷なんか最初からなかったかのように、痛みなんてなかったかのように跡形もなく消える。
 それでも確かにライデンは――。

 □□□

 基地全体を包む夜の中、ランプの灯りがデスクの上だけを照らす。進めておきたい件に手を着けるべく、グレーテはこの時間まで執務室に残っていた。
 リズベットが早速持ってきてくれた書類に目を通す。要点と注意点、こちらが知りたかったことを何も言わずとも事前にまとめてあり、かつ後ろのページはほんのわずかだが前半のものより行間が広くなっている。字に疲れてきたこんな夜更けにその気遣いはありがたかった。
 彼女はこの基地の事務方の人でが足りないということで、二週間ごとに基地で働く形となっている。中途半端な異動にどういう意図があるか知らないが、仕事をこなしていればグレーテは文句などない。事務方で溜まっていた四日分の決裁を午後の五時間で捌かせたそうだ。本当に齢十数年かと疑いたくなるほどの仕事の出来である。
 昼間も似たような感覚になったことを思い出す。
 首都から事務方に赴任してきた女性の役人が聞いていたグレーテは衝撃のあまり息をするのを忘れてしまう。
 ソファに座った目の前の少女からは、部屋に入ってきたときや座ったときの所作に育ちの良さを匂わせる。
 そう、少女のはず・・・
 グレーテが旅団長として預かる第八六独立機動打撃群所属のエイティシックスの少年兵らとそう変わらない年齢の少女だと資料を事前にもらって顔も見ていたが、実物で見るのとではわけが違う。目の前の[[rb:顔 > かんばせ]]は、少年少女特有のあどけなさの息吹すら感じさせなかった。
「部下が大変失礼なことをしたわ。謝って済む話ではないとわかってはいるけれど、本当にごめんなさい」
 息を整えて、頭を下げる。あまりにも軽くて、唇を噛んだ。
 たしかに少女は有色種を人と見なさず豚と迫害し、無人機として使い潰した共和国の人間の一人かもしれない。だがやっていいことと悪いことの分別はつくだろうに、兵士たちの行動には頭を抱えるしかない。以前別の兵士たちが赴任したばかりのレーナへやったものより悪質だ。突発的だったから防げなかった、は言い訳にすぎない。一度あった過ちを繰り返さない、繰り返させないのが上官の役目だ。
「人間なんてそんなものでしょう」
 はっとして伏せていた目線を上げる。
「相手がどんな人間か知ろうともしない、いい加減な生き物です」
 彼らも、あなたも。
 私も。
 だから気にすることはありませんと零した少女の瞳が鼈甲色の水面に映し出される。
 自戒にも似た深い諦め。いいや、それよりももっと――。
 そこでグレーテははたと気づく。
 この瞳を自分は知っている。自分たちを取り巻く世界に期待なんてするだけ無駄だと、切り捨てたその瞳の色を。
「その代わりと言ってはなんですが、私から提案してもよろしいでしょうか」
「叶えられる範囲なら」
「彼らの処分は穏便なものを望みます」
 グレーテは眉を顰める。
「それはどうしてかしら」
「彼らは十分自分の行動を恥じました。追い討ちをかけるのは趣味じゃないです。そもそも――」
 白磁のティーカップが対のソーサーに置かれる。
「基地を案内してもらうというお話が出た時点でこうなるのではと、ある程度予想していました。それを見逃していたのはこちらの過失です」
 顔色一つ変えず言いのけた少女に、グレーテは紅を引いた口の端を上げる。
 害をなされると予期しておきながら見逃していたのは、基地内で侮られないよう流れを持っていくのが目的だった。被るリスクと得られるリターンを天秤にかけて、リターンを取ったということ。
 あの状況に持っていけるようにわざと見逃した。
「連邦の皆様が理解のある方々でよかったです」
 つまり彼らは彼女の盤上で踊らされていたというわけだ。
 居合わせたグレンからの報告からかなり腹に据えかねていたと聞いていたが、最初から冷静だったわけだ。大人しいと見紛う静けさを何もやり返してこないと侮った兵士たちが悪い。
「まあちょっと八つ当たりにも近いのですが」
 十数分前までいた同期から具体的なことは何一つ語られなかったが、曰くここに来る前の職場で上司や同僚と白系種を理由に難癖をつけられてやり合ったらしい。
 一体どこからそんな詳細を情報を引っ張ってきたのか知りたくもなったものの、やめておいた。絶対絡まれるし、出処もろくでもないところからに決まっている。
「クリーニング代を請求しても?」
「もちろん」
 抜け目ない。ただ殴られれて終わってたまるかという気概の片鱗にグレーテは少女への評価を少しだけ上げる。
 大体の人間は理不尽に晒された場合は自分が何をされた状況を理解するのが精一杯で、自分が受けた損について補填や補充するようなことを思い浮かべることすら難しい。たとえ温情をかけたとしてもそれは余程のお人好しがすることであり、その裏には打算なんてものはない。
 しかしこの少女は打算があった。通常ならまず却下しているところであったが、少女の策略に敬意を表して司令官への具申を決め、彼女からの申し出であることの補足と、頼まれごとを付け加えて報告したのは数時間前のことである。
 しかし、とグレーテはチェアの背もたれに体重を預ける。
 予測できていた、というのは予測できるほどのデータが集まっていたことの裏返しだ。不条理を予測できるくらいに彼女はあの華奢な身体に理不尽を受けてきたのだと思うと、忸怩たるものがあった。
 だからだろうか。彼女と彼らを重ねてしまったのは。
 グレーテは自身の紫水晶アメジストを細める。
 自分が考えているよりももっと広く、深く。
 この世界の残酷の根は蔓延っているのかもしれない。

 □□□

 枕から頭を起こす。置物としての目覚まし時計を見ると起床時間まで猶予があった。
 もう一眠り、とまではいかない猶予に散歩するかとライデンは布団から出る。いまだ深い眠りに沈んでいる相棒を起こさないよう、静かにドアを閉めて部屋を出た。
 どこに行くとも特にあてもないまま基地をぶらぶらと歩く。人がいないせいで静謐が肌に痛い。
 格納庫前で空を仰ぐ。東の朱色が西の呂色を溶かして青紫、紫と地平線で睦み合う。木綿鬘を思わせるその光景は艶やかでありながらも一歩踏み出すのを躊躇う危うさを孕んでいた。
「お久しぶりです」
 愛機が羽根を休める格納庫を通り過ぎようとした瞬間、角の向こうから女の声が聞こえてきて咄嗟にライデンは身を隠す。
「こんな時間に起きているなんて年寄り臭いな――リズ」
 書類上の養父と、自分の隊のマスコットが扱うのと似た発音。
 そして何よりも、出された名前。
「その名前で呼ばないでください。というか、こんな時間に呼び出したのはそちらでしょうに」
「君の髪がまぎれるように配慮してやっただけだが」
「鳥目ですものね。日頃から部屋を明るくしてないから目を悪くするのでは」
 朝からする会話にしてはやり取りの棘が毒々しい。
「話しているところを見られたらあることないこと言われるのではないですか」
「言いたい者には言わせておけばいい。それともそう見られたいか?」
「……」
「冗談に決まっているだろう。腐った生ゴミを見るような顔をするな」
 その辺りの対策はしていると男は呆れた様子で答える。
「さっそく初日から問題を起こしたと報告を受けたから忠告しに来ただけだ」
「向こうから嗾けてきたの間違いです。もう二日、三日待てができるかと思っていましたけれど、部下の躾はきちんとなされたほうが良いかと思います」
「軍人を犬呼ばわりか」
「軍人も役人も国家の走狗でしょう」
「可愛げのない」
「必要ありません」
 嫌味の応酬が飛び交う角の向こう側をすこしだけ覗く。
 白のチノパンに、おそろしく高い黒のヒール。この基地でそんな恰好をしているのはあの少女しかいない。
 それよりもマイヤーの相手の声が気になる。見えないので声で判断するほかないというのに、朝の空気は音を拡散させて声音を曖昧にさせる。
「弱い犬ほどよく吠えるのも考えものだな。噛みつく相手を見極めろといつも言っているだろうに」
「これでも選んでいるつもりですが」
「以前はそんな血の気の多い話はひとつも聞かなかったのに、どんな心境の変化があったのやら」
「別に。ただどんなに贖おうとしても拭えないのならやりたいようにやると決めただけです」
 反省の色がまったく見えない答えにため息が再び吐かれる。
「君が誰に喧嘩を売られようと売ろうとも構わないが、マイヤーの情けを仇で返すような真似は控えろ。度を超えればエーレンフリートの家にも泥が飛ぶことも君なら理解しているだろう」
 エーレンフリート。
 心臓が嫌な早鐘を打つ。
 その家の名前を冠する人間は、西方方面司令部参謀長であるヴィレム・エーレンフリートしかいない。
 リズベットとヴィレムは何らかのつながりを持っている。この事実を他の誰が知っているのだろうか。旧知の中と思わしきグレーテがこのことを承知しているようには見えなかった。だとするならばこの場から一刻も早く離れたほうがいい。
 そうとわかっているのにライデンの足は動かなかった。
「とにかくこれ以上悪評を立てないようにすることだ。いくら私が君の――」
「⁉」
 その先の言葉にわずかに前のめりになった刹那、足音も気配もなく後ろへ引き摺られる。
「失礼」
 今の今までその声をまともに聞いたことはなかったが、ヴィレムの副官だと確信した。一八五あるライデンよりも小柄であるにも関わらず難なく浮かせるなんていう芸当ができて、なおかつこのタイミングを見計らうことができるのは彼以外考えられない。
「今聞いたことは他言無用でお願いいたします」
 なかなか首を縦に振らないライデンを促すように、固められた肩に力がさらに加わる。
 周りに軽々しく言いふらすつもりなんて端からなかったが、じわじわと蝕んでくる痛みが相談すらも許さないと警告していた。
「……ああ」
 ライデンが頷いたのを確認して拘束が緩まる。振り返るともうそこには誰もおらず、ただ生温い風が吹くだけだった。

 脳裏で白鈴が転がる。
 揺れる。
 影が、白銀の尾が、茜色のサテンが。
 チラつく。


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