フェアリーの子:ティアラ

「ティアラ」

 サフィアが小さな宝箱を開けると、眠っていたティアラが目を覚ました。宝石らしき水晶をつけた羽が三度ほど揺れる。体と同じくらいある羽をはためかせて、サフィアの掌の上に止まった。

「おはよう。お呼びですか?」
「羽が見たくなって」
「そうでしたか。どうぞ」

 ティアラは後ろを向いて、羽がよく見えるようにした。サフィアは彼女の羽には触れずに、ほうっと息を吐いてじっと見た。
 メアリの鱗もそうだが、やはり生きている宝石が一番美しいように思えた。
 だが何より悲しいことは、彼女があと10年もすれば死んでしまうということだ。

「今日も魔法をかけておく」
「ありがとう、サフィア」

 フェアリーである彼女の声はとても小さく、他の人には聞こえない。サフィアだけに聞こえるのは、ティアラが自身でそういった魔法をかけたからだ。人間の魔術師にかけられた複雑な魔法のせいで、ティアラは普通のフェアリーよりも寿命が短く、特別な力を持っていた。
 言葉が分かるのも、ティアラの力によるものだった。

「よく我慢してられますね」
「なんの話だ?」
「だって、昔はたくさん食べてたでしょう?」

 宝石がある場所でそんなに食事をした覚えはないが、彼女がそう言うならしていたのだろう。サフィアは口角を上げて答える。

「食ったらバレるからな」
「妖魔だって?」
「ああ」
「バレると殺されちゃいますか?」
「んー、そうかもな」

 ティアラは少し腕を組んで考える素振りをした。その度に見惚れるような羽がはばたき、サフィアはそれに合わせて金の粉をかけてやった。

「そしたら、私のことを食べますか?」
「……は? なんで?」

 ティアラは自分の腰に手を当てて答える。

「お伝えした通り、私の命はきっと……」
「もって5年だろうな」
「はい。死んだら私は風になって消えてしまいます。だから、死ぬ前に食べてもいいですよ」
 
 ティアラはにこりと笑って答えた。

「食われんの、嫌じゃないのか?」
「嫌じゃないですよ。フェアリーはよく踏み潰されてるじゃないですか。叩かれることもありますし、抜かれることもあります」

 たしかにティアラの言う通り、草のような見た目の小さなフェアリーはよく踏み潰されているし、花の姿をしたフェアリーは、知らぬ間に土から抜かれているだろう。手足をもがれることもあるそうだ。

「少し痛いですけど、それが私たちですし、嫌だと思ったことはありません」
「そのあと死ぬんだろ?」
「死にますけど、また戻ってくるので」
「戻る?」
「はい。私たちは魔物と似ているんです。魔力から生まれたわけじゃないですけど、魔力から生まれた自然のものから生まれているんです。だから、死んでもまた似たような姿で出てきます」
「……てことは、ティアラも生まれ変わるのか?」
「生まれ変わりますよ。だけど、今の私の記憶はないですし、サフィアのことは忘れちゃってます。ごめんね」

 ティアラはぺろっと舌を出した。

「きっと生まれ変わった時は、こんなふうに自由に会話をすることも叶わないでしょう……。あなたの水晶でいたのは、楽しかったですから」
「……そんな大したこと、した覚えねえけどな」
「面白いですよ。色んな人が部屋に来たじゃないですか。あなた自身も、見ていて面白いです」
「それでなんで食われていいって話になんだ」

 サフィアはおかしそうに笑った。ティアラは丁寧にサフィアの指の上を払うと、その上にちょこんと座った。

「あなたは私の事を大事にしてくれてるじゃないですか」
「まあ、宝石だからな」

 ティアラはふふと笑う。

「宝石でも、ですよ。別にいいんです。どんな愛のカタチでも、私は嬉しいです」
「……お前も俺が好きなのか?」
「さあ? 分かりません。サフィアはどうなんですか?」
「お前が死んだら悲しいぜ?」

 答えを分かっていたかのように、ティアラはこくこくと頷く。

「私のために泣いてくれます?」

 ティアラは悪戯っぽく笑った。サフィアは彼女をチェスの駒の上に載せる。

「もちろん。大泣きしてやるよ」
「それなら、泣きながら私を食べてください。食べるしかない自分の無力さに打ちひしがれながら、どうぞ美味しい私を味わってくださいな」

 ティアラはチェスの上でひらひら舞い回ると、かわいらしくお辞儀をして見せた。

「お前くらい小さい使族を食ったって、なんの腹の足しにもならねえよ」

 サフィアはそう意地悪を言って笑った。ティアラは駒から飛んで、船長室の中を飛んで回る。

「サフィアを楽しませてあげようという私の粋な計らいです。そう言わずに、受け取ってくださいね」
「ああ、ありがたくいただくとするよ」

 ティアラはふと目眩を覚えて、シャンデリアの隙間からふわりと落ちていった。サフィアは慌てて手を出す。

「ありがとう」
「いくらお前を食えるとしても、俺はティアラがずっと生きている方がいい」

 サフィアの切実な本心に、ティアラはきょとんとした顔で彼の瞳を見たあと、くしゃりと破顔した。

「そうできたらよかったんですけど。でも、サフィアにはメアリがいるでしょう?」
「そりゃあいつもお前と同じくらい美しいけどな。色々考えながら生きるってのは、けっこう怠いぜ」
「もう言っちゃえばいいのに。全部」
「そんなことしたら殺されんだろ」
「案外そんなことないかもですよ?」
「だがあいつは人魚だ。本人の心がどうであれ、今のままじゃ確実に“特徴”に負けるよ」
「でも、メアリが死ぬ時はどうするんですか? 私と一緒で、殺すんですか?」
「……そうしないと鱗が消えるからな」
「最後に恨ませるなんて、悪魔ですね」

 ティアラは冗談っぽく笑う。

「悪魔だよ?」
「そうでした。それじゃあ悪魔さん、私を眠りにつかせてくださいな」
「ああ」

 サフィアは彼女を手に乗せたまま、棚にある宝箱に近づいた。彼女をそっと箱の中に入れる。ティアラは一瞬サフィアを見て微笑んでから、羽を曲げて眠った。

「……眠ってばっかだな」

 サフィアの言葉は宙に消え、聞いている者はいなかった。