レヴィについて R&L

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「なあラムズ。俺たちが戻ってきたのはいいけどよ、レヴィはどこいったんだ?」

 俺はふと気まぐれに聞いたというような、そんな調子でラムズに尋ねた。ラムズは動かそうとしていたチェスの駒を置くと、ゆっくり顔を上げた。

「知らん。出ていった」
「いや出ていったって……」

 そんなはずはない。レヴィはラムズのことが好きだったし、自分からいなくなるわけが──。でも、そうか。今ならもう分かる。レヴィがなんであんなに苦しんでたのか。
 ラムズが悪魔なせいで、絶対にレヴィのことを好きにならないからだ。好きになるはずのない相手を好きになって、そのうえ自分を愛することはないと分かりながらずっとそばにいるのは……。

 そういう意味じゃ、ロゼリィさんは同じ悪魔とは思えないくらい優しかったんだな。俺に対して愛することはできないってそうはっきり伝えてくれたし、それどころかわざわざ見た目まで変えて去ってくれた。あの時は悲しかったけど、あれは彼女なりの“愛”だったのかもしれない。
 だけどラムズ、こいつは……

「レヴィに何か言ったのか?」
「何も言ってねえよ。メアリと一緒に生きてくって言ったらいなくなった」
「……そりゃいなくなるだろ! レヴィの気持ち、知ってんだろ?」
「まあな」

 ラムズはそこで顔を下げて、チェスをいじった。

「可哀想だって思わないのか?」

 ラムズは黙っていた。平然としているのかと思ったけどそうじゃないみたいだ。その証拠に、チェスはいじってないし、そのダイヤモンドを眺めている雰囲気でもない。
 ラムズの宝石の方の目がちらちら光った。長い時間がたったように思えた頃、ラムズが言葉を落とした。

「思うよ」ラムズは息を吐いた。「思うから、何もしてねえんだろ」
「何もしてないって?」
「『愛してる』と嘯くことも、愛のために彼女を抱くことも」

 俺は口を閉じた。
 ラムズも同じなのかもしれない。思っていたよりこいつはいいやつなのか?
 ラムズがやってることはロゼリィさんと同じだ。ただしいていうなら、ロゼリィさんよりは甘い。少なくとも今の今まで、ずっと彼女をそばに置いて生きてきたんだから。

「でも、今の今までずっとそばに彼女がいたじゃないか」
「そうだな」そう零したあと、独り言のように付け足した。「なぜなんだろうな」

「わかんないのか? 自分で」
「俺たちは別に酷いことをしたいわけじゃない。だからそばにいて彼女が悲しむなら、手放してやることの方が多い」
「じゃあレヴィは」
「手放そうと思う機会がなかった。……運命が、それを許してはくれなかった」

 俺は顔を顰めた。

「全部運命のせいだって言いたいのか?」
「……そういうことになんな」
「ラムズたちは、意思がないのか? エルフと同じように、自分の意思で道を決められないのか?」
「──迷うと、そうなる」
「迷うと?」
「小さなことは自分で決めている、と思う。運命に聞くまでもなく体が動くことは。だがどうしようかと考えると、──いや考える前に、俺じゃない“何か”が答えを出してる。ちがう答えを出そうとしても、違和感があって無理だ」

 ラムズはビショップを手に取りそれを眺めたあと、チェス盤の上に優しく置いた。

「もうあいつのことは放っておくよ。俺のために生きるより、自分の人生を歩んだ方がいい」
「──けどもし、もしまた運命のせいでラムズがレヴィを呼び寄せたらどうするんだ?」

 ラムズの手の影が、ビショップの煌めきを濁らせた。

「どうしようもできない」
「そんときはそばにいろって言うのか?」
「……分からん。言いたいわけじゃない。だが運命がそう決めたなら、そうするしかねえんだ」

 じゃあロゼリィも、もし運命が決めればまた俺の前に現れるんだろうか。もし現れたとしたら、それは彼女の意思ではなく、運命のせいなのだろうか。
 ラムズは言い直した。

「もしそうなったら、俺はあいつが思うようにしてやるよ。それしかできねえからな」
「レヴィは、ラムズが自然体でいればいいと思ってると思うよ」
「俺はいつも自然だぜ?」

 ラムズは笑う。でもそのあと、虚ろな寂寥を湛えたような瞳が潤んだ。

「だがな、俺にとっちゃ、自然体を求められることこそが、既に自然じゃねえんだ」
「……というと?」
「レオン、お前は姿を変えられるわけでもないし、お前を構成する数多の要素がお前の中にあるよな。家族、友達、仕事、趣味……」

 俺は頷いた。

「前に俺が言ってたことだろ。人間は色んな面があるって。1人じゃないって」
「ああ。しっくり来たよ。そういう意味じゃ、俺たち妖魔は一人だ」

 ──妖魔。
 ラムズは自分のことを、あまり『悪魔』だとは言わなかった。たまに笑ってそう言うこともあるが、……もしかすると、悪魔であることが嫌なのかもしれない。いや、悪魔と呼ばれることが。でもそれは、きっと無意識のうちなのかも。

「俺たちに感じられるものが一つしかない以上、俺たちを構成するのは『宝石』その概念ただ一つだけなんだよ」
「『唯一』の使族だもんな」
「悪魔の真の姿を見るものは悪魔しかいない。それに、どんなに上手く自画像を描いてもらっても──」

 ラムズが宙を摘んでいた指を開くと、何もないそこから黒い砂がこぼれ落ちていった。

「俺たちが醜いこと、それは妖魔同士でしか伝わらない」

 どこか遠くから聞こえるような声が、耳の鼓膜を震わせた。

「誰も彼も、俺の容姿を美しいと言う」

 たしかにラムズは綺麗だ。作り物みたいだけど、化け物じみた恐怖さは感じるけど、美しさもある。

「だがな、俺たちは世界で一番醜い」

 ラムズは言葉を落とした。自信がないように思えた。
 ……きっと他の悪魔もそうなんだろう。愛を体現できないロゼリィも、酒から程遠い匂いがするヴァニラも、自分に足りないものを求めて生きている。自分の一番醜いものを補おうとして、求めている。

「俺の体は作り物だ。この目も、少しはマシに見えるよう魔法で覆い隠しているに過ぎない……」

 ラムズは宝石眼を隠すように手をかざした。

「けどさ、ラムズ。自然体って、それは見た目のことじゃねえだろ」

 ラムズは笑った。

「そうだな。だがどこからどこまでが本当の俺か、俺にもよく分からん。それはお前だってそうだろ? 友達に見せる顔、恋人に見せる顔、家族に見せる顔、全て違うだろ?」
「……そう、だな。違うよ」
「俺もそうだ。レヴィの前の俺も、一人で宝石を磨く時の俺も、こうしてお前と話している時の俺も、“俺”だよ」
「ラムズがよく分かんねえよ。お前って、掴みどころがねえ」

 俺が冗談めかしにそう笑うと、ラムズもくくっと笑って首元のサファイアを弄んだ。

「メアリにも言ったが、俺の全ての始まりは『宝石』ただそんだけだ。それ以上でもそれ以下でもねえ。正解も不正解も存在しない。しいていうなら宝石を前にした俺だけが本物だが、じゃあこうやってレオンと話す俺が偽物かと言われるとそうでもない、──そうでもないと、俺は思いたい。どれも偽物で、どれも本物だ」

 誰かのために演じる自分も、姿を変えて性格を変えた自分も、全て本物ってことか? そうなってくると、本当にラムズ本来の性格や性質なんて、ないのかもしれない。

「……あいつが宝石じゃない以上、俺はレヴィに関心は持てないんだ。神がレヴィに宝石でもつけてくれるよう、祈るよ」

 ラムズはふっと笑った。始終ラムズの心に影がかかっているように見えるのは、俺の気のせいではないだろう。

「本当は関心を持ちたいのか?」
「……さあ? 分からん。でももしそうなら、もう少し楽しいだろうな」
「ラムズはレヴィのこと、大事に思えないのか? 宝石とまで行かなくても、さ」
「俺にとっては1か0しかない。宝石か宝石じゃないか。レヴィに対する思いは、レオン──お前に対する思いと変わらない」
「それじゃあ──」

 俺が言いかけて、ラムズはそれに重ねるように言った。

「だが、あいつの気持ちを理解することはできる。共感はできなくてもな。そういう意味じゃ、意図的に目をかけようとは努力してる」
「努力、してんのか?」
「そう見えねえだろうがな」

 ラムズはふっと笑った。

「大したことはしてねえよ。ただ、話している時やあいつがそばにいるとき、何を考えているのか考えるだけだ」
「考えて、どうなるんだ?」
「──どうも。ただ“わかる”だけ。分かっても、何もしてやれない」
「それ以外は?」
「それ以外? まあ、あいつのことはよく見てるよ。よく手入れされた毛並みも、たまに声が上擦るのも、耳やしっぽが動くのも、フォクシィらしく縮こまってんのも」

 彼女の思い出に浸るかのように、ラムズは流暢にそう話した。

「よく見てるなら……好きにはなれないのか?」
「レヴィについて考えるのも、レヴィを見るのも、俺ができるのがそれだけだからだ。何を見て何を学んでも、俺の心は何も感じない」
「じゃあー、罪滅ぼしってやつ?」
「便利な言葉だな。じゃあそれで」ラムズは笑った。

 俺はふと思い出したことを再度ラムズに尋ねた。

「レヴィを、食べたいって思うのか?」

 ラムズは顔を上げた。

「『食べる』、か」
「趣味なんだろ?」
「ああ。誰でも彼でも食いたいわけじゃない。知りもしない美女を食うくらいなら、お前の方がよっぽどマシだ」

 褒められて喜べばいいのか、怖がればいいのか。ラムズは続けた。

「まあ……、俺はレヴィは食いたいと思うかな。だがそもそも今はもう食べないようにしてるし、あいつが望まなきゃそれもやらない」
「相手が望まなくても食べたいやつはいるのか?」
「んー、メアリのことは、食いたいな。宝石だから」
「……はいはい。ちなみに俺が望んだら?」

 ラムズは露骨に顔を顰めたあと、笑って言った。

「まあどうしてもって言うなら食ってやるけどさ、レヴィよりは不味そうだな」
「……美味いとか不味いとか、あんのかよ」
「あるぜ? 俺がよく知った人物で、俺に何か思うことがあるやつなら、食う価値はある。それが愛でも、憎しみでも」
「へえ。そこに味の違いが出るんだ。レヴィはラムズのことを愛してるから、美味しいだろうってこと?」
「んー、別に美味しさで決めてるわけじゃねえよ。ただ興味があるだけだ。美味しくなるというよりは──味があるって感じだな」
「味がある?」
「そいつを味わえるってことだ。食べてそいつを感じられる。何も感じない俺たちにとっちゃ、“何かを感じられる”ってことが一番大事だからな」
「なるほど。それでレヴィは感じられるってことか」
「ああ。レヴィが俺を愛していれば愛しているほど──」

 ラムズの口角がくいと上がる。

「味は多彩で、食感は滑らかだな」
「こわっ」

 ラムズは手で俺を追い払うような素振りをした。

「今日は喉の調子が良すぎる。さっさと仕事に戻れ」

 喋りすぎたって言いたいんだろうか。俺は「わかったよ」と肩をすくめると、部屋を出ていった。