拷問

 薄暗い洞窟を思わせるような地下の広い空間。長く真っ直ぐと通る廊下の左右では、|枷《かせ》の|嵌《は》められた|獣人《ジューマ》や人間、アークエンジェル、|吸血鬼《ヴァンピール》、ドワーフ、オーク……数々の使族が捕まえられ、暗い檻の中に閉じ込められている。

 ニュクス王国騎士の称号を持つラムズは、その檻のあいだを颯爽と歩いていく。
 銀の|甲冑《かっちゅう》は歩く度に凛とした金属音を立て、無垢を想起させる純白のコートはラムズが足を動かす度にゆるくはためいた。騎士の制服を着て前をゆくラムズはそれはそれは美しく、多くの奴隷たちにとって救世主にすら思えた。後ろには、アークエンジェルと思わしき美麗な見た目の少年がしずしずと足を運んでいる。
 本来ニュクス王国は、|悪魔《デモン》教の教えに|則《のっと》り奴隷制を禁じている。ニュクス王国直属の騎士がこの暗い奴隷監獄に来たとなれば、救いに来たと思っても無理はなかった。

 ラムズは廊下の奥まで行き、黒金の厳つい肘掛椅子の前で止まった。監獄全体を見渡せる、王者とも言うべき位置に大きな玉座があった。何人かの奴隷が息を飲む。
 ラムズが手を挙げると、七色の光が肘掛椅子を包み、鋼鉄の椅子に青や白の宝石が施された。幾分マシになった椅子を見て独りでに彼は頷く。

「あー。聞こえてるか?」

 彼はそれほど大きな声を出したわけではなかったが、監獄全体に冷たい声が届いた。

「この前までお前たちを遊んでいた人間は首になったそうだ。これからはこの天使様がお相手してやる」

 ぱちんと指を弾いた。その瞬間、彼の背から混じり気のない白雪の翼がばさりと生えた。奥に控えているアークエンジェルの少年と勝るとも劣らない、息を飲むほど絶美な翼だ。二枚ずつついた大ぶりの翼にはところどころ金砂がかかっており、彼が翼を動かすたびに暗黒の牢獄を|煌《きら》めかせた。
 それはまさしく、かつて存在すると信じられていた『天使』という使族に見える容姿だった。元よりラムズの顔つきも異常なほど人間離れした端麗さで、生を感じさせない表情は神秘性さえ|湛《たた》えている。これで不自然に歪む唇さえなければ、本当に天使にも見えたかもしれない。

「ラムズさん、あなたはどこからどう考えても天使からは程遠──」

 ラムズは微笑みを持って彼に冷えた蒼光を|穿《うが》った。

「回復係。エゼキエルに怒られたいか?」
「い、いえ! まさか! すごぉぉく綺麗です、ラムズさん」

 アークエンジェルの少年はラムズと揃いに見える翼を揺らし、満面の笑みで答えた。|繕《つくろ》った笑みにしては眩しすぎるほど美しい。

「だろう? 俺は美しいものが好きなんだ。こんな小汚い監獄じゃなくてな」

 暗闇に潜む奴隷たちを見下すように眺めたあと、ラムズは腰を下ろした。

「それは同感ですね。僕もこんなところにはいたくない」
「可哀想に。アークエンジェルはこの監獄にいるだけで拷問じゃねえか。イザヤも捕まらなくてよかったな」

 この玉座へ来る前に、アークエンジェルの少女が檻の奥で縮こまっていたのを見た。綺麗好きで美しさを磨くのが趣味なアークエンジェルにとっては、ラムズの言う通りこの監獄は文字通り地獄だった。
 イザヤと呼ばれた少年は、アップバングにした金の前髪を優しく後ろへ撫で付けた。

「そりゃもう。毎秒置きに浄化魔法をかけて欲しいくらいですよ」

 ラムズは鬱陶しそうにイザヤを見上げる。にへらと笑う彼を見て、外側へ仰ぐように手を動かした。イザヤの体を大きな水泡が包み、一瞬で消える。

「助かります。その調子でお願いします!」
「うるせえ」

 ラムズはイザヤを見ないまま肘掛をコツコツと叩く。

「さて、面倒なことはとっとと終わらせよう。イザヤ、候補はいるか?」
「そうですねえ……」

 イザヤは持っていた羊皮紙の書類へ目を落とした。ちらりとラムズを伺いながら、おそるおそる答える。

「僕としてはー、その? オークなんて、ラムズさんがどうやって拷問するのか気になるんですが?」
「オークか」

 オークは他使族に比べて図体がかなり大きく、|獰猛《どうもう》で身体能力が高いことで有名だ。ラムズは魔法は得意であったが、体術の方はからきしだ。魔法を発動するよりも素早い反応ができそうなオークをどのように調教するのか、イザヤは興味があった。
 わざと挑戦的なことを言ったイザヤに気付いていたが、ラムズは一瞥するだけにとどめた。

「まあいい。やってやろう」
「女が一人いるみたいですよ。かなり気性が荒いと書いてあります」

 肌の色が深緑ではあるものの、彼らの見た目はほとんど人間に近い。そして男も女も背は高くガタイがいい者が多い。

「連れてこい」

 イザヤは露骨に顔を歪ませた。手をひらひらと振る。

「まさか、僕がやると思います? それだけはお断りですよ。この地下に来るだけでも寒気がするっていうのに」
「ジョークだ、ジョーク」

 ラムズは立ち上がるとひょいと浄化魔法をかけてやり、どこにオークの女がいるのか檻の中を確認し始めた。

「ったく、面倒なことだ。まあこれでしばらくは宝石には困らん。調教と銘打って宝石を集めに行かせるのもいいか。……だが怠いことには変わらんな」

 闇に紛れて文句を垂れ流す声がブーツヒールの音に掻き消えていく。

 ラムズがこんな地下監獄で仕事をしているのは、数週間前、とある貴族に突然呼び出されたことがきっかけであった────。







 おおよそ侯爵の前に座る騎士とは思えないくらい尊大な態度で、ラムズ・ジルヴェリア・シャークは豪華なソファへ腰を下ろした。

「さてはて、私めのような騎士の端くれに|如何《いか》な御用がおありでして?」

 足を組んだラムズを見て、ヴァイゼル・スレバン・メユザーガ侯爵お付きの騎士が|諌言《かんげん》しようと一歩近づいた。

「良い、良い。こやつは人間ではない。お主らも知っておるだろう」

 メユザーガ侯爵は小太りな腹を揺らして、豚の鳴くような声で笑った。
 ラムズは侯爵の指、首、腕についた装飾品から目を離さなかった。趣味の悪い付け方ではあるが、それぞれの宝石は一級品だ。彼が宝石がよく採れる暗黒山脈を牛耳っている貴族というのは、やはり本当なのだろう。
 騎士らはラムズを胡散臭い目で見ながらも、再びメユザーガ侯爵の奥に控えた。メユザーガ侯爵は肉で半分ほど埋もれてしまった目を光らせる。

「君に声をかけたのは他でもない、人間にはできない仕事を頼もうかと思ってな」
「と、申しますと?」
「優秀な奴隷を育ててほしいのだ」
「奴隷を? 私めが?」

 あまりの検討違いな話に、ラムズは思わず眉を顰めた。改めてメユザーガ侯爵へ尋ねる。

「奴隷を育てるのであれば、私めよりも優秀な者がおりますでしょう。ご存知の通り、人を虐めるのに適した奴が」

 ラムズが意味ありげに笑うと、メユザーガ侯爵はつまらなそうに首を振った。

「わしもそこまで落ちぶれてはおらん。既に試した。だが、奴は使い物にならん」
「ほう?」
「賢いお前のことだ。あんな者を使えばどうなるか予想もつくまい」
「……奴隷の精神、体が死んでしまったと」
「そうだ。やりすぎるのだ。お前たちはいつもそうだがな」

 ハッハッと笑い、脂ぎった汗が首筋に垂れた。ネックレスの大粒のガーネットに油が注がれ、心の中でラムズは舌を打った。
 メユザーガ侯爵は続ける。

「つまりだな、その手の者に頼むより、多少理性の残った状態で奴隷を育てる者がほしいのだ」
「かてて加えて、人間ほど精神が脆弱ではない者を?」

 後ろの騎士がきっとラムズを睨む。メユザーガ侯爵はまた笑い、頷いた。

「もちろんだ。普通の人間は逃げ出してしまうのだ。罪悪感というものが働くんだろうなあ。ここじゃ|悪魔《デモン》教の強い信仰のせいもあってか、外道を働こうとする者がそうそうおらぬ。仮に好む者がおっても、奴隷を育てさせるより売った方が金になるわ」
「それはもちろん、そうでしょうとも」

 彼がラムズを呼びつけた理由は分かった。
 初めは人を痛め付けるのが好きな者──ラムズも知っているトルートという男に頼んでいたが、彼が奴隷を酷く扱いすぎるものだから解雇した。人間は甘い拷問をするか、途中で投げ出してしまう。アークエンジェルは体が汚れるのが嫌だと言って断るだろうし、エルフはいくら命令しても殺気を|纏《まと》わせて拷問することなどできないだろう。|獣人《ジューマ》は扱いづらく、金や宝石で動くとも限らない。
 ──すると、宝石のいかんでいくらでも命令に従うラムズに白羽の矢が立った。幸いにして、メユザーガ侯爵は宝石の採れる鉱山を持っているのだから。

「事情は把握致しました。それで、報酬はいかほどで?」
「持ってこい」

 メユザーガ侯爵が後ろに声を投げると、一人の騎士が「はっ」と声を上げる。彼はそそくさと大きな木箱を両手に抱えてきた。ラムズとメユザーガ侯爵のあいだの長机の上に箱が置かれる。同時に一枚の羊皮紙が机に載せられた。契約書だろう。一ヶ月辺りどれほどの奴隷が送られてくるのか、どんな奴隷を育成すればいいのかなどが書いてある。
 メユザーガ侯爵の合図で騎士は蓋を開けた。加工していない煌びやかな宝石が満杯に入っている。ラムズは目がそちらに引き寄せられるのをなんとか押しとどめて、冷静に言った。

「こちらは一ヶ月分と?」
「そうだ」

 ラムズは足を組み直した。蒼い瞳がギラギラと光る。嘲る声が投げられた。

「はっ、足りねえな。見くびってもらっちゃ困る」
「貴様ッ!」

 一番近くにいた騎士が剣を抜こうとして、その剣が抜けないことに気付いた。ラムズは口角をぐいと吊り上げて嗤う。
 メユザーガ侯爵は静かに言った。

「二倍出そう」
「五倍」

 ラムズは即答した。他の騎士たちが威圧しようとラムズに近付く。だが、剣を抜けないどころか魔法さえ発動できなかった。ただ周りを取り囲んただけだ。

「……三倍だ。それ以上は出せん」
「そうか。大変嘆かわしいことではありますが、これにて」

 ラムズが席を立とうとして、メユザーガ侯爵は項垂れたように言う。

「……待て。分かった。五倍やろう。その代わりしっかり働いてもらうぞ」

 ラムズは胡散臭い笑みを貼り付けて、不自然なほど明るい声で言った。

「もちろんですとも。後悔はさせませんよ」

 ラムズは机上の契約書へさっと目を走らせると、くいと人差し指を上に向けて羊皮紙を浮かせた。だがそこで、もう一度メユザーガ侯爵へ視線をやった。

「ああそうだ。初期費用として、貴方様の纏っているその宝石、全て頂戴しても?」
「お前っ……!」

 さすがのメユザーガ侯爵も、額の|皺《しわ》をぴくぴくと動かした。

「どう致しますか?」

 にんまりと唇が弧を描く。ラムズはあくまで狂気的で優しげな微笑みを絶やさなかった。メユザーガ侯爵は膝の上で掌をきつく握っていたが、深い息を吐くと険しい顔つきで頷いた。

「勝手にしろ。ただし、一人でも使い物にならない奴隷が出れば貴様も解雇だ」

 殺すと言えればどれほどよかっただろう。メユザーガ侯爵は密かに横の騎士を見やった。彼らでは全く太刀打ちできない使族だ。人間の騎士など気休めにもならない。
 ラムズは立ち上がると、恭しく礼をした。

「そんなことにはなりませんよ。私めと契約してよかったと、きっとそう思うはずです」

 魔道具のペンが独りでにラムズのポケットから出て、宙で浮いたままサインを書いた。金の文字が紙の下部で光ったか思うと、契約書に刻まれていた魔法が発動し金の炎に焼かれて消える。
 ラムズがもう一度手を挙げると、メユザーガ侯爵の体に付いていた宝飾品が全て外れ、浮き上がり、木箱の中に入った。

「先払いで頼みますよ。メユザーガ侯爵?」
「……この外道めが」

 外道を雇ったのはどちらだ? ラムズはそう言いたげに笑みを深めた。