魂喰い

 船長は慣れた仕草で服を身に付けた。ベッドに座り直したところで、待っていましたとばかりに私は口を開く。
「さっきの、教えて! 使族とか? メアリのこととか」
「あとで永久命令を使うが、いいな?」
「え、あの痛いやつ⁉」
「もういいだろ、なんでも。俺が心を操ってたって聞いてもこうして言うこと聞いてんだから」
「そ、そうだけど……」
 船長は口元に怪しい笑みを浮かべる。「俺に命令されても嫌じゃねえだろ?」
「それは……いやぁ……」
「俺に名前彫ってもらえて嬉しいんだっけ?」悪戯っぽく問いかける。
「ちょ、ちょちょ、ねえ!」それはナシ! 酷い! 
「俺のためになんでもする、そう言ってたもんな?」船長は嗤う。
「言ってないから⁉」
「言ってたよ、心の中で」
 むっと唇を尖らせる。「心の声は無視するって言ったのにー!」
「もう無視しない」
「なんで?」
「お前公認で奴隷になったから」
「も、もしかして私墓穴掘った? 心操ったでしょとか言わなきゃよかった⁉」
 船長はさも愉快だという風で頷いた。「まあ、説明する手間が省けた」
 言わなきゃよかったー! 言わなかったら公認じゃなかったのに。
 俯きがちに船長へ反論する。「ともかくあれは……、今日だって、色々やだって言ったじゃん」
「口だけだろ。俺がやれって言ったら言うこと聞くくせに」船長は蒼の目を眇めて首を傾げた。
 そんなこと、ないし。ないし。ないし。でも言い返せない。だって本当に船長になら命を捧げてもいいって、それくらい尊敬してるんだもん。これも操られたせい? しかもこれも読まれてるんだよね? シャーナ、詰んだ。
「命令は分かったから……さっきの知りたい」
「俺の使族は―基本的に、特殊な力を持つ者以外には殺されない。昔は俺たちを殺す祓魔師と呼ばれるやつらが大勢いたが、今はもうほとんどいない」
「つまり……だから長生き?」
「ああ。次に、俺の体は作ったものだ。俺の本体はこれじゃない」
 船長は自分の体をとんとんと叩いた。どういう意味だろう?
「エルフが普段《風》になってる、とか……そういうことかな?」
「賢い賢い、そういうこと。本体が別だから、俺は自分の姿を自在に変えられる」
「えっ? そうなの? 船長のその姿、作ったもので……本当はその姿じゃなくて……」
「ああ。だが、事情があってしばらくは変えられない」
「分かった。メアリは船長の違う姿のときに会ったってことね? そのときにサフィアって名乗ったの?」
「ああ。運命にそう言わされた」
「あらら……」
「俺はお前らと根本的に体質が違う。体がないようなもんだ。だから、全ての生理的欲求を持たない。涙や汗も作り物」
「えー、そうだったの⁉ だから船長、いつも一緒にご飯食べないんだ〜」
「食おうと思えば食える。味がないだけ」
「味ないの?」可哀想すぎる……。私ですら、獣人になってからご飯美味しくなったのに。人間とか襲って食べなくてもよくなった。
「ああ。それと同じで、お前の体を見ても何も思わん。宝石以外に関しては、なんの感情も抱かない」
「へ……なにそれ。感情がなくて……それででも、生きてるの? 食べることも寝ることもしないのに?」
「そうだな、生きてる」
 なんだか変だ。そんな使族聞いたことない。あ、でもエルフもそうか。半分しか選択できない、つまり意思がないようなものだもんね。
「でも船長、私が死にそうになった時、死にたくないって心の声がたくさん聞こえたせいで辛かったんじゃないの?」
 船長は嘲るような声で言った。「お前が勝手に勘違いしたんだろ。俺はただ呟いただけ。『だから嫌だった』って」
「え? え? あの言葉に意味なんてなかったの⁉」
「ないよ」取り澄ました顔、にこっと笑った。
「え……なんだ」少し悲しい。「何も思わないんだ。私がいくら……」
「思わねえよ。最初にそう言っただろ。あ、嘘ついたっけ?」船長はとぼけた声で言う。
「ついたよ⁉ 聞こえるのは楽しいもんじゃないって!」
 私が詰め寄ると、彼はわざとらしく砕けた笑いを見せた。「悪い」
「ほんとう嘘つき! でも、どうして宝石だけは感情があるの?」
「それは俺がそういう使族だから―。シャーナは、俺がなんの使族なら嫌だ?」
「『嫌だ』? そう聞かれると難しいね……」
 私は自分の知っているものをいくつか思い浮かべた。どれもこれも、大して甲乙つけるようなものじゃない。仮に人間だとしたって嫌じゃない。人間は差別が多くて私を嫌う人もいるけど、個人個人が悪い人なわけじゃないから……。
 しいていうなら、悪魔は怖いかな? 悪魔の所業だとか、地獄絵図の地獄だとか、あのへんは全部昔悪魔が生きていたときに作られた言葉だったって聞いた。世界で一番恐れられている存在で、今も悪魔より恐ろしい使族はいないって。たしか人を食べる使族だったよね? ラミアもそうだけど、悪魔は―。
「ラミアは人間の子供しか食わない。悪魔は人間も、ラミアも、獣人も、なんでも食べる」
「じゃあ世界で恐れられてたのは、みんなが悪魔に襲われて食べられてたから?」
「それもあんだろうな」
「ふうん……。悪魔は悪意の塊だったっていうからやだ。悪い人ってことじゃん! 戦争も殺人も、憎悪も妬み僻み、怒り、そういうの全部悪魔のせいなんでしょ? でももう悪魔は絶滅したからなー」
「してねえよ」
「え?」
「してない」
 机に置いてあった皿やコップが震え、かたかたと音を立て始めた。開けたはずのない窓から風が吹き込み、部屋の蝋燭が明滅ののちに掻き消える。一気に温度が冷えていく。喉元が凍りついたように息がしづらくなった。月明かりが忍び寄るように部屋を照らしていき、船長の銀髪が美しく瞬いた。暗い影のなかで、蒼い瞳が浮き彫りになって光っている。
「ここにいる」
「え、悪魔なの? 船長……え?」
 自分の心臓の音が聞こえる。部屋が大きく脈打っている。どくん、どくん、どくん―。不自然なほど整っている船長の顔に血の気が引いた。彼は子供みたいな笑顔を見せて、首を傾けた。
 私は悪魔の奴隷になったの? 世界で一番恐ろしい使族の奴隷? やだ。そんなの、怖い。だって酷いことをする使族なんでしょう? 怖いよ。
 でも、―船長が悪魔なはずない。だって……最初に船に乗せてくれたのも船長で、そのあと殺さないでくれたのも―あれ、殺さないでくれたって、そもそも殺すことが間違ってたんだっけ。いや、でも、そう。トミーって人に襲われたのも……。
「それ、言い忘れてたけど」彼から言われたのか、部屋全体から聞こえたのか分からなかった。どこか遠い声が脳をぐるぐると掻き回し支配する。「毒を盛ったのはトミーじゃないぜ」
「でも、あの時……私、攻撃されたじゃん」
「ただ肩を抉られただけだろ」そう言って私の肩を掴んだ。冷ややかな温度が巡り、ますます背筋が凍る。
「あの……それじゃあ、誰が……」
 彼はまた笑った。影の中で、蒼い瞳が傾く。裂けるように口が嗤った。「誰でしょう?」
「……せ」ごくんと喉を唾が通る。「あなたが、やったの」
「ああ」
 そっか。私が船長に感謝するように仕向けたって、これのことなんだ。毒を盛って、助けて、それで私は船長に感謝して。「ど、どうして言っちゃうの? 知らないままなら……」
 目頭が熱くなって、視界が涙で潤んだ。
 ―黙っててくれたら、普通に信じていられたのに。優しくしてくれたって、救ってくれたって思えたのに。それがないどころか、むしろ逆だった―私をいたぶったの? それなのに……。それなのに私は船長に尽くしたいって、そう思っちゃうの?
 彼が手を伸ばし、細い指先が目元を拭う。「知っててもなお俺のそばにいてくれるなら、本当の忠誠心じゃん」
「それだって」喉が凍えてひりついていく。「……操ったんじゃないの?」
「どこまで操られたんだろうな? どこまで魔法は効くんだろうな? 俺が悪魔だって知ってもなお、シャーナは俺のそばを離れないんだろ?」
「だって……それは……。隷属化魔法がそれだけ、強い……」
「本当に、そう?」彼の声が頭の中を巡っている。頬から伝わる指先の温度が心を凍らせていく。
「悪魔の奴隷なんて……嫌……」恐ろしさで声が掠れた。
「俺の奴隷も?」
 船長の奴隷が嫌なわけがない。だって本当に感謝してて―彼はいつも私を救ってくれて―あれ、本当に救ってくれたんだっけ? 違うよね? 感謝って、なにに?
 背中に腕を回し、そのまま引き寄せられた。冷たい腕でそっと抱かれる。頭の上から声が落ちてきた。
「シャーナに生きる目的を与えてあげる。俺に尽くせばシャーナは幸せだろ。強くなれたら自分に自信もつく。誰かに虐められることはもうねえよ。もし虐められそうに、殺されそうになったら助けに行く。俺はお前を必要としてる。シャーナの鱗の肌なんて気にしねえし、羽をもいで売ったりもしない。俺は宝石にしか感情がねえが、さっきも言った通り、お前が死ぬまで大事にしてあげる。だからさ、このままそばにいて」
 どうしてこの人は、私が言ってほしい言葉を的確に言ってしまうんだろう。元気で明るくていい子だって、みんなにそう思われてるはずなのに。どうして心の弱いところにつけ込んでくるんだろう。自信がないだとか、鱗や羽を気にしているのだとか、私がなんのために、どうやって生きていけばいいのか分からないのだとか。どうして知ってるんだろう?
 それが悪魔だから?
「怖がらせたのは俺だけど、悪魔はさっき説明したとおり、あれで終わり」
「終わりって……。憎しみや争いを生み出したものなんじゃないの?」
 彼は私の体を離して、儚い笑みで首を振った。「最初に生み出したのは人間だろ」
「そうなの?」
「憎しみが好きな悪魔もいる、いた。争いが好きな悪魔もいた。そういう悪魔のせいで、俺たち全員が好きだって勘違いされたんだ」
「勘違い? だけど、私に毒を飲ませてまで奴隷にしたじゃん。そんな酷いことできるの、悪魔しかいないよ」
 彼は寂しそうに笑って、私の頬に指を滑らせた。「そうかもな。俺は宝石さえあればあとはなんでもいいから、誰にでもどんなことでもできる」
「宝石……。宝石が好きな悪魔ってこと? 争いが好きな悪魔、宝石が好きな悪魔、みんなそれぞれ好きなものが違うの?」
「そう。俺は宝石のためにしか生きられない。だから俺はお前を、宝石を集めるための道具として、奴隷にした」
 私は俯いて、彼の胸元を掴んだ。小さな声が震える。「でも今、大事にするって言ったじゃん」
「手放す理由も、無駄死にさせる理由もない。さっきも言った。シャーナが有能なら、俺が宝石を集めるために生かす価値がある。だから、俺はお前を大事にする」
「……それが、本音?」
「もう隠してることはねえよ」
「夢見させてくれてもいいのに」
 船長はふっと笑った。「俺が助けたって? 優しいって?」
「うん」
「俺も夢見たらだめ?」
「え?」顔を上げると、縋るような目がこちらを捉えた。
「嫌われてる悪魔だって知ってもお前がそばにいてくれるって、俺が酷いことをしてもなお忠誠を誓ってくれるって、夢見たら、だめ?」
 彼の胸を押さえて、懸命に目を伏せた。そんな顔しないでほしい。だって宝石以外に興味ないって、そう言ったじゃん。みんなに嫌われてることだって、何も思ってないはずでしょ?
「嘘だよ」笑みを滲ませた声が降りる。「俺の知らないところで、俺のことをバラされるのが面倒なだけ」
「どっちか、分かんない」
 くくっと笑う声が聞こえる。いい加減くっついてるのもどうかと思って、もう一度彼を押した。すんなり離れてくれる。そのあと私は、なんとはなしに自分の手を見た。
「人は食べないの? 悪魔は食べるんでしょ?」
「生きていくのに必要なわけじゃない。使族や獣人は味があるから食べてただけ」
「それしか味がないの?」
「ああ。なにも感じられない。本を読んでも面白いと思えねえし、美しい景色を見ても心は動かねえし、海風を心地よいと感じることもない。俺の心が動くのは宝石を見る時だけ。それと」彼の視線が脳まで穿つ。「お前らを食べる時」
「つまり……だから悪魔はみんなを食べたの?」
 彼は子供のように嗤った。「それしか感じるものがねえんだもん。仕方ないだろ?」
 仕方ない、仕方ないのかな。怖い。ちょっと怖い。でもラムズはラムズだ。今までもこんな感じだった―。
 こわごわと声を上げた。「私のことは?」
「俺に命を差し出してくれるんだっけ?」
「へ? え、あ……ん、まぁ……」
 船長は私の手を取って、手の甲に優しく口付けを落とした。「死ぬ前にちょうだい」
 さっと身を引く。「で、でも途中で襲わない⁉ 怖いよ、悪魔なんて」
「襲わねえよ。今までだって誰のことも食ってないだろ。拷問で血を浴びたって、誰かを襲って食おうとなんて思わねえよ。そんなに理性がねえように見える?」
「や、その、……だって」
「悪魔は人を襲う魔物じゃないし、怪物でもない。ただそういう使族なだけ」
 視線を落とした。獣人もよく勘違いされるのに、悪魔のことも勘違いしたらダメなのかもしれない。本当に船長の言ってることが正しいのか……それが分からないけど。
「ああ、だがお前は末端なら生えてくるんだっけ?」
「へ?」
 彼はいつかのように、流れるような仕草で私の指を二本逆方向に折り曲げた。
「っっつ! 痛い!」
「悪い」船長は笑ってそう言うと、取れてしまった指を口に放り投げた。骨を噛み砕く音がして、血で赤く染った口から舌が覗いた。
「たまに食べさせてってこと⁉ 痛いよ! ……本当に美味しいの?」
「普段お前らと食ってるものに比べたら、百倍」
 指の付け根を摩りながら、上目遣いに彼を見る。「だ、だからって……」
「いいじゃん。減るもんじゃねえんだから。直接食った方が痛くない?」
 彼がまた私の手を掴もうとして、急いで背中に腕を隠した。生えるからって痛いものは痛い。こんなの、ただの拷問と変わらないじゃん!
「これ以上操るのは面倒なんだが? あまり盲目になられても面白くねえし」
「ずるくない⁉ そう言えばなんでも言うこと聞くって思ってるでしょ?」
 船長は私のセリフは無視して、また腰を掴んで自分の膝に座らせた。慌てて逃げようとするも、がっちり抑えられて逃げられない。
「食べるの? 今食べたじゃん! 怖い、怖いってば! 悪魔なんてやだー!」
「うるさい。みんな絶滅したと思ってんだから、言うんじゃねえよ。口塞ぐよ」
「魔法で?」
 彼は視線を外し首を傾けたあと、あざとい笑みを零した。「唇で」
 船長の胸をとんとんと叩く。「もっとやだ! やだ!」
「そう言うと思った。だから言うこと聞いて」
「な、なにするの?」
 彼は私の腕を取って、指先に唇を添わせた。爪の先から指の付け根まで、冷たく柔らかな唇でつうっとなぞられる。「食う」
 かっと口が開いて、普通の人よりも鋭利な八重歯が見えた。人差し指に牙が差し込まれる。
「いい、い、いっ、痛い! せ、せめて魔法で痛くなくして!」
 鱗を穿ち、骨ごと指が折られる。痛い、痛すぎる! 痛い! さっきのように肉や鱗を噛み砕く音が聞こえる。
「痛がってる方が面白いから、そのままで」
「酷い! 悪魔、悪魔!」
「そう言われるの、久しぶりだな」船長はどこか楽しそうに笑う。
 ここまでされても本気で嫌だと思えないあたり、本当に私は操られてしまっているらしい。とてもとても、嫌んなる。嫌んなるけど、嫌じゃない。どうしたらいいんだろう、この感覚。
「お前が死なない程度に、シャーナは俺の餌にする」
「そんなの聞いてない! 宝石を集めるのを助ければいいんでしょ?」
「いや?」彼は首を傾げた。「俺の言うことを聞けばいいの」
「やだー! だめー! 早く離れて!」
「俺ククルカンの獣人って食ったことねえんだ。使族もそうだが、獣人もそれぞれ味が違うんだぜ?」
「し、知らない……そんな怖い話するなバカ!」
「痛くなきゃいいんだろ?」
「え?」私が抵抗をやめると、すとんとお尻をベッドの上に落とされ首元に顔が埋められた。「ま、待って……待って……」
「ヴァンピールは受け入れられてんだ。これくらいなら許して」
 彼の冷たい吐息が耳を掠める。それだけで既に心が持っていかれそうになる。彼の服を掴んで離そうとしているあいだに、首筋の鱗に牙が突き立てられたのを感じた。
 ヴァンピールが吸うのは人間だけなのに! 私までこんな目に遭うなんて聞いてないよ!
 でも彼の言った通り、血を吸われるのは痛くなかった。むしろ胸が苦しい。焦がれるような動悸が全身を包み、そのまま身を預けてしまいそうになる。正直気持ちいいくらいだ、最悪だ。意識を強く持たないと、このままいいようにされちゃう!
「ち、血も……吸いすぎだら、死んじゃう、って……」
「そんくらい加減できる」
 彼の声のせいか、余計に力が抜けてくる。全身が恍惚に支配され、意識が朦朧としてくる。船長の服を掴んで引っ張った。
 こんないい気持ちになってるなんて、これこそ浮気な気がしてきた。どうしよう。ちゃんとナハトに嘘つけるかな? でも、船長にこうして体まで必要とされていることに喜んでしまっている自分がいる。私の体を美味しいと思ってもらえて、必要としてくれて、私が存在する意味があるなら―こんなに幸せなことはない。あれ、これも操られてるのかな。どうしよう。分からなくなってきた。
 船長は顔を上げた。舌が唇についた血を舐めとる。艶かしいその動作に、また胸がどきんと鳴った。私がどきどきしているのを知ってか、彼は面白そうに笑って見下ろしている。
「あの男とは別れたらいいだろ」
「別れる⁉ やだよ! せっかく付き合えたのに」
「だが、また言うんだろ? 操られてましたって」
「それは……心配、してくれてたし……」
「絶対俺に突っかかってくるだろうが」
「放っといてって言うもん!」
 船長は呆れた声で言う。「好きな女が他の男の奴隷で、いいようにされているのを知って、黙ってるやつがいると思うか?」
 そんなこと言われると照れちゃう。そっか、ナハトは私のことが好きなんだもんね。そうしたら……。
「殺そうかな」
 耳を疑った。信じられない言葉が聞こえた気がする!「ナハトのことを⁉」
「ああ」船長はもちろん、てな顔で答える。
「ダメに決まってるでしょ、怒るよ⁉」
「好きな男を殺されても俺の奴隷をやめられないシャーナは、見ていて楽しいだろうな」
「楽しいって、楽しいなんて感情ないでしょ! 悪戯にそんなことしちゃだめ」
「じゃあお前に命令しようか? あいつを殺せって」
 私は意味もなくベッドをぽんぽん叩いた。「どうしてそうなるのー、バカ! もっとダメ!」
「まあ、今は放っておいてやるか。お前が俺に依存しすぎても怠いから」
「してないよー!」
「どうだか」
 船長はベッドから立ち上がる。もう自分の宿に戻るらしい。私も一緒に下まで降りようと、自分の服を整えた。誰かさんが血を吸ったり指を食べたりしたせいか、なんだか服が乱れてる。大丈夫かな? ナハトになんて言おう?
「襲われてましたって言ったら?」
「言わない!」
 船長は流れるように心読むし! 彼はそこで最後に永久命令を下した。船長の本名のことと、悪魔の存在のことを口止めさせられた。永久命令なら自白剤などを飲まされても言わずに済むらしい。そもそもそんなことになりたくないよ!
 船長の背中を押して部屋から出す。
 階段を降りると、案の定とでもいうか、ナハトはまだ机に座っていた。私たちを見て立ち上がる。
「シャーナ? 大丈夫だったか⁉ 話って……」
「本当にヘーキだよう〜。好きで仕えてるからいいのー!」
「……その、僕……。シャーナの恋人で」ナハトが口ごもりながら船長に言う。
「聞いた」
「えっと……僕たちが付き合っててもいいのか?」
「勝手にすりゃあいいだろ。俺の邪魔をしないならどうぞ」
 ナハトは面食らったように私と船長を交互に見た。「でも……奴隷の主人は奴隷がそんな自由に振る舞うことを許さないんじゃ」
「そこまで縛っても面倒なだけだろ。こいつの心の拠り所になるなら、付き合ってればいい」
「え、僕が彼女と……その」ナハトは少し声を潜めた。「キスとか、しても……」
 船長は呆れた声で言う。「俺はこいつの親か何かか? いくらでもやれ。仮にお前との付き合いでこいつが泣いても怒っても、お前には干渉しない」
 私は慌てて船長に声を上げた。「ちょっと! さっき助けてくれるって言ったじゃん!」
「命の危険があればな? 心の危険は自分でどうにかしろ」
「そんなー! 私が落ち込んで使い物にならなくなってもいいの⁉」
 船長は笑って言った。「そうなった時に助けてやる」
「あの……」ナハトが気まずそうな顔で口を挟む。「僕が酷いことする前提なの、やめてくれない?」
「あ、ごめん。大丈夫! 酷いことするなんて思ってないよ!」私は頭をかいて笑って見せる。
「だからお前も」船長がナハトに言う。「俺たちのことに首を突っ込むな。何も言わないなら、何もしない」
「は、はい……」ナハトは薄目で私の方を見る。一応まだ心配してるみたいだ。
 船長はそこで店から出ていった。次はいつ会えるだろう? あんなことまでされたのに、むしろ秘密を打ち明けられてもらえたことが嬉しい気すらした。忠誠心って、本当にこういうものなのかな? これでいいのかな? まぁ、いっか。