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 連合王国から帰還し、ライデンたち第八六独立機動打撃群の面々はリュストカマーに戻っていた。あと二日経ったら隣町の特別士官学校に行かなければならない。
 今までは窓の向こうの天気模様のように鬱屈とした、漫然とした不快感があった。
 未来なんて思い描いたこともなかったのにそれを強要され、自分たちの在りようを決めてくる大人たちにそれぞれの形で反抗していた。けれど自分たちの果てを体現したようなシリンたちの在り方に前を向かなければいけない気持ちになっていた。
 そんな自分たちを下手に急かすように雲の流れも速い気がする。水気を含んだホコリのように濁った灰色の空のせいで廊下はまったく明るくない。
「今作業してるから触らないでねー」
 そもそも電気がついていないことに気づいて電源盤のスイッチに触れようとしたところ、廊下の奥から声をかけられる。脚立に乗った好々爺、もといリズベットの上司がいた。
「そこの箱を取ってくれる?」
 指差す先にあった電気灯の替えの箱を、脚立の上にいる彼のもとへ持っていく。
「これっすか」
「うん。ありがとう」
 滑らかに蛍光灯を取り替える手つきが馴れたもので、こんなことまで事務方はしているのかと初めて知る。そう言えばこういうことを兵士が自らやっている場面を連邦に来てからライデンは見たことがなかった。
「こんなこともするんだって思った?」
 心を読まれたのかと思って好々爺を見やれば、くすくすと笑われる。
「机仕事だけじゃなく、こういう誰かがしてくれるだろう仕事をするのも僕ら事務方の役目だよ。まあ備品を手配してくれたのは全部マイヤーさんなんだけどね」
 リュストカマーに戻って来て一日以上は経っているのにリズベットの姿を見ていない。リズベットがいなかった時間のほうが短いというのに二ヶ月前まであちらこちらで姿を見ていたから、余計にその落差に意識が違和感を拭えない。それでリズベットは四六時中どこかへと駆け回って仕事をしていたのだとあらためて気づく。
「あれ聞いてない? 二週間ごとに首都を中心にして連邦各地を行き来してるんだ。運が悪かったねえ、つい昨日別の場所へ行っちゃったところだよ」
「別に知りたかったわけじゃ……」
 苦く零したライデンに、ぱちくりと皺が深く彫られた瞼が瞬く。
「気にかけてくれてるみたいだからてっきり」
 早とちりしてごめんねと謝る好々爺に、ライデンはきまり悪く頭を掻く。気にかけてしまっていることを自覚していたが、こうも何人かから指摘されるといたたまれない。
「ライデン」
 足音なく我らが死神が呼ぶ。その表情はいつもと変わらないように見えて、どこか嵐の予兆を漂わせている。
「出るぞ」

 ぬかるんだ野原に足を取られつつも、作戦は予定通り完遂。雨脚が強い中、一息ついた安堵に戦隊が包まれていた。
『……わかりました。すぐそちらに戻ります』
「どうかしたか、レーナ」
 知覚同調から聞こえてきた神妙な声に訊ねる。
『今リュストカマー基地から、裏にある山が土砂崩れを起こしたとの連絡が入ってきました』
 雨粒を載せたモニター画面を見上げる。土砂が基地近くの河川に流れて濁流となって蠢いている。
『隣町にも甚大な被害を及ぼしているようで、基地内の者は復旧作業に当たっているそうです。帰投予想時刻を早めてもいいですね?』
『いいけどさあ、裏山って言ったってそんなに基地に近くないんだから別に影響はないでしょ』
『それがそうもいかないの』
 会話に基地にいるグレーテの声が入り込む。
『備蓄倉庫と予備の電気プラントが麓に近くにあるの。これ以上雨が続いたら第二波は必ず来る。そうなったら確実に被害が出る。それに伴って川が氾濫したら川から溢れた濁流が基地に流れてくるわ』
 第二機甲グループは今隣町で休暇を取っている。戻ってくるにしてもこの天候では戻ってこられるか怪しい。
『悪い情報よ。隣町と基地を繋ぐ橋が崩落した』
 誰かが舌打ちをする。これでは基地側から支援したくてもできない。この暴風雨のせいで輸送機を飛ばすことはできても着陸させることは難しい。
『え⁉』
 グレーテのらしからぬ動揺した声に一同緊張が走る。
『ヴェンツェル大佐?』
『基地に戻っていたらしいマイヤー事務官が飛び出していったとの報告が入ったわ』
「……この雨の中か」
 雨粒を横に激しく叩きつけるこの黒雨の中を単身で。いくら現状を正確に把握し予測していたリズベットでも無謀にもほどがある。
『先に手の空いている兵士が向かっているから一人でいるということはないけれど、心配だわ』
『マイヤーちゃんはレイドデバイス持っていないわよね。どうやって連絡を取ればいいかしら』
『無線、というかPHSを持っているから連絡は取れるはずなんだけど……応答はないようね』
『無事は無事みたいじゃ』
 フレデリカが視ていてくれたので無事は確認できた。
『先に対応にあたっている兵士が持っていった無線のチャンネルに合わせてください』
『了解』
『――……こ――……点で一回目の蛇行が始ま――……ので、ここで――堰き――ます。持って――……けの廃材と――で堤防を……――ください』
『対――どう――、白系種の嬢ちゃ――』
『対岸は同僚が対――。私――こちらから――……』
 途切れ途切れに聞こえてくる無線の向こうでリズベットの声がする。他にも複数の声が声が聞き取れて、先に向かった基地の人間だろうということがわかった。
『リズベット!』
『ミリーゼ大尉ですか⁉』
 リズベットにしては大きな声が無線越しに届く。焦っているせいか、レーナを昔の呼び方で呼ぶ。
『陣頭指揮にあたっていると聞きました。状況は』
『あまり芳しくありません。それよりも皆さんは今どちらにいらっしゃいますか!』
 当たり前の問いかけに、一瞬の逡巡。
 レーナも、年長者であるグレーテも躊躇うのは無理なかった。
 軍関係者ならまだしも、リズベットは役人だ。行軍位置は軍事機密に相当する。命がかかっている非常事態とはいえ、非軍事関係者にそれを教えることを憚るのは軍人であるならば当然のことだった。
 加えて二人とも災害派遣に出たことはない。常備軍がある国家では軍が災害救助に携わることもあるが、率先して警察や救助隊といった行政関連部署が動く。軍は地震といった大規模災害が起きたときに出動する。
 しかもレーナやグレーテが軍に入隊したとき、軍はほとんどレギオンとの戦いに特化していた。知識として災害時の対応を知っていても、軍の規則などを越えて柔軟な対応をするだけの経験を持っていなかったのだ。
 それをリズベットもわかっていたであろう。
 しかし、
『お前ら』
 彼女らが一瞬も躊躇わなかったのなら。
 彼女がすこしでも冷静であったのなら。
 およそ十代の少女が出していいものではない声が知覚同調越しに鼓膜を震わせる。獣が腹の底から唸るなんて生易しい表現では足りない。
 何かが叩きつけられる音が響く。鉄板に何か硬いものが叩きつけるような音が、鈍く、重く、ひとつ。
 直後、ペンが勢いよく走る。
『白系種の嬢ちゃん、あとどんぐらい耐えればいい⁉』
『あと一分だけ踏ん張ってください。今計算しています』
「……何をするつもりだ?」
 怒号と強い雨脚の中、ペンが止まることはない。諦めていないことだけが唯一安心する要素だが、危険な状況は依然として変わりない。
『マイヤー事務官、あと五分ほど待てませんか。そうすれば――』
『無理ですね。山の飽和水量が想定していたより少なく、いつ崩れてもおかしくない状況で五分も待てなどミリーゼ大佐は我々に死ねとおっしゃいますか』
『っ』
『ミリーゼ、ノウゼン』
 リズベットが冷たく突き放した直後、ずっと黙っていたダスティンが割り込む。
『あとでいくらでも始末書を書く』
『何を』
『リズ。上が一〇五の、下が八五』
『――助かる』
 わずかにリズベットの口角が上がった気配がした瞬間、地響きに似た音が轟く。グシャリとひしゃげる音が聞こえ、呻き声も無線の向こうから複数上がる。
 川が決壊したと気づくのに時間は要しなかった。
『リズベット‼』
『嬢ちゃん‼』
 レーナと近くにいた人間が焦った声でリズベットに呼びかける。レイドデバイスを装着していないから意識を失ったのか確認できず、変な心臓音が耳を打つ。
『なんで俺を庇って! クソッ、下がるぞ!』
『……かすり傷です』
 無線が今にも消え入りそうな声を拾った。
『冗談はいいから』
『作業を続けてください。ここにいたらただでさえ少ない人員がさらに減って作業が滞りますし、一番危ない』
『でもなあ!』
『方位〇一三ッ!!』
 無理に気を張った声が届く。
『距離およそ三四〇〇から四〇〇〇、俯角は〇〇八。長距離砲のプロセッサーはどうせいらっしゃるのでしょう。今言った場所を狙ってください。そこに現在使われていない水門がありますので、破壊すれば基地方面へ流れると予測している水量の大半をそちらに流せます』
 今の間で打撃群の現在の位置と、そこから狙う場所の諸々を計算したというのか。
 網膜投影で共有された地図を見る。自分たちが今いる位置と狙ってほしいと言われた水門の距離は、リズベットが計算した誤差の範囲内だ。
『でもこの雨じゃ』
 クレナの腕なら座標だけで狙えるだろう。だからこそ、このコンディションの悪さを誰よりも理解していた。
 土から白煙があがるほどの雨。十数メートル先すら視界が悪い上に黒風が吹き荒れている。しかも作業員たちがどのくらい近くにいるかの情報がない。考えたくもないが計算が間違っていたなど万が一の場合、巻き込む可能性だってある。
『方位と俯角の誤差は二度以内、距離の誤差も三桁以内に収めて計算しています。当たらなかった場合には修正の指示を出しますのでご安心を。それとも――自信がありませんか』
『あのねえ』
『できないんですか?』
 リズベットはレイドデバイスを持っていないからクレナが何を言ったか聞こえていないはずだ。しかしタイミングを合わせたかのようにクレナの誇りを煽る。
『〈ヴァナディース〉、〈ガンスリンガー〉』
『構いません。許可します』
『……了解』
 一刻の猶予もないことは聞いていた誰もが理解していた。
『現場にいる人員の避難を』
『総員、大体の作業は終わりましたね?』
『嬢ちゃん以外もう来た車に乗ってるよ! ここにいたら巻き込まれて危ないって、さっき自分で言ってただろ⁉』
 車のエンジン音がかかって濁流のうねりが遠ざかっていく。
『いつでもどうぞ』
『〈ガンスリンガー〉、撃て』
 撃発。
 そして。
『ヒット』
 彼方で鉄骨とコンクリートの砕ける音が聞こえ、あとを追って喜ぶでもなく、称賛するでもなく淡々とした声が目的の達成を告げた。
『助かりました。では』
 用が済んだとばかりに無線が遠慮なく切られる。あまりの素っ気なさに戦隊全体が置いてきぼりにされ、最初に口を開いたのはセオだった。
『何あれ。感じ悪』
『セオくんたちも昔あんな感じだったからね?』

 打撃群が基地に帰投すると、想像以上に基地は怒号が飛び交っていた。
「怪我したヤツは医務室にさっさと行け!」
「おい今帰ってきたガキどもも手伝え!」
 見かけない顔が右へ左へと慌ただしく泥を跳ねさせていく。皆一様にどこかしらが濡れている。
 手伝えばいいのはわかるが、どこにどのくらいの人数が行ってもいいのか混乱して情報が把握しきれない。混沌と言い表すのが最も的確であった。
「土嚢の補充は!」
「今確認して――」
「事務室横の倉庫にあります」
 混乱した場を凛とした氷が貫く。数名の兵士を引き連れて現れたリズベットは急いでいたからか体に合っていないサイズの雨合羽を羽織っていた。
「どのくらいの量が必要ですか。ざっとの数で構いません」
 指示を出した相手が白系種であることに一瞬だけ身構えたが、一刻を争う事態に声をかけられた壮年の男はすぐ頭を切り替えた。
「二百あれば助かる」
「リスク分散したのが裏目に出たか……」
 零れた舌打ちを消すように泥にまみれた白銀が左右に舞う。
「事務室横の倉庫には誰か確認に行きましたか。もし行っていないのならそこにある土嚢を持っていって大丈夫です――ローゼンフォルト補佐官」
 リズベットはフレデリカを見つけると、そのちいさな手に鍵をのせる。
「すみませんが、離れの官舎にある私の部屋からこの基地周辺の地図などがまとめて入ったカゴを持ってきてくれませんか? 一階の一番奥の部屋で、手綱がついてあるので持ってきやすいと思います」
「あいわかった」
 フレデリカが奔った直後、リズベットは食堂の端にかけられていた基地内の合金の地図を手荒に掴み一番大きなテーブルを陣取った。
「ほかの場所は近くの持ち場と合わせて今の余った分で何とか凌げるはずです。余った分はまず近くの別の浸水場所に、それでも余ったら足りない場所をこちらで指示しますのでそこに優先的に回すようにしてください」
 頷いた一人が駆けていき、また一人が駆けていく。
「帰ってくる道すがら川の様子を見てきましたが、増水速度が予想より速くなっていませんでした。しかし」
「川に近いところにある物資や精密機器は安全な場所へ移動済みだが、念の為その次に近い場所にあるものも移させよう」
「助かります」
「手が空いているヤツは男女関係なく二十行け。そのあと野郎どもは格納庫、女は近くで手が足りていないところに」
「指示を仰ぐ暇がない場合は現場の判断に任せます」
 お互いに頷いてそれぞれが自分の持ち場に戻って行く。
「俺たちも行くぞ」
 指示に従って割り振られた場所へライデンたちも向かう。リズベットたちの出す指示は的確で、その場で特に目立った混乱は起きていなかった。
 ――だがこんな状況がいつまでもうまく続くわけがない。
 ライデンの予想は現実になった。
「マイヤー事務官」
 ちょうどライデンたちが格納庫から別のところへ助力に行こうと食堂を通ったとき、現れた人物にリズベットを除いた全員が作業を止めた。
 夜黒種特有の黒は嵐の暗がりに紛れることなく、その炯眼は場を引き締める。
「エーレンフリート参謀長」
「他の者はそのまま作業をしていて構わない。被害状況の報告を」
「電気プラントへの被害はなし、食糧予備庫への被害は予想範囲内の浸水のみで運べるものは基地に運びました。また、六名が土砂で押し寄せた土木や落石により怪我を負ったので医務室に送還。命に別状はないとのことです。基地の被害はすでに把握されているようですので割愛させていただきます。細かい浸水が見受けられたところは重点的に塞ぐよう今しがた指示を出しました」
「ご苦労。無事事態が収束したら報奨の話でも」
「ではその報奨を注進にして申し上げたく」
 ヴィレムが目で続きを促す。
「対策本部を司令官室ではなく、この食堂にしていただきたいのです。司令官室はどこよりも安全ですが、指示を出すにはかなり無駄足やラグを食います。その点、ここはどの場所からでもほぼ等距離にあります。地図などを広げられたり物資を置けることなど、指揮を執るにあたってメリットがあります。報告は逐一司令部にあげさせます。ですので」
「参謀長閣下」
 よどみない侃諤に水が差された。
「大佐」
 いかにも頑固然とした男がヴィレムへ進み出る。
「こんな役人風情の、下っ端もいいところの嘴が黄色い小娘、しかも白系種が指示を出していることに苦言を申しに来たのではありませんでしたか。ここは軍の基地です。役人が軍人に指示を出すなど越権行為に等しく、指揮系統を乱した罪は重い」
「役人とか軍とかそんな建前が今必要ですか。ここを凌がなければ死人が出てもおかしくない。ここでテリトリーの話をすること自体が合理的ではない」
 理路整然と詰めたリズベットを大佐は鼻で嘲笑する。
「この混乱に乗じて基地内部を把握するつもりだろう。大方、共和国のスパイなんじゃないのか」
「おい!」
 噛みつかんばかりに一歩踏み出したリズベットの肩をベルノルトが抑えようとする。しかしその手は白の繊手によってはたき落される。
「触らないで」
 睨みで落ちた睫毛の横を汗がつぅと顎へ伝う。
「それにそもそも本当に移す必要はあるのか疑問です。レイドデバイスで報告は受け取ることができる。時間をかければフェルドレスに損害が及ぶかもしれない。小娘が考え付きそうなことはすでに我々で実践している」
「フェルドレスの代わりはいくらでもありますが人の代わりなんて存在しない。むやみに減らす愚策を重ねるなと申し上げているのです」
「白髪頭が人道を説くか」
「ですから」
「余計な口を挟むな。白髪頭は共和国のように部屋で震えて籠っていればいい」
 今度こそ殺すんじゃないかと腰を浮かせたリズベットの動きを止めたのは意外な人物だった。
「参謀長。発言の許可を頂いてもよろしいですか」
「なんだ、ノウゼン大尉」
 静かな声が応える。
「今自分たちが使っている土嚢はすべてマイヤー事務官の指示で作ったものです」
「ほう?」
 片眉を上げてヴィレムはリズベットを一瞥する。その声音はどこか愉快げに聞こえた。
「誰よりもこの事態を予測して警戒していた方の忠告を聞き入れないのはいかがなものかと」
 それに、と付け加える。
「基地が復旧作業に手間取っている中で、〈レギオン〉に十分に対応できるとは限らない。事務官がおっしゃったように今ここで食い止めるのが軍にとっても基地にとっても最善策かと」
「いつから事務官に肩入れするようになった?」
「事実に基づいた意見を言っているにすぎません」
 つまらんとヴィレムが鼻を鳴らしたあと、大佐がむと片眉を歪ませた。
「待て。――土は一体何処から調達した?」
 答えないリズベットに大佐は何かを察して顔を一気に紅潮させた。
「貴様わざと基地に水が流れるよう仕向けたな⁉」
 通りすがりに聞いていた周囲がざわめく。
「憶測で物を断ずるのは控えたほうがよろしいかと」
「いけしゃあしゃあと! 基地を危機に晒すなど連邦への反逆と見なされても言い逃れできないぞ! フェルドレスが水没してくれたらどうしてくれる!」
「それがとうかしましたか」
「貴様ッ」
「私は役人です。一般市民軍人分け隔てなく、連邦市民の命を優先します。それのどこが連邦への叛意になりますか」
 いちいち話の腰を折らないでくださいと吐き捨てたリズベットを、呆然とライデンは見つめる。
 手伝っていた時、ファイドが集めてきた土砂の出処について特に何の疑問も抱かなかった。どうせ裏手のどこかからだろうと深く知ろうともせず。
「失敗したらどう責任を取るつもりだ」
 ヴィレムの問いは上に立つ者として当然の問いだった。真偽はともかく、進めていた策で基地が損害を被れば一役人が背負いきれる責任ではない。
「〈レギオン〉の餌にでもすればいい」
 春が微笑めば花が咲くように、冬が舞い降りたら池の水が凍るように。
 ごくごく当たり前のことを紡ぐ温度に、大人だけでなくエイティシックスたちも息を呑む。
〈レギオン〉の餌になるとは、つまり〈黒羊〉になり、一生戦場に囚われることで。
 それを平然と言いのける少女に、怒りとも恐怖とも区別のつかない感情がエイティシックスたちの背筋に走る。
「……正気か」
「嘘偽りなく正気ですが」
 少々顔を青くさせた大佐と対照的に、食い残した敵を見つけた手負いの獣よろしくリズベットは血の気の失せた唇を凄絶に歪ませる。
「――早くしないと人が死にますよ」
「事務官の言い分も、大佐の言い分も理解した」
 泥仕合になりかけたところにヴィレムがため息を落とす。
「確かにマイヤー事務官の行動は手放しで褒められたものではない上に、認められない。そんな者の意見を聞きいれるわけにはいかない」
「参謀長」
 大佐が我が意を得たりと緊張を緩める。
「だが条件がある」
「え」
 全員が虚をつかれた中、ヴィレムはつかつかとリズベットに近づくと、
「舌を噛むなよ」
 左肩を固定し、そこに腕を強引に入れ込んだ。
「ッ‼」
 ごきんっと骨と骨がぶつかり、頽れたリズベットを受け止めた机が軋む。
「いつもより口数が多いと思えば。やせ我慢はもう少し老けてから覚えたほうがいい」
 ひと回り大きな、サイズの合っていない雨合羽。リズベットのような華奢な体つきを覆い隠すには十分だ。
 おそらく堤防が決壊したあの時に負傷したのだろう。脱臼なんていう激痛をこの長い時間耐えていたとはにわかには信じられなかったが、初めてリズベットと出会った日が蘇る。
 雨で重くなって降りた銀の帳から白の瞳が覗く。ヴィレムを睨む瞳の鋭さはいっそ狂犬と表現するのが正しいくらい猛々しく、今にも喉笛を噛みちぎってもなんら不思議ではなかった。
「舌は噛んでいないようだし、睨みつける元気もあるようで結構。――対策本部はもともと食堂に移す予定だった。他の提案なら聞こう」
「では隣町の特士校にいる軍人の指揮権を私の同僚に移譲する許可を下ろしてください」
「……そちらが狙いか!」
 大佐は苦々しく顔を顰め、置いてけぼりになる周囲をよそにヴィレムは愉快げに目を細める。
「参謀長、こんな騙し討ちのような行為を許してよろしいのですか!」
「騙し討ちも何も他の案を提示しろと言ってマイヤー事務官が別の案を出した。大佐もこの案に乗る利点を理解しているだろう」
 隣町にだって甚大な被害が起きている。それを見過ごせば、抑え込んでいる軍への不満を爆発させる要因となる。膏血を納めてもらっている市民の矛先がエイティシックスたちになることを本人たちの目の前で示唆するようなことはしたくない。わかっているからこそ大佐も頷かざるをえない。
「……わかりました」
「PHSの向こうの文官も聞いているな?」
「⁉」
 伏せられていたPHSのランプが点滅している。応答はないものの、かすかに気配がする。
『参謀長』
 第一七七機甲師団師団長であるリヒャルトの声がレイドデバイスを通じてこの場に落ちる。
「少将の判断は如何されます」
『今回の災害対応が収束するまで行政に一時的に特士校関連の指揮権を移譲させる』
 聞くや否や、リズベットは荒々しくPHSを掴む。
「マイヤーです。聞かれていたと思われますが、西方方面司令部から指揮権移譲の許可が取れました。特士校及び特士官を自由に使っていいそうです」
『了解した。蟻の子一匹逃さず使わせてもらう』
 ぶつりと通話が切られる。こちらより向こうの状況はもっと切迫しているので当たり前だ。
「マイヤーや」
 端で事の成り行きを見守っていたフレデリカがリズベットに言われてきたものを持ってきた。
「中身はご自由に使ってください」
 基地周辺の地質の細かな分布と、高低差が書き込まれた地図に、基地全体に張り巡らされた下水管等の配置図。降水量によってどこの栓を開閉したらよいかの場合分けまでご丁寧に描き込まれている。
「ヴェンツェル大佐」
「ええ、あとは任せて頂戴」
「兵士の方々の疲労具合もピークにかかる頃合いです。調理場の皆さんに水分補給用のボトルを用意するよう指示してください」
「……ローゼンフォルト補佐官。そこの馬鹿を連れて行け」
「言われずとも」
 まだこの場を離れようとしないリズベットの左腕をフレデリカはわざと引っ張る。
「リズ」
 忘れていたとばかりにヴィレムがリズベットに向かって細長い何かを放り投げた。
「状況が落ち着いたら返すように」
 准将の階級章。
 たった今リズベットはこの基地の上層部と同等の地位と権限を一時的ながらも得た。これでリズベットに逆らうことは勿論、手出しすることはこの基地にいる人間全員できなくなった。大佐と似たような考えを持つ不届きな輩への牽制である。
「感謝します。……ですが、その名で呼ばないでくださいと散々申し上げております」
 苦々しい表情で徽章を握ると、再び忙しく動き出した状況と真反対にリズベットは人の波間へと消えていった。


 皆疲れ切ってところどころ地べたに死屍累々に折り重なっている。先程まで沛然と降っていた銀箭は落ち着いて、空は徐々に雲間を見せていた。
「どこ行くんだ」
 普段誰も使わない裏口へライデンは問いかける。勿論幽霊などにではなく、生きている人間に向かってだ。
「……」
 見張り役のフレデリカが寝落ちた隙に抜け出してきたのだろう。不審な動きをしている自覚はあったみたいで、ふいと銀の瞳が下に外される。疲れが滲んでいるのか、その色は鈍く光っているように見えた。
「そんな顔色で外にでも行くつもりか」
 肩を脱臼すれば熱が出る。それだけでなく雨に打たれた体は冷やされ、体力も減らされている。大人しく休んでくれることを祈っていたが、なんとなく予感がして起きていたのが幸いした。
「休め」
「もう十分休みました」
「やることないだろ」
「まだやるべきことがあるから動いているのです」
「まだやらなきゃいけねえことってなんだよ」
「話す義理はありません」
 頑なな態度にリズベットの腕を掴む。
「あのなあ、いい加減に」
「これだけっ」
 金切り声で叫んだリズベットにライデンは怯む。
「これだけはやらせてください、そうしたら大人しく医務室に戻りますからっ」
 奪うなと。
 これしかないのだと。
 縋るリズベットの姿に自分たちがダブって、揺れた。
「……わかった」
「……え」
「ただし終わったら医務室に放り込む。それでいいな」
 ようやく状況を飲み込んで、ありがとうございますと頭が勢いよく下げられる。言葉尻が震えているように聞こえたのは聞かなかったことにした。
「で、何しに行くんだ」
「……ペンダントを、川が氾濫したときに落としたかもしれなくて」
 何かと思えば、と一瞬呆けたが先程までの事態が深刻だったのに今落としたかもしれないペンダントのことを考えている表情が切実なものでライデンは押し黙る。余程大事なものなら無理もない。
 はてさて人手がほしいものの、生憎と生身の人間は疲労困憊で寝ているやつが大半だ。起こすのも忍びないし、とそこで優秀なスカベンジャーが頭を過ぎった。
「どんな形してる」
 風景が不規則にちいさく揺れ、ぬかるんだ地面の感触が足裏に伝わってくる。昨晩リズベットが指揮に当たっていた場所に向かう道中、ファイドに引っ張ってもらっているコンテナに座りながらライデンは外を見ていたリズベットに尋ねる。恐ろしいほど賢いファイドも聞いているはずだから、目的地に到着すれば何も言わずとも探してくれるだろう。
「楕円形のメッキでできたロケットペンダントで、中には――」
 そこまで言って白系種の少女は言葉を詰まらせる。直後、ファイドが動きを止める。目的地近辺に着いたのだ。
「……写真が入っているペンダントを見かけたら声をかけてください」
「おいそれだけじゃ」
 ライデンの質問には答えないまま、リズベットはすぐさまコンテナから降り、昨日いたところの当たりをつけると持ってきたスコップで地面を掘り返し始めた。
 いまだ勢い収まらぬ濁流の中、上流から流れてきたであろう倒木が横たわっている。かなり被害が酷かったことから、リズベットの探し物は下流へ流されている可能性が大だ。運がよければこの近辺で見つけられるだろうが、昨日の雨量を鑑みるに河口へ流されていたって何らおかしくない。
 二人と一匹で探すには捜索範囲が広すぎる。一日かかったとしても見つけられないのは誰でも予想できる。諦めたほうがいいと諭すのが正解だ。だが一心不乱に目的のペンダントを探すリズベットに諦めろなんて簡単に言えなかった。
「……俺たちは下流に行くぞ」
「ぴ!」
 どれくらい時間が経っただろうか。目元を泥まみれになった手で擦る。一向に見つかる気配もないし、リズベットが見つけたという知らせもない。それでも腰を屈め、膝をつきながら探すリズベットの横顔には諦めるという選択肢はなかった。
「ぴ?」
「どうしたファイド」
 何やら反応を示したファイドのもとへ向かう。アームの先端は器用にチェーンを摘まんでいて、ペンダントがゆらゆらとぶら下がっていた。
 壊さないようそっと手に取る。開閉式のロケットペンダントは留め具が馬鹿になっていて、力を入れずとも開いて中が見えてしまった。
 写真は劣化して大部分の色が落ちており、しかも昨夜の泥のせいで写真の大半が隠されている状態になっていた。辛うじてわかるのは、幼い顔をした男性が向日葵のような笑顔で映っていることくらいだ。
 中を確認する際にこんなに汚れていたら困るだろうと指先で軽く泥を払うと、男の横で生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱いた女性が現れた。その顔立ちは怜悧でありつつ、優しさを孕む表情で微笑んでいた。
 どこかでその眼差しを見た既視感に襲われた。一体どこで、と蓋裏に刻まれた文字に目線が引き寄せられる。
『愛する――』
 見てはいけないものを見ている気分になってライデンは慌てて蓋を閉める。これは自分が軽々しく踏み込んではいけない領域だ。
「マイヤー!」
 上流でまだ探していたリズベットに呼びかけ、ペンダントを掲げる。
「これか?」
 リズベットはライデンの手の中にあるものを視界に入れるや否や、ライデンを撒いた快足をもつらせそうになりながら駆け寄ってくる。その勢いのままペンダントをライデンからひったくるように奪い取った。
「こ、れ……」
 震える手で中を確認する。氷のような冷たさを孕んでいた瞳に徐々に光が宿る。
「よかった……」
 声を安堵にわななかせ、ペンダントを握った両の手を額に当てる。お目当てのものを見つけられたみたいで、ライデンも胸を撫で下ろす。
 と、リズベットが緩んだ金具に遅れて気づいた。
「中を見ましたか」
「見てねえ」
 不自然にならない程度の速さで否定する。リズベットはライデンの返答を疑わず、あからさまにほっとした顔を浮かべた。
「見つかってよかったな」
「はい」
「んじゃ帰るぞ」
 行きと同じようにファイドが引っ張ってもらうコンテナの中、リズベットは膝を抱えて座り込んでいる。あの渦中で一番働いていたのは言わずもがな彼女だ。疲れていて無理もない。基地まで休ませてやろうとライデンはリズベットから意識を外した。
「着いたぞ」
 基地に帰ってきたので声をかけるも、リズベットからの反応はない。さすがに自分の足で医務室に戻ってほしいと、シンにしているよりもいくらか優しく肩を揺さぶるとリズベットの身体が力なく倒れ込んだ。
「おい!」
 乱れた髪が張り付く額に触れる。火傷したかのような熱を持っており、息も浅い。
「……ぁ、」
「しっかりしろ!」
「…………ぅ」
「おい、マイヤー!」
 脱臼していた左肩に負担を与えないよう、右肩を自分側にし、膝裏に手を回したら一気に抱き上げる。大人たち相手に大見得を切った体躯は怖くなるくらい軽く、力を込めすぎて壊さないことに留意して医務室へ大急ぎで駆けていく。
「………………アレ、ク……」
 だからリズベットが何と呟いていたのか、ライデンの耳には入ってこなかった。


「あら。王子様のお見舞い?」
 騎士サマと呼んだほうがいい? と揶揄う気満々のニヤケ面でこちらを窺う軍医は無視に限る。
 俗に言うお姫様抱っこをしてリズベットを医務室に運び込んだ。リズベットのしていた怪我を考えるとそうするしかなかったと、軍医である彼女が誰よりも理解しているのに。
「この子のおかげで隣の町も基地も何とかなったんでしょう? 感謝しなきゃね」
 結局医務室に再度運び込まれたリズベットは医務室の住人となった。昨日から今に至るまでずっと寝ているそうだ。
 眠りに沈む姿はあどけなく、安らかな表情は彼女特有の冷たい相貌をいくらか和らがせている。その一方で、あまりの静けさと真っ白なバラの上で横たわる光景に死んだのかと錯覚してしまう。
 視界に光がちらつく。見れば、三角巾から薬指に安座する指輪が顔を覗かせていた。
「先生。左腕を動かしていいか」
「大丈夫だけど慎重にね」
 肘の部分を支えてそっと掛布団の下に入れる。普段から隠しているものを安易に他人の目に触れさせたくないだろう。相棒の黒グローブはサイトテーブルにひとりぽつんと置かれていた。
「…………ん」
 睫毛がふるりと揺れる。さすがに起こしてしまったか。何度か上下に瞼が緩慢に動き、白銀の瞳が天井を捉えた。
「おはよう。気分は?」
「…………かなりスッキリしてます」
「重畳重畳。今までの疲れ全部取れたんじゃないかな」
「今何時ですか」
「もうすぐお昼になるわ」
 その問いを聞くと、リズベットはゆっくりと身体を起こした。
「ちょっと! まだ安静にしてなきゃ」
「午後になったら職場に戻ります。いつまでも寝ていい身分ではないので」
「大人しく休んでろって上司のジイさんも言ってたぞ」
 リズベットがそう宣うのを見越して、ここに来る前に好々爺のもとを訪ねていた。ついでにヴィレムもいて、二人から休ませろと言伝をもらっている。
「アルトナー少将からも休養の命令が出ています。休むのも仕事ですよ」
 銀鈴が部屋に響く。
「大佐」
 リズベットと同じ白系種で、ライデンたちの指揮官であるレーナだった。
「今の職場の方からも、治ったとしても仮設の橋ができるまでリュストカマーで仕事をしていろと預かっています」
「……そうですか」
 どことなく落ち込んだ色が珂雪に滲む。
「働きすぎだと心配してました」
「大佐はどうしてこちらに」
「先日のことについて」
「それでしたら謝罪も謝辞もいりません」
 優しさなんて微塵もない言い方に、ライデンは腰を浮かせるもレーナはそれを目で制する。
「大佐は職務に忠実に従ったまでです。私としても仕事でしたし、次回似たようなことがあった際に改善していればいいです」
 起こったことに対して延々と愚痴や不満を漏らすのではなく、次を見据える。
 その発言にリズベットがただ冷たいだけではないと知る。レーナのような生真面目人間には下手な慰めよりも効き目のある薬だ。
「むしろこちらが謝らなければなりません。感情的になって怒鳴ってしまい、申し訳ありませんでした。水門の位置を言えば済んだ話をあのように取り乱して」
 ベッドの上で頭を下げたリズベットにレーナは慌てる。
「顔を上げてください。……またあなたのおかげで助かりました」
 リズベットが刹那、苦しそうに眉をしかめる。何が引っかかったのだろうと疑問を浮かべる前にその表情は霧散していたので、結局聞けずじまいになった。
「……謝辞もいらないと言いましたのに」
「私が言いたかったんです」
 話に花を咲かせる雰囲気になったからお邪魔虫は退散しようと出口へ向かうと、入ろうか入らまいか廊下から部屋の中を窺う小さな影が見え隠れしていた。
「何してんだフレデリカ」
「その、なんというかのう……」
「用事があるなら行っとけ」
「わきゃ!」
 珍しくもじもじするフレデリカがまどろっこしくなって、ライデンはそのちいさな背中を押した。
「ローゼンフォルト補佐官?」
 つんのめって登場したフレデリカに部屋の視線が一気に集まる。退路はライデンが塞いでいるので後戻りはできない。
「体調はどうじゃ」
 フレデリカが沈痛な面持ちで歩み寄ってきたフレデリカにリズベットは答える。
「悪いところはありません」
「そうか……」
 安堵に肩の力を抜いたのも束の間、フレデリカは来たときと同じ重々しい表情を象った。
「どうかしましたか」
「おぬしに頼まれたものを持ってくるとき、急いで引っ張った衝撃で棚に置いてあったその……壺を倒してしまったのじゃ」
「っ‼」
 リズベットがフレデリカの稚い双肩を掴む。色が失せ、唇のみならず身体は小刻みに戦慄いた。
「床に広がってしまったものはできるだけ拾っておいたのじゃが、本当に」
「……お怪我は」
 紡がれた声は何かを堪えるように酷くひび割れていた。
「怪我は、ありませんでしたか」
「わらわはしておらぬ。それよりもお主の大事なものを」
「ローゼンフォルト補佐官が怪我をしていなければ大丈夫です。私が倒しやすい位置に置いたのが悪いのですから」
「じゃが」
 それ以上何も言うなと首を横に振る。
「ほら、病人は無理しない」
 軍医がフレデリカからリズベットを引き剥がす。その日はそこで面会は終了となった。


「白系種の嬢ちゃん」
 その声がした方向にライデンは意識をやる。あの軍曹と相対するリズベットがいた。
 休めと言われていたのに結局リズベットは翌日には仕事に復帰していた。頬にはまだ薄っすらとひっかき傷が残っている。
「アンタ、なんで俺に問いかけた」
 ずいと近づいたわけでもないのにそのトーンは逃げることを許さない力を持っていた。
「あなたを納得させれば他のひとたちも動いてくれるだろうと考えたのと、災害派遣を経験したことがあるくらい軍属が比較的長いように見えたからです」
 話を最初に断った相手だ。リズベットも相手方に対していい印象は持っていないはずだった。それでもあの瞬間、あの場で最善を取れる人間だからと信頼した。
「そうか」
 答えに納得した軍曹が厳しい空気をいくらか緩ませる。
「アンタはフェルドレスのことよりも俺たちのことを先に気にかけてくれた。ノウゼンが言わなかったら俺たちが口を挟んでたよ」
 たしかにあの大佐は兵士がどうこうよりも〈フェルドレス〉について多く言及していた。その考えが悪いとは言わないけれど、あの場では心象が悪かっただろう。その点、リズベットは一貫して兵士や隣町の市民の命を考慮していた。
「俺たちの疲労具合にも目を向けてたことも聞いた。嬢ちゃんのおかげで助かった。――ありがとうな」
 リズベットの身体がびしりと音が聞こえたように硬直する。
「どうした?」
「……仕事ですから」
 端末を強く握りそう言い残すと、踵を返した。
 リズベットとすれ違う。ライデンには気づかないようだ。それもそうだ、下を向きながら小走りになっていたなら気づきようもない。
「照れてんのかねえ」
 周りで事の成り行きを見守っていた連中が一様に微かに笑いを含ませて肩を竦める。素直になれない我が子を見つめる親のように。
 もしそうなら、とリズベットとすれ違ったライデンは走っていた方向を追う。
 あの青白くひび割れた顔はどう表現するのが正しいのだろう。


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