嘘つき上級者

 夜半を過ぎた頃、私はアゴールの中央広場、噴水の石段の上で足を揺らして座っていた。長い襟を立てて口元を隠し、目が隠れるほどフードを深く被る。カーキの上着の袖をなんとはなしに引っ張った。袖も手の甲が隠れるくらいの長さ。顔や体の鱗を隠さなければ好奇の目で見られるから、肌を隠せるような無難な色の服をよく着ていた。
 船長は私の心の声を聞けるけど、私は聞こえない。アゴールのどこに泊まっているかも聞いてないから、会う方法としては心の中で彼に呼びかけるしかない。もう、せっかく宝石盗んできたのに。盗んだものをそのまま持ってるの、嫌なんだよな。
 服の奥に隠した麻布の袋の方へ、とんとんと手を置いた。人間に捕まえられる前は盗賊の真似事をしていた。ククルカンという魔物の性質上、壁や天井を自在に上ることができる。裸足になれば足音も消せるし、気配を殺すのも得意だ。不器用な方ではなかったので、よくスリをしてお金を稼いでいた。船長はそこまで知っていて私を奴隷にしたのかな? 心の声に反応していいから早く来てよ。どうせ寝てないんでしょう?
 どちらかといえば私は夜行性だから、船では夜番の仕事につくことが多かった。夜番でも船長室は明かりがついていたし、話に聞けば昼間も起きているらしい。いつ寝てるんだろう。そういう使族なのかな?
 30分ほど待ち、もう帰ろうかと思ったころだった。街灯の仄かな明かりの下、気怠そうに歩いてくる船長が見える。私は石段から下り、彼の方に駆けていく。
「場所分かったの?」
 目を細め、鬱陶しそうに答える。「お前が何度も言ってただろ」
「便利だね、これ!」
「お前の宿は?」むー、無視された。
「船長の宿に行こうよ。私のところ、そんなに綺麗じゃないよ」
 船長は少し悩ましそうな顔をしたけど、首を振った。「メアリがいるから」
「一緒に泊まってるの?」
「その方が金がかからないだろ」
 私は船長を下から覗き込む。「本当にそれだけ〜?」
「とっとと案内しろ」
「はあい」と明るく返事をすると、先頭に立って歩き始めた。

 しばらく行くと宿が見えてくる。アゴールに来る時にいつも泊まっているところだ。店主は私の見た目のことを知っているし、店自体もあまり古くなく過ごしやすい。宝石を纏っている船長の格好は少し目を引くけど、これくらいなら止められることはないでしょ。
 二人で店に入ると、ポイズスネク系の魔物の獣人、ナハトが下の酒屋で食事をしていた。
「あれ、シャーナ。帰ってきたんだ?」ナハトが私に声をかける。そのあと、後ろに立つ船長へ目を移した。「もしかしてその人が……」
「そーだよー! 私は話があるから、またあとでね」
 ウインクをすると、ナハトはしぶしぶといった調子で食事を再開した。でも、どこか疑心を込めた目で船長を見ている。さっきああ言ってたからなあ。仕方ないよね。
 階段を上がって部屋に入る。私はベッドに腰を下ろした。船長は向かいの机の前の椅子に座る。
「どれが本物か分からなかったんだけど……どうかな?」
 上着の裏側から袋を取り出し、宝石をベッドの上に広げて見せた。船長は視線だけを動かして、宝石を穿つように見ている。興味シンシンなの、見え見えだ。
「悪くない」
「いる?」
 船長は立ち上がると、袋にいくつかの宝石を入れた。「こっちはお前にやる」
「偽物だから?」
「違う。お前にも金が必要だから」
「一応まだお金はあるから大丈夫だよ?」
 船長は私の頭に手をのせた。「武器でも買え。死なれたら困る」
 手が離れてから、上目遣いに彼を見た。「心配してくれるの?」
「まさか」温度のない声が言う。
「奴隷がいなくなるのは困るから?」
 私の問いには答えず、彼は宝石を順番に机に並べている。
 自分のフードを引っ張った。視界が暗くなる。「ねえ? 少し不思議なんだけど、私ってこんなに船長のこと大事に思ってたっけ? もしかしてだけど……私の心、操った?」
「さっきの男に何か言われたか?」
「今心に返事した?」
 船長は溜息をついて、投げやりに言う。「読まずとも分かる。宿で話していて気が合って、同じ海賊団でもないから全部喋った。そんなところだろ」
「でも私がナハトと喋ってる時だって聞こえてるわけだし……」
「じゃあそういうことにしとけ。どっちでも変わらん」
 結局質問には答えてもらっていない。私は船長が渡した袋をいじり、かちゃかちゃと音を立てた。
「ナハトが絶対操られてるよって言うんだもん。私は別に……それでもいいけど。ナハトは、それも全部操られてるからだって」
「ああ」合点がいった、そんな顔をして横目でこちらを捉える。「お前。あの男が好きなのか?」
「へ⁉」ぱっと顔を上げ目を泳がせた。「いやいや、違う……って、否定しても意味ないか」
 苦笑気味に顔を緩ませて、足をぶらぶらと揺らした。
「前にも同じ宿で会ったことがあって……告白されちゃって。あんまり恋愛とか考えたことなかったけど、私の鱗も気にならないだろうし……いいかなって」
 口に出したのは気持ちのほんの上辺だけだ。本当はけっこう好き。自分から告白するのは自信がなくてできなかったけど、今回付き合えたのは嬉しい。もちろん、アゴールを去ったらしばらく会えなくなっちゃうから、ちゃんとした関係をずっと築くのは難しいかもしれないけどね。
「って、私のことはいいからさ! 船長は操ったりしてないよね? だって宝石にしか興味ないのに。奴隷なんていらないというか」
「最初の質問にはノー。次はイエス。最後は―いれば便利に使うかな?」
 きょとんとして目を据わらせた。難しい返答しないでよ! えっと……最初、次……。「最初はノー……っ、え⁉ したってこと⁉」
 船長は机に並べた宝石を指爪で労わるように撫で、こちらを見もせず零した。「したよ」
「なんでなんで⁉ しないって言ってたじゃん!」ベッドから立ち上がり、座っている船長の服を引っ張る。
 船長が初めて私と目を合わせた。両目の青がきらきらと輝いている。「嫌だった?」
「え……何も……思えないけど。それは操ったからでしょ?」
 船長は私の腕を掴んで引き寄せた。体勢を崩して、船長の方へ倒れそうになる。なんとか膝をついてバランスを取り戻す。
「どっちでもいいだろ」
「よくないよ!」
「いいよ。不快じゃねえなら、このままで。それに、本当にお前は俺に感謝してただろ?」
 船長は机に肘をついて、膝立ちで座る私を見下ろしている。簾のような銀の前髪から碧色の瞳が覗く。少し陰った冷たい眼光に晒されて、心が掴まれていくような感覚がした。
「それはもちろん、してたけど。じゃあ船長は何をしたの?」
 彼は細い指で宝石を掴み、指の間を滑らせていく。瞳孔が宝石を追いかける。「感情の増幅」
「へ? あ、っとー……感謝してた気持ちをってこと? ずるいよー」独り言のように付け足した。「むぅー、だから私は宝石をあげたくなったんだぁ……。うーん、全然分かんなかった」
「じゃあやめる?」
「やめるって?」
「もう何もしないでいいぜ。宝石は集めなくていいし、俺のために働く必要もない」
 きゅっと唇を結んだ。「……でも今の私は、そうしたいって思っちゃってるもん」
「だがそれは操られた結果なんだから、お前が俺の言う通りに動かなければ、奴隷じゃなくなんだろ?」
 飄々とした顔だ。船長ってたしかに、こういう人だったかも。
「ずるいー! 私がそうだねって頷けないって知ってて聞いてるでしょ?」
 彼は嗤笑を落とす。「そりゃな」
「……じゃあ、もう選択肢ないじゃん」
「最初からお前にはねえよ。殺さなかっただけ感謝しろ。しかもわざわざ手を打って、自然にそう思うようにしてあげたんだから」
「わざわざ手を打って? 何かしたの?」
「面倒くさい」
 私は頬を膨らませて、船長の足を揺さぶった。「おーしーえーてー!」
「ナハトとやらに聞いてみたら?」
「ナハトは、これ以上は何も言ってなかったよ?」
 船長は私の脇に手を差し入れると、持ち上げて床に立たせた。腕を取ってベッドに座るよう促す。彼も隣に座った。「そんなことより」
「え、なに?」
 なんでベッドに来たの? いくら船長とはいえ、一緒に座るのはちょっと恥ずかしい。部屋に呼んだ私が言うことじゃない?
「俺の奴隷のままでいいんだろ?」彼は少し視線を外す。「奴隷って言い方は可哀想だな。下僕?」
「変わってないよ⁉」
「人形?」
「悪化してない?」
「ともかく、それでいい?」
「さっき選択肢ないって船長が言ったんじゃん」
「そうだった、悪い」船長は悪気のない顔で笑う。「不便だから、魔印を交わそう」
「魔印? 不便って?」
「交わしてあれば、お前を自由に召喚できるし、俺はお前の元に転移できる」
 私はこくこくと頷く。「へぇ〜、知らなかった。聞いたことはあったけど、交わしたことないや。私も転移とか召喚、できる?」
「魔力量が足りるなら―」船長はそう言うと、私の服の袖を捲った。鱗のついた腕に冷ややかな手のひらを当てる。ぞわぞわした感覚が体を巡った。
「できそうだな。あとで法魔化してやる」
「法魔化? 魔法が使えるようになるやつ?」
「……魔法も教えてやる」
「どうしてそこまで?」
「さっきも言っただろ。死なれたら困る」
 困る? 私が死んだら悲しいから、―なわけない。
「奴隷で、便利だから?」ふと口をついて出た。
 船長は私の腕をとって自分の胸元へ引き寄せた。こてんと顔を抑えられる。
「自分で言うことねえだろ? 自分で自分を虐めんな」虐めてるのかな、私。自分でも分からなかった。「俺が宝石にしか興味ねえことは知ってんだろ。だが、そういう事実は口にしても誰も幸せにならない」
 なんで胸元に引き寄せるとか、そんなの簡単にしちゃうんだろう? 自分の顔がいいって知ってるから? でも私はナハトがいるから浮気はしないもん。
「……じゃあ、嘘なら幸せになるの?」
 体を離して、私と目を合わせた。「お前をいいように使いたいのは事実。だが、せっかく手間をかけたのに無駄死にさせたいとは思わねえよ。元より無能ならともかく、X級の獣人で、ククルカンとしての能力もそこそこ引き継いでいる。忠臣に対する愛はねえが、シャーナが有能になるなら大事にはしてやる」
「大事……」
 一直線に見つめられると、ますますどうしていいか分からなくなってしまった。しかも、大事、とか。
「俺は独裁者じゃない。自分で何も考えられない奴隷もいらない。少なくとも俺以外の者の奴隷になるよりは、ずっとマシだと思うぜ」
 私の瞳はうろうろと宙を彷徨う。「それはなんとなく、分かるけど。魔法教えて、強くしてくれるの? これ以上強くなれるの?」
「獣人は大雑把な魔法を使う者が多いからな。お前も変わらん。魔法の理論や構造を学べば、―分かりやすく言うなら、今の1.5倍以上の威力は出せる」
「そんなに⁉ どうやって? どうするの?」
「例えば……」
 船長が指を弾くと、部屋の壁に一斉にツタが這い始めた。みるみる広がり、まるで木の枝で作られた小屋のようになる。そのうちの二本のツタは私に近付き、お腹を這い上がってきた。捕らえはしないものの、いつでも首や腕、腹を締められるように蠢いている。
「こうするとすごく見えるが、実際はこう」
 船長がもう一度指を弾くと、部屋中のツタが消えた。あるのは私の体の周りだけだ。
「多い方がすごく見えるし、怖いと思う。だから部屋中に伝わせた。だがただの幻。本物はここだけ」
 お腹に巻かれたツタを指さす。それもすぐに灰になって消えていく。
「あとは、多くの者は魔法は七元素しか存在しないと勘違いしているが、それは違う。このツタは地の元素じゃなく、草の元素」
「なにそれ? 本当はいっぱいあるってこと?」
「地の神は植物を操り、森を操り、静を操るだろ? だから地の元素の中には、本当はもっと細かくいろんな元素が含まれているんだ」
「それで……草の元素は、地の元素の中にあるものってこと?」
「ああ。だが普通は地の元素にしか命令を出さない。地の元素はたしかにツタを生やすことができるが、草の元素のみの方が精度が上がるし、威力も変わる」
「えっ、てことはもしかして……クラーケンを攻撃している時船長の魔法がすごく強かったのって」
 彼は頷いた。「風の元素で雷を作れるのは本当だ。普通はそうする。だが、俺は風の元素のなかの雷の元素にしか命令を出していない。だから純粋な電撃しか生まれないんだ」
「ほえ〜。どうやってそれを見分けたり、命令を出したりするの?」
 頭にぽんと手がのせられた。「それを教えてやるって言ってんの」
「船長、そんなに色々知ってるならみんなに教えてあげればいいのに!」
 彼は首を傾げる。「いつ敵になるか分からないやつに、手の内を明かす阿呆がどこにいる?」
「あ……そっか。私は魔法で縛られてるから―」
「信用してるってこと」
 わざわざ綺麗な言い方に変えてる。悪い気はしないけど。私はこくんと頷いた。フードを取って船長を見る。「分かった。頑張って魔法も得意になるようにする!」
「偉い偉い」
「ちょ、ちょっと。子供扱いしないでよね?」
「俺と会った時は子供だっただろうが」
 私は気まずそうに顔を逸らす。二年前は四歳だった。精神年齢は十歳くらい? 最初に船長に助けられた時は、怖くて泣き叫んでいたような記憶がある。船長ってもしかして、私のことすごく子供だと思ってる?