サフィアとヴィーネ

「……おっと」
 ヴィーネは店に入ってきた男に、すかさずナイフを突きつけた。|獣人《ジューマ》だ。少なくとも自分たちを殺せる者ではない。安堵の息とともに、血に濡れたナイフを下ろす。
「お前、らッ……」
 |獣人《ジューマ》は膝から崩れ落ちながら、憎々しげに彼を見上げた。白目を向いて倒れる。ヴィーネは細い腕で彼を掴み、店の端の方へ死体を寄せた。

「また来たのか」
「そうみたい。大した|獣人《ジューマ》じゃないから、このとおり」
 ヴィーネは、大して汚れていない服をパンパンと払うと、カウンターに座っていたサフィアの隣に腰掛けた。サフィアより細身の体が隣に並び、金髪と銀髪とはいえど後ろから見れば兄弟のようだ。

「どーぞ」
 サフィアはテーブルに載っていた酒瓶を取り、彼女のグラスにつごうとして──瓶ごと渡した。ヴィーネは爽やかな笑みを浮かべる。
「そうそう、これくらいはないとね」
 彼の見た目とどこか不釣り合いなそれを、ヴィーネは容易く飲み干した。
「もっと」
 サフィアはため息をつきながら、自分の左側にあった酒瓶を五本ほど彼の机の方へ寄越した。
「とまあ、んなことより。あの男、見かけねえ|獣人《ジューマ》だな」
「そうだね……なんの魔物だろう?」
「分からん」

 サフィアは椅子から降りると、しゃがんでまだ温かい彼の体にそっと触れる。目や耳を調べたあと、ヴィーネの方へ声を投げた。

「ハイエナ。やっぱり珍しいな」
「食べちゃう?」
「ヴィーネもほしいのか?」
「んー、僕はいいかな。今はお酒でお腹いっぱい」
「面白い面白い」ヴィーネのジョークに、サフィアは淡々とそう返す。「だが生きたままの方が美味いからな……このまま捨てておこう」

 サフィアは立ち上がると、まだ酒を飲んでいるヴィーネをよそに居酒屋を出ていった。


◇◇◇



「お前のそれ、邪魔」

 サフィアは空気を手で拭うように振った。実際はヴィーネの赤黒い触手が、サフィアの視界を遮っていたようだ。

「サフィアの後ろ歩くと、砂が邪魔なんだよ。滑るし」

 サフィアは後ろを振り返った。じっと目を凝らして自分の姿を一瞬確認する。吐き気がするほど醜さを覚え、すぐに目を逸らした。だがたしかに、自分の体から砂が常に漏れ出ている。岩のような体が歩いているのだ、地面を這って歩くせいで削れているんだろう。

「だいたいお前はなんで触手なんだ? 酒と関係ねえだろうが」
「よく見れば分かるよ、見たくもないけど」

 自分の見た目が嫌いなのはヴィーネも同じだ。サフィアは他の悪魔の見た目を確認するのも嫌いだった。誰も彼も美しい見た目をしているものはいない。特に「美」の悪魔は最悪だ。この世の「醜」をこれでもかというほど集めた体。話によれば彼/彼女の見た目は人によって見え方が変わるようだ。その人の思う一番醜い姿を写すんだとか。
 好奇心が勝って、サフィアは目を眇めてヴィーネを見た。初めは金髪翠眼の麗しい美少年が見えていたが、意識を集中すれば本当の姿が見えてきた。
 スライムという魔物によく似ている。だがスライムと違って色は血のようにどす黒く、血よりも遥かに臭い。そのスライムらしき体から何本もの触手が蠢いている。触手からは濁った液がゆっくりと滴り落ち、落ちる度に地面から蒸発する音がした。

「きったな」

 ヴィーネはラムズの発言に露骨に嫌な顔をして、持っていた酒を飲んだ。ヴィーネが酒を飲むと、スライムらしき体全体がうねるようにわなないた。一瞬色が透明になるが、すぐに赤黒く濁っていく。

「お前、食うとそうなんだ」
「悪いか。言っとくけど、自分の姿もそこそこやばいからな。宝石とは程遠い姿、してるよ」
「……はいはい、知ってる」

 なぜお互い自らの姿をこうして貶しあっているのかサフィアは分からなかったが、これは悪魔同士だとよくある会話だった。誰にも見られない体、悪魔だけは唯一知り合える体。誰かに自分の本当の姿を見せたいとは心底思っていない。だが、こうして真の姿で話が出来るのは少し気が安らいだ。
 サフィアは、歪な形をした岩に絵の具をぶちまけたような見た目をしていた。簡潔にいえばさほど酷い姿には思えないが、ところどころ髭のような短い毛の生えている場所があったり、膿んで水気を孕んだ出来物があったりする。落ちていく砂は黒や緑、赤色が混ざっているもので、ときおりそれは生き物のように身体中を這い回っていた。唯一目の部分であるサファイアは、暗く濁った青に塗られ、目玉の中ではふつふつと何かが湯気だっている様子が見える。サファイアは決まった形を取っておらず、蠢く度に輝きから最も程遠い色を孕んだ。

「……うーん、それでも僕よりマシだな」
「俺は嫌いだがね。宝石から一番遠いだろ」
「遠くて、近いと思うけど。宝石だって所詮岩じゃん」

 サフィアはぎろりと睨んだ。ヴィーネは両手を挙げて降参のポーズをする。

「ごめんて」


 サフィアは足を止める。
「っと、俺たちのお宝はここかな」
 貴族らしい少し寂れた宮殿の前に立つと、目で合図をして二人は一瞬で姿を変えた。ヴィーネもサフィアも蚊になった。

「虫になりたくないんだけどな」とヴィーネ。
「それが入んのに一番楽だろうが。ほら、行くぜ」

 嫌な羽音を立てながら、宮殿のドアの隙間から体をねじ込んだ。
 二人は両側の壁に止まって、給仕の姿を確認する。まず一人目の給仕が通りかかり、サフィアが彼の首筋に飛び乗った。給仕は気付かない。
 サフィアは給仕の首筋に歯を突き立て、闇魔法を流し込んだ。給仕は悲鳴をあげるまでもなく死んだ。

 急いで死んだ給仕の姿に変えると、死体は隠蔽魔法で隠し、机の下へ押し込んだ。

「おい、貴様。何者だ」

 前方から執事がやってくる。

「そうだな、まずは声が似てないね」

 声が似ていないはずがない。そのものを真似したのだから。執事の姿に化けたヴィーネは声を押し殺して笑った。