シィアラと魔木の獣人
使族不明のシィアラ、アネモラルという食人花の|獣人《ジューマ》である俺、アークエンジェルのメルファ。シィアラが紅一点で、あとは男だった。
「シィアラ、その魔石」
シィアラは162センチル。元魔植だった俺からみるとかなり小さい。20センチルほどの差があり、シィアラはいつも俺を見上げる時、心底面倒くさいという素振りをする。だから俺もあまり話しかけたくはないが、それでも団として声をかけないわけにはいかない。
彼女はさきほど捕まえた魔物の魔石を、道中ずっと離さなかった。鋭く、それでいて透明感のある視線の先は、魔石の奥の奥まで吸い込まれているようだった。
「私、これ気に入ってんの」
「そうだな。それは見ればわかるが……ギルドに見せないと、討伐達成の証を貰えないことくらい、分かるだろ?」
「……まあね」
彼女は赤い瞳をふっと逸らした。初めて彼女に会った時は、見た目通りヴァンピールだろうと思った。たが今はそれが違うと分かる。ヴァンピールとは比べ物にならないほど、彼女は強く、美しい。
血に塗れた赤の瞳は、その奥で黒い渦が揺らめいているように見える。ストレートの銀髪は陽光で輝き、彼女がそれを掻き上げるたび異性の視線を引き付ける。だが彼女はそんな男たちには目もくれず、ただひたすらに宝石を愛していた。
「おい」
シィアラだ。凛と通る高い声とは裏腹に、彼女の言葉遣いはどこか乱雑だ。見た目にもそぐわない。溶けて消えてしまいそうな髪や肌をもちながら、いつも偉ぶった態度を取る。
「なんでしょう、シィアラさま?」
彼女を茶化すようにかしずいて見せれば、冷ややかな瞳が鬱陶しそうに瞬きした。
「……五月蝿い。これ、お前がもう一度狩ってきて」
「──はっ?! んな面倒くさいことするかよ」
シィアラはちょいちょいと指でこちらに手招きする。アークエンジェルのメルファと目が合った。彼もシィアラの言う通りにしてやれという顔で目配せする。
俺は腰をかがめて、彼女の口元に耳を近付けた。冷たい息が全身の幹を伝った。
「……取ってきたらお前がしてほしいこと、してやるよ」
首で一番膨らんでいる幹が、ごくりと上下に蠢いた。
「シィアラさ、そういうのよくないと思うぜ。しかも団の中で……」
「フィーザがそういう目で私を見てることくらい、知ってる」
彼女は瞳を細めてニンマリと笑った。背筋が凍る。
そうだな。俺だけじゃなく、シィアラに出会った男なら誰でもそういう目で見るはずだ。一度だけでいいから彼女の潤んだ瞳に自分だけを映して欲しい、そう願うだろう。
現に彼女は、数々の男と関係を持っているようだ。といっても本当に情を交わしたのか、それともキスで済ましているのか、そこまでは知らない。
だが彼女の体目当てに近づく男がいると、決まってこう言うのだ。
『宝石。宝石を持ってきて。その宝石の価値次第で、お前と遊んであげる』
こんな威張り腐った女と誰が遊ぶかと言いたいところだが、簡単にそう一蹴できないほどの魅力を彼女は持っている。すらりと伸びたくびれのある脚、こちらを掴んで離さない、自在に表情を変える瞳、触れれば脆く崩れてしまいそうな細い髪、華奢な体に似合わない、程よく膨らんだ胸。
どんなに宝石で着飾っても、彼女自身の魅力には敵わないだろう。本人はそう思っていないようだが。
事実、あんな風に命令されても逆上した男はいないし、彼女の言われた通りに宝石を持ってきてしまうのだ。
そのあと彼らがどこで何をしているのか、俺は知らない。まあ彼女が簡単に体を許すとも思えないから、文字通り宝石の価値に応じて何かしてあげているんだろう。
「というか、俺みたいな体の男と何するつもりだ? 俺を団に入れた意味もイマイチ分からねえし」
吟遊者として、コボルトやケットシー、ウルフィードなどの|獣人《ジューマ》は受け入れられるようになってきたが、俺のような珍しい魔物の|獣人《ジューマ》はまだ白い目で見られている。
髪は葉や茎でできているし、掌もよく見れば木でできていることが分かるだろう。人間の着る有難い『服』という存在のおかげで身体まで見られることはないが、それでもおかしな見た目であることは確かだ。戦う時は服は脱がないといけないし、そうすると──まあ、ほぼ魔木同然のこの姿に驚く者は少なくない。
だが、彼女は違った。
『へえ、面白い体してんのな』
普段からムスッとしている人形みたいなその顔をくしゃりと崩して、彼女はそう笑った。
『しばらく一緒に戦って』
別に彼女がこんなに魅力的な容姿じゃなくても、俺は頷いただろう。アネモラルの|獣人《ジューマ》である俺を、そんな一言で済ました吟遊者も人間もいなかったのだから。
「なんでって、そんなのも分かんないの?」
「……まぁ、普通の人は避けるからな」
「目立つから?」
「あぁ」
シィアラはくすりと笑って、髪を掻き上げた。
「そんなのどうだっていい。私も目立ってるし」
「それ、気付いてたんだ」
「もちろん」
分かっててやってる、彼女はそう言いたげに微笑んだ。
「吟遊者として何が一番優秀か、そんなの誰にでも分かること」
「……強さか?」
だが正直、彼女がいればどんな団で挑んだって勝てる気がする。彼女は美しいだけでなく、魔法も得意だから。今はアークエンジェルもいるし、俺である必要はないだろう。
「強さ、それも大事」
「まだあるのか?」
「……お前の体」
彼女はそう言って、俺の胸元をちょんと指でつついた。少したじろいでシィアラを見下ろすと、また悪戯っぽく笑った。
「討伐要請がかかるのは、ほとんど森でしょ」
「まぁ、そうだな」
「だからお前のその体が便利。情報も、知識も、能力も」
なんで俺は、こんな当たり前のことを聞いたんだろう。きっと、彼女に言葉に出して欲しかっただけなのかもしれない。俺が必要だと、俺しかシィアラの望みは叶えられないと、そう言って欲しかったのかもしれない。そして彼女は、俺の無意識の願いを知った上で話した──。
彼女は俺のことを俺以上に知っている。アネモラルである自分がどう戦えば一番効率がいいのか、どんな方法で生きる術があるのか、彼女はよく知っていた。足である幹を伸ばし、地面を通して魔物やその土地の様子を探ること、魔植や魔木の種類に応じてどんな魔物が生息しているのか、それを見分けること。
たしかに魔植や魔木を見分けるのは人間や他の使族でもできるだろう。だが元魔木の魔物だった俺にとって、魔木から読み取る力・情報は他の者の比にならない。その魔植がいつから生えているのか、いつ頃花が咲いたのか、いつ枝が折れたのか、いつ雨が降ったのか、どんな魔物が好みどんな匂いがするのか。
魔物だった頃の記憶とも結びついたのか、森の情報を調べるのに俺以上に相応しい者はいないと、今は自信を持って分かる。
「それに何より」
「ん?」
「面白い」
「シィアラは宝石以外、興味ないと思ってたけど」
「そうだな。宝石の次に、私は色々な経験をするのが好き。どうせなら、人と違う経験をした方が面白い」
彼女が普段、本に何か書いているのと関係があるのだろうか? 速筆すぎていつもなんて書いてあるのか読めないけど。
「まぁ、分かったよ。そこまで言うなら俺がまた狩ってくる。あの魔物は俺にとっては簡単だったしな」
「そういうこと」
彼女の唇はにんまりと弧を描き、さらりと髪を揺らしてギルドの椅子に座りに行った。
「ここでメルファと待ってる」
「ああ」
「……期待してるよ」
彼女は小首を傾げて、笑った。悪寒が走る。彼女が笑うのはたしかに美しいけど、たまにどこか不気味だ。彼女の瞳の裏に何を映しているのか、出会って数年の俺じゃまだ分からない。いや、あと100年一緒にいても分からないんだろう。
まぁ俺に期待してるのは本当なんだろう。戻ってきたら頬にキスでもしてもらうか。俺は茶色くしなった手をヒラヒラと振って、ギルドを後にした。
■■■
ラムズはふと足を止めた。
「ラムズ、どうかしたの?」
彼の視線の先には、随分変わった見た目の男が立っていた。髪の毛は葉っぱでできていて、よく見ると手は木でできている。|獣人《ジューマ》よね? 魔木の|獣人《ジューマ》ってことかしら。
「知り合い?」
「──まあ、昔のな」
ラムズがそう言うと、|獣人《ジューマ》もこちらを振り返った。ラムズを視界に入れると、顔を顰めて頭を傾げた。
「彼は知らないみたいよ」
「ああ」
「忘れてるってこと? そんな簡単に忘れちゃうものかしら。それにしても、なんだか問題があったみたいね」
例の|獣人《ジューマ》の周りで、何やら同じ団のメンバーが口々に言い合っている。耳をすませて聞いてみれば、どうやらその男を団に入れるかという相談をしているようだ。男の名前はフィーザというらしい。
「フィーザって人、弱いの?」
「いーや、強い。あいつらには勿体ないくらいにな」
ラムズがそう言うってことは、本当に強いんだろう。わたしも魔木の|獣人《ジューマ》って見たことないし、なんだか特殊なことができそうだ。彼が戦うところを見てみたい気もする。
「でも、強さなんてランクを聞けば分かるじゃない」
「おそらく、一度吟遊者をやめたかでランクが下がったんだろう」
「助けてあげたら? 知り合いなんでしょ?」
ラムズは悩んでいるようだった。知り合いとは言っても、大した仲ではなかったのかもしれない。フィーザは人柄の良い性格なのか、『俺のことで争わないでくれ。それなら他の団を探すよ』などと宥めている。
わたしがまたラムズに話しかけようと顔を上げると、彼はフィーザにちらと視線を送ったあと、ギルドの受付まで歩いていってしまった。やっぱりもうどうでもいいのかもしれない。
少し可哀想だけど、まぁわたしたちとは関係ないしいいのかな。
ラムズは受付で少し話したあと、すぐにこちらまで戻ってきた。そのまま出口へ向かう。
「ちょっと待ってよ」
ラムズのあとを追いかけ、わたしたちはギルドを去った。
♢♢♢
「あの、ちょっといいですかいね」
あれこれと話をしている俺たちへ、ギルドのおばさんが話しかけて来た。五月蝿くしすぎただろうか? 俺が謝ろうと口を開く前に、彼女が言った。
「さっきエースの吟遊者がこっちに来たんだけどね」
「えっ、エース?!」
入ろうとしていた団の一人がそう声を荒らげた。驚くのも無理はない。吟遊者の中でも、エースは珍しい存在だ。都市の中で一人か二人いればいい方だろう。ギルド内で有名になっていることも多い。
「この街の吟遊者じゃないから、あたしも知らない吟遊者だけどね。ギルド証は見せてもらったから間違いないよ」
「それで……その、エースの吟遊者が僕たちに何を?」
団のリーダーが恐る恐る尋ねる。おばさんはこくりと頷いて、続きを話した。
「お前さんたち、この男……フィーザというのかい? このフィーザをメンバーに入れるか迷っているそうだね。エースの吟遊者が言うには、『フィーザはロワ、ないしはエースの資格があるほど強いから、入れるのに迷う必要はない』だとさ。あたしたちギルドの関係者じゃフィーザさんについて何か言うことはできないけど、これは伝言として頼まれただけだからね。ほい、これで仕事は果たしたよ」
おばさんはそこまで言い切ると、さっさといなくなってしまった。揉めていたメンバーたちは揃って頷き始める。
「現エースが言ったんだ。間違いないだろう」
「エースの証明もしてもらったって言ってたわ。こういうところで嘘をついたら、受付も通しているし問題になるわよね?」
「ああ。信用に関わってくるだろう。となると、さっきのエースを信じてもいいんじゃないか? たしかに只者じゃない雰囲気があった」
俺はさっき目が合った男を思い出した。銀髪に青い瞳。眼帯。海賊か貴族か、そんな服を着ていた。だが気になったのはそこじゃない。冷たい視線に、生気を感じられないような存在──そして何より、彼は大量の宝石を纏っていた。
「……そうか。そりゃシィアラが俺に靡かないわけだ」
独りでに溢れた言葉が、懐かしい笑いと共に宙に消えた。