なぞらえた童話

 ラムズに魔法やククルカンのことをたくさん教えてもらって、自分のできることが前の三倍くらい増えた。例えばお腹にある口なら、毒も含めてどんな食べ物でも体を壊さず栄養に変えられるとか、骨を自在に溶かしたり向きを変えたりして、文字通りポイズスネクのように体を動かせるのだとか。背中向きにも体を曲げられるし、膝を逆方向に曲げても痛くない。敵から打撲技を受けた時は、これを利用すれば骨が折れるような致命傷を回避できる。船長は私に貴族の家への諜報活動もさせたがってたから、この手の力は便利だった。
 もちろん魔法も得意になった。まだまだ船長の足元にも及ばないけど、魔法を発動させるのが早くなったし、どの魔法を使うかの判断も早くなった。逆唱を見つけるのも得意。ちょっとした罠の魔法や防音魔法なら、簡単に解くことができる。
 隠蔽魔法も教わったから、鱗の肌が目立つようなことはなくなった。注意深く目を凝らせばバレちゃうけど、そんなに長いこと見られるような時間は与えてやらない。仕事はひっそり手早く終わらせる!
 自分がX級の魔物だったなんて信じられない。船長にそう言ったら、ランクは人間が決めたものだからそんなに気にしなくていいんだって。それぞれの魔物にできること、できないことがあって、それをどう活かすかで自分の価値は決まる、とか、なんとか。船長はかっこいい。
 えーっと。ラムズは今日から自分のお城に泊まるって言ってたよね? 私も入れるのかな? たしかメアリも一緒のはずだ。メアリには船がバラバラになってから久しく会ってない。船長が何を考えてるか聞いちゃったせいか、ちょっと会いづらい。メアリのことは好きだったから、本人を前にするとどんな反応をしたらいいのか分からなくて困っちゃう。とはいえ私は船長の味方だから、メアリに忠告することもできない。
 ベルンの夜の街をなんとはなしに歩いていると、ふっと足元に魔法円が現れた。船長が召喚しているらしい。白い光を素直に受け入れて、元素が自分の体を運ぶのに任せた。
 目を開くと、白い大理石でできた豪華な部屋に着いていた。今まで潜入したどの貴族のお部屋よりも綺麗だ。かっこいい。あちこちに宝石の宝飾品が並んでいる。星空を思わす紺碧の絨毯、ダイヤモンドのネックレスがかかった壁紙。暖炉のレンガにさえ、黒いオパールが一列に埋め込まれている。
「わー、ここがラムズのお城? かっこいい」
 でも宝石には触らない。私が船長に渡してたものも含めて、ラムズの大事なものには手を出さなかった。別に私は興味ないし、私が船長の大事なものならそれでいいから。
 彼はすでにソファに腰掛けて待っている。
「報告して」
「はあい」
 彼に頼まれていた仕事はもういくつか終わらせていた。見聞きしたこと全て、一つも漏らさず彼に伝える。情報を集めるのは私の仕事でも、どう利用するかは彼次第だ。最後に、いくつかの家を回って手に入れたお金や宝石を机に載せた。
「十分、よくやった」
「さすがシャーナ様、でしょ?」
 ラムズは軽く笑い、持ってきた宝石を一つ一つ眺め始めた。私は向かいのソファに座って、ぼうっとそれを眺める。
「ナハトは? 別れて来たのか?」
 アゴールにいる私の恋人だ。私はこくんと頷く。「ちゃんと別れは済ませてきたよ。またアゴールに行く機会はあると思うし、待ってるって」
 心の声が聞こえると言っても、船長は離れている時まで私の声に注目してないんだろう。いつも意識してたら面倒って、前にそう言ってた。
「メアリは? どこにいるの?」
 もう午前の一時だ。別の部屋で寝てるんだろうか?
「ああ」私の心に返事をしたみたい。「この部屋には防音魔法をかけてある。廊下には出んな」
「はーい。でも、隠蔽魔法をかけたらメアリは私って分かんないんじゃない?」
 ラムズは首を振った。「あいつ以外、城に入れたことないって言った」
 さらっと小さな嘘を重ねている船長に、シャーナちゃんはまた呆れてしまいました!「そんな嘘、つく必要あるのー?」
「シャーナだって、奴隷にしたのがお前だけって聞いたら嬉しいだろ?」
 一度黙ってから、しぶしぶ返事をする。「でも嘘って分かる」
「そりゃな。お前だけなわけがない」彼は目も合わせずに答える。
 ちぇー。ちょっとでも信じそうになった私が馬鹿だった。まぁ、五千年も生きてるんだもん、仕方ないよね。どんなに背伸びしても敵わないや。
「しばらくここにいていいの?」
「ああ。魔法教えてやる」
「わーい。私が夜行性でよかったねぇ」
「だが、そのせいでたいしたもの食ってないんじゃねえか?」
 船長の言う通り、夜から明け方にかけて仕事をしているとお店が閉まってしまう。密かに森に出かけていって魔物を狩り、それをお腹の口で食べているけど―全然美味しくはない。まぁ、お金を使わずに済むからいいのかな?
 ラムズは味覚がないって言ってたけど、それもこんな感覚なのかもしれない。私も味はしなくて、栄養になってるってだけだから。
「作ってやるよ、待ってろ」
「へ? 船長が?」
「ああ」彼は口元にニヒルな笑みを寄せる。「ご褒美」
 素直に喜んで、ソファで座って待っていることにした。

 30分もしたらラムズが戻ってきた。扉を開けて迎え入れる。片手に持っていた銀のトレーに向かって彼が指をすっと動かすと、宙を滑るようにトレーが運ばれていった。机に載せられる。ラムズは浮遊魔法が得意だ。私はあんなにスムーズに使えない。
 机に並ぶ久しぶりのご飯を見て、不覚にも目が輝いてしまった。
「美味しそー! ありがとう! しかもいい匂い! どうして味覚がないのに作れるの?」
「さあ? 文字を読むのと同じ。魔法を使うのと同じ。どうすればどんな味になるか分かる」
「へぇ、すごいねぇ」ラムズも分からないなら、私が深く考えても分かんないことなんだろう。「でも船長は美味しいと思えないんだもんね。いらない機能なのに、なんだか皮肉だね?」首を傾げて言う。
「俺もそう思う」
 船長は隣に座って私が食べるのを見ていた。見られながら食べるのは少し気まずい。だけど、匂いの通り美味しかったから結局全部食べてしまった。浄化魔法でお皿を洗う。ついでとばかりに、全身も魔法で綺麗にした。船長は綺麗そうだからいいや。
「お前が食べ終わったなら、次は俺の番ね」
「へ? 何が?」
 きょとんとしてラムズの方を振り向くと、彼は私の背中と膝に手を差し入れて横抱きにした。「待って⁉ どこに行くの⁉」
 無視。すたすたと部屋を移動し、天蓋ベッドの上に下ろされた。びっくりして布団の端まで腰を滑らせる。
「な、なな何するの? どういうこと?」
「言ったじゃん。俺の番だって」
 いつの間にか部屋は薄暗くなり、青い光を灯す蝋燭がラムズの長い影を作っていた。壁の向こうで朧気に揺れる。彼が膝をついて、ベッドに入ってきた。
「怖い、怖い怖い! ずっと食べてなくなかった? もうあれで終わり、かなって……」
 以前船長と魔印を交わした時、あれから指すら食べられてない。室内で会う機会がなかったから?
 彼が近づくのに合わせて、私は身を縮めた。銀の髪が月明かりで煌めいて、瞳が魔物の目のように宙で浮いて見える。
「来いよ」
「や、やだよ!」
 船長は私の腕を掴んだ。引っ張られる。ベッドに座っている彼の胸元に引き寄せられ、そのまま抱かれる。
「だ、だから……浮気になっちゃうし……。船長だってメアリに告白したんでしょ? それならこういうの、シャーナはよくないと思うぞ?」彼の胸を小さく押しながら、たじたじの声で呟く。
「メアリにはバレないようにやるから平気」
「そ、そういう問題じゃないよ⁉ 好きになってくれないって言ってたじゃん。そういう不埒なことしてるからだよ?」腕の中で身動ぎして、おずおずと首を上にあげた。
「俺の奴隷を餌にして、何が悪い?」ラムズは怪しい光を灯す瞳を眇め、冷えた指先を私の首筋に添わせた。瞼が伏せられ、視線の先は血管を捉えて仄かに滾っている。
「ら、ラムズ……。やめよ……? ねってば」彼の服を掴んだ。
「嫌だ」ニコリと微笑みを落としたあと、首の鱗に柔らかな唇が当てられた。一気に冷たい温度が全身を巡る。抵抗する隙も与えず牙で鱗を貫き、どくどくと血液が吸われていく。強く掴んでいた手が独りでに落ちた。鋭い痛みと同時に甘い享楽が体を支配する。頭がくらくらしてくる。麻酔を打たれたように脳が蕩けて、全身の力が抜ける。体が重たいのか、軽くて溶けそうなのか分からない。
 でも……もっと吸ってほしい。そう思った矢先、彼は顔を上げた。蠱惑的な舌が唇についた血を舐め取る。
「お、終わった? もう離れてい?」
「まさか」
 ラムズは私の腕を掴んで、指先を口に含んだ。温度のない舌が鱗の上を這い、彼の唾液が絡みつく。「ね、ちょ、もうちょっとさ……ふ、ふつうに……」
 わざとやってるんだろうか? ナハトとそういう行為はしたっていうのに、ラムズの方が百倍くらい色っぽい。でもこのあとめちゃくちゃ痛いはずだ。やるなら早くやってほしい。ぞくぞくする心臓を必死に抑えているところで、ぐさりと牙が指に沈んだ。
「っいいいいい! 痛い! いた、いたい……」
 後ろに骨を折られる方がまだ痛くないのに、痛みを誤魔化す魔法だって知ってるはずなのに、どうして意地悪するんだろう? あまりの痛みに冷や汗が流れ始める。傷口から巡り巡って、全身が一気に熱くなる。
 彼が私の左手を離す。痛いよう、人差し指と中指を食べられた……。すぐに血は止まって、新しい指が生えようとしている。
「そっちも」
「や、やだよ! もうよくない? 食べたじゃん!」
 青い眼光が冷ややかに刺す。「指二本で足りると思ってんの?」トーンが一段下がった。「ほんとは全部食いたいのに」
 ごくんと唾を飲む。ぜ、全部食いたいとか、言わないでよね? 体重を支えていた右手を布団から外して、そろそろと差し出す。
「よくできました」
 彼は軽く私の頭を撫でたあと、右の指も柔らかく食んだ。先に指先を含み、爪と皮膚の間に歯を入れる。はっとして、私は指先の骨を溶かした。これなら大分痛みはマシになるはずだ。
 皮膚はすんなり裂けて、思惑通り、強烈な痛みは感じないままに指先が外れた。
「お前、溶かしたな?」
「や、別にいいでしょ? 食べれることには変わりないんだし……」
「よくねえよ。骨が食えないじゃん」
「骨って美味しいの? 魔物の骨もみんな食べないのに」
 ラムズは少し思案する顔つきをしたあと、言った。「お前らの食い物でいえば、ビスケットだとか、そういう硬いもんもあるだろ? あれと一緒」
「分かった。分かったけど、痛いんだもん。せめて魔法使ってよ?」
 ラムズは首を傾げて、あざといような笑みを見せた。「痛くねえと美味しくないもん」
「へ? どういうこと? 私が痛くないとダメなの?」
 彼は右手を掴むと、止める間もなく指を齧った。い、いいいいい痛い! 突然やられても痛い! 彼は口の中で鱗や骨を噛み砕いたあと、つまらなそうに言う。
「相手が強い感情を持っているほど、美味しくなる」
「つ……」指を摩りながら答える。「強い、感情?」
「今食べた時、痛みはあとから来ただろ。予想してなかったから」
「うん」
「だが焦らされると、いつ食われるか分からなくて怖いだろ」
「そうだね」
「その方が美味しい」
「性格最悪だね⁉」
 ラムズはくくっと笑い、最初と同じように指に舌を這わせた。甘噛みされる。「最悪だよな、俺もそう思う」何度か歯型を付けられて、指がじんじんしてくる。疼痛と戦っているところで、牙が焦らすように沈んでいき―最後まで貫いた。
「いッ! いい、いた、ぁ……」噛みちぎるように外される。「いた、……んん……痛い……」