ブラッディメアリー
黙っていれば諦めるか? 愉快なチェスゲームの途中だというのに。
彼女は扉を開け、こちらを覗き込む。仕方ない、返事をするしかない。
「なんの用だ」
「例のこと、誰かに言った?」
「例のこと?」
俺は手元の駒をいじりながら言った。顔は見えないが、メアリが怪訝そうにしているのが伺える。『こっちを向け』。嫌だね、顔をあげるのすら面倒くさい。
「とりあえず部屋に入っていい?」
「ああ」
メアリが部屋に足を踏み入れ、俺の座る机の前に立った。どこか怪しそうに辺りを見回し、部屋の匂いを嗅いでいるようだった。
──はて。昔の拷問跡の匂いでも残っていたかな。前は血塗れの格好で部屋に来たから、感じ取れなかったんだろう。
「わたしの……正体のこと。人間じゃないって、他の船員には言わないで」
入念に口封じに来たらしい。いちいち触れ回るほど俺は暇じゃない。宝石を愛するのに忙しい。
「言うわけねえ」
「それならいいの。じゃあね」
彼女は踵を返し、すぐに部屋から出ようとした。
せっかく来たならもう少し話し相手になってくれてもいいだろう。船長様に対し、なんて無礼なお嬢さんよ。
「あんたは、他のやつらには教えないのか」
チェスの駒を動かしたあと、飲んでいたブラッディ・メアリーのグラスに手を伸ばした。
商船を仕留めたおかげでトメトもウォッカも手に入った。アルコールに酸っぱい匂い。感じはせずとも、細かい味の違いまで“見れば”“分かる”。
「仲良いやつはいるんだろ?」
「だって人間だもの」
「ジウやロミューは?」
「でも……」
あいつらが人魚を虐めるわけがない。ましてや俺が可愛がっている宝石を。
「あいつらはあんたを差別しない」
「そんなこと分からないでしょ」
「分かる。ルテミスに、人間の心はほとんどない」
ああ──もうすぐチェックがかかる。奪った黒のクイーンの宝石を見て、俺はしなやかに笑った。
クイーンなしで黒は勝てるだろうか? 勝たせて見せよう。
彼女は少時言葉の意味について考えていたようだったが、諦めたのか軽々しくこちらへ尋ねた。
「それ、なんなの?」
彼女が指さしたのはブラッディ・メアリーだ。そのまま伝えてもいいが、この酒はメアリーを殺したことに祝杯を上げて作った酒だ。どうせ由来など調べることもないだろうが──だが俺が答を出す前に、運命が道を敷いた。
「…………ブラッドだ」
「ブラッド?」
「そうだ。なかなか手に入らねえんだ。新鮮な方がいいしな」
「新鮮、ね」
嘘は言ってない。彼女がどう思ったのかも知らない。勝手に勘違いしたのだ。
「ルテミスのことは考えておくわ。今誰かに教えたら、みんなに広まっちゃうかもしれないし」
「ああ」
おそらくメアリは、ブラッドについてもジウやロミューへ尋ねないだろう。
ミラームの寵愛はいつまで続くのか──俺は手元の本をこつこつと叩いた。