甘えたがり
ラピスフィーネが俺の腰を掴み、ずるずると引っ張った。今回もまたこれか。
「お前はほんっとお転婆なお姫様だな。もう少し姫様らしくしろ」
「お外ではしているわよ? いつも毅然とした態度だと思わなくて?」
「……だがそうやって俺の服を引っ張ってると、子供にしか見えん」
ラピスフィーネは掴んでいた手を下ろして、ぷうと頬を膨らませた。長いスカートを持ち上げながら、しずしずとソファの方へ座りに行く。
なるほど、拗ねてますってね。このまま放置して帰っても嫌われはしないだろうが、まあ──一応かまってやるとするか。
「何をしてほしいんだ?」
いくぶん優しそうな声で言った。
「まだ行かないでほしいの。明日までいてくれたもよくてよ……」
「明日になったら、また明後日も一緒にいろって言うだろ?」
ラピスフィーネは拳を握る。
「だって……寂しいんだもの」
「女王もいるし、お付きのメイドはいるだろう? 婚約者も近くにいるじゃねえか」
「あんなお人……おかしいんだもの」
おかしい人、ねえ。悪魔が好きなお前が言うことじゃないと思うが。
「おかしいのが好きなんじゃねえの?」
「悪魔とは違うわ! 人間だもの。|光神《カオス》教のお人なんて、信じられなくってよ」
「お前に酷いことでもすんのか?」
「しないけれど……私のことなんて見向きもしないわ。いつもお父様やお母様のご機嫌をうかがってばかり。何を考えていらっしゃるかわからないの」
リジェガル王子は、女王制のこの国で政権を握ろうとでも考えてるのか? ラピスフィーネが努力しているのは知っているが、リジェガルが優秀だという話も耳にしている。たしかに頭の切れるやつだった。
あいつはラピスフィーネを差し置いてまで権力を手にしたいと思っているのか? 彼女の言う通り、|光神《カオス》教ならば考えられないこともない。
「──なるほど、王子にこの国を乗っ取られるのは困るなあ」
ラピスフィーネは隣の俺の膝に手を載せる。魅惑する目的というよりは、感情のままに置いたんだろう。
「そうでしょう? そうでしょう? それなら私の言うこと、もう少し聞いてよ」
ラピスフィーネは上目遣いでこちらを見た。俺が言うのもなんだが、人形みたいに整った顔をしている。人間でここまで可愛らしい顔はなかなかいない。今後の変身の参考にでもしよう。
彼女に対する答えはもう決まってる。予測もされているだろうが。
「聞いたらなにくれる?」
ラピスフィーネはハァと溜息を吐き、椅子から立ち上がると化粧台のそばまで歩いていった。俺の望むものを持ってきてくれるらしい。彼女はおずおずと香水瓶を差し出した。
「……気に入ってるのに」
「ラピスフィーネは優しいな?」
──優しいも何も、こいつが俺を引き止める方法はこれしかない。可哀想に、気に入っている香水瓶らしい。ラピスフィーネの母親も彼女自身も、俺に対しては見境がない。お気に入りの宝飾品はもちろん、形見の品でも代々伝わる家宝でも、俺が望めばなんでも差し出してくれる。最高。
だがニュクス王国はいずれ宝石の在庫が尽きるんじゃないか? そうならないように努力してほしいものだ。
「香水の中身が気に入ってんなら、他の容器に移してきてやるよ」
「本当ですの? ……でも、そんなことできて?」
本来こういった化粧用具を他の容器に移せば、色や匂いが悪くなったりともすれば全く使い物にならなくなったりすることがある。だが魔法で流体のみを転移させれば、それらの問題を懸念する必要はない。
「俺にできないことなんてあると思うか?」
「ないわ。いいえ、むしろ私の頼みを『いいえ』とは言わせなくてよ」
そりゃ“王女様”だ。
「よくできました」
茶化すように言ってやると、それでも彼女は喜んでいた。手放しに褒めてくれる者が周りにいないんだろう。
「それで、王子様とは仲良くする気がねえのか?」
「ないわよ……。サフィアが王子様になってくださればいいのに」
無理な願いだ。今までも王子役を演じたことはあるが、さすがの俺でも気疲れした。
「それはちとだるい。王様なんて、面倒なことしかねえだろ」
「それは私もよ。でももう少ししたら、こうしてサフィアとお話する時間も……」
彼女も疲れているんだろう。俺が色んな姿に変えられるように、人間もえてして数多の皮を被って生きている。
ラピスフィーネにとって、俺と話す時間は唯一弱音を吐ける場所──そうなるようにこれまで関係を築いてきた。それが面倒なこともあるが、彼女が壊れてしまうよりはずっといい。宝石ももらったことだし、多少甘やかしてやるか。
「少しくらい仕事も手伝ってやるから。そんな顔すんな」
「……サフィアは、優しいのね」
「無視して宝石でも見てた方がよかった?」
新しく貰った宝石に意識が向かわんわけじゃないが、近くに誰かがいて落ち着かない場所で眺めるよりは、あとでゆっくり堪能した方がいい。とはいえ、彼女が冷たい俺をご所望ならそうしてもよかったのだが。
「もしそうしても、私はサフィアを嫌いにはならなくてよ」
ラピスフィーネはそうだろう。
俺が冷たくても何も思わないし、優しくせずとも手を貸してくれるのだろう。
俺にとっては、常に冷たくしてくれと頼まれるのは、常に優しくしてくれと頼まれるのと変わらず煩わしい。
悪魔なのに優しい、悪魔なのになぜ、そういう声を何度も聞いてきた。それで感情が揺さぶられることはないが、結局等しく俺という個人に“理想”を押し付けているのと変わらない。
ラピスフィーネのように、いっそのこと宝石で俺を買ってくれる方が、数倍生きやすいというものだ。
「だが、落ち込むだろ?」
「……落ち込むかも……しれないですわ」
俺がラピスフィーネを引き寄せても、彼女は俺を咎めない。普通なら王女にこんな近い距離で話をするやつはいない。
心拍を聞くように彼女は身を縮めた。ラピスフィーネの身体はやわらかく、それでいて芯が通っていた。俺が何度変身しても、生身の体を超えることはできない。全くもって、つまらん話だ。
「私……リジェガル王子と……」
「どうした? なんの話だ?」
「……なんでもないですの」
ラピスフィーネはさらに顔を曇らせる。
聞かずにいてもいいのだが、聞かなければ始終落ち込んでいるかもしれんな。それはそれでまた明日城を出られなくなる。少し強めの口調で言った。
「話せよ」
「嫌ですの」
いつもは話すのに。何を隠してるんだ?
「なんで? 俺に言えないこと?」
ラピスフィーネは彼の服をぎゅっと掴む。かぼそい声で返した。
「その質問は、ずるいですの」
「知ってる」
そうやって心を揺すった方がずっと面白いだろ。ラピスフィーネは小さな拳で、俺の膝を叩いた。
「俺ができることならなるべく解決してやるから。話してみろよ」
「サフィアは……男のお人ですもの。話せなくてよ」
「悪魔は男も女もねえぜ?」
「……そうでした。でも……私にとっては、サフィアはいつも男のお人ですもの。同じことですわ」
男女の話が出てくるということは、愛やらなんやらの話に関わることなんだろう。なんとなく予測できないこともないが、こういうのは本人の口で言わせることに意味がある。
「分かった分かった。男じゃなきゃいいんだろ?」
「……え?」