献身的に贈って

「魔印はどうやって付けるの?」
「魔力を込めた剣やナイフで、自分の名前を相手の体に彫る」
「い、痛そ〜」
「俺の名前は知られたくねえから、見えづらいところに書きたい。胸に書いていいか?」
「胸? 服で隠れるところって意味なら、背中でも……」
「見る人が見れば服を着ていても魔印が読める。心臓に近い位置であれば、お前の魔力と混ざって読みづらくなる」
「へぇ……」でも胸、胸って……。私は話題を変える。「名前って、シャーナでいいんだよね? 船長はラムズ・シャークじゃないの?」
「俺の本名はそれじゃない。お前は、最初に自分で決めた名前はシャーナなんだろ?」
「うん。それから変えてないよ」
「じゃあそれがお前の名前だ」
「船長はどうして本名を隠したいの?」
 彼は一度口を噤んだけど、煩わしそうな口振りで言った。「俺の使族は……名前が分かると、召喚される可能性がある」
「名前が分かるだけで⁉」
「昔はな。今使う者はほとんどいねえんだが、一応。昔からの癖だから、気にすんな」
「ふうん。なんていうの? 本名!」
 船長は露骨に顔を歪めて、私から視線を逸らした。おもむろに私の上着を剥がす。
「ちょ、ちょっと! 脱がさないでよ!」
「脱がさねえと書けねえだろ」呆れ声だ。
「本当に胸に書くの⁉ つまり裸になれってこと?」
「もちろん」笑顔で即答された。
 私は腕で体を抱くような素振りをする。「嫌だよー。見せたくない! 恥ずかしい!」
「獣人になると、そういう感情も依授されんのか?」
「へ?」目を点にして、ぽかんとした顔を作った。「あ、たしかに……言われてみれば。私はそうかも?」
「へえ」船長はまた服に手をかけた。慌てて彼の腕を掴む。
「だ、ダメだってば!」
「じゃないと魔印が書けない」
「……召喚したり、転移できる方がいいの?」おそるおそるという風で問いかけてみる。
「お前が危険な目に遭ってる時に助けに行けねえだろうが」
 また格好いいこと言ってる。助けてなんてくれなそうなのに。
「……助けてくれるの?」
「しつこいな、さっきも死なせたくねえって言っただろ」
 私は体を左右に揺すった。「それは分かった……だけどー……」
「あんまり抵抗するなら命令する」
「は! 酷い! やだ! わ、分かった……。分かったよ……」
 私は船長を横目で睨みながら、すごすごと上着を脱ぎ始めた。シャツに手をかけたところで、もごもごと口を動かす。「私の体……鱗ばっかりだから……。ちょっと変っていうか……」
「腕も鱗ばっかりなんだから分かってるよ」
「そ、そうだよね」
「そもそも俺は女の体に興味はねえから安心しろ。どんな体でも何も思わねえよ」
「そうなの? 獣人ですら思うことがあるのに!」
「ああ。大丈夫だから早く脱げ」
「……でもあっと、その。お腹に……」
 船長が眉を上げる。「知ってる」
 私は薄く息を漏らした。「……襲わないでね?」
「襲わねえよ、阿呆」
 これって浮気になるのかなあ。でも、ご主人様の命令じゃしょうがないよね? 私を助けるためとは言ってくれてるし……。ナハトはいい気しないかもしれないけど、我慢してもらおう。口は……閉じてればあんまり分からない。開けないように気を付けよう。
 私は意を決してシャツも脱いだ。下着も外すと、白っぽい鱗の並ぶ上半身が顕になった。船長は体勢を変えて、片足をベッドの上に投げ出し正面に座り直す。私の腰元を掴んで引き寄せた。ち、近い。近づかないで欲しい。
「何をそんなに恥ずかしがることがあったんだ? 腕や足と変わんねえじゃねえか」
 船長の言う通り、ククルカンの獣人である私には乳房や臍などは存在しない。ただ鱗で覆われた肌があるだけだ。ただ一つだけ、普通の人と違うところがある。胸の下から臍あたりにかけて、真っ直ぐ長い切れ目が入っている。ここも口になってるのだ。今は閉じてるからあんまり分かんないけど……。
「っん⁉ ひゃぁっ。さ、触らないでよ⁉」
 船長が唇の切れ目をつうっとなぞった。「これを見せるのが嫌だった?」
「……だって、変だもん」
「ククルカンがそういう魔物だったんだから、仕方ねえだろ」
「そだけど!」
「たいして気になんねえよ」
「口開けたら気になるよ?」こわごわと尋ねる。
 船長はあっさりと返事をした。「じゃあ開けてみろ」
「や、やだ! それに男の人に見られると……恥ずかしーのー」
 彼から注がれる青の視線にどきどきしてきた。銀の睫毛が瞳に影を作り、薄い色の唇から吐息が漏れている。船長はちゃんと見ればかっこいい。だから余計に恥ずかしかった。本当ならナハトが先に見ることになっていたかもしれないのに。ちょっと罪悪感。
 船長は胸元に指を滑らせた。「まあ、お前の鱗も悪くはねえな」
「な、撫でないでよ⁉ くすぐったい!」
 鼓動が高鳴っているのを隠すように、わざと声を大きくする。船長は怪訝な顔で見交わした。
「心臓がどこにあるか探してんだろ」
「え、みんな違うの?」
「違えよ」船長はそう言いながら鱗をなぞり、胸の中心部で止めた。「ここか」
 船長は腰元から短剣を抜いた。キインと冷たい金属音が鞘から聞こえ、動悸が激しくなる。「本当に彫るの? 絶対痛いよ。痛くないようにできない?」
「これはできない」
 胸元の鱗へ剣が突き立てられているのを見て、思わず船長の手を掴んだ。「ま、待って!」
 溜息が聞こえる。「なんだよ?」
「さ、先に……。船長の名前と使族を教えてよ……。どうせ名前は知ることになるんだから」
「使族は?」
「……この前、『俺がどんな身の上でも』とかって言ってたじゃん」
「終わったら教えてやる」
 むぅーと唇を尖らせたところで、体に疼痛が走った。痛い! 剣先が鱗を引っ掻いて傷をつけている。鱗はもちろん、鱗と鱗のあいだの溝に剣先が通るたびに激痛が走った。
「い、いた、ぁい、……いたい……」
 最初は剣先が赤く滲んでいく線を作るのを見ていたけど、我慢できなくなってきた。瞼を強く閉じて、船長の上着の服をぎゅっと握った。シワになってしまうかもしれない。でも船長は名前を掘り続けた。あまりの痛みに涙が溢れてくる。皮膚だけじゃなくて、心ごと抉られてるような痛みだ。生暖かい鮮血が鱗を伝っていくのが分かる。早く終われ、早く終われ……。
「い、いあぁ……いたい……。まだぁ〜……」
 切っ先に抉られた傷が熱い。ずきずきする。名前を掘られるなんて、なんだか船長のものみたいだ。恥ずかしい。―ちょっと嬉しいけど。
「終わった」
 強く握っていた手を離して、私はほっと胸を撫で下ろした。自分の胸元を見る。痛々しく刻まれた血の文字が見える。流れていく血を船長が指で絡めとった。
「さ……サフィア?」
「そう」
「え、この名前って、メアリが探してる人の名前じゃ……」
 船長は短剣の血を指でなぞった。彼が触れたところから白銀に一閃が走っていく。
「そう。知らないフリしてる」
「どうして?」
「言わない方がいい気がしたから」
「メアリには前に伝えたってこと? え、そもそもどうしてメアリは船長がサフィアって気付いてないの?」
「……面倒だな。そこまで説明しねえといけないのか」彼は独り言のように言うと、私に服を渡した。「とにかく魔印のことを終わらせる。これ着て、俺にも書け」
 私はしぶしぶ服を受け取った。まだ傷の辺りが脈打っている。でも、なぜか名前は消えてしまっていた。魔力を載せて彫ると言っていたから、普段は見えないものなんだろう。
「俺が触れば文字が見えるようになる。お前が自分で意識しても、名前は浮かび上がる」
「ふうん……ありがとう」私の心読んだのかな?
 魔印を交わしても、特に何かが変わったような感覚はない。この調子ならすぐに痛みも引きそうだ。手早く服を着ると、船長の方に向き直った。
「剣に魔力をのせるのはどうするの?」
「まずこれを持って」
 船長に言われて、さっきの短剣を掴んだ。彼が上から自分の手を重ねる。鱗ごしでも手が冷たいのが分かる。
「体の魔力をこっちに移動させろ。魔法を使う時に魔力が体内に巡る感覚があるだろ? それを思い出せ」
「わ、分かった。やってみる……」
 私は専ら無詠唱で魔法を使っている。そのせいか、自分の魔力を体内で動かすのはそう苦労しなかった。指先まで魔力を運ぶと、そのまま押し込むようにして剣の方へ流した。
「できてる。その状態で俺を傷つければいい」
「おっけぇ。どこに書けばいい?」
「空いてるところ」
「空いてるところ? そんなにいっぱいあるの?」
 船長は黙って船長服のコートを脱いだ。宝石のついたそれを丁寧に椅子にかけると、ボタンを外して白いシャツを脱ぐ。迷いなく服が剥がされ、顕になった滑らかな肢体に目が釘付けになった。綺麗すぎ。
「ちょ、ちょっと……突然脱ぐなってばよ……」
 なんとか目を伏せて見ないようにする。ますます浮気みたいになってきた。
「俺が脱ぐのもダメなのか? 人間みたいだな」
 でも好奇心は抑えられない。ちらっと目線を上げると、まだ首にはまだ三連のサファイアのネックレスが下がっているのが見えた。顔と同じように、青白く傷一つない陶器のような肌だ。なんとはなしに船長の胸元に手を伸ばす。
「ちょうスベスベ」
「そう見えるだけ」
 船長は自分の上半身に手を載せた。すると、赤黒い無数の切り傷が浮き彫りになっていく。痛々しいほどの傷の跡だ。よく見ればどれも人の名前のように見えるけど、なぜか読むことができない。
「これ全部……魔印の跡?」
「そう。五千年も生きてればこんくらいになる」
「えっ⁉ 船長ってそんなに長生きだったの⁉」
「ああ」
 衝撃の事実! 私の何倍? まぁそれなら、多少子供扱いされても仕方ないか。
 空いてるところないかなー。彼の体を具に眺める。「交換した人、みんな生きてるの?」
「死んだやつの方が多い」
「消えないの?」
「消そうと思えば。面倒だからやってねえだけ」
「そっか」私は顔を上げる。「どこに付けよう? 空いてるところなさそう?」
 彼は悩ましげな顔をしたあと、軽い調子で言った。「仕方ない、足にするか」
 ぎょっとして船長の足元に目を移し、そのあと力強く言った。「やだよ! やだ! 男の人の足って、だって……見たくない!」
「もう少しマシな反応をしろよ」船長はそう言いながら、首元に自分の手を沿わせた。「首筋なら空いてるかな。書きづらいだろうが、いいか?」
「うん」
 私は剣を掴み、先ほど教えてもらったように魔力を纏わせた。剣の色が少し変わったように見える。ベッドの上で膝立ちになり、船長の肩に左手を添えてバランスを取ろうとする。
「それだと遠いだろ」
 船長は私の体を持ち上げると、そのまま自分の膝の上に座らせた。
「待って、待って待って!」
 これは絶対だめ! ナハトに怒られるよ! だって裸の男の人の上に座ってるんだよ? いかにもって感じじゃん。獣人だけど、そういうのはちゃんと知ってる。同じ獣人の女の子とそういう話をしたことがある。
 私が手で船長の胸元を押して離れようとすると、むしろ背中に腕を回され、そのまま強く抱きしめられた。
「な、なにするの⁉」
「もうここまでしたから浮気にはならない。早くやって」
「い、意味わかんないその理論!」
 私はもがいて彼から離れる。でもとても嫌そうな顔をしている。このまま抵抗すると命令するよって脅されそうだ……。はいはい、私に選択肢はないんだもんね。ナハトに心の声が聞こえてるわけじゃないし、私は不可抗力だったということで許してもらおう……。
 私はうるさいくらいに音を立てている心臓を無視して、船長の肩に手をかけた。首筋に剣先を当てる。
「俺も痛いから、時間かけてやんなよ」
「船長も痛いの?」
「ああ」
 とてもとても意外。こういうときはむしろ時間かけてやってみたいところだけど、怒られるのも嫌だ。思い切って彼の皮膚に剣を突き刺した。すっと剣を滑らせて、『シャーナ』の文字を掘っていく。面白いくらいに肌は滑らかに切れていく。もっと書きづらいと思ったのに。なんだか少し楽しい。私の名前、船長に彫ってる!
 途中で船長が私の腰元を掴んだ。「痛い。早くやれ」
「ごめんね、急ぐよ」
 痛いから、早くやってほしくて私を膝にのせたのかもしれない。むしろそれ以外の意図があるとは思えない。私が船長のことを好きになっても意味ないもんね。むしろ面倒臭がりそうだもん。
 ようやく書き終わる。私は視線を下ろして船長の方を見た。この体勢、改めてめちゃくちゃ恥ずかしい。船長は何も思わないのかな? 鱗ばっかりとはいえ、女の子がのってるのに。逆に落ち込む。
「お前の魅力がないせいじゃねえよ」
「そう? じゃあ魅力ある?」
「ふつう」ひど! そんなストレートに答える?
「どうせ普通ですよー」
 ベッドに手をついて、彼の膝から下りた。すんなり離してくれるから、やっぱり早く書いてほしかっただけみたいだ。